レベッカ (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| レベッカ | |
|---|---|
| Rebecca | |
| 監督 | アルフレッド・ヒッチコック |
| 脚本 | ロバート・E・シャーウッド ジョーン・ハリソン |
| 原作 | ダフネ・デュ・モーリア |
| 製作 | デヴィッド・O・セルズニック |
| 出演者 | ジョーン・フォンテイン ローレンス・オリヴィエ ジョージ・サンダース |
| 音楽 | フランツ・ワックスマン |
| 撮影 | ジョージ・バーンズ |
| 編集 | W・ドン・ヘイズ |
| 製作会社 | セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズ |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 130分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
| 製作費 | 128万ドル(当時) |
| 興行収入 | 150万ドル(当時) |
『レベッカ』(Rebecca)は、1940年のアメリカ映画。ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を原作とした、アルフレッド・ヒッチコックの映画作品。 英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作となったゴシック・ロマン。制作はセルズニック・プロ、米国内配給はユナイテッド・アーティスツが担当した。アカデミー賞最優秀作品賞と撮影賞(黒白部門)を獲得した。
1940年にアメリカ合衆国で制作・公開。日本での公開は1951年4月。オリジナル上映時間は130分。
目次 |
あらすじ[編集]
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
ヴァン・ホッパー夫人の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシムと出会う。マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていたのであった。彼女はマキシムの後妻として、イギリスの彼の大邸宅へ行く決意をする。多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする彼女だったが、かつてのレベッカづきの使用人で、邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない。次第に「わたし」は前妻レベッカの、見えない影に精神的に追いつめられていくが……。
スタッフ[編集]
- 監督: アルフレッド・ヒッチコック
- 製作: デヴィッド・O・セルズニック
- 原作: ダフネ・デュ・モーリア
- 脚色: ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン
- 撮影: ジョージ・バーンズ
- 音楽: フランツ・ワックスマン
キャスト[編集]
- わたし:ジョーン・フォンテイン(武藤礼子)
- マクシム・ド・ウィンター:ローレンス・オリヴィエ(家弓家正)
- ジャック・ファヴェル:ジョージ・サンダース(川久保潔)
- ホッパー夫人:フローレンス・ベイツ
- ダンヴァース夫人:ジュディス・アンダーソン
- ベアトリス:グラディス・クーパー
- ベアトリスの夫:ナイジェル・ブルース
主な受賞歴[編集]
アカデミー賞[編集]
- ノミネート
- アカデミー監督賞:アルフレッド・ヒッチコック
- アカデミー主演男優賞:ローレンス・オリヴィエ
- アカデミー主演女優賞:ジョーン・フォンテイン
- アカデミー助演女優賞:ジュディス・アンダーソン
- アカデミー脚色賞:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン
- アカデミー美術賞 (白黒部門):ライル・R・ウィーラー
- アカデミー作曲賞:フランツ・ワックスマン
- アカデミー編集賞:ハル・C・カーン
- アカデミー特殊効果賞:ジャック・コスグローブ(写真部門)、アーサー・ジョーンズ(音響部門)
メモ[編集]
- ヒッチコックは制作の数年前に「レベッカ」の映画化を検討したが、版権が取れずに断念した経緯があったため、この作品を手がけることには乗り気だったと思われる。しかし、それまで常に自作の脚本に関与してきたのに「レベッカ」のシナリオには参加できず、しかも制作中にプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックから多くの横やりが入っており、ヒッチコックにとってはおおいに不本意な制作環境であったという。
- セルズニックは配役にあたってオリヴィア・デ・ハヴィランドを主人公にと考えていたが、彼女はすでにサミュエル・ゴールドウィンの作品の出演が決まっていたので諦めた。その後彼女の妹のジョーン・フォンテインに打診したが、彼女のエージェントは全く別の女優を推薦してきた。結局ロレッタ・ヤング、ヴィヴィアン・リー、アン・バクスター(彼女はヒッチコックのお気に入りで後に『私は告発する』(1953)で出演させている)なども選択肢になったが、特に役作りの上でヤングとリーは間違った選択になると思い、結局ジョーン・フォンテインに落ち着いた。しかし、当時のフォンテインは大スターではなかったため、スタジオ側は彼女が主演と聞いて落胆したと伝えられる。
- セルズニックはキャロル・ロンバードを主演させるために5万ドルの映画権料を支払い、男性側の主演にロナルド・コールマンを考えていた。しかし、近年発見されたセルズニックのメモによると、これではロンバードに引っ張られて殺人の陰謀に加わったような印象を受けるとして、コールマンは役を降りた。次の選択にはローレンス・オリヴィエやウィリアム・パウエル、レスリー・ハワードなども候補に挙がったが、結局オリヴィエがパウエルより少ない10万ドルのギャラで同意したため、決定となった。
- ヒッチコックはセルズニックがセットに押しかけるのを拒んだ。その結果、ラッシュを見たセルズニックから膨大なメモを受け取るようになった。そのメモの指摘の中には、オリヴィエの演技のペースが遅いことも指摘してあった。
- オリヴィエとしては、当時の恋人ヴィヴィアン・リーとの共演を望んでいたため、撮影中ジョーン・フォンテインには冷たい態度をとった。オリヴィエの態度にフォンテインが恐れを抱いたのに気付いたヒッチコックは、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた。これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった。
- 劇中、フォンテイン演じる主人公のファーストネームは一度も語られることはない。原作者のデュ・モーリアは撮影中セルズニックに「ダフネ」と名前を付けるように頼んだが断られた。
- ダンヴァース夫人は登場する際に歩く描写はほとんどなく、気付くと主人公の近くに立っている。これはもちろんヒッチコックの演出である。幽霊のように突如現れるイメージを繰り返すことで、ダンヴァース夫人が亡きレベッカ(とその屋敷)に取り憑かれた、主人公と対峙する側の存在であることをヒッチコックは強調している。
- セルズニックはロケ地としてニューイングランド地方を中心に米国中を捜させたが、ぴったり条件に合う場所がなかった。そこで、遠景はミニチュアで作られたが、この世ならぬ雰囲気をかもし出すためにはかえって効果的であった。またヒッチコックは屋敷の立地を示すような映像を意図的に描かず、屋敷の存在を更に神秘的なものにしている。
- セルズニックは燃えさかる家の煙突から「R」の文字の煙を出させたかったが、ヒッチコックは技術上の困難さを理由に断った。代わりに枕の上で「R」の文字を炎が作ることにした。
- 『レベッカ』は1940年のアカデミー作品賞を受賞。ヒッチコックは監督賞にもノミネートされていたが、結局監督賞は『怒りの葡萄』のジョン・フォードが受賞した。ヒッチコックにとっては生涯唯一の最優秀作品賞であるが、フランソワ・トリュフォーとの対談では「あれ(作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と語り、実際にオスカー像もヒッチコックには与えられなかった(ヒッチコックはその後4度も監督賞にノミネートされたが結局受賞することはなく、壇上でオスカーを手にしたのは1967年、アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きりであった)。
日本語吹替[編集]
- DVD版(発売元:マックスター、ミック・エンターテイメント)
- 本作品は日本国内では著作権保護期間が満了しパブリックドメインとなっているため、非常に安価なパブリックドメインDVDが数多く販売されている。上で紹介した吹き替え版DVDもその一つである。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||