家系ラーメン

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一般的な家系ラーメンに味玉子をトッピングしたもの

家系ラーメン(いえけいラーメン)あるいは横浜家系ラーメン(よこはまいえけいラーメン)は、神奈川県横浜市のラーメン店・吉村家1974年創業)を源流とするラーメン店の店舗群、あるいは吉村家に類似する濃厚な豚骨醤油ラーメンのジャンルを指す名称[1][2]

概要[編集]

豚骨や鶏ガラから取った出汁醤油のタレを混ぜた豚骨醤油ベースのスープ、太い中華麺鶏油に、ホウレンソウチャーシュー海苔のトッピングで構成される[3][4]。麺の硬さや油の量、味の濃さを好みに応じて調整してもらえるのが一般的である[2][3]

元々は吉村家から暖簾分けおよび派生したラーメン店により広まったもので、屋号に「〜家」(~や)が多かったことから、系(いえけい)という通称で呼ばれるようになった[1]。吉村家の流派に属せず独自展開した店もあり、壱六家の流れをくむ店は「壱系」とも呼ばれる[5]。さらには、2010年代中ごろからは大手外食産業が吉村家やその他の家系店舗とは全く無関係に同系統のラーメンを提供するチェーン店が増加し、これらは「資本系」と呼ばれる[1]。「資本系」の店舗の多くはセントラルキッチンで作られた既成スープを各店舗に持ち込んでラーメンを作っており、大量の豚ガラ、鶏ガラを常に炊き続けることによってできるフレッシュなスープを提供する吉村家の系譜をたどる個人店舗とは味が異なると言われている[1]

家系ラーメンを出す店は、2013年9月時点で日本とアジアを中心に約1000店舗あるとされ[3]、そのうち横浜市内には約150店舗あるという(「神奈川のラーメンを盛り上げよう!会」調べ。店舗の入れ替わりが激しいため正確な数値は不明[6])。ただし、そのほとんどが「資本系」によるフランチャイズチェーン店で、本来の吉村家の流れを汲む店舗群はごくわずかであり、逆に「資本系」との差別化を図るために、吉村家およびその暖簾分け店で修行したにもかかわらず「~家」を名乗らない独立店主も少なくない[2]横浜市内でも、元祖家系の吉村家がある横浜駅西口方面がラーメン屋(家系に限らず)の激戦区として際立っている[7][8]

かつて「吉村家」「本牧家」「六角家」の3屋号が「家系ラーメン御三家」と呼ばれていた[9]

歴史[編集]

黎明期
吉村家のラーメンに野菜をトッピングしたもの
吉村家創始者の吉村実は、宮大工床屋の見習いなど、様々な職を転々とした後、長距離トラック運転手を務めていた[10]。吉村はある日「九州の豚骨東京の醤油を混ぜたらうまいんじゃないか」と思い立ち、京浜トラックターミナル東京都大田区平和島)にあった「ラーメンショップ」を半年間手伝った[10]後、1974年9月に横浜市磯子区新杉田駅近くに吉村家を開店した[10]
店舗が磯子産業道路に面しており、石川島播磨重工業(現・IHI)をはじめとする工場密集地帯という立地だったことから、京浜工業地帯で働く工場労働者やトラック運転手の間で評判になり広まった[11]
その後、吉村は本牧家を開店したが、ここで店長を務めていた神藤隆が1988年に独立して東白楽駅近くに六角家を開業し、他の弟子たちも本牧家を辞めたため、怒った吉村は本牧家を一時営業中止し新聞沙汰にもなった[11]
第一次ブーム
1994年3月の新横浜ラーメン博物館の開業から2003年5月まで、「六角家」が地元横浜代表のラーメンとして出店していた[12]。また、本牧家や六角家にいた近藤健一が関わった横濱家などは、横浜市北部でチェーン展開し、さらには「吉村家」の流れをくむ弟子や孫弟子の店が神奈川県を中心に広がり、横浜において一大流派を築いていった。
「資本系」・「工場系」の台頭と家系の「ジャンル化」
その後、2000年頃から「~家」の屋号を名乗りながら、吉村家や六角家等とは無関係に濃厚な豚骨醤油ラーメンを提供するチェーン店(いわゆる「資本系」や「工場系」)が増加し、各チェーンが急速に店舗網を増やすことで全国に広まり、「家系」が「横浜発祥の豚骨醤油ラーメン」の一ジャンルを指す言葉として定着していった[1]
一方、六角家は店主の体調不良と経営難から自己破産の憂き目に遭ったものの、吉村家は1999年に西区南幸横浜駅西口)に移転[10]、吉村が75歳を迎えた2023年には近くの西区岡野に自社ビルを建設し「家系総本山 吉村家」として再移転、吉村が変わらず朝の仕込みを行っている[13]

特徴[編集]

屋号
「○○家」と書かれることが多い[14]
太いストレート麺。モチモチとした独特の食感を持つ[15]。他の中華麺より短く、コシが強い[15]。家系ラーメン店では製麺所の名が入った麺箱が店頭や店内に積まれることが多く、そこからどこの製麺所の麺を使用しているかを知ることができる。
  • 酒井製麺 - 東京都大田区
    元はうどんの製麺所。1日約3万玉の麺を生産し、全国約150の家系ラーメン店に卸す[15]。家系の麺を作るようになったのは吉村が独立する際に依頼を受けたことからで[15]、吉村家直系店や吉村家で修業して独立した店舗など、吉村家の流れを汲んだ店にしか卸していないという[15]
  • 丸山製麺所 - 横浜市中区山田町
  • 大橋製麺所 - 川崎市幸区南幸町
  • 大橋製麺多摩 - 川崎市多摩区宿河原
  • 長多屋製麺 - 横浜市中央区二葉町[16]
  • 増田製麺 - 神奈川県横須賀市平作
  • 三河屋製麺 - 東京都東久留米市八幡町
具材
ネギチャーシュー海苔ホウレンソウなどがある[3][14]。みじん切りした生のタマネギがカウンターにあるのも主な特徴で、その他ニンニクゴマ、酢などが常備され、自由に使える。
湯切り
麺の湯切りは、いわゆる「テボ」とよばれる深ザルではなく、平ザルをほぼ直角に曲げて変形したザルでする店が多い。家系の湯切りは一人前になるだけでも4、5年かかるとされる[17][18]
ライス
家系ラーメンではライスと合わせる客も多い。そのためライスを無料サービスする店舗もある。ラーメンと合わせた食べ方を具体的に案内している店もある[19]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 井手隊長 (2017年5月19日). “「家系」ラーメンブームで見落としがちな真実”. 東洋経済オンライン. 2017年5月20日閲覧。
  2. ^ a b c 井手隊長 (2019年3月11日). “「家系ラーメン」出身者が家系を名乗らない理由 ブームならぬ増殖でブランドが一般化した”. 東洋経済オンライン. 2020年9月29日閲覧。
  3. ^ a b c d 「家系ラーメン 豚骨醤油 海外に広がる」読売新聞 2014年4月6日 朝刊 神奈川版 27面
  4. ^ “王者「吉村家」を人気店、新業態店が猛追 独自の進化を遂げる横浜ラーメン最新事情”. 横浜経済新聞. (2007年1月12日). https://www.hamakei.com/column/140/ 
  5. ^ 家系一大勢力“壱系”の全貌が明かされる!? ~横浜の家系ラーメン全店制覇への道 其の四”. はまれぽ.com (2013年10月12日). 2019年4月7日閲覧。
  6. ^ 横浜の家系ラーメン全店制覇への道〜家系図を作ろう〜 其の壱 はまれぽ.com
  7. ^ 【横浜駅 | 第一弾】ラーメン激戦区横浜駅!おでかけや旅の〆はラーメンで決まりっ!何度も食べたくなる塩ラーメン専門店!本丸亭で絶品ラーメンを食べてみて ♡”. MORE (2023年10月29日). 2024年3月29日閲覧。
  8. ^ はまこれ横浜 (2021年4月18日). “金目鯛らーめん「鳳仙花」横浜駅西口に!金目鯛の旨味凝縮、特製ラーメンに舌鼓”. はまこれ横浜. 2024年3月29日閲覧。
  9. ^ 家系ラーメン・名門「六角家」はなぜ破産したか 大手飲食チェーン参入で「職人vs.資本系」に勝負あり?(1/2ページ) 2020/10/08 (2021年7月23日閲覧)
  10. ^ a b c d 「家系ラーメン 40年 魂注ぎ込む「総将」」読売新聞 2014年4月13日 朝刊 神奈川版 30面
  11. ^ a b 林英男 (2003年7月15日). ““家系”ラーメンの総本山「吉村家」とその弟子たち”. nikkeibp/jp ビジネススタイル. 2017年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月29日閲覧。
  12. ^ レギュラー店 - ラー博の歴史 新横浜ラーメン博物館公式サイト
  13. ^ 家系ラーメンの元祖「吉村家」が移転 2階建て30席の新店舗へ ヨコハマ経済新聞、2023年3月9日(2023年4月30日閲覧)。
  14. ^ a b 横浜ラーメン - 全国ご当地ラーメン”. 新横浜ラーメン博物館. 2016年6月20日閲覧。
  15. ^ a b c d e 「家系ラーメン 吉村のための麺 40年」 読売新聞 2014年4月27日 朝刊 神奈川版 26面
  16. ^ 横浜家系ラーメンの製麺所・生中華麺専門の製麺所なら『長多屋製麺所』
  17. ^ 六角家のラーメン-横浜家系ラーメン[リンク切れ]
  18. ^ これで完璧!本格家系ラーメンを見分ける3つのポイント nanapi[リンク切れ]
  19. ^ 家で家系ラーメンを作る @nifty デイリーポータルZ、2015年4月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]