上田浦駅

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上田浦駅
ホームと八代海
ホームと八代海
かみたのうら - Kami-Tanoura
肥後二見 (4.3km)
所在地 熊本県葦北郡芦北町大字井牟田
所属事業者 肥薩おれんじ鉄道
所属路線 肥薩おれんじ鉄道線
キロ程 18.0km(八代起点)
250.3km(門司港起点)
電報略号 オレカタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1954年(昭和29年)10月10日
備考 無人駅
一見すると駅舎に見える駐輪場
肥後二見-上田浦-たのうら御立岬公園間は海沿いを走る (2004/09/06)

上田浦駅(かみたのうらえき)は、熊本県葦北郡芦北町大字井牟田1567番地にある肥薩おれんじ鉄道線

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する地上駅無人駅となっている。ログハウス風の駐輪場が立っている。 トイレは開業当初からのもので小便器と男女共用の汲み取り式の2つがあるが、大便器の方は老朽化のため扉が固定されて入れなくなっており実質使用中止状態になっている。
1990年頃まで現在の駐輪場の立つ場所に白い木造の駅舎が立っており、開業から1970年までは出札窓口と待合室のある有人駅であった。無人化された後の待合室は通勤通学者の自転車駐輪場になっていたが、駅周辺には黄金ヶ浜海水浴場があり民宿海の家が多く、夏休みになると日帰りまたは民宿に宿泊する海水浴客で駅が賑わったこともあり、1980年代後半までは夏休み期間の7月から8月末まで管轄元の八代駅から職員が数名派遣され、期間限定で終日有人駅になっていた。
また、1960~70年代には海水浴客輸送のため夏休みシーズンになると急行かいもんなど優等列車が臨時停車したり、熊本駅方面から当駅止まりの臨時列車が設定されていた時期もあった。1969年のCTC導入後は当駅折り返しの臨時列車は佐敷駅まで延伸する形で廃止されたが、優等列車の臨時停車は1970年代まで続けられた。[1]

のりば[編集]

1 肥薩おれんじ鉄道線 (下り)水俣方面
2 肥薩おれんじ鉄道線 (上り)八代方面

駅周辺[編集]

周辺は山と海が迫った狭い場所で、駅周辺と北側の山肌に井牟田地区の民家があるのみである。

当路線では最も行きにくい駅の一つである。当駅に停車する列車の本数が多いため秘境駅とまではいかないが、他の当路線の駅と違って幹線道路からかなり離れており、山側を通る幹線の薩摩街道(国道3号)へは山道で繋がってはいるものの道幅はあまり広くなく、山や峠を蛇行しながら迂回するため6km以上離れている。海沿いにも道があり両隣の駅まで繋がっていて山道を通るよりは近道だが、道幅が最大でも1.4m程度と大変狭く2010年から当駅 - 肥後二見駅間に5m幅の生活道路(県道二見田浦線・2013年3月25日部分開通)が整備され道路事情が改善されるまでは隣の肥後二見駅とは軽自動車以上の大きさの自動車は通行不可能であった。なお、もう一方の当駅 - たのうら御立岬公園駅間の海沿い道路は未だに道路がほとんど整備されていないため、場所によっては道幅が極端に狭く軽自動車でも通行不可能な箇所も存在する。駅周辺も土地が狭く駅前広場(ロータリー)や駐車場が無いため鉄道以外では大変行きにくい立地になっている。なお、部分開通した二見田浦線は今後も芦北側300m、八代側1kmの計1.3kmを整備して国道3号線と繋がる予定で、全通すると当駅へのアクセスが格段に改善される予定。

街が駅を中心に海側と山側に分かれ、横断用の踏切が町外れにしかないため、ホームの中間にある地下水路の横に地元住民が作った横断用の通路が設けられている。

肥後二見 - 上田浦 - たのうら御立岬公園間の線路は海沿いを走る。海すれすれに走っている部分も多いため車窓からの景色が良い。

黄金ヶ浜海水浴場と街並み[編集]

当駅の海側民家のすぐ裏手には黄金ヶ浜海水浴場があり、ホームや跨線橋からも眺めることができる。海岸から見える夕陽が黄金色に見えることが「黄金ヶ浜」の由来である。

かつて当駅は隣駅の肥後二見駅近くの二見海水浴場と共に熊本県内有数の避暑地として知られ、1960年代から1970年代前半をピークに1980年代中頃までは夏季になると大勢の一般の海水浴客や臨海学校の児童生徒が訪れて賑わっていた。特に当駅の黄金ヶ浜海水浴場は駅の目の前が海水浴場で波や潮の流れも年間を通じて非常に穏やかだったことから多くの海水浴客に親しまれ、ピーク時は前述のように優等列車が臨時停車したり当駅止まりの臨時列車が設定されるほどの混雑ぶりで、周辺には海水浴客のために多数の民宿や商店、食堂が軒を連ねていて大変賑やかであった。駅近くにあった田浦町立井牟田小学校の児童たちも夏季はプールの代わりに海水浴場を使用して授業していた。その名残で現在でも海岸の中に数本のコンクリート製の飛び込み台が残っている。

こうして長年海水浴客に親しまれてきた黄金ヶ浜海水浴場であったが、

  • 海水浴場自体や砂浜が規模が小さく手狭だったこと
  • 道路交通網の整備が進み自動車やバスが広く普及して鉄道以外の移動手段が向上したこと
  • 黄金ヶ浜海水浴場が前述の理由で自動車で行きにくく団体バスの乗り入れも事実上不可能だったこと
  • 近隣に御立岬公園海水浴場、芦北マリンパークビーチなど他の大規模な海水浴場の開発や整備が進められたこと
  • 観光レジャーの多様化により海水浴客自体が減少したこと

などにより次第に客足が遠のき始め、1980年代末期には当駅を訪れる海水浴客が著しく低迷してしまっていた。さらに井牟田地区で深刻な過疎化が進み、井牟田小学校も1996年4月1日をもって近隣の田浦町(現:芦北町)立田浦小学校に統合される形で廃校になり、2000年代に入ると海水浴場の利用者はほとんどいなくなってしまった。現在は民宿や海の家などの海水浴客向けの商業施設は全て廃業しており、夏休み期間中でも乗降客がまばらで時おり海水浴場や近くの海辺に海釣り潮干狩りアオサ取りに訪れる人がいる以外は人影も少なくひっそりと静まりかえっている。今でも海水浴場自体は廃止されてはいないが、砂浜は長年整備されておらず消波ブロックが無造作に積まれたり雑草が生い茂っている箇所も多く、波打ち際も小石や流木、海から流れ着いたゴミなどが堆積したりして砂浜がほとんど消失し、かつての賑わいと面影は皆無になってしまっている。

当路線が国鉄だった頃は駅近くに国鉄指定保養所「黄金荘」が建てられ、多くの国鉄職員やその家族連れも海水浴のために当地を訪れていた。しかし1987年4月1日の国鉄の分割民営化で「黄金荘」は廃止され、その後取り壊されて現存しない。

民宿や商店(海の家、食堂など)を改装してそのまま一般民家にした建物が多く、駅前の街並みに民宿街だった当時の面影を残している。また、かつて民宿や商店、更衣室だった建物が何件か廃屋のまま扉や窓を板や雨戸などで封印した状態で取り壊されずに遺っているほか、街のあちこちに当時使われていたコカ・コーラスプライトファンタミリンダと言った多数のジュースのホーロー看板が撤去されずに残されている。

その他の施設[編集]

  • 上田浦地区社会教育センター - 1996年に閉校した田浦町立井牟田小学校の校舎をそのまま使用した文化教育施設で、災害時の避難場所にも指定されている。

歴史[編集]

駅カフェ[編集]

当駅の眺めの良さに着目した肥薩おれんじ鉄道と熊本県や芦北町を中心とした地元活性化協議会が主催となり、芦北町の観光PRと鉄道利用を促す目的で2011年8月21日10:00から19:00まで一日限りで開催された。駐輪場に机と座席、ホームにも数本のビーチパラソル、机、椅子を設置し、地元特産の佐敷カレーやフルーツをふんだんに使ったスイーツなど様々なメニューが用意された[2][3]

駅名の由来[編集]

当駅が葦北郡田浦村(設置当時)の北部(上部)に設置され、すでに開業していた肥後田浦駅の上方に位置しているのが由来。

当駅が設置される際、住民の請願により「井牟田」、「黄金ヶ浜」、「波多島」、「白島崎」などが駅名候補に挙がったが、当時の国鉄は公共性を重視して設置した駅の市町村が入った駅名を推奨していたため、現在の「上田浦」に落ち着いた。

脚注[編集]

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  1. ^ 国鉄監修 日本交通公社 時刻表 1972年8月号参照
  2. ^ “無人駅でカフェ気分 一日限り利用増へ企画 熊本”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社). (2011年8月20日). http://www.asahi.com/travel/aviation/SEB201108190059.html?ref=reca 2014年6月17日閲覧。 
  3. ^ “海眺め「駅カフェ」いかが 芦北・上田浦駅で21日に開催”. 47NEWS (熊本日日新聞). (2011年8月18日). http://www.47news.jp/localnews/odekake/2011/08/21-7.html 2014年6月17日閲覧。 

隣の駅[編集]

肥薩おれんじ鉄道
肥薩おれんじ鉄道線
快速「スーパーおれんじ」・観光列車「おれんじ食堂」
通過
普通
肥後二見駅 - 上田浦駅 - たのうら御立岬公園駅

関連項目[編集]