花登筺

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花登筺(はなと こばこ、 1928年3月12日 - 1983年10月3日)は、滋賀県大津市出身の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。

人物[編集]

昭和30年代の上方喜劇ブームの立役者であり、またテレビ草創期におけるスター脚本家であった。高度経済成長期には、大阪の商人を主人公とした商魂物・根性物を多数執筆した。

移動する新幹線の車内でも原稿用紙に向かい、「カミカゼ作家」「新幹線作家」の異名も取った。最盛期における執筆ペースは月に原稿用紙2000~3000枚、生涯に書いた脚本の数は6000本を超えると言われる。また、劇団喜劇の主幹でもあった。

主な作品に、『やりくりアパート』、『番頭はんと丁稚どん』、『細うで繁盛記』(『銭の花』)、『道頓堀』、『船場』、『どてらい男』、『あかんたれ』、『ぬかるみの女』、『アパッチ野球軍』、『ぼてじゃこ物語』、『鮎のうた』、『女商一代 やらいでか!』などがある。人気作品の多くは、人間の成長過程を描いた物でもある[1]

生涯3度の結婚歴がある。最初の妻は武智鉄二の義妹、2人目の妻は元・宝塚歌劇団娘役で女優由美あづさ、最後の妻が女優の星由里子である。

麻雀もプロ級の実力で、日本プロ麻雀連盟の設立に尽力した。

俳優大和田獏に「獏」という芸名を与えた名付け親でもある。

藤本義一と不仲と噂されたが、これは週刊誌の嘘であると藤本自身の著書で書かれている。あるパーティーの席で、その噂が流れていると知った二人は、その後のパーティーで会話をせずに不仲を装い、後で他の客の反応を電話で話すという噂を逆手に取ったイタズラをしていたという。

来歴[編集]

1928年(昭和3年)、滋賀県大津市北国町に、旧姓名・川崎善之助として、近江商人の家に生まれる。花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改める。

1947年(昭和22年)、北国町青年団の一員として演劇活動を始める。

1948年(昭和23年)、大津で「自主劇団 人間座」の結成に参加。その後「文芸座」を設立、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。

1951年(昭和26年)、同志社大学商学部卒業。大阪の綿糸問屋に勤務するも肺結核により翌年退社し、一時重体に陥るも回復、作家を目指しラジオ局へラジオドラマの脚本を持ちこむ中で採用されるようになり、フリーの脚本家となる。

1954年(昭和29年)、東宝と契約してラジオの台本作家、ミュージックホールの構成・演出を手がける。

1958年(昭和33年)、大阪テレビ放送朝日放送毎日放送などの合弁、のちに朝日放送と合併し消滅)の『やりくりアパート』で、脚本家としてデビュー。

1959年(昭和34年)、『やりくりアパート』にレギュラー出演していた子役・中山千夏を東京の舞台公演へ出演させたい、とする東宝側の要請を花登が固辞したことから関係が悪化し東宝から独立[2]松竹の支援で『劇団・笑いの王国』を設立する。当時花登の下で人気を博していた大村崑芦屋雁之助芦屋小雁らが追随するが、同じ花登グループだった佐々十郎茶川一郎らは東宝からの慰留もあり残留、グループが分裂する結果となった。

1963年(昭和38年)、劇団内では「人気の崑、実力の雁之助」という図式の下、2枚看板が成立していたが、雁之助は主演舞台を評価されながらも2番手に甘んじている事など自身の処遇に対する不満などから、主宰者の花登、座長の大村から距離を置くようになり、弟の小雁、芦屋雁平や花登に不満を抱く一部座員もこれに追従し始める。こうした事がやがて劇団内の軋轢となり、雁之助は大村主演の舞台にスッピンのままで出るなど傍目にも花登への猜疑心を露わにするようになっていく。加えて「元・宝塚娘役」、「主宰者・花登の妻」というプライドから看板女優の座に居座る由美あづさの横暴、孤立化する座長・大村など、座員間の不協和音が次第に表面化していく中、花登は劇団解散を決め、雁之助、小雁らは花登の下を離れる。

1972年(昭和47年)、東宝の支援で新たに『劇団「喜劇」』を主宰。

1974年(昭和49年)、既に、妻である由美との関係は修復不可能になっていた中、花登と女優・星由里子との不倫問題が発覚する。劇団の看板俳優・大村崑は、花登と同様に、花登の当時の妻・由美にも恩義があり、自身の妻・瑤子も由美と親しい仲であったため、板挟みとなり、花登の行動を容認できない状況に陥っていた。結局、花登に劇団退団を申し出、花登と大村の長きにわたる「師弟関係」は終わりを告げた。

1975年(昭和50年)、由美あづさとの離婚成立後、星由里子と再婚。

1983年(昭和58年)10月3日肺癌のため死去。享年55。

死後

1983年(昭和58年)12月朝日新聞社より「私の裏切り裏切られ史」が出版される。病床で最後の力を振り絞って綴った自叙伝である。その赤裸々な表現は、「死を感じた人だからこそ書けた芸能界への遺書」として話題を呼ぶ。

1986年(昭和61年)、遺族の寄付金をもとに、青少年の文芸活動推奨を目的とした「花登筐文芸奨励賞」(大津市内在住の小中高生が対象のコンクール)が設けられた。また同年、遺族から8300点超の資料(著作・脚本・蔵書など)の寄贈を受け、大津市立図書館本館に「花登筐記念文庫」コーナーが設置された。

受賞[編集]

弟子[編集]

直弟子[編集]

孫弟子(いずれも花紀の弟子)[編集]

曾孫弟子(いずれも間寛平の弟子)[編集]

著作[編集]

  • 銭牝 徳間書店, 1965 (のち文庫)
  • フグとメザシの物語 ああ童貞の巻 徳間書店, 1966
  • フグとメザシの物語 おお女殺しの巻 徳間書店, 1966
  • すててこ大将 徳間書店, 1966
  • 銀座牝 夜にひらくモコ 徳間書店, 1966 (のち文庫)
  • 大日本処女連 実業之日本社, 1966
  • 男殺しのブルース 新銀座牝 徳間書店, 1967
  • こわし屋甚六 徳間書店, 1967
  • 堂島 徳間書店, 1968-69
  • 脱がいでか ぼくのおんなコレクション 双葉社, 1968
  • 祇園牝 徳間書店, 1968 (のち文庫)
  • 船場 サンケイ新聞社出版局, 1968
  • こぼんちゃん 双葉社, 1968
  • 友禅川 徳間書店, 1969
  • 道頓堀 読売新聞社, 1969
  • 銭の花 1-10 講談社, 1970-73(細うで繁盛記としてドラマ化)
  • ぼてじゃこ物語 第1-3 講談社, 1971
  • あまくちからくち 伏見屋御家訓物語 1-4 徳間書店, 1971-72
  • 流れ蝶 徳間書店, 1971
  • どんとこい 徳間書店, 1971 (のち文庫)
  • ゆるしてんか! サンケイ新聞社出版局, 1972
  • おんべこ・オンベコ 集英社, 1972
  • 漫才師 日本文芸社, 1972
  • どでかい女 サンケイ新聞社出版局, 1972
  • どてらい男 立売堀界隈 全6部 徳間書店, 1972-74 (のち角川文庫)
  • 土性っ骨・じゅんさい物語 講談社, 1972
  • 丁稚 日本文芸社, 1972
  • 花登筐長篇選集 全10巻 講談社、1973
  • 家族戦争 日本文芸社, 1973
  • らっきょうの花 2部 光文社, 1973 (カッパ・ノベルス)
  • おっ母ぁ淑女 実業之日本社, 1973
  • 船場の女 毎日新聞社, 1974
  • もってのほか 1 番町書房, 1974
  • おからの華 第1-4 双葉社, 1974-76
  • おおマリリンちゃん 桃園書房, 1975
  • がんじがらめ 講談社, 1975-76
  • 船場女炎 毎日新聞社, 1975
  • 宴会屋英助 番町書房, 1975
  • どてらい男 第2部 徳間書店, 1975-77
  • もってのほか 2 主婦と生活社, 1975
  • どついてんか 講談社, 1975
  • 母娘夜蝶 桃園書房, 1976
  • 花ぼうろ 1-4 主婦と生活社, 1976-77
  • 船場情艶 毎日新聞社, 1976
  • あかんたれ 土性っ骨 文藝春秋, 1976 (のち文庫)
  • おくどはん 全4冊 潮出版社, 1977-79
  • さわやかな男 全6部 文藝春秋, 1977
  • 合資夫婦 双葉社, 1978
  • じょっぱり 1-3 サンケイ出版, 1978-79
  • 華麗な男 全3部 徳間書店, 1978-79
  • 思わずドキッとする話 変えられる女変えられない女 青春出版社, 1979
  • 弟子はモナリザ 桃園書房, 1979
  • チートイくずれ節 双葉社, 1979
  • 女商一代 1-3 スポニチ出版, 1979
  • 鮎のうた 日本放送出版協会, 1979-80
  • ぬかるみの女 第1-4巻 集英社, 1979-82
  • 氷山のごとく 東京新聞出版局, 1980-81
  • おあねえさん 上 東京アド・バンク, 1981
  • イエスとノンの物語 1-2 中央公論社, 1982-83
  • ありがとうの心 聖教新聞社, 1983
  • 私の裏切り裏切られ史 朝日新聞社, 1983
  • 長嶋の商法・王の商法 野球中継を見ながら儲けよう 太陽企画出版, 1983
  • 問屋町の女 集英社, 1983
  • 銭っ子 秋田書店, 1970-71

脚注[編集]

  1. ^ どてらい男』は山本猛夫(山善創業者)、『さわやかな男」は塚本幸一ワコール創業者)、『じょっぱり』は淡谷のり子、『ぬかるみの女』は塚本純子(大阪の「クラブジュン」のオーナー)など、実在の人物をモデルにした作品も多い。
  2. ^ ただ東宝側は「関係が切れるのは東京との間で、関西では今まで通りに・・・」と慰留工作をすすめ、完全な決裂とはならなかった。またその後、東宝との関係は改善されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]