ドナルド・マクドナルド・ハウス
ドナルド・マクドナルド・ハウス(Donald McDonald House)とは、公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパンにより設置・運営されている、病児とその家族のための宿泊施設。日本とそれ以外では正式名称に一部違いがあるので、分けて説明する。
日本国外のロナルド・マクドナルド・ハウス
ロナルド・マクドナルド・ハウス(Ronald McDonald House、英語発音: [ˈrɑnəld məkˈdɑnəld ˈhaus] ラナルドゥ・マクダナルドゥ・ハウス)とは、難病の子供とその家族を支援すべくアメリカのフィラデルフィア小児病院で誕生した宿泊施設で、ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの中でも極めて初期に発足したものである。
著名なアメリカンフットボール選手フレッド・ヒルが娘の白血病を治療するにあたり、その看護を行なうために病院での生活を余儀なくされた際、患者の看護を行なっている家族に対するスペースが病院の中に無いという経験をしたことから、彼は患者の家族が利用しやすい宿泊施設を病院の近くに作ることを思い立った。発端となった宿泊施設はフィラデルフィア新聞社主が家を提供し、ファーストフードチェーンのマクドナルドの店長らが支援したことからロナルド・マクドナルドの名前が付けられた。
2010年9月現在、アフリカを除く世界の主要地域に300のハウスが設けられており、各地のマクドナルド法人が運営を支援している。
沿革
- 1974年 - 第1号のハウスが「フィラデルフィア」に開設される
- 1985年 - 米国国外初のハウスが「アムステルダム」に開設される
- 1986年 - 第100号のハウスが「ロングアイランド」に開設される
- 1991年 - 第150号のハウスが「パリ」に開設される
- 1999年 - 第200号のハウスが「ブダペスト」に開設される
- 2001年 - 日本初のハウスが「東京」に開設される(現せたがやハウス)
- 2005年 - 第250号のハウスが「カラカス」に開設される
- 2010年 - 第300号のハウスが「セントルイス」に開設される
日本のドナルド・マクドナルド・ハウス
日本では、マクドナルド社のマスコットである「ロナルド・マクドナルド」が日本語での発音のし易さを追求して「ドナルド・マクドナルド」と呼ばれているため、「ロナルド・マクドナルド・ハウス」ではなく「ドナルド・マクドナルド・ハウス」が正式名称となっている(以下「ハウス」と記載)。
ハウスの理念は、Home away from home (家庭から離れたところにある家庭)という言葉で代表され、家庭から離れていても家庭的な雰囲気のある場所を病院の近くに提供しようとしている。すなわち、ハウスでは食事も自炊可能で、掃除や洗濯も宿泊者が行えるようになっており、それをボランティアが支援するという運営方法をとっている。これにより人件費の圧縮がなされ、また、一般の人や企業などの寄付をハウスの建設や運営費にあてているため、宿泊者からは1000円/泊とリネンなどの実費(数百円/泊)で宿泊できるようになっており、長期入院が必要な病児の家族を経済的な面からも支援している。なお、ボランティアは、宿泊者の生活面での支援以外にも、精神的な支援も行っており、看護で疲れた宿泊者の癒しになっている。
前述の国外と同様、日本でも日本マクドナルドが主体的に支援を行っており、社内募金等の実施や店舗に募金箱を設置するといった活動のほか、ハッピーセットの売り上げ1点につき1円を支援金に充てている。
経緯
入院患者の世話は、従来、家族や家族によって雇われた付き添い人(職業介護人)によって行われていたが、1950年(昭和25年)に「完全看護制度」(1958年(昭和33年)に「基準看護制度」に改称)が試行され、看護は看護職員(現在では看護師)が行う、という職業分離が導入された。しかし、看護職員数の不足から院内での家族や職業介護人による看護が続いていた。1994年(平成6年)に「新看護体系」が創設されると、1997年(平成9年)には全病院で家族・職業介護人の看護が廃止された。しかし、看護師不足によって病児看護の家族負担はなくならず、結果、院内で簡易ベッドや病児のベッドで添い寝して無料で宿泊しながら看護していた家族・職業介護人が、看病のために病院周辺の有料施設に宿泊しなくてはならなくなり、病児の医療費の他に、宿泊のための多大な出費を強いられることになった。
この家族・職業介護人の宿泊市場には、1990年前後からホスピタル・ホスピタリティ・ハウスが各地で参入する[1]一方、一般のホテルも進出した。例えば、聖路加国際病院が隣接地に聖路加ガーデンを建設し、東京新阪急ホテル築地が入居して1994年(平成6年)9月1日に開業している。
このような中、国立成育医療センター(2002年3月1日設置)が東京に建設されるのを契機に、当時の国立大蔵病院長(国立成育医療センターは国立大蔵病院の敷地内に建設されることになっていた)がハウスを同センター近くに設置したいと考え、1996年(平成8年)12月に日本マクドナルド社の当時の社長であった藤田田に要請した。同社は、1999年(平成11年)4月の認可を得て財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン・デン・フジタ財団を設立し[2]、同財団が運営する形で第1号のハウスが東京都世田谷区に建設された。なお、2006年(平成18年)1月に同財団は現称に改められた。
一覧
名称 | 所在都市 | 位置 | 設置日 | 部屋 | 備考 |
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さっぽろハウス | 北海道札幌市 | 北緯43度7分39.1秒 東経141度12分37.2秒 | 2008年12月18日 | 10 | 北海道立子ども総合医療・療育センター隣接地 |
せんだいハウス | 宮城県仙台市 | 北緯38度16分25.9秒 東経140度47分11.1秒 | 2003年09月18日 | 16 | 宮城県立こども病院近く。 東北大学病院利用の該当者も宿泊可 |
とちぎハウス | 栃木県下野市 | 北緯36度23分49.1秒 東経139度51分38.4秒 | 2006年09月21日 | 7 | 自治医科大学2号館内 とちぎ子ども医療センター近く |
せたがやハウス | 東京都世田谷区 | 北緯35度38分3.4秒 東経139度36分48.6秒 | 2001年12月01日 | 21 | 国立成育医療研究センター隣接地 |
ふちゅうハウス | 東京都府中市 | 北緯35度41分33.4秒 東経139度27分54.2秒 | 2010年03月02日 | 12 | 東京都立小児総合医療センター宿舎棟1階 |
東大ハウス | 東京都文京区 | 2012年01月25日 | 12 | 東京大学本郷地区キャンパス構内 東京大学医学部附属病院隣接地 | |
おおさか・すいたハウス | 大阪府吹田市 | 北緯34度49分35.8秒 東経135度30分22.5秒 | 2005年10月02日 | 18 | 国立循環器病研究センター近く |
こうちハウス | 高知県高知市 | 北緯33度31分48.8秒 東経133度35分14.8秒 | 2005年02月13日 | 16 | 高知医療センター近く |
脚注
- ^ ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの歴史(JHHHネットワーク)
- ^ 沿革(日本マクドナルド)
関連項目
- フレッド・ヒル - アメリカンフットボールプレイヤー。娘が白血病になった経験からホスピタル・ホスピタリティ・ハウス建設に尽力。これがロナルド・マクドナルド・ハウス第1号となる。
- 公益法人 - 運営主体である財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパンは2009年12月28日に公益財団法人の認定を受けており、同財団に寄付を行った個人・法人は税法上の優遇措置が受けられる場合がある。