レイチェル・カーソン

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レイチェル・カーソン

レイチェル・ルイーズ・カーソンRachel Louise Carson, 1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州に生まれ、1960年代環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野性生物局(United States Fish and Wildlife Service)の水産生物学者として自然科学を研究した。

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[編集] 来歴

幼少時は作家を志していたが、学生生活を経てアメリカ連邦漁業局に勤務。1941年『潮風の下で』、1951年『海辺』、1962年沈黙の春』等の作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くこと等の啓蒙活動に取り組んだ。

特に『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書としてこれを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が世界的に広がった。

ただし後の研究では、「DDTの危険性」には疑問の余地もあり、その禁止によりマラリア患者激増という事態を引き起こしたとされる。

『沈黙の春』の執筆中に宣告を受け、病と戦いながらの執筆活動であったが、1964年4月14日に癌により死去。

[編集] DDT禁止に関する議論

カーソンは特にアメリカの保守層から批判を受けているが、特に標的となったのがDDT禁止問題である。この問題については1980年代にレーガン、ブッシュ(父)と続いた共和党政権時代から政治学者チャールズ・ルービン(Charles Rubin)らによって継続的にカーソンへの批判がなされてきたが、2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされるようになった。加えて2006年にWHOがマラリア予防の方法として、年に1度、住居の壁面にDDTを塗布する使用法を推奨したこともあり、カーソンのDDT批判は完全に的はずれだったという主張もなされている。

[編集] 主な著書

  • 潮風の下で(Under the Sea Wind)
  • われらをめぐる海(The Sea Around Us)
  • センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)
  • 海辺(The Edge of the Sea)
  • 沈黙の春(Silent Spring)

[編集] 出典

  • Lytle, Mark Hamilton. The Gentle Subversive: Rachel Carson, Silent Spring, and the Rise of the Environmental Movement. New York: Oxford University Press, 2007 ISBN 0-19-517246-9

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