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{{otheruses2|電気を用いた遠隔通信|光学通信方式|狼煙|腕木通信}}
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[[ファイル:1891_Telegraph_Lines.jpg|thumb|220px|1891年現在、世界の主要電信線地図]]
[[ファイル:Telegraf.jpg|thumb|275px|印刷式電信受信機と電鍵(右下)]]
[[ファイル:電鍵と音響器.JPG|thumb|電鍵と音響器]]
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[[ファイル:日本陸軍電信機.JPG|thumb|日本陸軍九五式電信機]]
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'''電信'''(でんしん)とは、符号の送受信による[[電気通信]]である。
'''電信'''(でんしん)とは、符号の送受信による[[電気通信]]である。有線と無線がある。


== 概要 ==
== 概要 ==
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なお、英語の[[:en:Telegraph (disambiguation)|Telegraph]]・[[:en:Telegraphy|Telegraphy]]には、電気的な方法によらない符号化された遠隔通信(optical telegraphy)が含まれる。
なお、英語の[[:en:Telegraph (disambiguation)|Telegraph]]・[[:en:Telegraphy|Telegraphy]]には、電気的な方法によらない符号化された遠隔通信(optical telegraphy)が含まれる。
{{main|腕木通信}}
{{see also|腕木通信}}

登場して数十年後には電信網が発展し、[[大陸]]間で瞬時にメッセージを送ることができるようになり、[[社会]]や[[経済]]に大きな影響を及ぼした。


==歴史==
== 歴史 ==
[[File:Telegrafo.png|thumb|280px|left|]]
以下では有線による電信の発達について述べる。無線については[[無線通信#電信]]を参照のこと。
以下では有線による電信の発達について述べる。無線については[[無線通信#電信]]を参照のこと。


=== 初期の試み ===
高速に伝送されるという電気の現象が知られるようになって、通信手段にも電気を利用するための実験が数多く行われるようになった。火花、静電気、化学変化、電気ショック、電磁気効果など、当時知られていた電気の性質がさまざまな人によって電気伝送通信に応用されようとした。
高速に伝送されるという電気の現象が知られるようになって、通信手段にも電気を利用するための実験が数多く行われるようになった。火花、静電気、化学変化、電気ショック、電磁気効果など、当時知られていた電気の性質がさまざまな人によって電気伝送通信に応用されようとした。


1746年には[[フランス]]の[[科学者]][[ジャン・アントワン・ノレー]]が200人以上の[[修道士]]を集め円周約1マイル(1.6km)の輪を作り、それぞれに鉄線で繋いだ[[ライデン瓶]][[電池]]から放電させ、全員がほぼ同時に電気ショックを感じたのを観察し、伝送速度が高速であるのを確認した<ref> [http://www.tomstandage.com/vicnet.html] Tom Standage, ''The Victorian Internet'', Walker Publishing, New York, 1998 ISBN 0-8027-1342-4, pp. 1-2 </ref><ref>[http://books.google.com/books?id=0Mo3AAAAMAAJ&pg=PA59&dq=nollet+1746+battery+monks&lr=&as_brr=0] John Joseph Fahey, ''A history of electric telegraphy, to the year 1837'', Spon, London, 1884, p59</ref>。
1746年には[[フランス]]の[[科学者]][[ジャン・アントワン・ノレー]]が200人以上の[[修道士]]を集め円周約1マイル(1.6km)の輪を作り、それぞれに鉄線で繋いだ[[ライデン瓶]][[電池]]から放電させ、全員がほぼ同時に[[感電|電気ショックを感じた]]のを観察し、[[電気]]の伝送速度が高速であるのを確認した<ref>Tom Standage, [http://www.tomstandage.com/vicnet.html ''The Victorian Internet''], Walker Publishing, New York, 1998 ISBN 0-8027-1342-4, pp. 1-2</ref><ref>John Joseph Fahie, [http://www17.us.archive.org/stream/cu31924031221249 ''A history of electric telegraphy, to the year 1837''], Spon, London, 1884, p59</ref>。


1753年にはスコット誌(Scots Magazine)の投稿で、一文字ごとに割り当てられた電線でメッセージを送る静電気電信が提案され、相手側で針を偏向させる静電気電信機のアイデアが掲載された<ref> E. A. Marland, ''Early Electrical Communication'', Abelard-Schuman Ltd, London 1964, no ISBN, Library of Congress 64-20875, pages 17-19 </ref>。この案は欧州で実演されたが、実用的な通信機に開発されることはなかった。
1753年にはスコット誌(Scots Magazine)の投稿で、一文字ごとに割り当てられた電線でメッセージを送る静電気電信が提案され、相手側で針を偏向させる静電気電信機のアイデアが掲載された<ref> E. A. Marland, ''Early Electrical Communication'', Abelard-Schuman Ltd, London 1964, no ISBN, Library of Congress 64-20875, pages 17-19 </ref>。この案は欧州で実演されたが、実用的な通信機に開発されることはなかった。


[[アレッサンドロ・ボルタ]]が1800年に[[ボルタ電池]]を発明し、実験用の[[直流]]を生み出したことで、当時唯一の電気発生源として知られていた静電気発生器の一時的な放電に比べ、さまざまな効果を生み出す低電圧電流を発生させることが可能になった。
[[アレッサンドロ・ボルタ]]が1800年に[[ボルタ電池]]を発明し、実験用の[[直流]]を生み出したことで、当時唯一の電気発生源として知られていた[[静電発電機|静電気発生器]]の一時的な放電に比べ、さまざまな効果を生み出す低電圧電流を発生させることが可能になった。


最初期の電気化学式電信機の実験としては、ドイツ人物理学者[[サミュエル・トマス・フォン・ソンメリング]](Samuel Thomas von Soemmering)が1809年に行った例がある。これは、カタルーニャ出身の[[博学者]]で科学者の [[:en:Francisco Salva Campillo|Francisco Salva Campillo]] が1804年に設計したものを改良したものだった<ref name="Harvard1" />。どちらの設計も複数本の電線を使い(最大35本)、それぞれの電線がラテン文字や数字に対応している。電線は数キロの長さで、受信側では各電線の先端を酸を入れた別々の試験管に浸しておく。送信側ではメッセージの文字列に従って次々と対応する電線に電流を流す。すると受信側では電流の流れている試験管で電気分解が起きて水素の気泡が発生するので、それを順番に読み取ることでメッセージが得られる。メッセージの転送速度は非常に低い<ref name="Harvard1">Jones, R. Victor [http://people.seas.harvard.edu/~jones/cscie129/images/history/von_Soem.html Samuel Thomas von Sömmering's "Space Multiplexed" Electrochemical Telegraph (1808-10)], Harvard University website. Attributed to "[http://books.google.com/books?id=Oxc7AAAAMAAJ&q=Semaphore+to+Satellite,Published+by+the+International+Telecommunication+Union,+Geneva+1965&dq=Semaphore+to+Satellite,Published+by+the+International+Telecommunication+Union,+Geneva+1965&ei=XdL9SfrCIoOgNcChzLkK Semaphore to Satellite]" , International Telecommunication Union, Geneva 1965. Retrieved 2009-05-01</ref>。この方式の根本的欠点は、文字の種類のぶんだけ電線が必要となるため、長距離伝送させようとすると非常にコストがかかる点である。後に実用化された電信では電線は1本で済んでいる。
[[サミュエル・トマス・フォン・ソンメリング]](Samuel Thomas von Soemmering)が1809年に電気化学電信機を発明した。[[デンマーク]]の[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]は1820年に電流は方位磁針を動かす磁界を作り出すことを発見し、また同じ年に、ドイツのヨハン・シュヴァイガー(Johann Schweigger)は[[電磁石]]と磁針で出来た[[検流計]]を発明、電流を測定する感度のいい測定器として利用された。1821年には、フランスの[[アンドレ=マリ・アンペール]]が、検流計を一文字あたり一つ備えたシステムで電信は可能と主張し、実際に組み立て実験して見せた。1824年、ピーター・バーロウは上記のシステムでは200フィート(約61m)までの距離でしか電信が成立せず、非実用的だと主張。イギリスの[[ウィリアム・スタージャン]]は1825年に、ニスを塗った鉄片に絶縁した導線を巻いた[[電磁石]]を発明し、電流で磁力を強化することが出来るようになった。1828年、アメリカの[[ジョセフ・ヘンリー]]は導線をさらに何重にも巻くことによりさらに強力な電磁石が出来、抵抗値の高い長い導線上でも電信が出来る様になった。1832年に電磁石を利用した電信機は[[ロシア]]の[[パヴェル・シリング]]によって完成。ガウスと[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]は1833年にドイツ・ゲッティンゲンでまた電信機を完成。1835年には[[ジョセフ・ヘンリー]]が[[継電器|リレー]]を発明し、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御できるようになった<ref>{{cite web| url=http://www.si.edu/archives/ihd/jhp/joseph20.htm| title=Joseph Henry: Inventor of the Telegraph? Smithsonian Institution | accessdate=2006-06-29}}</ref><ref>{{cite book| title=Joseph Henry: His Life and Work| author=Thomas Coulson | publisher =Princeton University Press| location = Princeton| year = 1950}}</ref>。


1816年、[[:en:Francis Ronalds|Francis Ronalds]] が電信システムを構築。8マイル(13km)の(ガラス管で被覆した)電線を使い、裏庭に建設した2つの木の格子の間にその電線をかけて伝送路を作った。これに高い電圧を印加することで電気信号の伝送に成功した。送受信機として数字と文字が並んだダイヤルを使った<ref name="acmi.net.au">[http://pandora.nla.gov.au/pan/13071/20040303-0000/www.acmi.net.au/AIC/RONALDS_BIO.html A collection of internet biographies]</ref>。
=== ガウス・ヴェーバー式電信機 ===
当時[[地磁気]]の新理論で影響力の大きかったガウスは、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]で[[物理学]]の教授をしていたヴェーバーと1833年に共同で電信機を開発した。この時代の最も重要な発明の一つは、一本巻きまたは二本巻きの[[磁力センサ|磁力計]]で、磁針の小さな揺れでも測定できた。1833年5月6日に許可を得て1000mの導線を町の建物の屋根に設置した。


[[デンマーク]]の[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]は1820年に電流は方位磁針を動かす磁界を作り出すことを発見し、また同じ年に、ドイツのヨハン・シュヴァイガー(Johann Schweigger)は[[電磁石]]と磁針で出来た[[検流計]]を発明、電流を測定する感度のいい測定器として利用された。
<!--Gauss combined the [[Johann Christian Poggendorff|Poggendorff]]-Schweigger multiplicator with his magnetometer to build a more sensitive device, the [[galvanometer]]. To change the direction of the electric current, he constructed a [[commutator]] of his own. As a result, he was able to make the distant needle move in the direction set by the commutator on the other end of the line.-->


1821年には、フランスの[[アンドレ=マリ・アンペール]]が、検流計を一文字あたり一つ備えたシステムで電信は可能と主張し、実際に組み立て実験して見せた。1824年、[[ピーター・バーロー]]は上記のシステムでは200フィート(約61m)までの距離でしか電信が成立せず、非実用的だと主張。
最初は時間合わせのために電信を使用したが、その後すぐ他の信号にも、さらにはアルファベットにも利用できるようにした。その当時は[[二進法]]の信号ではなく、[[四進法]]を使用し、この通信は町の発展に貢献すると考えた。同年のその後、ガウスは[[ボルタ電池]]ではなく[[電磁誘導]]の[[起電力]]を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした。この二人と大学は自分たちのみで電信機を開発するには費用が不足するとして、[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]からも基金を得ていた。


イギリスの[[ウィリアム・スタージャン]]は1825年に、ニスを塗った鉄片に絶縁した導線を巻いた[[電磁石]]を発明し、電流で磁力を強化することが出来るようになった。1828年、アメリカの[[ジョセフ・ヘンリー]]は導線をさらに何重にも巻くことによりさらに強力な電磁石が出来、抵抗値の高い長い導線上でも電信が出来る様になった。
その後[[カール・アウグスト・フォン・シュタインハイル]]は1835年から1836年にかけて、[[ミュンヘン]]で電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの[[ドイツ鉄道|鉄道]]沿いに電信用電線の敷設を行った。

電磁石を利用した電信機は1832年、[[ロシア]]の[[パヴェル・シリング]]によって完成。[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]と[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]は1833年にドイツ・[[ゲッティンゲン]]でまた電信機を完成。

1835年には[[ジョセフ・ヘンリー]]が[[継電器|リレー]]を発明し、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御できるようになった<ref>{{Cite web| url= http://www.si.edu/archives/ihd/jhp/joseph20.htm| title=Joseph Henry: Inventor of the Telegraph? Smithsonian Institution | accessdate=2006-06-29 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20060626163000/http://www.si.edu/archives/ihd/jhp/joseph20.htm |archivedate = 2006-06-26}}</ref><ref>{{Cite book| title=Joseph Henry: His Life and Work| author=Thomas Coulson | publisher =Princeton University Press| location = Princeton| year = 1950}}</ref>。


=== シリング式電信機 ===
=== シリング式電信機 ===
シリングが1832年に発明した電信機は、電流を制御する16個の黒鍵と白鍵のキーボードのある送信機であった。受信機は6個の検流計がついており、その磁針は絹糸で吊されていた。送信機と受信機は8本の導線で接続され、6本はそれぞれの検流計に、また残りの2本は回送電流と信号ベルに接続されていた。送信局でオペレーターがキーを押すと、受信局で対応するポインターが動くしくみであった。黒鍵と白鍵の組み合わせで、文字や数字を表していた。その後改良され、両局を繋ぐ導線は8本から2本に減った。
シリングが1832年に発明した電信機は、電流を制御する16個の黒鍵と白鍵のキーボードのある送信機であった。受信機は6個の検流計がついており、その磁針は[[]][[]]で吊されていた。送信機と受信機は8本の導線で接続され、6本はそれぞれの[[検流計]]に、また残りの2本は回送電流と信号ベルに接続されていた。送信局でオペレーターがキーを押すと、受信局で対応するポインターが動くしくみであった。黒鍵と白鍵の組み合わせで、文字や数字を表していた。その後改良され、両局を繋ぐ導線は8本から2本に減った。


1832年の10月21日、シリングは自身のアパートの部屋間での短距離通信を成功させた。1836年には[[サンクトペテルブルク]]の海軍省の本部ビル周辺で、地下や海底ケーブルを使用し5kmの伝送実験をした。シリングはまた信号伝送で[[二進法]]を実用に使った最初となった。
1832年の10月21日、シリングは自身のアパートの部屋間での短距離通信を成功させた。1836年にはイギリス政府からその設計を買い取りたいという申し出があったが、シリングは[[ニコライ1世]]の申し入れを優先させた。[[サンクトペテルブルク]]の海軍省の本部ビル周辺で、地下や海底ケーブルを使用し5kmの伝送実験をし、[[クロンシュタット]]の海軍基地までの電信敷設を命じられた。ただし、シリングが1837年に亡くなったため、そのプロジェクトは中止され<ref>Huurdeman, A.A., ''The worldwide history of telecommunications'', p.54, Wiley-IEEE, 2003 ISBN 0-471-20505-2</ref>。シリングはまた信号伝送で[[二進法]]を実用に使った最初となった。


{{仮リンク|ウィリアム・フォザギル・クック|en|William Fothergill Cooke|label=ウィリアム・クック}}は1834年から1836年まで[[ハイデルベルク]]で解剖学を学んでおり、1836年に物理学の先生からシリングの電信機を紹介されている。
=== 商業化 ===
電信の最初の商業化は[[ウィリアム・クック]](William Fothergill Cooke)だったとされる。クックは1837年5月に[[チャールズ・ホイートストン]]と共に警報機としての電信機の特許を取得。1837年7月25日に[[ロンドン]]の[[ユーストン]] - [[カムデン・タウン]]間での実演を成功した<ref>[http://www.connected-earth.com/Daysout/BTArchives/Profile/index.htm The electric telegraph, forerunner of the internet, celebrates 170 years] BT Group Connected Earth Online Museum. Accessed July 2007</ref>。そのシステムは1839年4月9日に[[パディントン駅]]からウェスト・ドレイトンまでの間、約21kmにわたって[[グレート・ウェスタン鉄道]]の線路を利用して敷設された。


=== ガウス・ヴェーバー式電信機 ===
1830年代後半から40年代前半にかけて初期の実用化や試験段階にあった電信機はその効用が広く知られた結果、「電信会社法」(1846年)のもと民間企業が通信網を拡大させた。クックとホイートストンも電信会社を設立しており、同社は1852年には6500の電信線を完成させているが、サービス料金の標準化と郵便事業との競合を目的として「郵便電気通信省(BPO)」の下で電気通信事業が国営化(1868年)される。海底ケーブルがドーバー海峡(1850年)、さらに大西洋横断(1866年)の形で拡張、今世紀まで続くグローバル・アライアンスの時代が始まろうとしていた。
[[File:Telegrafo.png|thumb|280px|right|電磁式電信の概念図]]
当時[[地磁気]]の新理論で影響力の大きかったガウスは、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]で[[物理学]]の教授をしていたヴェーバーと1833年に共同で電信機を開発した。この時代の最も重要な発明の一つは、一本巻きまたは二本巻きの[[磁力センサ|磁力計]]で、磁針の小さな揺れでも測定できた。1833年5月6日に許可を得て1200mの導線を町の建物の屋根に設置した。ガウスはシュヴァイガーらの検流計と自身の磁力計を組み合わせて高感度な[[検流計]]を考案。電流の向きを変更するための[[整流子]]も独自に開発した。それらを組み合わせて、送信側で整流子の向きをセットすると遠隔地にある受信側で針がその向きに振れるようにできた。

最初は時間合わせのために電信を使用したが、その後すぐ他の信号にも、さらにはアルファベットにも利用できるようにした。誘導コイルを永久磁石に対して上または下に動かすことで正および負の電圧パルスを発生させ、そのコイルを整流子を経由して伝送用の導線につないでいる。それによって2値の符号でアルファベットを表現した。ガウスの手稿として、その符号と最初に送ったメッセージが残っており、ゲッティンゲン大学物理学部にはヴェーバーが1850年代に設計した装置の複製がある。

ガウスはこの通信が町の発展に貢献すると考えた。

同年のその後、ガウスは[[ボルタ電池]]ではなく[[電磁誘導]]の[[起電力]]を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした。この二人と大学は自分たちのみで電信機を開発するには費用が不足するとして、[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]からも基金を得ていた。その後[[カール・アウグスト・フォン・シュタインハイル]]は1835年から1836年にかけて、[[ミュンヘン]]で電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの[[ドイツ鉄道|鉄道]]沿いに電信用電線の敷設を行った。

=== オルターの電信機 ===
1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターが[[ペンシルベニア州]]エルダートンで電信機を発明した。モールスの電信機の1年前のことである。オルターは証人の前で実演したが、実用化には至らなかった<ref>''Popular Science'', February 1882, '''vol.20''', no.28, p.568, Bonnier Corporation, ISSN 0161-7370.</ref>。Biographical and Historical Cyclopedia of Indiana and Armstrong Counties という本にオルターのインタビューが掲載されており、その中でオルターは「モールスや他の人々の電信と私のそれには全く関係がないと言っていい。モールス教授は私の電信機について聞いたことがなかったに違いない」と述べている。

=== クックとホイートストンによる商業化 ===
[[ファイル:Cooke and Wheatstone electric telegraph.jpg|thumb|right|クックとホイートストンの5針電信機]]
電信の最初の商業化は[[ウィリアム・クック]](William Fothergill Cooke)だったとされる。クックは1837年5月に[[チャールズ・ホイートストン]]と共に警報機としての電信機の特許を取得。1837年7月25日に[[ロンドン]]の[[ユーストン]] - [[カムデン・タウン]]間での実演を成功した<ref name="Thetelegraphic">[http://www.connected-earth.com/journeys/Firstgenerationtechnologies/Thetelegraph/Thetelegraphicagedawns/index.htm The telegraphic age dawns] BT Group Connected Earth Online Museum. Accessed December 2010</ref>。そのシステムは1839年4月9日に[[パディントン駅]]からウェスト・ドレイトンまでの間、約21kmにわたって[[グレート・ウェスタン鉄道]]の線路を利用して敷設された<ref>Hubbard, Geoffrey (1965) ''Cooke and Wheatstone and the Invention of the Electric Telegraph,'' Routledge & Kegan Paul, London p. 78</ref>。


1845年1月1日にスラウからパディントン駅に送られた下記のメッセージで、ジョン・タウェルが逮捕された。これが殺人犯逮捕で電信が役立った最初のケースといわれている。
1845年1月1日にスラウからパディントン駅に送られた下記のメッセージで、ジョン・タウェルが逮捕された。これが殺人犯逮捕で電信が役立った最初のケースといわれている。
<blockquote>A murder has just been committed at Salt Hill and the suspected murderer was seen to take a first class ticket to London by the train that left Slough at 7.42pm. He is in the garb of a Kwaker with a brown great coat on which reaches his feet. He is in the last compartment of the second first-class carriage</br>
<blockquote>A MURDER HAS GUST BEEN COMMITTED AT SALT HILL AND THE SUSPECTED MURDERER WAS SEEN TO TAKE A FIRST CLASS TICKET TO LONDON BY THE TRAIN WHICH LEFT SLOUGH AT 742 PM HE IS IN THE GARB OF A KWAKER WITH A GREAT COAT ON WHICH REACHES NEARLY DOWN TO HIS FEET HE IS IN THE LAST COMPARTMENT OF THE SECOND CLASS COMPARTMENT</br>
(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届くクウェーカー教徒の茶色のコートを羽織っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)
(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届くクウェーカー教徒の茶色のコートを羽織っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)
</blockquote>
</blockquote>
当時のギリスの電信システムでは「Q」の文字がサポート(定義)されていなかったため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。
クックとホートトンの電信システムでは句読点、小文字、一部の文字をサポートしていなかった。「Q」の文字がサポート(定義)されていなかったため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。タウェルは駅では逮捕されず、近くのコーヒー店で逮捕された<ref>{{Cite web |url= http://www.cntr.salford.ac.uk/comms/johntawell.php |title=John Tawell, The Man Hanged by the Electric Telegraph |accessdate=11 January 2009 |publisher=University of Salford}}</ref>


== モールス式電信 ==
=== 世界各国での発展 ===
アメリカで[[サミュエル・モールス]]と[[アルフレッド・ヴェイル]]が電信を発展させた<ref name="test">Daniel Walker Howe "[http://www.americanheritage.com/content/what-hath-god-wrought What God Hath Wrought]," ''American Heritage'', Winter 2010.</ref>。モールスは1836年に独自に電信を開発し<ref name="Thetelegraphic" />、低品質な導線でも長距離を伝送可能な設計とした。彼の助手のヴェイルは、[[アルファベット]]を表す[[モールス符号]]の考案に関与した。
====アメリカ合衆国====

1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターが[[ペンシルベニア州]]エルダートンで電信機を発明した。
1838年1月6日、[[ニュージャージー州]]モリスタウン近郊の鉄工所で最初の実験に成功し<ref name="Hays1960">{{Cite book|last=Hays|first=Wilma Pitchford|title=Samuel Morse and the telegraph|url= http://books.google.com/books?id=69EOAQAAMAAJ|accessdate=4 January 2012|year=1960|publisher=F. Watts|page=35}}</ref>、2月8日には[[フィラデルフィア]]の{{仮リンク|フランクリン協会|en|Franklin Institute}}科学委員会の委員たちの前でデモンストレーションを披露した。

1843年、アメリカ議会はワシントンD.C.とボルチモア間の実験的電信線の敷設に3万ドルの予算を計上した。1844年5月1日までにワシントンD.C.から[[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス]]まで開通。その日ボルチモアで開催された[[ホイッグ党 (アメリカ)|ホイッグ党]]の全国大会で、[[ヘンリー・クレイ]]が大統領候補に選ばれた。このニュースは鉄道でアナポリスまで運ばれ、そこで待っていたヴェイルがワシントンD.C.にいるモールスに電信でそれを伝えた<ref>[http://inventors.about.com/library/inventors/bltelegraph.htm The History of the Telegraph and Telegraphy at About.com]</ref>。1844年5月24日に全線が開通すると、モールスはワシントンD.C.の最高裁判所からボルチモアの[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]に向けて最初の公式の電報を送った。そのメッセージは ''What hath God wrought'' である。

[[ファイル:The First Telegraph.jpg|thumb|600px|center|モールスが1944年に送ったアメリカ初の電報 ''What hath God wrought'']]

モールスとヴェイルの電信システムはその後20年で素早く広まっていった。その電信機で使用している強力な電磁石はヴェイルが考案したものだが、モールスは彼の名を正しく出さなかった。モールスの当初の設計では[[継電器]]もヴェイルの考案した電磁石も使っておらず、わずか40フィート(約12メートル)しか届かなかった。

これは実用的な電信システムであり、オペレータが[[電鍵]]で電流をオン・オフさせ、それによって受信側の{{仮リンク|電信音響器|en|telegraph sounder|label=音響器}}がヒトが聞き取れる音を発生し、その音をヒトが聴いて解釈し書き写した。モールスとヴェイルは当初モールス符号を紙とペンで書き記し、そのマーク列を見て解釈する方式を採用したが、間もなくオペレータたちは受信機の音を耳で聴いて直接文字列に変換できることを発見した。この信号を読み取って自動的に文字列を印刷する装置は一般に[[テレタイプ端末|テレプリンター]]と呼ばれる。初期の[[大西洋横断電信ケーブル]]でも、このモールスのシステムが採用された。

1947年、ペンシルベニア州エリザベスタウンにほど近い州道230号線にアメリカ初の商用電信線の記念銘板がある。それによると、1845年に[[ランカスター (ペンシルベニア州)|ランカスター]]-[[ハリスバーグ (ペンシルベニア州)|ハリスバーグ]]間を結ぶ商用電信線が敷設されたという。1846年1月8日に開通した際の最初のメッセージは "Why don't you write, you rascals?" だった<ref>[http://www.portal.state.pa.us/portal/server.pt?open=514&objID=552746&mode=2 Pennsylvania Department of Labor & Industry: Historical Markers: Lancaster County]. Accessed 10 January 2009.</ref>。

1861年10月24日、初の大陸横断電信システムが開通した。北アメリカ大陸をまたいで、アメリカ東部のネットワークがカリフォルニアの小規模なネットワークと接続されたもので、[[オマハ]]と[[カーソンシティ (ネバダ州)|カーソンシティ]]を[[ソルトレイクシティ]]経由で繋いだ。この線で最初に送られた電報は当時[[ユタ準州]]知事を務めていた[[ブリガム・ヤング]]によるもので、ユタ準州はアメリカ合衆国から離脱しないと明言するものだった<ref>Arrington, Leonard J., 1985, ''Brigham Young: The American Moses'', New York: Knopf, p 294</ref>。その2日後、[[ポニー・エクスプレス]]が廃止された。

カーソンシティは、史上最も長い電報がそこから発信されたことでも名を残している。[[南北戦争]]中の[[1864年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[エイブラハム・リンカーン]]の再選を確実にするため、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]はネバダ準州を[[ネバダ州]]に昇格させることを急いだ。そこでアメリカ議会の承認が必要な文書を電信で送り、すぐに議会で可決しリンカーン大統領が署名する手筈を整えた。東海岸へ向かう鉄道はネバダから2,000マイル(3,200キロメートル)も離れており、駅馬車で郵送した場合は予定通りでも3週間以上かかってしまい、遅すぎたのである。文書が送信されたのは1864年10月31日のことで、投票日である1864年11月7日の8日前のことだった。実際の選挙ではネバダの票がなくともリンカーンが快勝できるだけの票が集まった。対立候補である[[ジョージ・マクレラン]]はわずか3州を獲得しただけだった。

=== 大西洋横断 ===
{{Main|大西洋横断電信ケーブル}}
[[ファイル:1891 Telegraph Lines.jpg|center|thumb|500px|1891年の主な電信線]]
{|align="right" class="toccolours" style="margin: 0 0 1em 1em;"
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;大西洋横断時代
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Image:Porthcurno cables.jpg|19世紀の地図。イギリスと海外とを結ぶ初期の電信線が示されている。
Image:Orville Wright telegram.jpg|[[ライト兄弟|オーヴィル・ライト]]が1903年12月、ノースカロライナ州キティホークでの初飛行成功後に出した電報
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大陸間を繋ぐ[[海底ケーブル]]は1857年と1858年にも敷設されたが、数日から数週間しか使えなかった。このため海底ケーブルの研究が活発になり、電磁気的[[伝送線路]]の数学的解析への関心が高まった。最初の成功した[[大西洋横断電信ケーブル]]が開通したのは1866年7月27日のことである。この際のケーブル敷設を行ったのが[[グレート・イースタン (蒸気船)|グレート・イースタン]]という船である<ref>Wilson, Arthur (1994). The Living Rock: The Story of Metals Since Earliest Times and Their Impact on Civilization. p. 203. Woodhead Publishing. ISBN 978-1-85573-301-5.</ref>。

1867年、発明家の [[:en:David Brooks (inventor)|David Brooks]](当時、{{仮リンク|セントラル・パシフィック鉄道|en|Central Pacific Railroad}}に勤務)が電信線用の[[がいし]]を改良した特許 {{US patent|63206}} と {{US patent|69622}} を得た。また、1864年に取得した特許を1867年に {{US patent|45221}} として再発効している。これらの特許によりセントラル・パシフィック鉄道は、初のアメリカ[[大陸横断鉄道]]の建設作業員との通信が容易になった。大陸横断鉄道は1869年5月10日に開通し、開通式の模様が電信で実況中継された。電信士は式典での[[ゴールデン・スパイク]]を打つリズムに合わせて電鍵を打った。

電信技術のさらなる進歩としては、[[トーマス・エジソン]]が1892年8月9日に取得した[[複信|双方向]]電信の特許({{US patent|0480567}}, "''Duplex Telegraph''")がある。

=== 世界的発展 ===
[[ファイル:Persons throwing stones at the telegraphs - sign.jpg|thumb|upright|イギリスの古い看板。「電信に石を投げると罰せられます」とある。]]
アメリカでの電信線の総マイル数は1846年には40だったが、1850年には12,000、1852年には23,000となっている。ヨーロッパでは1849年に2,000だったものが1869年には110,000となった。10語を送るコストは1850年には1.55ドルだったが、1870年には1ドル、1890年には40セントに低下している。[[ユーストン駅]]で最初に設置されてからわずか29年で、南極以外の全大陸に電信網が広がり<ref>Nicholas Carr, Does IT matter? pp 27-8</ref>、史上初めて高速な世界的通信網が誕生した。電信は情報の素早い伝達を可能にし、特に商取引で必要とされる最新データを古くならないうちに入手できる可能性が大きく向上した<ref>Bray, John "The First Telegraph and Cable Engineers" in ''The Communications Miracle – The Telecommunications Pioneers from Morse to the Information Superhighway'', Plenum Press, New York, 1995, pp 35-49</ref>。遠隔地で重大な出来事が起きた際、電信はそれが過去のものとなる前に知らせることを可能にした。また、情報伝達を交通(輸送手段)から解放した。電信網の発達は戦争が大きな要因のひとつとなっている<ref>Thompson, Robert Luther, "Emergence of the American Telegraph" in ''Technology and Society – Wiring a Continent, The History of the Telegraph Industry in the United States 1832-1866'', Arno Press, New York, 1972, pp299-310</ref>。

新聞に掲載されるニュースも電信の登場で発展した。電信は情報を伝達することはできるが、そのためには誰かがその情報を電信局に持っていって発信しなければならない<ref name="Winston, Brian 1998, pp19-30">Winston, Brian ''"The Telegraph" in Media Technology and Society, A History: From the Telegraph to the Internet'', Routledge Publications, London, 1998, pp19-30</ref>。各新聞社は互いに競争しているため、他社の記者が情報発信することを妨害する虞があった。ニューヨークでは大手新聞社6社が共同でニュースを配信する組織、すなわち[[通信社]]を立ち上げた。この大手6社と他の新聞社が競争することで、報道がさらに発展することとなる。電信は単にニュースを伝達しただけでなく、ジャーナリズムが産業および職業として確立することにも寄与した<ref name="Winston, Brian 1998, pp19-30"/>。


==== 日本 ====
==== 日本 ====
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[[1869年]]、電信による公衆[[電報]]が東京・横浜間で開始された。
[[1869年]]、電信による公衆[[電報]]が東京・横浜間で開始された。


== 応用 ==
==電波型式としての電信==
[[ファイル:Queensland Telegraph Form.jpg|thumb|1880年代の未使用の電報用紙]]
電信の誕生から終焉までの長期間に渡って主要な情報伝達手段として様々な応用が考案されており、それはちょうど[[インターネット]]にも類似している。電信から生まれた応用(技術)としては、メッセージ[[ルーティング]]、[[社会的ネットワーク]](電信士間の噂話など)、[[インスタントメッセージ]]、[[暗号理論|暗号]]と文字列の[[符号]]化、省略型の[[俗語]]、[[ネットワーク・セキュリティ]]、[[クラッカー (コンピュータセキュリティ)|クラッカー]]、電信詐欺、メーリングリスト、[[スパム (メール)|スパム]]、[[電子商取引]]、[[証券取引所|証券市場]]のリアルタイムな報告などがある。[[:en:Tom Standage|Tom Standage]] など現代のコメンテータはそういった類似点を捉えて、19世紀の電信網を "Victorian Internet"(ビクトリア朝のインターネット)などと称している。

== 電信時代の終焉 ==
アメリカでは2006年1月27日、[[ウエスタンユニオン]]が全ての電報および商用メッセージングサービスを終了させた<ref>Wheen, Andrew. DOT-DASH TO DOT.COM: How Modern Telecommunications Evolved from the Telegraph to the Internet (Springer, 2011), p259</ref>。ただし、電子送金サービスは継続している。

== 電波型式としての電信 ==
*A1A : 電波([[CW]])を断続し、[[モールス符号]]を送信する通信。非常に低速度であるため占有[[周波数]]帯域幅が非常に狭く([[帯域幅]]500[[ヘルツ|Hz]])、雑音・雑音電圧の影響が少ない。従って、かすかでも電波の存在が確認できれば通信可能なため、たとえば低出力[[空中線電力]]での長距離通信・高出力(1k[[ワット|W]])の空中線電力を使用した[[月面反射通信]]も聴取可能である。受信は、近接する周波数の信号を混合してビートを発生させる([[ヘテロダイン]])などして可聴化しておこなう。
*A1A : 電波([[CW]])を断続し、[[モールス符号]]を送信する通信。非常に低速度であるため占有[[周波数]]帯域幅が非常に狭く([[帯域幅]]500[[ヘルツ|Hz]])、雑音・雑音電圧の影響が少ない。従って、かすかでも電波の存在が確認できれば通信可能なため、たとえば低出力[[空中線電力]]での長距離通信・高出力(1k[[ワット|W]])の空中線電力を使用した[[月面反射通信]]も聴取可能である。受信は、近接する周波数の信号を混合してビートを発生させる([[ヘテロダイン]])などして可聴化しておこなう。
*A2A : [[振幅変調|AM]](DSB-WC)、トーン信号(可聴音)を使用してモールス符号を送信。
*A2A : [[振幅変調|AM]](DSB-WC)、トーン信号(可聴音)を使用してモールス符号を送信。
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{{main|モールス符号}}
{{main|モールス符号}}


==脚注==
== 脚注 ==
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<references/>

== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
* Cooke, W.F., ''The Electric Telegraph, Was it invented by Prof. Wheatstone?'', London 1856.
* {{Cite journal |last=Gray |first=Thomas |authorlink= |coauthors= |year=1892 |month= |title=The Inventors Of The Telegraph And Telephone |journal=Annual Report of the Board of Regents of the Smithsonian Institution |volume= 71|issue= |pages=639–659 |id= |url= http://books.google.com/?id=tnjfe4vEBGwC&pg=PA639 |accessdate=2009-08-07 |quote= |doi= }}
* Gauß, C. F., ''Works'', Göttingen 1863-1933.
* Peterson, M.J. [http://scholarworks.umass.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1040&context=edethicsinscience Roots of Interconnection: Communications, Transportation and Phases of the Industrial Revolution], International Dimensions of Ethics Education in Science and Engineering Background Reading, Version 1; February 2008.
* Steinheil, C.A., ''Ueber Telegraphie'', München 1838.
* Wiley, Samuel T. (ed.), ''Biographical and Historical Cyclopedia of Indiana and Armstrong Counties'', John M. Gresham and Co., Philadelphia PA, 1891, pages 475-476.
* Yates, JoAnne. [http://www.thebhc.org/publications/BEHprint/v015/p0149-p0164.pdf The Telegraph's Effect on Nineteenth Century Markets and Firms], [[マサチューセッツ工科大学|Massachusetts Institute of Technology]], pp.&nbsp;149–163.
{{Refend}}

== 関連項目 ==
* [[電報]]
* [[有線通信]]
* [[無線通信]]
* [[電鍵]]
* [[電波型式の表記法]]
* [[電話 (電波型式)]]
* [[無線用語]] 電信用の略語に由来するものも多い
* [[大北電信会社]]
* [[海底ケーブル]]
* [[ウェスタン・エレクトリック]]
* [[ベル・カナダ]]
* [[グリエルモ・マルコーニ]]

== 外部リンク ==
{{Wikisourcelang|en|Littell's Living Age/Volume 4/Issue 34/The Magnetic Telegraph|"The Magnetic Telegraph" (1845)}}
* [http://www.morsetelegraphclub.org/ Morse Telegraph Club, Inc.] - 電信の知識と伝統の保持を目的とした国際的非営利団体
*[http://www.rustelecom-museum.ru/objects/?ContainerID=757&containerType=62&objectID=399&langID=57 Shilling's telegraph]- an exhibit of A.S. Popov Central Museum of Communications
* [http://www.du.edu/~jcalvert/tel/morse/morse.htm History of electromagnetic telegraph]
* [http://www.computer-museum.ru/connect/chlitlgr.htm The Dawn of Telegraphy] {{Ru icon}}
* [http://distantwriting.co.uk/ Distant Writing] - The History of the Telegraph Companies in Britain between 1838 and 1868
* [http://science.nasa.gov/headlines/y2008/06may_carringtonflare.htm? NASA - Carrington Super Flare] [[アメリカ航空宇宙局|NASA]] 6 May 2008
* [http://books.google.com/books?id=DI038d4SBFEC&printsec=titlepage#PPA2298,M1 How Cables Unite The World] - a 1902 article about telegraph networks and technology from the magazine ''The World's Work''


{{Telecommunications}}
==関連項目==
*[[電報]]
*[[有線通信]]
*[[無線通信]]
*[[電鍵]]
*[[電波型式の表記法]]
*[[電話 (電波型式)]]
*[[無線用語]] 電信用の略語に由来するものも多い


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2013年5月30日 (木) 01:08時点における版

印刷式電信受信機と電鍵(右下)
電鍵と音響器
日本陸軍九五式電信機

電信(でんしん)とは、符号の送受信による電気通信である。有線と無線がある。

概要

モールス符号による通信が基本。歴史的には、指字電信機などもあった。電報はもともと電信技術を用いて行われた通信サービスであった。機械電信はデジタル通信技術の発達にともない様々な情報を送受信するデータ通信へと発展したが、これらは電信とはいわないのが普通である。両者の違いは、電信がヒトの能力のみで解読出来るのに対し、データ通信は通信内容の符号化にコンピュータが必須であることである。

なお、英語のTelegraphTelegraphyには、電気的な方法によらない符号化された遠隔通信(optical telegraphy)が含まれる。

登場して数十年後には電信網が発展し、大陸間で瞬時にメッセージを送ることができるようになり、社会経済に大きな影響を及ぼした。

歴史

以下では有線による電信の発達について述べる。無線については無線通信#電信を参照のこと。

初期の試み

高速に伝送されるという電気の現象が知られるようになって、通信手段にも電気を利用するための実験が数多く行われるようになった。火花、静電気、化学変化、電気ショック、電磁気効果など、当時知られていた電気の性質がさまざまな人によって電気伝送通信に応用されようとした。

1746年にはフランス科学者ジャン・アントワン・ノレーが200人以上の修道士を集め円周約1マイル(1.6km)の輪を作り、それぞれに鉄線で繋いだライデン瓶電池から放電させ、全員がほぼ同時に電気ショックを感じたのを観察し、電気の伝送速度が高速であるのを確認した[1][2]

1753年にはスコット誌(Scots Magazine)の投稿で、一文字ごとに割り当てられた電線でメッセージを送る静電気電信が提案され、相手側で針を偏向させる静電気電信機のアイデアが掲載された[3]。この案は欧州で実演されたが、実用的な通信機に開発されることはなかった。

アレッサンドロ・ボルタが1800年にボルタ電池を発明し、実験用の直流を生み出したことで、当時唯一の電気発生源として知られていた静電気発生器の一時的な放電に比べ、さまざまな効果を生み出す低電圧電流を発生させることが可能になった。

最初期の電気化学式電信機の実験としては、ドイツ人物理学者サミュエル・トマス・フォン・ソンメリング(Samuel Thomas von Soemmering)が1809年に行った例がある。これは、カタルーニャ出身の博学者で科学者の Francisco Salva Campillo が1804年に設計したものを改良したものだった[4]。どちらの設計も複数本の電線を使い(最大35本)、それぞれの電線がラテン文字や数字に対応している。電線は数キロの長さで、受信側では各電線の先端を酸を入れた別々の試験管に浸しておく。送信側ではメッセージの文字列に従って次々と対応する電線に電流を流す。すると受信側では電流の流れている試験管で電気分解が起きて水素の気泡が発生するので、それを順番に読み取ることでメッセージが得られる。メッセージの転送速度は非常に低い[4]。この方式の根本的欠点は、文字の種類のぶんだけ電線が必要となるため、長距離伝送させようとすると非常にコストがかかる点である。後に実用化された電信では電線は1本で済んでいる。

1816年、Francis Ronalds が電信システムを構築。8マイル(13km)の(ガラス管で被覆した)電線を使い、裏庭に建設した2つの木の格子の間にその電線をかけて伝送路を作った。これに高い電圧を印加することで電気信号の伝送に成功した。送受信機として数字と文字が並んだダイヤルを使った[5]

デンマークハンス・クリスティアン・エルステッドは1820年に電流は方位磁針を動かす磁界を作り出すことを発見し、また同じ年に、ドイツのヨハン・シュヴァイガー(Johann Schweigger)は電磁石と磁針で出来た検流計を発明、電流を測定する感度のいい測定器として利用された。

1821年には、フランスのアンドレ=マリ・アンペールが、検流計を一文字あたり一つ備えたシステムで電信は可能と主張し、実際に組み立て実験して見せた。1824年、ピーター・バーローは上記のシステムでは200フィート(約61m)までの距離でしか電信が成立せず、非実用的だと主張。

イギリスのウィリアム・スタージャンは1825年に、ニスを塗った鉄片に絶縁した導線を巻いた電磁石を発明し、電流で磁力を強化することが出来るようになった。1828年、アメリカのジョセフ・ヘンリーは導線をさらに何重にも巻くことによりさらに強力な電磁石が出来、抵抗値の高い長い導線上でも電信が出来る様になった。

電磁石を利用した電信機は1832年、ロシアパヴェル・シリングによって完成。ガウスヴィルヘルム・ヴェーバーは1833年にドイツ・ゲッティンゲンでまた電信機を完成。

1835年にはジョセフ・ヘンリーリレーを発明し、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御できるようになった[6][7]

シリング式電信機

シリングが1832年に発明した電信機は、電流を制御する16個の黒鍵と白鍵のキーボードのある送信機であった。受信機は6個の検流計がついており、その磁針はで吊されていた。送信機と受信機は8本の導線で接続され、6本はそれぞれの検流計に、また残りの2本は回送電流と信号ベルに接続されていた。送信局でオペレーターがキーを押すと、受信局で対応するポインターが動くしくみであった。黒鍵と白鍵の組み合わせで、文字や数字を表していた。その後改良され、両局を繋ぐ導線は8本から2本に減った。

1832年の10月21日、シリングは自身のアパートの部屋間での短距離通信を成功させた。1836年にはイギリス政府からその設計を買い取りたいという申し出があったが、シリングはニコライ1世の申し入れを優先させた。サンクトペテルブルクの海軍省の本部ビル周辺で、地下や海底ケーブルを使用し5kmの伝送実験をし、クロンシュタットの海軍基地までの電信敷設を命じられた。ただし、シリングが1837年に亡くなったため、そのプロジェクトは中止された[8]。シリングはまた信号伝送で二進法を実用に使った最初となった。

ウィリアム・クック英語版は1834年から1836年までハイデルベルクで解剖学を学んでおり、1836年に物理学の先生からシリングの電信機を紹介されている。

ガウス・ヴェーバー式電信機

電磁式電信の概念図

当時地磁気の新理論で影響力の大きかったガウスは、ゲッティンゲン大学物理学の教授をしていたヴェーバーと1833年に共同で電信機を開発した。この時代の最も重要な発明の一つは、一本巻きまたは二本巻きの磁力計で、磁針の小さな揺れでも測定できた。1833年5月6日に許可を得て1200mの導線を町の建物の屋根に設置した。ガウスはシュヴァイガーらの検流計と自身の磁力計を組み合わせて高感度な検流計を考案。電流の向きを変更するための整流子も独自に開発した。それらを組み合わせて、送信側で整流子の向きをセットすると遠隔地にある受信側で針がその向きに振れるようにできた。

最初は時間合わせのために電信を使用したが、その後すぐ他の信号にも、さらにはアルファベットにも利用できるようにした。誘導コイルを永久磁石に対して上または下に動かすことで正および負の電圧パルスを発生させ、そのコイルを整流子を経由して伝送用の導線につないでいる。それによって2値の符号でアルファベットを表現した。ガウスの手稿として、その符号と最初に送ったメッセージが残っており、ゲッティンゲン大学物理学部にはヴェーバーが1850年代に設計した装置の複製がある。

ガウスはこの通信が町の発展に貢献すると考えた。

同年のその後、ガウスはボルタ電池ではなく電磁誘導起電力を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした。この二人と大学は自分たちのみで電信機を開発するには費用が不足するとして、アレクサンダー・フォン・フンボルトからも基金を得ていた。その後カール・アウグスト・フォン・シュタインハイルは1835年から1836年にかけて、ミュンヘンで電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの鉄道沿いに電信用電線の敷設を行った。

オルターの電信機

1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターがペンシルベニア州エルダートンで電信機を発明した。モールスの電信機の1年前のことである。オルターは証人の前で実演したが、実用化には至らなかった[9]。Biographical and Historical Cyclopedia of Indiana and Armstrong Counties という本にオルターのインタビューが掲載されており、その中でオルターは「モールスや他の人々の電信と私のそれには全く関係がないと言っていい。モールス教授は私の電信機について聞いたことがなかったに違いない」と述べている。

クックとホイートストンによる商業化

クックとホイートストンの5針電信機

電信の最初の商業化はウィリアム・クック(William Fothergill Cooke)だったとされる。クックは1837年5月にチャールズ・ホイートストンと共に警報機としての電信機の特許を取得。1837年7月25日にロンドンユーストン - カムデン・タウン間での実演を成功した[10]。そのシステムは1839年4月9日にパディントン駅からウェスト・ドレイトンまでの間、約21kmにわたってグレート・ウェスタン鉄道の線路を利用して敷設された[11]

1845年1月1日にスラウからパディントン駅に送られた下記のメッセージで、ジョン・タウェルが逮捕された。これが殺人犯逮捕で電信が役立った最初のケースといわれている。

A MURDER HAS GUST BEEN COMMITTED AT SALT HILL AND THE SUSPECTED MURDERER WAS SEEN TO TAKE A FIRST CLASS TICKET TO LONDON BY THE TRAIN WHICH LEFT SLOUGH AT 742 PM HE IS IN THE GARB OF A KWAKER WITH A GREAT COAT ON WHICH REACHES NEARLY DOWN TO HIS FEET HE IS IN THE LAST COMPARTMENT OF THE SECOND CLASS COMPARTMENT

(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届くクウェーカー教徒の茶色のコートを羽織っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)

クックとホイートストンの電信システムでは句読点、小文字、一部の文字をサポートしていなかった。「Q」の文字がサポート(定義)されていなかったため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。タウェルは駅では逮捕されず、近くのコーヒー店で逮捕された[12]

モールス式電信

アメリカでサミュエル・モールスアルフレッド・ヴェイルが電信を発展させた[13]。モールスは1836年に独自に電信を開発し[10]、低品質な導線でも長距離を伝送可能な設計とした。彼の助手のヴェイルは、アルファベットを表すモールス符号の考案に関与した。

1838年1月6日、ニュージャージー州モリスタウン近郊の鉄工所で最初の実験に成功し[14]、2月8日にはフィラデルフィアフランクリン協会英語版科学委員会の委員たちの前でデモンストレーションを披露した。

1843年、アメリカ議会はワシントンD.C.とボルチモア間の実験的電信線の敷設に3万ドルの予算を計上した。1844年5月1日までにワシントンD.C.からアナポリスまで開通。その日ボルチモアで開催されたホイッグ党の全国大会で、ヘンリー・クレイが大統領候補に選ばれた。このニュースは鉄道でアナポリスまで運ばれ、そこで待っていたヴェイルがワシントンD.C.にいるモールスに電信でそれを伝えた[15]。1844年5月24日に全線が開通すると、モールスはワシントンD.C.の最高裁判所からボルチモアのボルチモア・アンド・オハイオ鉄道に向けて最初の公式の電報を送った。そのメッセージは What hath God wrought である。

モールスが1944年に送ったアメリカ初の電報 What hath God wrought

モールスとヴェイルの電信システムはその後20年で素早く広まっていった。その電信機で使用している強力な電磁石はヴェイルが考案したものだが、モールスは彼の名を正しく出さなかった。モールスの当初の設計では継電器もヴェイルの考案した電磁石も使っておらず、わずか40フィート(約12メートル)しか届かなかった。

これは実用的な電信システムであり、オペレータが電鍵で電流をオン・オフさせ、それによって受信側の音響器英語版がヒトが聞き取れる音を発生し、その音をヒトが聴いて解釈し書き写した。モールスとヴェイルは当初モールス符号を紙とペンで書き記し、そのマーク列を見て解釈する方式を採用したが、間もなくオペレータたちは受信機の音を耳で聴いて直接文字列に変換できることを発見した。この信号を読み取って自動的に文字列を印刷する装置は一般にテレプリンターと呼ばれる。初期の大西洋横断電信ケーブルでも、このモールスのシステムが採用された。

1947年、ペンシルベニア州エリザベスタウンにほど近い州道230号線にアメリカ初の商用電信線の記念銘板がある。それによると、1845年にランカスター-ハリスバーグ間を結ぶ商用電信線が敷設されたという。1846年1月8日に開通した際の最初のメッセージは "Why don't you write, you rascals?" だった[16]

1861年10月24日、初の大陸横断電信システムが開通した。北アメリカ大陸をまたいで、アメリカ東部のネットワークがカリフォルニアの小規模なネットワークと接続されたもので、オマハカーソンシティソルトレイクシティ経由で繋いだ。この線で最初に送られた電報は当時ユタ準州知事を務めていたブリガム・ヤングによるもので、ユタ準州はアメリカ合衆国から離脱しないと明言するものだった[17]。その2日後、ポニー・エクスプレスが廃止された。

カーソンシティは、史上最も長い電報がそこから発信されたことでも名を残している。南北戦争中の1864年アメリカ合衆国大統領選挙エイブラハム・リンカーンの再選を確実にするため、共和党はネバダ準州をネバダ州に昇格させることを急いだ。そこでアメリカ議会の承認が必要な文書を電信で送り、すぐに議会で可決しリンカーン大統領が署名する手筈を整えた。東海岸へ向かう鉄道はネバダから2,000マイル(3,200キロメートル)も離れており、駅馬車で郵送した場合は予定通りでも3週間以上かかってしまい、遅すぎたのである。文書が送信されたのは1864年10月31日のことで、投票日である1864年11月7日の8日前のことだった。実際の選挙ではネバダの票がなくともリンカーンが快勝できるだけの票が集まった。対立候補であるジョージ・マクレランはわずか3州を獲得しただけだった。

大西洋横断

1891年の主な電信線
大西洋横断時代

大陸間を繋ぐ海底ケーブルは1857年と1858年にも敷設されたが、数日から数週間しか使えなかった。このため海底ケーブルの研究が活発になり、電磁気的伝送線路の数学的解析への関心が高まった。最初の成功した大西洋横断電信ケーブルが開通したのは1866年7月27日のことである。この際のケーブル敷設を行ったのがグレート・イースタンという船である[18]

1867年、発明家の David Brooks(当時、セントラル・パシフィック鉄道に勤務)が電信線用のがいしを改良した特許 アメリカ合衆国特許第 63,206号アメリカ合衆国特許第 69,622号 を得た。また、1864年に取得した特許を1867年に アメリカ合衆国特許第 45,221号 として再発効している。これらの特許によりセントラル・パシフィック鉄道は、初のアメリカ大陸横断鉄道の建設作業員との通信が容易になった。大陸横断鉄道は1869年5月10日に開通し、開通式の模様が電信で実況中継された。電信士は式典でのゴールデン・スパイクを打つリズムに合わせて電鍵を打った。

電信技術のさらなる進歩としては、トーマス・エジソンが1892年8月9日に取得した双方向電信の特許(アメリカ合衆国特許第 0,480,567号, "Duplex Telegraph")がある。

世界的発展

イギリスの古い看板。「電信に石を投げると罰せられます」とある。

アメリカでの電信線の総マイル数は1846年には40だったが、1850年には12,000、1852年には23,000となっている。ヨーロッパでは1849年に2,000だったものが1869年には110,000となった。10語を送るコストは1850年には1.55ドルだったが、1870年には1ドル、1890年には40セントに低下している。ユーストン駅で最初に設置されてからわずか29年で、南極以外の全大陸に電信網が広がり[19]、史上初めて高速な世界的通信網が誕生した。電信は情報の素早い伝達を可能にし、特に商取引で必要とされる最新データを古くならないうちに入手できる可能性が大きく向上した[20]。遠隔地で重大な出来事が起きた際、電信はそれが過去のものとなる前に知らせることを可能にした。また、情報伝達を交通(輸送手段)から解放した。電信網の発達は戦争が大きな要因のひとつとなっている[21]

新聞に掲載されるニュースも電信の登場で発展した。電信は情報を伝達することはできるが、そのためには誰かがその情報を電信局に持っていって発信しなければならない[22]。各新聞社は互いに競争しているため、他社の記者が情報発信することを妨害する虞があった。ニューヨークでは大手新聞社6社が共同でニュースを配信する組織、すなわち通信社を立ち上げた。この大手6社と他の新聞社が競争することで、報道がさらに発展することとなる。電信は単にニュースを伝達しただけでなく、ジャーナリズムが産業および職業として確立することにも寄与した[22]

日本

1854年ペリーが持ち込み、日本に電信がもたらされた。ペリーは電線を1km程引き、公開実験をおこなった。このとき、「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)と打った。

1869年、電信による公衆電報が東京・横浜間で開始された。

応用

1880年代の未使用の電報用紙

電信の誕生から終焉までの長期間に渡って主要な情報伝達手段として様々な応用が考案されており、それはちょうどインターネットにも類似している。電信から生まれた応用(技術)としては、メッセージルーティング社会的ネットワーク(電信士間の噂話など)、インスタントメッセージ暗号と文字列の符号化、省略型の俗語ネットワーク・セキュリティクラッカー、電信詐欺、メーリングリスト、スパム電子商取引証券市場のリアルタイムな報告などがある。Tom Standage など現代のコメンテータはそういった類似点を捉えて、19世紀の電信網を "Victorian Internet"(ビクトリア朝のインターネット)などと称している。

電信時代の終焉

アメリカでは2006年1月27日、ウエスタンユニオンが全ての電報および商用メッセージングサービスを終了させた[23]。ただし、電子送金サービスは継続している。

電波型式としての電信

  • A1A : 電波(CW)を断続し、モールス符号を送信する通信。非常に低速度であるため占有周波数帯域幅が非常に狭く(帯域幅500Hz)、雑音・雑音電圧の影響が少ない。従って、かすかでも電波の存在が確認できれば通信可能なため、たとえば低出力空中線電力での長距離通信・高出力(1kW)の空中線電力を使用した月面反射通信も聴取可能である。受信は、近接する周波数の信号を混合してビートを発生させる(ヘテロダイン)などして可聴化しておこなう。
  • A2A : AM(DSB-WC)、トーン信号(可聴音)を使用してモールス符号を送信。
  • F2A : FM、トーン信号を使用してモールス符号を送信。
  • A1B、A2B : テレタイプ端末を用いた機械電信(印刷電信)。

モールス符号を用いた通信は現在では全無線局共通非常呼出(4630kHz)、衛星非常用位置指示無線標識アマチュア無線標準電波(日本を除く)、電波伝搬試験用潮流情報新聞事業用無線防災行政用無線船舶無線漁業無線ラジオブイ気象放送気象庁気象短波帯固定回線海上無線標識局航空無線標識局無指向性無線標識施設コンパスロケータILS海上保安部警察庁警察用短波帯固定回線、国際刑事警察機構自衛隊アメリカ海軍アメリカ沿岸警備隊などで使用されるだけとなった。 なお、アマチュア無線技士のモールス通信能力を非義務化した2003年世界無線会議の決定に伴い、資格審査の際に電信の送受信実技試験を廃止する動きが各国で出ている。

脚注

  1. ^ Tom Standage, The Victorian Internet, Walker Publishing, New York, 1998 ISBN 0-8027-1342-4, pp. 1-2
  2. ^ John Joseph Fahie, A history of electric telegraphy, to the year 1837, Spon, London, 1884, p59
  3. ^ E. A. Marland, Early Electrical Communication, Abelard-Schuman Ltd, London 1964, no ISBN, Library of Congress 64-20875, pages 17-19
  4. ^ a b Jones, R. Victor Samuel Thomas von Sömmering's "Space Multiplexed" Electrochemical Telegraph (1808-10), Harvard University website. Attributed to "Semaphore to Satellite" , International Telecommunication Union, Geneva 1965. Retrieved 2009-05-01
  5. ^ A collection of internet biographies
  6. ^ Joseph Henry: Inventor of the Telegraph? Smithsonian Institution”. 2006年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年6月29日閲覧。
  7. ^ Thomas Coulson (1950). Joseph Henry: His Life and Work. Princeton: Princeton University Press 
  8. ^ Huurdeman, A.A., The worldwide history of telecommunications, p.54, Wiley-IEEE, 2003 ISBN 0-471-20505-2
  9. ^ Popular Science, February 1882, vol.20, no.28, p.568, Bonnier Corporation, ISSN 0161-7370.
  10. ^ a b The telegraphic age dawns BT Group Connected Earth Online Museum. Accessed December 2010
  11. ^ Hubbard, Geoffrey (1965) Cooke and Wheatstone and the Invention of the Electric Telegraph, Routledge & Kegan Paul, London p. 78
  12. ^ John Tawell, The Man Hanged by the Electric Telegraph”. University of Salford. 2009年1月11日閲覧。
  13. ^ Daniel Walker Howe "What God Hath Wrought," American Heritage, Winter 2010.
  14. ^ Hays, Wilma Pitchford (1960). Samuel Morse and the telegraph. F. Watts. p. 35. http://books.google.com/books?id=69EOAQAAMAAJ 2012年1月4日閲覧。 
  15. ^ The History of the Telegraph and Telegraphy at About.com
  16. ^ Pennsylvania Department of Labor & Industry: Historical Markers: Lancaster County. Accessed 10 January 2009.
  17. ^ Arrington, Leonard J., 1985, Brigham Young: The American Moses, New York: Knopf, p 294
  18. ^ Wilson, Arthur (1994). The Living Rock: The Story of Metals Since Earliest Times and Their Impact on Civilization. p. 203. Woodhead Publishing. ISBN 978-1-85573-301-5.
  19. ^ Nicholas Carr, Does IT matter? pp 27-8
  20. ^ Bray, John "The First Telegraph and Cable Engineers" in The Communications Miracle – The Telecommunications Pioneers from Morse to the Information Superhighway, Plenum Press, New York, 1995, pp 35-49
  21. ^ Thompson, Robert Luther, "Emergence of the American Telegraph" in Technology and Society – Wiring a Continent, The History of the Telegraph Industry in the United States 1832-1866, Arno Press, New York, 1972, pp299-310
  22. ^ a b Winston, Brian "The Telegraph" in Media Technology and Society, A History: From the Telegraph to the Internet, Routledge Publications, London, 1998, pp19-30
  23. ^ Wheen, Andrew. DOT-DASH TO DOT.COM: How Modern Telecommunications Evolved from the Telegraph to the Internet (Springer, 2011), p259

参考文献

関連項目

外部リンク