ジャパンバッシング

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ジャパンバッシングJapan bashing日本叩きとも)はアメリカ合衆国の対日貿易不均衡についての反発や対抗手段、あるいは派生して日本に対する抗議や日本を非難する言動を指す。

[編集] 概要

米国の自動車産業は1980年代、小型低燃費で、またアメリカ市場においてもファンを獲得する程の日本車の輸入により、壊滅的と言っていい程の打撃を被っていた。また日本の国内農家保護を目的とした輸入制限措置により、牛肉等の畜産物や柑橘類の農産物で、対日貿易は全く無いか、かなり制限された物であるとして、次第に米国内の国民対日感情は悪化していった。(なおそれ以外の穀物を計算に入れれば、決して「アンバランスな一方的対日赤字」とはいえなかったと今日では言われている)

1987年に東芝機械がソ連技術機械輸入公団への取引の件について、対共産圏輸出統制委員会(略称「ココム」。1994年解散)の協定に違反したことが問題視された。これも巨額の対日赤字に関連した当時の経済摩擦問題が背景にあったとされ、ホワイトハウスの前でアメリカ議会議員が自国内向けに東芝製のラジカセやTVをハンマーで壊すパフォーマンスを見せるという事態にまで発展した(東芝機械ココム違反事件も参照)。

この時期、日本の商業捕鯨環境保護団体に非難され、様々な環境保護団体や動物愛護団体またこれらの団体の擁する環境ロビイストが捕鯨批判のキャンペーンを実施、折からの経済摩擦問題が火種となり、この状況に便乗する形で同調した自動車産業団体や、農産物生産者等を巻き込んで、大規模な反日キャンペーンが方々で開催された。この中には、日章旗を燃やしたり、日本製乗用車をハンマーで叩き潰すといった過激なパフォーマンスが行われた[1]。この圧力の中で日本は商業捕鯨の事実上無期限停止を決定した(捕鯨問題の項を参照の事)。

また、当然日本側の反米感情も高まり、石原慎太郎を筆頭とする反米保守勢力は、「何の努力もせずに文句だけつけて来る」として批判した(実際に石原は、1989年に刊行した『「NO」と言える日本』<盛田昭夫との共著、光文社カッパ・ホームス>の中で、この持論を展開している)。

この時代、強硬な米国議会では流行の中で、輸入関税の大幅引き揚げを武器としたスーパー301条を可決して日本に市場開放を迫り、日本側は牛肉や柑橘類の関税縮小を余儀なくされた。もっとも同時にオーストラリアやカナダ、中国なども対日輸出を拡大したため、米国の食糧生産者が期待した程には対日貿易は増大せず、米国以外と日本の食糧市場を分配する結果に終わっている。また日本に輸入される自動車への厳しい規制も緩和されたが、結果的にはむしろ日本にヨーロッパ車の輸入拡大をもたらす結果となった。

その後、当時の日本の内閣総理大臣中曽根康弘と、米国大統領ロナルド・レーガンの、「ロンヤス・コンビ」と呼ばれたリーダー間の折衝が進み、次第に日米政府の間では信頼関係が回復していったが、両国の国民の間には、現在でも以上のような貿易摩擦や、偏見が存在している。

合衆国出身の実業家ビル・トッテン(現在は日本に帰化している)は、こうした一連のジャパンバッシングを『敗者の喧騒』と断じ、同名(サブタイトル)の著書も上梓している。なお、彼はジャパンバッシングのみならず、日本政府のアメリカ追従政策についてもその後の著作で厳しく批判している。

なお2010年現在、アメリカの対中貿易赤字が増大しつつある。そしてそれに伴い、アメリカの対中感情はまったく同じパターンで悪化しつつある。 [2]。一方では、ビル・クリントン以降の民主党による中国重視の結果として、日本が軽視されるジャパン・パッシング(Japan passing)、日本が無視されるジャパン・ナッシング(Japan nothing)が起こっていると日本では指摘されている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、これらのパフォーマンスは反日の個人の行為であり、保護団体や経済団体などの組織的なものではないという指摘もある。『鯨捕りよ、語れ!』C・W・ニコル、アートデイズ、2007年 ISBN 9784861190896 P82
  2. ^ 米中関係検証:一連のトラブル
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