サンディー・アロマー・シニア
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | サリナス(現: |
| 生年月日 | 1943年10月19日(69歳) |
| 身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 155 lb =約70.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 二塁手 |
| プロ入り | 1960年 |
| 初出場 | 1964年9月15日 |
| 最終出場 | 1978年9月30日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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サントス・サンディー・アロマー・コン・シニア(Santos "Sandy" Alomar Conde, Sr. , 1943年10月19日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した野球選手。内野手(主に二塁手)。右投両打(スイッチヒッター)。プエルトリコサリナス出身。現在はニューヨーク・メッツの三塁コーチ。
息子サンディー・アロマー・ジュニアは現在クリーブランド・インディアンズのコーチ。ロベルト・アロマーは二塁手として活躍し、アメリカ野球殿堂入りした。
目次 |
人物・来歴 [編集]
ミルウォーキー・ブレーブスに入団し、持ち前の好守と俊足でメジャー昇格し、1964年9月15日にメジャーデビュー。なかなかレギュラーには定着できず、1967年にはニューヨーク・メッツに移籍し、さらにそのシーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。1968年に133試合に出場し、レギュラーとなり21盗塁を記録するが、打撃力は非力で、打率.253で本塁打0、12打点に終わる。
1969年途中にはカリフォルニア・エンゼルスに移籍。合計156試合に出場し、メジャー初本塁打も記録。1970年と1971年には全162試合に出場。オールスター出場も果たした。また、1971年の689打数は、現在でもエンゼルスのシーズン球団記録である。
1974年途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍。1975年には151試合に出場するが、チームがワールドシリーズ進出を果たした1976年には控えとなり、ア・リーグチャンピオンシップシリーズで1試合に出場したのみで、ワールドシリーズでは出番がなかった。1977年にはテキサス・レンジャーズに移籍し、1978年限りで現役引退。
現役引退後は、サンディエゴ・パドレス、シカゴ・カブス、コロラド・ロッキーズでコーチ、及び傘下マイナーリーグの監督・コーチを歴任。パドレスのコーチ時代には二人の息子、サンディー・ジュニアとロベルトがメジャーに昇格。2005年にはメッツの一塁ベースコーチに就任し、2007年には三塁ベースコーチに異動。ロベルトはすでに現役引退したが、サンディー・ジュニアはメッツで現役を続けて、2008年には現役引退後メッツの捕手コーチに就任した。
エンゼルス時代のチームメイトで、アメリカ野球殿堂入りのノーラン・ライアンは通算7回ノーヒットノーランを記録したが、そのうち最初の2回では二塁手を務めていた。そして、レンジャーズ時代の7回目(最後)のノーヒット・ノーランでは息子ロベルトが相手トロント・ブルージェイズの二塁手として出場していた。また、1970年にはクライド・ライト(のち讀賣)のノーヒットノーラン試合で二塁手を務め、最後の打者となったフェリペ・アルーのセカンドゴロをさばいてダブルプレイにしとめた。1997年のワールドシリーズでは、クライドの息子ジャレット・ライト(投手)と、アロマーの息子サンディー・ジュニア(捕手)がクリーブランド・インディアンスでバッテリーを組んで出場したが、アルーの息子モイセズ・アルーが在籍していたフロリダ・マーリンズに敗れた。
受賞歴・記録 [編集]
通算打撃成績 [編集]
- 出場試合1,481 打数4,760 得点558 安打1,168 二塁打126 三塁打19 本塁打13 打点282 塁打1,371 四球302(うち敬遠17) 死球3 三振482 盗塁227 盗塁死80 出塁率.290 長打率.288 打率.245 犠飛18 犠打77 併殺打58
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- Sandy Alomar(メジャーリーグ成績・英語)(The Official Site of Major League Baseballより)