プラ・ルアン (駆逐艦)

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HTMS プラ・ルアン
基本情報
建造所 ソーニクロフト社
運用者  イギリス海軍
 タイ海軍
級名 R級駆逐艦 (初代)
艦歴
発注 1915年7月
進水 1916年11月25日
就役 1917年2月(イギリス海軍)
1920年9月(タイ王国海軍)
退役 1920年6月21日(イギリス海軍)
1957年(タイ王国海軍)
除籍 1959年(タイ王国海軍)
除籍後 ハルクとして使用後、解体処分
要目
基準排水量 1,035 英トン (1,052 トン)
満載排水量 1,208 英トン (1,227 トン)
全長 276 ft (84.1 m)
最大幅 26.9 ft (8.15 m)
吃水 9.1 ft (3 m)
主缶 ヤーロー重油専焼水管×3基
主機 ブラウン・カーチス式オール・ギヤード蒸気タービン×2基
出力 27,000 shp (20 MW)
推進器 2軸推進
最大速力 36 ノット (67 km/h; 41 mph)
航続距離 3,440 海里 (6,370 km)
15 ノット (28 km/h)時
乗員 士官、兵員 82名
兵装 45口径10.2cm単装砲×3基
76.2mm単装高角砲×1基
39口径40mm単装機銃×1基
20mm単装機銃×2基
53.3cm連装魚雷発射管×2基
爆雷投下台×2基
爆雷投下軌条
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プラ・ルアンタイ語: เรือหลวงพระร่วง英語: HTMS Phra Ruang)はタイ海軍駆逐艦R級。元は第一次世界大戦中にイギリス海軍レディアントHMS Radiant、F59/F56)として運用された後にタイ王国(当時の国名はシャム)へ売却された艦であった[1]

艦歴[編集]

レディアントは第一次世界大戦中の1916年11月25日にウールストン英語版ソーニクロフト社で進水、1917年2月に艦長ジェフリー・S・フリートウッド・ナッシュ(Geoffrey S. Fleetwood Nash)中佐の指揮の下でイギリス海軍へ就役した[1][2]。なおレディアントは竣工時の公試で39.7ノットの最高速度を発揮している[3]

イギリス海軍[編集]

就役後のレディアントはハリッジ英語版を拠点としたハリッジ部隊で活動した。レディアントはオランダ沿岸での夜間船団護衛任務中に、ドイツ海軍が敷設した機雷原に入り込んでしまった駆逐艦トレント英語版サプライズ英語版トーネード英語版の救援に向かった[4]

レディアントが救助を試みようとした時にサプライズとトーネードは再び触雷し、3隻の駆逐艦は失われることになった[4]。レディアントは発見できた生存者全員を救助したが[5]、助かったのは士官・下士官兵合わせて12名に過ぎず、3隻の乗員252名が失われる惨事になった。

タイ王国海軍[編集]

第一次世界大戦終結後、レディアントは1920年6月20日にソーニクロフト社へ買い戻された後で1920年9月にタイ王国海軍へ200,000ポンドで売却され、11世紀に存在したとされる王プラルアンに因みプラ・ルアンと改名された[6][7]。本艦の購入資金を捻出するために国王ラーマ6世やその他の上流階級の人物が個人的に寄付を行ったことは、タイ王国において軍艦購入のため寄付が行われた最初の例と考えられている[8]。海軍提督アブハカラ・キアーティヴォンセ英語版王子が直々にイギリスへ本艦の購入交渉に向かい、売却後のイギリスからタイ王国への回航の際にはキアーティヴォンセ提督が自ら本艦の指揮を執った[8]

第二次世界大戦[編集]

第二次世界大戦勃発後、タイ王国は枢軸国側に立って参戦した。当時プラ・ルアンは第3戦隊に所属していた[7]1943年1月29日、アメリカ海軍潜水艦トラウトはプラ・ルアンと思われる目標に3本の魚雷を発射したが外れた。そもそもこの艦はプラ・ルアンではなく日本海軍海防艦占守の誤認であった[9]

戦後[編集]

戦後もプラ・ルアンはタイ王国海軍で運用された。プラ・ルアンことレディアント以外の姉妹艦は戦間期にスケイト英語版1隻を除き全てスクラップになっており、1950年代に入る頃にはプラ・ルアンはR級駆逐艦で最後の生き残りになっていた[10]。プラ・ルアンは1957年の退役まで練習艦として使用された後[11]1959年7月に海軍から除籍された[12]。しかし、その後もプラ・ルアンの艦体は訓練用ハルクとして長らく使用されており、少なくとも2000年の時点では未だ浮いていたとされるが[2]、その後解体されたものと思われる[3]。船鐘、ガルーダ船首像などの一部備品や煙突が保存されている[13]

出典[編集]

  1. ^ a b HMS Radiant”. The Dreadnought Project. 2019年5月1日閲覧。
  2. ^ a b PHRA RUANG destroyer”. Navypedia. 2019年5月1日閲覧。
  3. ^ a b 駆逐艦 プラ・ルアン”. Keyのミリタリーなページ. 2019年5月1日閲覧。
  4. ^ a b HMS Surprise”. Clyde Maritime. 2019年5月1日閲覧。
  5. ^ Pare, Andy. Call the Hands. Lodge Books, 2015, R Class Destroyer, p.126
  6. ^ Dittmar; Colledge. British Warships 1914–1919, Ian Allan Publishing, 1972, p. 71.
  7. ^ a b HTMS Phra Ruang ,WWI destroyer”. thaigunship.blogspot.com. 2019年5月1日閲覧。
  8. ^ a b Thai Naval Force Development”. Global Security. 2019年5月1日閲覧。
  9. ^ アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)C08030257300『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 第十一特別根拠地隊戦時日誌』、pp. 10-16
  10. ^ 中川 務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、42-46頁、ISBN 978-4905551478 
  11. ^ Raymond Blackman, ed. Jane's Fighting Ships 1958-59, Sampson Low, Marston, 1958, p.320.
  12. ^ Robert Gardiner, Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995, Naval Institute Press, 1995, p.461.
  13. ^ タイ海軍 (創立~マンハッタン反乱まで)”. 戦跡散歩. 2019年5月1日閲覧。

関連項目[編集]