スポーツにおけるイスラエル・ボイコット

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スポーツにおけるイスラエル・ボイコットとは、イスラエルスポーツ選手との対戦拒否、及びその結果生じる様々な形での失格行為のことをいう。イスラエルのスポーツ選手は個人、団体を問わず、中東戦争の影響により、いくつかの競技大会から締め出されてきた。イスラエルが参加したオリンピックを含む数多くの国際競技大会においても、アラブ人イスラム教徒の選手から対戦を避けられている。いくつかの国は自国の選手に対して、イスラエルの選手との対戦拒否や、イスラエル国内で開催される大会への不参加を強いてさえいる。

いくつかのケース

ケニアマラソン選手だったレオナルド・ムチェル・マイナ英語版は、2004年にバーレーンへ国籍を変更して「ムシール・サレム・ジャウヘル」に改名すると、2006年のアジア大会陸上競技では5000メートルで銀メダルを獲得した。しかし、2007年にイスラエルで開催されたティベリアス・マラソン英語版に出場したところ、バーレーンの市民権を剥奪された[1]

イランの競泳選手であるモハメド・アリレザイ英語版は、2008年の北京オリンピックと2009年及び2011年の世界水泳選手権でイスラエルの選手と同じ組に入ったために棄権した。2011年の大会では出場を望んでいたものの、圧力によって辞退させられたという。出場の意思を示したことが原因で、2012年のロンドンオリンピックでは代表候補を外された[2]

イスラエルを巡る厳しい国際情勢が存在する一方で、アラブ系の選手がイスラエルのスポーツチームへ加入するケースが増加している。とりわけイスラエルのサッカー代表にはリファート・トゥルク英語版ナジワン・ギュライーブ英語版ワリド・バディール英語版サリム・トゥアマ英語版アッバス・スアーン英語版など、著名な選手が加わっている。また、ナザレス生まれのアラブ系イスラエル人であるボクサージョハール・アブ・ラシン英語版は、1997年にIBOスーパーライト級チャンピオンになった[3]

2015年8月にインドネシアのジャカルタで開催された2015年世界バドミントン選手権大会ではイスラエルのミーシャ・ジルバーマン英語版ビザ発給を拒否された。この時は結果として入国できたものの、会場ではイスラエルの国旗が表示されず、大会前の練習も許可されなかった[4]

2015年9月にオマーンで開催されたRS:Xの国際大会に参加したイスラエルのマーヤン・ダビドビッチ英語版も、国際サーフィン連盟(ISA)名義での出場を余儀なくされていた[5]

2015年11月にクウェートで開催された射撃アジア選手権は、当初、来年のリオデジャネイロオリンピックの予選を兼ねる大会でもあった。しかし、国際射撃連盟(ISSF)から派遣されて今大会を統括する予定だったイスラエルのヤイル・ダビドビッチがクウェート当局からビザ発給を拒否される事態となった。これに対してIOCは、「オリンピック予選はオリンピック憲章に基づいて開かれなければならず、ビザの申請の拒否はあらゆる差別を禁じている憲章に反する」として、今大会をオリンピック予選から除外することに決定した[6]

柔道

柔道においてもイスラエルの選手は度々政治的理由から対戦を避けられてきた。とりわけ有名なケースとして、2004年のアテネオリンピック66kg級で世界選手権を2連覇していたイランアラシュ・ミレスマイリが、初戦でイスラエルのエフド・バクス英語版との対戦が決まると、「パレスチナとの連帯を示すため」に棄権したケースが挙げられる。この時は減量をせずに計量に臨んで失格となったが、政治的な棄権への罰則を回避するため、敢えてそのような手段で対戦を避けたと言われている。国際柔道連盟(IJF)もこの件に関しては政治的な棄権と断定するだけの材料を有していなかったこともあり、結果として処分を科さなかった。ミレスマイリの棄権はイラン国内では賞賛され、金メダリストと同等の待遇を受けた。なお、イランオリンピック委員会の広報部は、「イスラエル選手との対戦辞退を定めた規則は一切ない。すべてのイラン人選手は、イスラエルの政権の残酷さを理解しており、自らの意思で対戦を拒否している」との見解を示した[2][7][8]

同じイランの柔道選手であるバヒド・サレク英語版は、2005年の世界選手権60kg級に出場すると、準々決勝でカザフスタンサラマト・ウタルバエフ英語版に一本負けした。その後の敗者復活戦においてアゼルバイジャンニジャット・シハリザダと対戦するも、この試合を勝つとイスラエルのガル・エクティエル英語版と対戦することになるため、わざと負けるように強制されて一本負けした。その対価として家や車の提供が約束されたにもかかわらず、結局提供されることはなかった。そのため、嫌気がさしてドイツへ移り、そこで競技を続けることになった[2][9][10]

このように、対戦を避ける側は政治的問題にならないように、イスラエル選手との対戦前の試合で意図的に負けたり、計量での失格、あるいは病気やケガなどを理由に試合から身を引く傾向にあった。しかしながら、2015年からIJFは八百長や戦略的な対戦拒否が疑われる試合の調査を厳格化することに決めた。病気などを理由に試合を行わなかった選手は、IJFの医事委員会において診断書を発行してもらう必要がある。もし正当な理由なく対戦を避けたことが判明すれば、IJFの規律委員会によって処分が検討される。イスラエル男子ナショナルチームのコーチであるオレン・スマジャは言う。「スポーツは政治から自由であるべきだが、我々は毎年この問題に直面してきた。常に我々がターゲットにされてきた。もっと早くこの問題にケリをつけるべきだった」[11][12]

10月にUAEで開催された柔道のグランドスラム・アブダビ2015では、出場を予定していた元63kg級世界チャンピオンのヤーデン・ジェルビや73kg級ヨーロッパチャンピオンのサギ・ムキなどを含むイスラエルの選手15名が、イスラエルと国交のないアブダビ当局からビザ発給を拒否される事態となった。IJFが事態の打開に向けて動き出した結果、イスラエル選手団にもビザが発給されて大会への参加が可能となった[4][13][14][15][16]。但し、イスラエルの旗の下ではなく、IJFの旗の下での参加を余儀なくされることになった[17]。今回の措置はイスラエル選手団の安全を確保し、なおかつ大会をスムーズに進行させるために取られたものであり、イスラエル柔道連盟会長のモシェ・ポンテもそれに同意した[18]。ジェルビによれば、アブダビで開催される国際大会への参加は6年前から試みられていたが、今回ようやくそれが実現されることになったという。なお、イスラエル選手団は2015年5月にモロッコラバトで開催されたワールドマスターズ2015では入国こそ認められたものの、空港で一時拘束される事態となり、会場では選手が畳に上がるたびに野次ブーイングを浴びるなどのトラブルが発生していた[19][20][21]。一方で、イスラエルのスポーツ・文化大臣であるミリ・レジェブは、一連の事態は決して許容できるものではないとして、このようなことを常態化させないために何らかの対策を講じる必要があると語った[5]

ボイコット一覧

21世紀に入ってからもイスラエルの選手は参加した競技大会において、イスラム諸国の選手によるボイコットに何度となく直面してきた。これは政治的干渉の結果生じたものだと考えられている[誰によって?]

日付 辞退した選手の国 辞退した選手 辞退されたイスラエル選手 スポーツの種類 競技大会名 辞退した公的な理由
2001年2月17日[22] イランの旗 イラン ハメド・マレク・ミハンディ ヨエル・ラズボゾフ英語版 柔道 2001年世界柔道選手権大会
2001年7月26日[23] チュニジアの旗 チュニジア サドク・ハルキ英語版 アリエル・ゼエビ 柔道 2001年世界柔道選手権大会
2003年6月22日[24] イランの旗 イラン イラン代表チーム イスラエル代表チーム サッカー 2003年夏季スペシャルオリンピックス
2004年8月15日 [25] イランの旗 イラン アラシュ・ミレスマイリ エフド・バクス 柔道 2004年アテネオリンピック
2005年8月4日[26] イランの旗 イラン U-21イラン男子代表チーム U-21イスラエル男子代表チーム バスケットボール 2005年U-21世界選手権 ビザの問題
2006年7月6日[27] インドネシアの旗 インドネシア インドネシアチーム代表チーム英語版 イスラエル代表チーム英語版 テニス 2006年フェドカップ
2007年1月28日[28] イランの旗 イラン アフマド・クサンファンディ(審判員) ガル・エクティエル 柔道 2007年グルジア国際
2007年7月19日 [29] クウェートの旗 クウェート モハメド・アル・ガリーブ英語版 アミール・ウェイントラウブ英語版 テニス 2007年トグリアッティ・チャレンジ大会 消化不良
2007年9月18日 [30] イランの旗 イラン メフディ・モハマディ英語版 イリア・シャフラン アマチュアレスリング 2007年レスリング世界選手権
2008年8月10日 [31] イランの旗 イラン モハメド・アリレザイ トム・ベエリ英語版 競泳 2008年北京オリンピック 消化不良
2008年8月15日 [32] シリアの旗 シリア バヤン・ジュマー英語版 アニャ・ゴストメルスキー英語版 競泳 2008年北京オリンピック
2009年7月28日[33] イランの旗 イラン モハメド・アリレザイ マイケル・マルル 競泳 2009年世界水泳選手権
2009年9月30日[34] イランの旗 イラン モハメド・フセイン・ブラヒミ トメール・オール英語版 フェンシング 2009年フェンシング世界選手権英語版
2009年10月1日[34][35] イランの旗 イラン アリ・ファジャ スラワ・ジンガーマン フェンシング 2009年フェンシング世界選手権 全てのエントリーを辞退
2009年10月1日 [36] イランの旗 イラン モハメド・モハゼビニア トメール・ホドロフ テニス 2009年ケニア・フューチャー大会
2010年2月7日 [37] クウェートの旗 クウェート クウェート男子ナショナルチーム イスラエル男子ナショナルチーム ビリヤード 2010年世界団体選手権 食中毒
2010年4月4日[38] イランの旗 イラン イランユースナショナルチーム イスラエルユースナショナルチーム バレーボール 2010年ポルデノーネ国際大会
2010年4月10日[39][出典無効] イランの旗 イラン バグヘリ・デフチェシュメフ・メイサム モティ・ルガシ英語版 テコンドー 2010年ベルギーオープン
2010年4月28日[40] イランの旗 イラン イラン男子ナショナルチーム イスラエル男子ナショナルチーム 卓球 2010年ルクセンブルク選手権
2010年5月21日[41] イランの旗 イラン アリ・シャーホセイニ ミーシャ・ジルバーマン英語版 バドミントン 2010年スペインオープン
2010年8月15日[42] イランの旗 イラン モハマド・ソレイマニ英語版 ギリ・ハイモビッツ テコンドー 2010年ユースオリンピック
2010年11月4日[43] イランの旗 イラン ギャンバリ・ハメド・サヤード マオール・ハトエル フェンシング 2010年フェンシング世界選手権英語版
2010年11月4日[43] イランの旗 イラン モハマド・ホセイン・エブラヒム コビ・ハトエル フェンシング 2010年フェンシング世界選手権
2010年11月5日[44] イランの旗 イラン セダガティ・ハメド イド・ヘルペル フェンシング 2010年フェンシング世界選手権
2010年11月5日[44] イランの旗 イラン サデグ・アベディ グリゴリー・ベスキン フェンシング 2010年フェンシング世界選手権
2011年5月5日 [45] アルジェリアの旗 アルジェリア ザカリア・チェノウフ アダム・サギール テコンドー 2011年世界テコンドー選手権英語版
2011年7月24日[46] イランの旗 イラン モハメド・アリレザイ ガル・ネボ英語版 競泳 2011年世界水泳選手権 疲労
2011年8月20日[47] イランの旗 イラン イラン女子ナショナルチーム イスラエル女子ナショナルチーム バレーボール 2011年夏季ユニバーシアード
2011年9月11日 [48] イランの旗 イラン ガセム・レザエイ ロベルト・アヴァネシャン アマチュアレスリング 2011年レスリング世界選手権
2011年9月18日 [49] イランの旗 イラン ジャバド・マフジョーブ英語版 オール・サッソン 柔道 2011年ワールドカップ・タシュケント
2011年10月1日 [50] アルジェリアの旗 アルジェリア メリエム・モウサ英語版 シャハル・レビ 柔道 2011年ワールドカップ・ローマ
2011年10月1日 [50] アルジェリアの旗 アルジェリア ラホウ・アブデルマレク アルテム・マスリー ボクシング 2011年世界ボクシング選手権大会
2011年10月10日 [51] イランの旗 イラン シェルビン・トロウエイ オレン・バッサ フェンシング 2011年フェンシング世界選手権英語版
2011年11月5日 [52] イランの旗 イラン カベフ・メフラビ英語版 ミーシャ・ジルバーマン バドミントン 2011年プエルトリコ国際チャレンジ大会
2015年7月21日 [53] イランの旗 イラン セイバー・ホシュマンド/アッバス・ポーラガリ シーン・ファイガ/アリエル・ヒルマン ビーチバレー 2015年FIVBグランドスラム横浜大会 負傷

脚注

  1. ^ Athlete stripped of Bahraini citizenship for competing in Israeli marathon
  2. ^ a b c 五輪と政治:イスラエルを国家と認めぬイラン選手 対戦拒否は「当然」 毎日新聞 2012年7月23日
  3. ^ Johar Abu Lashin - Boxer
  4. ^ a b Israeli judokas fight for Abu Dhabi visas
  5. ^ a b Israeli judokas win medals in Abu Dhabi, but without flag
  6. ^ 射撃のアジア選手権 入国拒否で五輪予選と認めず NHK 2015年10月30日
  7. ^ イスラエル選手と対戦拒否、イラン柔道選手が計量失格 読売新聞 2004年8月15日
  8. ^ Iran under scrutiny for political pull-out
  9. ^ Vahid Sarlak - Judoka
  10. ^ “I became tired of political sports”
  11. ^ Rules Against Match Fixing
  12. ^ Judo: les sportifs israéliens ne pourront plus être boycottés
  13. ^ Abu Dhabi Refuses to Allow Israeli Judo Team to Compete
  14. ^ IJF - International Judo Federation
  15. ^ Israel granted visas for Abu Dhabi Grand Slam says IJF chief Vizer
  16. ^ IJF President Makes Personal Statement to Athletes
  17. ^ GC d'Abou Dhabi : les judokas israeliens avec un dossard IJF
  18. ^ IJF AND ISRAEL JUDO FEDERATION’S JOINT DECLARATION ON ABU DHABI GRAND SLAM
  19. ^ Israeli national judo team detained at Morocco airport, passports confiscated
  20. ^ Israeli Judo Team Detained, Released in Morocco
  21. ^ After airport ordeal, Israeli judo team fails to pick up any medals in Morocco
  22. ^ אורי טלשיר 26.07.2011 13:00 עודכן ב: 14:42 הוסף תגובה (2011年7月26日). “חוקי החרם: מסורת של החרמות ישראלים בתחרויות בינלאומית – ספורט – הארץ” (Hebrew). Haaretz. 2011年11月10日閲覧。
  23. ^ (Hebrew)Ynet (Tel Aviv). (2001年7月26日). http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-956030,00.html+2012年8月8日閲覧。 
  24. ^ Sport / Special Olympics”. Irishtimes.com. 2011年11月10日閲覧。
  25. ^ (Hebrew)Ynet (Tel Aviv). (2004年8月14日). http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-2963154,00.html+2012年8月8日閲覧。 
  26. ^ Livnat, Arie. “Basketball / Iran pulls out of U21 tourney to avoid match-up against Israel”. Haaretz.com. 2011年11月10日閲覧。
  27. ^ ITF fines Indonesia $31, 600 for canceling match vs. Israel – Tennis”. CBSSports.com (2006年11月15日). 2011年11月10日閲覧。
  28. ^ Maddy, Bruce (2007年1月29日). “Iranian official refuses to referee Yekutiel's ...”. Jpost.com. 2011年11月10日閲覧。
  29. ^ טניסאי כוויתי סירב לשחק מול אמיר חדד”. One.co.il. 2011年11月10日閲覧。
  30. ^ Haas, Sa'ar (2007年9月18日). (Hebrew)Ynet (Tel Aviv). http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-3450706,00.html+2012年8月8日閲覧。 
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  51. ^ Aharoni, Oren (2011年10月10日). “סיף: איראנים לא הופיעו לקרבות מול ישראלים”. Ynet (Tel Aviv). http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-4133688,00.html 2012年8月8日閲覧。 
  52. ^ Aharoni, Oren (2011年5月11日). (Hebrew)Ynet (Tel Aviv). http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-4144080,00.html+2012年8月8日閲覧。 
  53. ^ , FIVB, (11 May 2011), http://www.fivb.org/EN/BeachVolleyball/Competitions/WorldTour/2015/event/Results.asp?TournCode=MYOK2015&Phase=1+2015年7月21日閲覧。 

関連項目