ジョゼフ・コンラッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョゼフ・コンラッド
Joseph Conrad
Joseph Conrad.PNG
誕生 1857年12月3日
ロシア帝国キエフ郡ベルディチュフ
死没 1924年8月3日
イギリスケント州ビショップスボーン
職業 作家
国籍 イギリスの旗 イギリス
主題 小説随筆
代表作 闇の奥』、『ロード・ジム』、『密偵』
処女作 『オールメイヤーの愚行』
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
グディニャにあるジョゼフ・コンラッドの姿が描かれた記念碑
シュラフタ(ポーランド貴族)としてのコジェニョフスキ家の家紋。
コジェニョフスキが使用した家紋は「ナウェンチ(Nałęcz)紋章」と呼ばれる。
ポーランドワルシャワの目抜き通りである新世界通りの47番。コンラッドは1861年、3歳のとき両親とともにここに住んでいた。
この建物はもとフレデリック・ショパンの妹イザベラが夫フェリックス・バルチンスキと共に所有していたもので、コンラッドが越してくる17年前の1844年にはショパンの父親ニコラ・ショパンがここで他界している。
バルチンスキ家は1850年にこの物件を売却。 2011年現在は、ネスレコーヒー店舗ネスプレッソ・ブティック[1]やバイオ・医療関係のポーランド企業の事務所が入居している。
ポーランド、ザコパネのヴィラ・コンスタンティヌフスカ。
1914年にコンラッドはここに滞在

ジョゼフ・コンラッドJoseph Conrad, 1857年12月3日 - 1924年8月3日)はイギリス小説家ジョウゼフ・コンラッドとも表記される。海洋文学で知られ、作品には『闇の奥』、『ロード・ジム』、『ナーシサス号の黒人』、『文化果つるところ』、『密偵』などがある。

生涯[編集]

本名テオドル・ユゼフ・コンラト・コジェニョフスキ(Teodor Józef Konrad Korzeniowski)としてベルディチュフ[2](当時ロシア帝国キエフ県、現ウクライナジトームィル州ベルディチフ英語版)に生まれる。父親は没落したシュラフタ(ポーランド貴族)の小地主で、ロシア占領下のポーランドにおいて独立運動を指導していたが摘発。捕らえられシベリアでの強制労働に処され、このときコンラッドは5歳だった。一家は北ロシアに移動し、その直後に流刑の地にて、コンラッドの母親は結核で死亡した。やがてポーランドへの帰国が許されたにも関わらず、4年後には父親も死亡し、コンラッドは叔父に引き取られた。父親は文学研究者でもあり、幼少期のコンラッドは父親所有の本を耽読していた。海洋文学に出会い感化されたのも父親の影響だった。

16歳の年、コンラッドは船乗りになることを目指しポーランドを脱出。フランス商船の船員となった。船はマルセイユ港を起った。回顧録によれば、この船員時代、コンラッドの乗る船は武器密輸や国家間の政治的陰謀にも関わっていた。コンラッドが自殺未遂をしたのもこの時期となる。1878年以降、コンラッドは英国船に移り勤務した。以降、英語を学びつつ、世界各地を航海した。この時に得た見聞が、後のコンラッドの小説に大きな影響を及ぼした。1884年、コンラッドはイギリスに帰化した。

1895年、処女小説『オールメイヤーの愚行(Almayer's Folly)』を発表。マレーシアを舞台とした物語で、英語によって書かれた。幼少期から青年期に至るまで、ロシア語ポーランド語フランス語を使用し、最後に学んだ英語によって小説を書き上げたことは特筆に値する。この小説は好評を持って当時の社会に受け入れられた。これにより、同時代の他の文学者たちとの交流も始まっていった。

1899年、『闇の奥Heart Of Darkness)』を発表。西洋文化の暗い側面を描写したこの小説は、英国船時代にアフリカ・コンゴ川で得た経験を元に書かれたもので、T・S・エリオット荒地』、ユージン・オニール『皇帝ジョーンズ』、F・スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』、ジョージ・オーウェル1984年』などにも影響を及ぼした。またこの作品は、オーソン・ウェルズが映画化の構想を持ったが実現せず、1979年に映画監督フランシス・フォード・コッポラによって翻案され『地獄の黙示録』として映画化された。1900年、小説『ロード・ジム(Lord Jim)』を発表。この小説は、コンラッドの代表作の一つとされる。1925年(米、監督ヴィクター・フレミング)と1965年(米、監督リチャード・ブルックス)に映画化されている。

コンラッドの文学作品は、チャールズ・ディケンズフョードル・ドストエフスキーに代表される古典的小説とモダニズム小説との中間的存在として位置づけられる。ただしコンラッド本人は、イワン・ツルゲーネフを除き、ロシア文学にはあまり良い印象を持っていなかった。

1924年、コンラッドは心臓発作でこの世を去った。遺体は本名のユゼフ・コジェニョフスキの名前でカンタベリーの墓地に埋葬された。

主な著作[編集]

長篇(一部)[編集]

『オルメイヤーの阿房宮』 田中勝彦訳、八月舎2003年
『文化果つるところ』 蕗沢忠枝訳、角川文庫(上下)、1963年、復刊1989年
『ナーシサス号の黒人、青春』 上田勤訳、筑摩書房〈筑摩世界文学大系50〉、1975年。後者は短編
闇の奥』 中野好夫訳、岩波文庫 初版1958年 のち改版/藤永茂訳、三交社2006年黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫 2009年
『ロード・ジム』 鈴木建三訳、世界文学全集 63 コンラッド 講談社 1978年[3]柴田元幸訳、世界文学全集 第3集:河出書房新社[4]2011年
  • The End of the Tether(1902年)、『万策尽きて・帰宅』 社本雅信訳・解説と鑑賞、リーベル出版、2006年
  • Nostromo1904年)、『ノストローモ』 鈴木建三訳、筑摩書房〈筑摩世界文学大系50〉、1975年
  • The Secret Agent1907年
『密偵』 土岐恒二訳、岩波文庫1990年
『密偵』 井内雄四郎訳、河出書房新社「エトランジェの文学」、1974年
『西欧人の眼に』 中島賢二訳、岩波文庫(上下)、1998年
『西欧の眼の下に、青春』 篠田一士訳、土岐恒二訳・解説、集英社〈世界文学全集61〉、1981年[5]
『勝利』 大沢衛・田辺宗一訳、中央公論社〈新集世界の文学24〉、1971年。
『陰影線』 朱牟田夏雄訳、中央公論社:同上
『シャドウ・ライン、秘密の共有者』 田中勝彦訳、八月舎、2005年。後者は短編

短篇[編集]

  1. 「潟 土岐恒二訳 進歩の前哨基地 田中昌太郎訳 闇の奥 中野好夫訳 エイミー・フォスター 虎岩正純訳」
  2. 「青春 土岐恒二訳 颱風 沼沢洽治訳 ガスパール・ルイス 鈴木建三訳」
  3. 「内通者 神山栄真訳 伯爵 中野好夫訳 秘密の共有者 小池滋訳 プリンス・ローマン 鈴木建三訳 ドルがあったばかりに、武人の魂 野崎孝訳」
「エイミー・フォスター」「ガスパール・ルイス」「無政府主義者」「密告者」「伯爵」「武人の魂」を収録。
「文明の前哨地点」「秘密の同居人」「密告者」「プリンス・ローマン」「ある船の話」を収録。
  • 『コンラッド海洋小説傑作集』 奥村透訳、あぽろん社、1980年
「カレインーひとつの想い出」 「フォークーある回想」 「秘密の共有者」
  • 『青春・無政府主義者・密告者・ドルゆえに』 鏡味国彦・仁木勝治訳、文化書房博文社、1976年
  • 『七つ島のフレイアさん』 瀬藤芳房訳、旺史社、2000年
  • 『諜報員・無政府主義者・伯爵・ドルゆえに・武人の魂』 白井俊隆・間杉貞訳、英宝社〈英米名作ライブラリー〉、1968年
  • 『潟(ラグーン)・エイミィフォスター』 佐伯彰一増田義郎訳、英宝社〈英米名作ライブラリー〉、新版1978年

エッセイ[編集]

参考文献[編集]

  • 『20世紀英米文学案内3 コンラッド』 研究社 1971年
  • クリス・フレッチャー 『ジョウゼフ・コンラッド 図説』 外狩章夫訳、〈シリーズ作家の生涯〉ミュージアム図書、2002年
  • 『「闇の奥」の奥-コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷』 藤永茂著 三交社 2006年
  • J・H・ステイプ編著 『コンラッド文学案内』 社本雅信監訳・日本コンラッド協会訳、研究社、2012年

映像化作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.nespresso.com
  2. ^ 人口の大半はウクライナ人だったが、歴史的経緯から土地はポーランドのシュフラタがその多くを所有していた
  3. ^ 新版に講談社文芸文庫(上下)、 2000年。他に蕗沢忠枝訳、新潮文庫(上下)がある。
  4. ^ 解説末尾に、詳細な訳書一覧を記載している。
  5. ^ 元版は「世界文学全集」集英社、1970年
  6. ^ 新潮文庫で再刊、1951年

外部リンク[編集]