アーロ

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'Haro'

Escudo de Haro.svg

Plaza de Haro.jpg
ラ・リオハ州
ラ・リオハ県
面積 40.53km²
標高 479m
人口 11,463人(2007年)
人口密度 282.83人/km²
住民の呼称 jarrero/-a、harense
Haro - La Rioja (Spain) - Municipality Map.svg

北緯42度34分37秒 西経2度50分46秒 / 北緯42.57694度 西経2.84611度 / 42.57694; -2.84611

アーロHaro)は、スペインラ・リオハ州の自治体。リオハ・アルタ地区に属し、エブロ川が流れている。カトリック教会のカラオラ・イ・ラ・カルサダ=ログローニョ司教座が置かれている。

気候[編集]

地中海性気候海洋性気候の影響を受ける。年間平均気温は12.6℃、最も寒い1月の平均気温は約5℃、最も暑い8月で平均気温は20.6℃である。冬には霧が発生する。

歴史[編集]

ローマ領ヒスパニア時代、カストルム・ビリビウム (Castrum Bilibium) という名の砦が作られていた。5世紀頃、ギリシャ人たちはファロ (Pharo) と呼んだ。アラブ人占領時代の9世紀にはワディ・アルム (Wadi Arum) と呼ばれた。 初めて歴史上に名を残したのは1040年、ナバラガルシア・サンチェス3世の文書で、ビリビウム・クン・ファロ (Bilibium cum Faro) とあった。1063年の文書には、町にユダヤ人共同体があったことが記されていた。1187年、カスティーリャ王アルフォンソ8世はアーロに特権を授けた。同時に、ユダヤ人共同体にアルハマ(en、特権)を授けている。1430年、フアン2世は、ペドロ・デ・ベラスコをアーロ伯 (Conde de Haro) とした。1811年のカディスでのコルテスで、世襲貴族による大土地所有が廃止されるまで、アーロはベラスコ家に支配された。

スペイン継承戦争で、アンジュー公フィリップの妃マリア・ルイサとわずか3歳であったアストゥリアス公ルイ(のちのルイス1世)がアーロへ避難した。戦後、新王フェリペ5世はアーロの町にMUY NOBLE Y MUY LEAL(最も王に忠実で最も高貴)という称号を与えた。

1808年、アーロはナポレオン軍に占領された。町にはフランス軍の本部が置かれ、ジョセフ・ボナパルトが行政府を設置した初めての地となった。1901年と1902年の2年に渡り、アーロ周辺のブドウ畑がフィロクセラ(en、ハエを媒介して広がるブドウの伝染病)に冒されて被害を受けた。

史跡・文化[編集]

1975年、旧市街がスペイン歴史文化財に指定された。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が町を通っている。

  • 市役所 - 18世紀。新古典主義建築。
  • サント・トマス教会 - アーロ最古の場所にあたる。司教座が置かれている。ルネサンス様式とバロック様式の混合。
  • ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ベガ聖堂 - レコンキスタ時代にアーロに出現したとされるベガの聖母を祀る。
  • ブリニャス橋 - 13世紀からエブロ川に架かっている橋。
  • サン・アグスティン修道院
  • 闘牛場

その他に、美しいスペイン銀行アーロ支店の建物など。

ワイン生産が盛んな一帯にあり(リオハ・ワイン)、毎年6月29日(聖ペドロの祝日)にはバターリャ・デル・ビーノ (Batalla del vino) という伝統的な祭りが行われ、参加者たちは水鉄砲を使ってワインをかけあう。

交通[編集]

ビルバオサラゴサ間をつなぐ高速道が通る。1863年にトゥデラ=ビルバオ間の鉄道路線が開通した。

外部リンク[編集]

座標: 北緯42度35分 西経2度51分 / 北緯42.583度 西経2.850度 / 42.583; -2.850