ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ

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Jerez de la Frontera

Flag of Jerez.svg   Coat of Jerez Low Detail.svg

ヘレス大聖堂(カテドラル)
ヘレス大聖堂(カテドラル)
Flag of Andalucía.svg アンダルシーア州
Flag Cádiz Province.svg カディス県
面積 1,188.31km² [1]|1,188.31km² [1] km²
標高 56m
人口 210,861人(2,011年)[1] 人 ()
人口密度 177.45人/km² [1] 人/km²
住民の呼称 jerezano/-a
Jerez de la Fronteraの位置
Jerez de la Frontera
スペイン内のヘレス・デ・ラ・フロンテーラの位置
Jerez de la Fronteraの位置
Jerez de la Frontera
カディス県内のヘレス・デ・ラ・フロンテーラの位置

北緯36度42分00秒 西経6度07分00秒 / 北緯36.70000度 西経6.11667度 / 36.70000; -6.11667

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラJerez de la Frontera)は、スペイン南部の都市。アンダルシア州カディス県に属する。カディスから約37km北東の内陸に位置する。シェリー酒(スペイン語で「ヘレス」)とフラメンコで有名。

歴史[編集]

旧石器時代から人が住んでおり、3000年前にはタルテソス人が居住していた。「ヘレス」の名はフェニキア語の「セレス」(Xeres)に由来する。のちにローマ化され「ケレト」(Ceret)と呼ばれたが、ローマ時代の町の場所は不明である。ローマ時代には重要な町アスタ・レギアもあり、その遺跡は現在のヘレス市内にある。

イスラム支配期には「シェリシュ」と呼ばれ、経済的・軍事的に重要な町であった。7世紀から8世紀には、現在旧市街と呼ばれる場所に都市計画によって市壁や塔、通りが建設された。1264年アルフォンソ10世に征服され、カスティーリャ王国の支配下に入った。「フロンテーラ」とは、国境の意味で、キリスト教国とイスラム教国の「境」だったことに由来する。

15世紀には、農業、商業、ワイン産業によって経済的・文化的に発展した。アメリカ大陸発見とグラナダ征服は、セビリャカディスの港に近いヘレスに繁栄をもたらした。17世紀にスペインの衰退が始まったが、ヘレスではシェリー酒が世界的に有名になり多くの酒倉が生まれた。

19世紀始めのナポレオン支配に対するスペイン独立戦争では、フランス軍による占領と略奪を被った。18世紀から19世紀にかけては産業化が進み、19世紀半ばに港との間に鉄道が敷かれた。19世紀後半、少数のブルジョア層と労働者との間に対立が生じ、農民暴動が続いた。政府はアナーキストの秘密結社「黒い手」(La Mano Negra)による犯行という噂を流し、弾圧の口実とした。

ヘレスは現在の形のフラメンコの発祥地とされる。19世紀から20世紀にはこの町で多くのフラメンコ演奏家が生まれ、歌唱やギターによって名声を博した。現在ではフラメンコ学校やフラメンコセンターが置かれている。

人口[編集]

出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]


名所と祭り[編集]

  • カテドラル(es) - モスクや古い教会の跡地に17世紀に建てられた。ゴシック、バロック、新古典主義の様式による。
  • カルトゥハ修道院(es) - シャルトルーズ会(カルトゥハ会)の旧修道院。15世紀のゴシック建築。
  • アルカサル - 12世紀に建てられた町で最古の建造物。
  • 王立アンダルシア馬術学校 - 伝統的な馬術や馬産の技術を伝える学校。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラはアンダルシア種の産地として知られている。
  • 馬祭り - 聖週間からしばらくして祝われ、この地で最も重要な祭りである。

ギャラリー[編集]

スポーツ[編集]

交通[編集]

市街から北東に8kmの位置にヘレス空港(en)がある。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]