アンダルシア州
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モットー:Andalucía por sí, para España y la humanidad (アンダルシアみずから、スペインと人類のために[1]) | |||||
州都 | セビリア | ||||
公用語 | スペイン語 | ||||
面積 – 総面積 – 割合 |
第2位 87,268km² 17.2% | ||||
人口 – 総人口(2008) – 割合 – 人口密度 |
第1位 8,202,220人 17.2% 92.12人/km² | ||||
住人の呼称 | andaluz/-za | ||||
自治州法 | 1982年1月11日 | ||||
ISO 3166-2:ES | AN | ||||
議席割当 – 下院 – 上院 |
62 40 | ||||
州首相 | スサーナ・ディアス・パチェーコ(PSOE-A) | ||||
州政府のサイト |
アンダルシア州(アンダルシアしゅう、Andalucía)は、スペインを構成する自治州のひとつである。スペイン南部に位置し、北はエストレマドゥーラ州とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、東はムルシア州、そして西はポルトガルと接し、南は地中海・ジブラルタル海峡・大西洋がある。州都はセビリア。自治州政府はフンタ・デ・アンダルシーア(Junta de Andalucía)。近年はアンダルシーアという表記も見られる[2]。アンダルシア最高裁判所はグラナダにある。
気候は典型的な地中海性気候で、夏は日差しが強く暑い。雨はあまり降らない。
歴史
[編集]グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼる。この都市は強大なタルテッソス文明を築き、聖書では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られている。
紀元前5世紀にはカルタゴの植民都市が建設され、紀元前2世紀に古代ローマに支配されて属州ヒスパニア・バエティカが置かれた。
5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配し、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となった[3]。しかし、近年の研究では、アトランティス大陸を示す「アル・アトランティダ」が語源なのではないかという説も有力視されている[4]。
西ゴート王国による支配[注釈 1]のあと、711年にウマイヤ朝に征服され、アラビア語でアル=アンダルスと呼ばれるようになった。後ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄した。アンダルシアの文化は、8世紀にわたるイスラム支配の影響を色濃く残している。
13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進み、グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残った。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一された。
16世紀から17世紀にかけて、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったため、現在の中南米で話されているスペイン語にはアンダルシーア方言と共通の特徴が多くみられる。
アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域であった。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方のひとつとなった。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによりてこ入れが図られている[3]。
2021年9月13日、一帯に集中豪雨があり鉄砲水や河川の氾濫が発生。住宅地や道路などが冠水する被害が生じた[6]。
県と都市
[編集]アンダルシア州には、8つの県がある。県名はすべて、県都の名称と同じである。
県 | 県都 | 面積(km²) | 人口(人) | 人口密度(人/km²) | 自治体数 |
アルメリア県 | アルメリア(Almería) | 8,774.89 | 684,426 | 78.00 | 102 |
カディス県 | カディス(Cádiz) | 7,435.88 | 1,230,594 | 165.49 | 44 |
コルドバ県 | コルドバ (Córdoba) | 13,771.31 | 803,998 | 58.38 | 75 |
グラナダ県 | グラナダ(Granada) | 12,646.98 | 907,428 | 71.75 | 168 |
ウエルバ県 | ウエルバ(Huelva) | 10,128.01 | 513,403 | 50.69 | 79 |
ハエン県 | ハエン(Jaén) | 13,496.09 | 669,782 | 49.63 | 97 |
マラガ県 | マラガ(Málaga) | 7,308.46 | 1,593,068 | 217.98 | 101 |
セビリア県 | セビリア(Sevilla) | 14,036.09 | 1,900,224 | 135.38 | 105 |
計 | 87,597.71 | 8,302,923 | 94.78 | 771 |
(2009年1月1日現在 出典:INE(スペイン国立統計局)[7])
主な自治体 (2010年)
[編集]順位 | 自治体 | 県 | 人口 |
1 | セビリア | セビリア県 | 704,198 |
2 | マラガ | マラガ県 | 568,507 |
3 | コルドバ | コルドバ県 | 328,547 |
4 | グラナダ | グラナダ県 | 239,154 |
5 | ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ | カディス県 | 208,896 |
6 | アルメリア | アルメリア県 | 190,013 |
7 | ウエルバ | ウエルバ県 | 149,310 |
8 | マルベージャ | マラガ県 | 136,322 |
9 | カディス | カデイス県 | 125,826 |
10 | ドス・エルマーナス | セビリア県 | 125,086 |
(2010年1月1日現在 出典:INE(スペイン国立統計局)[8])
そのほかにおもな都市には、アルヘシラス(カディス県)、アンテケーラ、ロンダ(マラガ県)、ウベダ、バエサ(ハエン県)がある。
また、セビリア県、カディス県、ウエルバ県、コルドバ県をアンダルシア・オクシデンタル(西アンダルシア)、グラナダ県、マラガ県、ハエン県、アルメリア県をアンダルシア・オリエンタル(東アンダルシア)と東西に分ける場合がある。
観光と世界遺産
[編集]アンダルシア州にはイスラム支配期の文化を伝える史跡が数多く残り、観光名所となっている。グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータやメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔などがある。
また、アンダルシア州は至るところにひまわり畑が広がっており、特にカルモナは広大な作付け面積を有している。
マラガ県の地中海沿岸コスタ・デル・ソルは一大リゾート地となっており、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部から多くの観光客を集めている。
アンダルシア州でユネスコの世界遺産に登録されている物件には次のものがある。
アンダルシア人の帰属意識とナショナリズム
[編集]文化
[編集]アンダルシア料理は、魚介類とデザート、世界的に有名なシェリー酒で知られている。
1970年代、アンダルシア州の出身でフラメンコをベースにしたロック・バンドであるトリアーナがスペインの軽音楽を一世風靡し、その音楽の影響下のロック・バンドがいくつも登場した。それらのバンドの一派は「アンダルシアン・ロック」と呼ばれている。
祭り
[編集]- カーニバル-カディスのもの(Carnaval de Cádiz)が有名。
- セマーナ・サンタ(Semana Santa) - 各地で行われるが、とくにセビリアのもの(Semana Santa en Sevilla)が有名である。他にマラガ(Semana Santa en Málaga)、グラナダ(Semana Santa en Granada)のものがよく知られている。
- セビリアの春祭り(Feria de Abril)
- エル・ロシーオの巡礼
- 馬祭り
通信とメディア
[編集]- 新聞
- 他地方と同様、各地域に地方紙がある。
- テレビ
- 全国放送である国営TVE、民間放送のAntena3、Tele5のほか、公営TVのカナル・スール(Canal Sur)がある。カナル・スールは、1989年2月国営放送局TVE、バスク州の公営テレビETB、カタルーニャ州の公営テレビTV3、ガリシア州の公営テレビTVGに次いで、開局放送開始。現在、Canal Sur1、Canal Sur2、またラジオ放送Canal Sur Radioを放送。
ギャラリー
[編集]-
コルドバのメスキータ
-
ミハスの白い街並み
-
マルベーリャの海岸
アンダルシアが登場する作品
[編集]- 炎のアンダルシア - 中世カリフ時代のアンダルシアを舞台としたエジプト映画。カンヌ国際映画祭、第50回記念特別賞受賞作品。
- 茄子 アンダルシアの夏 - 高坂希太郎監督によるアニメ映画作品。
- アンダルシアに憧れて - 日本の歌謡曲。
- アンダルシア 女神の報復 - 織田裕二主演の日本映画。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 但し、550年代から620年代の約70年間、東ローマ帝国による再支配を受けたことがある(スパニア属州)。アギラ1世とアタナギルドの間で生じた内乱の隙を突いてユスティニアヌス1世が征服。アタナギルドの跡を継いだレオヴィギルドはスパニア属州の領土の一つで東ローマ帝国が占領し最大の拠点となっていたコルドバを572年に奪ったが、次代レカレド1世の治世中に東ローマ帝国によって幾つかの都市が奪還された(コルドバは奪還していない)。その後暫くは史料が途絶えるが、レカレド1世の2代後の王ウィテリック、その次代グンデマルも東ローマ帝国と交戦している記録が見られる。レカレド1世の娘婿シセブト王(後妻がレカレド1世の娘、後妻との間にレカレド2世がいる)がカルタゴ・ノヴァを奪って町を破壊、最終的にヘラクレイオス1世が東ローマ・サーサーン戦争(602年 - 628年)やバルカン半島でのスラヴ人との戦いに忙殺されていたことでスパニア属州に援軍を送ることができなかったと思われ、シセブト王の息子レカレド2世を挟んでシセブト王の娘婿(シセブトと前妻の娘テオドラが妻)であるスウィンティラ王(レカレド1世の息子の一人)の時代にイベリア半島の統一がなった。なお、スパニア属州の始まりは551年、552年、554年など意見が分かれており、属州征服の年も621年、624年、625年、628年、629年、634年以降など諸説あって、スパニア属州に関する史料の少なさにより確定出来ていない。[5]
出典
[編集]- ^ 1918年のアンダルシア主義者大会の標語に基づいたもの。立石博高『スペイン歴史散歩』行路社、2004年、44頁
- ^ Andalucíaという語のアクセントは後ろから2番目の音節のcíにアクセントがある。cíaはiの上にアクセント記号があるので、ciとaは別々の音節となり、iとaは母音接続になり、二重母音とはならない。近年の以下のような書物ではアンダルシーアの表記が採用されている:立石博高編『スペイン・ポルトガル史』(新版世界各国史16)、2000年、山川出版社、ISBN 4634414600;関哲行・立石博高・中塚次郎編『スペイン史1・2』(世界歴史大系)、2008年、山川出版社、ISBN 9784634462045、ISBN 9784634462052;原誠他編『クラウン西和辞典』、2005年、三省堂、ISBN 4385122016;寺崎英樹『スペイン語史』、2011年、大学書林、ISBN 9784475016254。
- ^ a b 前掲『スペイン・ポルトガルを知る事典』、26頁
- ^ 立石 博高 (編著)、塩見 千加子 (編著) (2012). アンダルシアを知るための53章 (エリア・スタディーズ). 明石書店
- ^ 関哲行ほか 編 『スペイン史1』山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年、44頁、50-51頁
- ^ “スペイン南東部で記録的豪雨、5人死亡”. AFP (2021年9月14日). 2021年10月23日閲覧。
- ^ “州別県別人口、面積、人口密度統計” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2011年6月24日閲覧。
- ^ “県別自治体別人口統計” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2011年6月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新訂増補 スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社、2001年、25-26頁