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== 経歴 ==
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またPACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。
またPACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。


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[[7月1日]]大阪での試合の終了後に[[ジミーズ]]が締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。
[[7月1日]]大阪での試合の終了後に[[ジミーズ]]が締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。


[[9月23日]]オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]からの要求次回大会「'''Mr.キューキュー・豊中ドルフィン'''」に改名。
[[9月23日]]オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」として戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。負けた場合に当の本人が改名させられる為に「ジミー谷嵜」になると思われたが、[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]から「同じタニザキがカブる」と理由「豊中出身」「イルカのうな目」「イルカはキューキュー泣く」を踏まえた上で「'''Mr.キューキュー・豊中ドルフィン'''」に改名させられてしまった


== 得意技 ==
== 得意技 ==

2012年10月3日 (水) 08:59時点における版

谷嵜 なおき
プロフィール
リングネーム Mr.キューキュー・豊中ドルフィン
谷嵜 なおき
本名 谷嵜直樹
ニックネーム 取扱注意
身長 172cm
体重 75kg
誕生日 (1978-12-01) 1978年12月1日(45歳)
出身地 大阪府豊中市
所属 フリーランス
デビュー 2002年12月7日
テンプレートを表示

谷嵜 直樹(たにざき なおき、男性、1978年12月1日 - )は、日本プロレスラー大阪府豊中市出身。血液型はO型。身長172cm、体重75kg。リングネームでは名前を平仮名にして、「谷嵜なおき」を名乗っていたが現在では「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」。

経歴

闘龍門入団後、闘龍門Xの一員としてメキシコに渡り、2002年12月7日メキシコのヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモックにて村上学山本武志組とのタッグマッチにてデビュー(タッグパートナーは坂井謙一)。2004年、闘龍門JAPANに所属を移すが直後に団体がDRAGON GATEとして独立しこれに追随。闘龍門X出身者で唯一のDRAGON GATE移籍者となった。先輩の堀口元気のサーファーキャラを受け継いだが、実は同い年である事はあまり知られていない。

2005年12月27日、16人参加バトルロイヤルサバイバルゲートに勝利。

当初はDo FIXER入りを目指したものの、あまりの弱さにボスのマグナムTOKYOからサーファーキャラを剥奪され、ウォーターボーイズへの転向を余儀なくされるなどを経て、ようやく正式メンバーになる。しかし、2006年に入ると凶器攻撃や味方への誤爆を繰り返すようになり、追放される。実はその頃からCIMABlood Generationに勧誘されていて、4月12日に遂に加入したが、直後に土井成樹等と共に、CIMA、ドン・フジイ鷹木信悟を追放する。

土井成樹をリーダーとした新ユニットマッスル・アウトローズの一員として試合を続けるも、主に負け役である事態が続く。

2006年6月、三島来夢と共にフリー契約となり、2006年7月12日東京後楽園ホールの「WRESTLE JAM」最終戦以降DRAGON GATEから離れることになる。

2006年11月22日ElDorado(エルドラド)新宿FACE大会に乱入、12月27日新宿FACE大会からエルドラドへ本格参戦した。なお、近藤修司大鷲透ら悪冠一色メンバーがDRAGON GATEを解雇された一因として谷嵜への苛めがあったとの噂もあり、その意味でも注目される。

2007年大日本プロレスデスマッチ参戦を表明。そのテストマッチとして行われた、7月22日博多スターレーン大日本・エルドラド合同興行にて葛西純MASADAを相手にハードコアマッチで勝利(パートナーは宮本裕向)。8月札幌テイセンホール大会でデスマッチデビューする見通しである。

2007年6月2日ZERO1-MAXに参戦しAWA世界ジュニア王座決定戦ロイヤルランブルに出場した。

2008年3月6日、プロレスリングElDoradoを退団。

3月7日の後楽園ホール大会で、突如DRAGON GATEのマットにマッスル・アウトローズの新メンバーとして現れ(即座に裏切り・離脱)、復帰することを宣言し、翌3月8日のメインイベントで正式に復帰した(DRAGON GATEでは基本的に解雇・退団した選手が再び団体のリングに上がることはこれまでは無かった)。しかし、これに対してYAMATOが異を唱える。

3月20日、大田区体育館大会でYAMATOとシングルマッチで対戦し勝利、試合後、YAMATOと和解し、タッグ結成をアピールした。

3月22日、DRAGON GATEと年間フリー選手契約を結ぶ。

4月17日、後楽園ホール大会でYAMATOとのタッグでGamma堀口元気と対戦するがYAMATOの裏切りに遭い、敗北。(YAMATOはマッスル・アウトローズに加入)

5月5日、愛知県体育館大会で鷹木信悟とハードコアマッチで対戦するが敗北。

5月14日、神田裕之とのシングルマッチ中に新井健一郎岩佐拓のアシストを受けて試合に勝利、試合後戸澤塾に勧誘される。しかし、メインイベント後に土井成樹、吉野正人B×Bハルクを救出し新ユニット(後のWORLD-1)を結成。

2010年9月17日の後楽園ホール大会にてディープ・ドランカーズ入りし、解散後のブラッドウォーリアーズにも加入。

オープン・ザ・トライアングルゲート王座にダーツ(土井ダーツ)でKzyと共にメンバーに選ばれ、発案者の土井成樹に落胆されるもトライアングルゲートを奪取。 2カウントルール(王者のみ2カウントで勝利)を条件に相手に挑戦させ王座を防衛していた。

またPACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。

2012年1月8日、名古屋での試合で右肩を脱臼・骨折(全治半年)欠場中に体型は違えど、髪型や肩の刺青など本物ソックリ?の「谷崎なおき」(「嵜」ちがい)が出場中。その代わりトマホークT.T.が欠場している

7月1日大阪での試合の終了後にジミーズが締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。

9月23日オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」として戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。負けた場合に当の本人が改名させられる為に「ジミー谷嵜」になると思われたが、谷崎なおきから「同じタニザキがカブる」との理由で「豊中出身」「イルカのような目」「イルカはキューキュー泣く」を踏まえた上で「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」に改名させられてしまった。

得意技

ニックネームである「取り扱い注意」の名の通りケンカ殺法が中心で、器用ではないが躊躇しない思い切ったファイトスタイルが特徴である。

バイティングドッグ
クロスアーム式のフロント・ネックロック。一度極まると簡単に抜け出せない。
FH
相手が立っている状態で決めるシャイニング・ウィザード。FHとは「踏み台(F)」にして「膝(H)」の略
DH
コーナーポストにいる相手に向かって走り、サードロープを踏み台にして決めるシャイニング・ウィザード。DHとは「ダッシュ(D)」して「膝(H)」の略
インプラント
現在のフィニッシュホールド。脇で相手の両足を固定し、両腕を掴んで落とす変形ビーチブレイク。タックルで相手を担ぎ上げてから、両足を脇に固定しなおして真っ逆さまに落とす。
カサノヴァ
座り込んでいる相手に走りこんで膝を顔にぶつける技。元々はBH(バカタレ式の膝)だったが、いつの間にか技名が変更された。

タイトル歴

その他

B×Bハルクとは妙に波長の合う仲らしい。WORLD-1結成後は、この2人でタッグを組むことが多かった。

フリーの時期に大日本プロレス、ZERO1-MAX、KAIENTAI-DOJO、Eldoradoなどに参戦した。他の選手には出来ない経験をしている。

マグナムTOKYOが1度引退したときに、自身のブログにて感謝の言葉を残した。肺気胸になり、その入院中にマグナムが見舞いに来てくれたことや退団後の心配などを書き込んでいる。

若々しいファイトスタイルからは想像できないが、既婚者であり、一児の父親でもある。DRAGON GATEに金本浩二が参戦した際には、そのことを話題に出して金本を激怒させたことがある。(当時、金本は結婚を発表したばかりだった。)

背中に鳳凰刺青があり、鼻にはピアス、髪の毛は金髪(もしくは銀髪)に一部を赤や青のメッシュに染め上げたりと非常にオシャレで有名。(髪型や髪の毛の色は頻繁に変えている)

外部リンク