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元[[愛媛マンダリンパイレーツ]]([[四国・九州アイランドリーグ]])の[[西村悟]]は実兄。
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== 歴 ==
== ・人物 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
小学校3年生のとき、兄の悟の影響で野球を始める<ref>『[[週刊ベースボール]]』2010年6月28日号、P58。</ref>。[[福岡工業大学附属城東高等学校|福岡工大城東高]]時代は3年時に[[定岡卓摩]]、および後に阪神でもチームメイトとなる[[柴田講平]]と共に[[第76回選抜高等学校野球大会|春の甲子園]]に出場したが、西村の登板機会はなかった。[[九州産業大学]]に進み、[[福岡六大学野球連盟|福岡六大学リーグ]]で通算17勝を挙げ、{{by|2008年}}秋のリーグ最優秀選手賞に選ばれた。[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト会議]]で阪神から4位指名を受け、11月24日に契約金6,000万円、年俸840万円(金額は推定)で仮契約。
小学校3年生のとき、兄の悟の影響で野球を始める<ref>『[[週刊ベースボール]]』2010年6月28日号、P58。</ref>。[[福岡工業大学附属城東高等学校|福岡工大城東高]]時代は3年時に[[定岡卓摩]]、および後に阪神でもチームメイトとなる[[柴田講平]]と共に[[第76回選抜高等学校野球大会|春の甲子園]]に出場したが、西村の登板機会はなかった。[[九州産業大学]]に進み、[[福岡六大学野球連盟|福岡六大学リーグ]]で通算17勝を挙げ、{{by|2008年}}秋のリーグ最優秀選手賞に選ばれた。[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト会議]]で阪神から4位指名を受け、11月24日に契約金6,000万円、年俸840万円(金額は推定)で仮契約。
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=== 背番号 ===
=== 記録 ===
* '''43''' (2009年 - )

=== 個人記録 ===
* 初登板:2009年6月8日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]4回戦([[阪神甲子園球場]])、9回表に救援登板・完了、1回無失点
* 初登板:2009年6月8日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]4回戦([[阪神甲子園球場]])、9回表に救援登板・完了、1回無失点
* 初奪三振:同上、9回表に[[D.J.ホールトン]]から
* 初奪三振:同上、9回表に[[D.J.ホールトン]]から
* 初勝利:2010年3月27日、対[[横浜ベイスターズ]]2回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、11回表から救援登板、1回無失点
* 初勝利:2010年3月27日、対[[横浜ベイスターズ]]2回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、11回表から救援登板、1回無失点
* 初ホールド:2010年4月11日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]3回戦(阪神甲子園球場)
* 初ホールド:2010年4月11日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]3回戦(阪神甲子園球場)

=== 背番号 ===
* '''43''' (2009年 - )


=== 登場曲 ===
=== 登場曲 ===
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* [[九州産業大学の人物一覧]]
* [[九州産業大学の人物一覧]]
* [[阪神タイガースの選手一覧]]
* [[阪神タイガースの選手一覧]]
* [[兄弟スポーツ選手一覧]]


{{阪神タイガース}}
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2011年8月8日 (月) 15:48時点における版

西村 憲
阪神タイガース #43
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県古賀市
生年月日 (1986-12-04) 1986年12月4日(37歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト4位
初出場 2009年6月8日
年俸 2,300万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西村 憲(にしむら けん、1986年12月4日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手投手)。

愛媛マンダリンパイレーツ四国・九州アイランドリーグ)の西村悟は実兄。

来歴・人物

プロ入り前

小学校3年生のとき、兄の悟の影響で野球を始める[1]福岡工大城東高時代は3年時に定岡卓摩、および後に阪神でもチームメイトとなる柴田講平と共に春の甲子園に出場したが、西村の登板機会はなかった。九州産業大学に進み、福岡六大学リーグで通算17勝を挙げ、2008年秋のリーグ最優秀選手賞に選ばれた。同年のドラフト会議で阪神から4位指名を受け、11月24日に契約金6,000万円、年俸840万円(金額は推定)で仮契約。

プロ時代

2009年のシーズンは新人ながら2度一軍に昇格[2]。一軍で6試合登板し、0勝0敗、防御率5.63であった。二軍のウエスタン・リーグではチーム最多登板となる36試合に登板し、4勝3敗、防御率2.20であった[3]。また、フレッシュオールスターゲームに出場し、同期入団の蕭一傑らと共に優秀選手賞を受賞した[4]

2010年は一軍キャンプに参加。先発、中継ぎのこだわりなく一軍定着を目標に掲げた[2]3月27日横浜ベイスターズ戦(京セラドーム大阪)でプロ入り初勝利をあげ、城島健司とともにお立ち台にあがった。その後一軍に定着し、5月12日から2日続けて自己最速の149km/hをマーク。9月9日中日ドラゴンズ戦(甲子園)では野手を全て使いきった状態でクレイグ・ブラゼルが審判への侮辱行為で退場となったため、この時の控え投手陣の中で一番守備が上手いという西村が急遽外野守備に就いた。相手が右打者の時にはレフト、左打者の時はライトを平野恵一と交代しながら2イニングを守り、守備機会はなかった[5]。12回裏最後の攻撃の最終打席にも立ったが、四球で出塁した一塁走者の新井貴浩が盗塁失敗でゲームセットとなったことにより打席記録はなし。 シーズン中盤以降は疲労から次第に打ちこまれることが多くなり、終盤には二軍落ち。疲労回復を優先(投球練習を再開できたのは12月以降[6])し、クライマックスシリーズに招聘されぬままシーズンを終えたが、渡辺亮久保田智之と共に中継ぎの要として活躍した1年だった。

プレースタイル

最速149km/hのストレートスライダーを軸に、フォークカーブシュートスラーブを投げる[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 阪神 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 36 8.0 7 1 3 0 1 8 0 0 6 5 5.63 1.25
2010 65 0 0 0 0 7 3 0 14 .700 296 71.2 72 11 13 2 3 71 1 0 33 31 3.89 1.19
通算:2年 71 0 0 0 0 7 3 0 14 .700 332 79.2 79 12 16 2 4 79 1 0 39 36 4.09 1.20

記録

背番号

  • 43 (2009年 - )

登場曲

脚注

関連項目