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2011年7月16日 (土) 06:46時点における版

熱田神宮

熱田神宮本宮
所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
位置 北緯35度07分38秒 東経136度54分31秒 / 北緯35.12722度 東経136.90861度 / 35.12722; 136.90861
主祭神 熱田大神(天叢雲剣
社格 式内社名神大
官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 113年景行天皇43年)
本殿の様式 神明造
例祭 6月5日(熱田祭)
主な神事 歩射神事
御煤納神事
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熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社である。

概要

祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている。同項に詳しいが、剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも神宮に保管されたままとも言われている。

相殿に天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。

113年景行天皇43年)創建とされ、2013年平成25年)に創祀1900年を迎える。

官幣大社式内社名神大)で、建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった(氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。社務所に当たる組織は熱田神宮宮庁と呼ぶ。その他施設に、熱田神宮文化殿(宝物館、熱田文庫)、熱田神宮会館、龍影閣があり、敷地内には愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。

『東海道名所図会』に、「熱田大神宮」と記載される。

海道記』に、「熱田の宮の御前を過ぐれば」とある。

東關紀行』に、「尾張の國熱田の宮に到りぬ」とある。また、

或人の曰く、「この宮は素盞嗚尊(すさのをのみこと)なり、初めは出雲の國に宮造りありけり。八雲立つ〔(*「)八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくる其の八重垣を(*」)(古事記)〕と云へる大和言葉も、これより始まりけり。その後、景行天皇の御代に、この砌(みぎり)に跡を垂れ給へり。」と云へり。又曰く、「この宮の本體は、草薙と號し奉る神劒なり。景行の御子、日本武尊と申す、夷(えみし)を平げて歸りたまふ時、尊は白鳥となりて去り給ふ、劒(つるぎ)は熱田に止り給ふ。」とも云へり。

— 國民圖書株式會社、東關紀行(校註日本文學大系 3)

と記載されている。

祭神

熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。

相殿には、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙の剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。

歴史

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。

大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母である。

明治元年(1868年)には熱田神社から熱田神宮に改め、明治4年(1871年5月14日、熱田神宮は官幣大社に列格した。熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、この請願は却下されている。次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、明治22年(1889年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。

それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、明治22年(1889年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、明治23年(1890年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、明治26年(1893年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。

昭和20年(1945年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われるおそれがあるとして、8月21日陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、昭和30年(1955年)10月に再建された。新しい建物のため、文化財に指定されていない。

年表

<>は関連事項

  • 113年景行天皇43年):日本武尊が能褒野で薨去する。草薙剣を熱田の地に祀る。
  • 195年仲哀天皇4年):火上姉子神社が創建される。
  • 668年天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗み出される。(草薙剣盗難事件
  • 686年朱鳥元年):草薙剣が熱田神宮へ戻される。
  • 708年和銅元年)9月9日:八剣宮が創建される。
  • 712年(和銅5年)1月28日:<「古事記」完成>
  • 720年養老4年):<「日本書紀」完成>
  • 927年延長5年)12月26日:<延喜式完成>
  • 967年康保4年)7月9日:<延喜式施行>
  • 1382年永徳3年):火上姉子神社で火災。地名を火高(ほだか)火上から大高氷上へと改める。
  • 1839年天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂に終わる。
  • 1868年明治元年)3月:<神仏分離令
    • 同年6月:神宮号を宣下される。
  • 1871年(明治4年)5月14日:<社格制度制定>
  • 1893年(明治26年):神明造に建て直される。
  • 1945年昭和20年):5月17日:空襲による被害を受ける。各種社殿、国宝海上門を焼失。
    • 同年6月9日:空襲による被害を受ける。
    • 同年7月29日:空襲による被害を受ける。国宝鎭皇門を焼失。
    • 同年8月21日:御神体を水無神社へ遷す。
    • 同年9月19日:御神体が熱田神宮へ戻される。
    • 同年12月15日:<神道指令
  • 1955年(昭和30年)10月:再建される。
  • 1963年(昭和38年):高座結御子神社が再建される。
  • 2007年平成19年)10月22日:本殿の改修に伴い、御神体を仮殿に移す「仮殿遷座祭」を行う。
  • 2009年(平成21年)10月10日:御神体を本殿に移す「本殿遷座祭」を行う。

皇族の御親拝・御参拝

祭事

6月5日例祭(「熱田まつり」「尚武祭(しょうぶさい)」とも称される)を最大規模の祭事とし、年間を通して以下の祭事が行われている。

境内外社

境内社

別宮

  • 八剣宮(はっけんぐう)
    • 社格:式内社
    • 祭神:熱田大神

摂社

  • 一之御前神社(いちのみさき)
  • 日割御子神社(ひさきのみこ)
  • 孫若御子神社(ひこわかみこ)
    • 社格:式内社(名神大。他説有り)
    • 祭神:天火明神
  • 南新宮社(みなみしんぐう)
  • 御田神社(みた)
    • 社格:式内社(他説有り)
    • 祭神:大年神
  • 下知我麻神社(しもちかま)
    • 社格:式内社
    • 祭神:真敷刀俾命
  • 上知我麻神社(かみちかま)
    • 社格:式内社
    • 祭神:乎止與命
    • 本社末社:大国主社(おおくにぬし)
    • 本社末社:事代主社(ことしろぬし)
  • 龍神社(りゅう)
    • 祭神:吉備武彦命、大伴武日命

末社

  • 大幸田神社(おおさきだ)
    • 祭神:宇迦之御魂神
  • 清水社(しみず)
    • 祭神:罔象女神(みずはのめ)
  • 東八百万神社(ひがしやおよろず)
    • 祭神:東国坐八百万神
  • 西八百万神社(にしやおよろず)
    • 祭神:西国坐八百万神
  • 内天神社(うちてんじん)
    • 祭神:少彦名命
  • 六末社
    • 乙子社(おとご)
      • 祭神:弟彦連
    • 姉子神社(あねご)
      • 祭神:宮簀媛命
    • 今彦神社(いまひこ)
      • 祭神:建稲種命
    • 水向神社(みか)
    • 素盞嗚神社(すさのお)
      • 祭神:素盞嗚尊
    • 日長神社(ひなが)
      • 祭神:日長命
  • 楠之御前社(くすのみまえ)
    • 祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊
  • 菅原社(すがはら)
  • 徹社(とおすのやしろ)
  • 八子社(やこのやしろ)
    • 祭神:五男三女神
  • 曽志茂利社(そしもり)
    • 祭神:居茂利大神(素盞嗚尊)

境外社

摂社

  • 高座結御子神社(たかくらむすびみこ)
    • 社格:式内社(名神大)
    • 祭神:高倉下命
    • 本社末社:鉾取社(ほことり)
      • 祭神:鉾取神
    • 本社末社:新宮社(しんぐう)
      • 祭神:素盞嗚尊
    • 本社末社:御井社(みい)
      • 祭神:御井神
    • 本社末社:稲荷社(いなり)
      • 祭神:宇迦之御魂神
  • 氷上姉子神社(ひかみあねこ)
    • 社格:式内社
    • 祭神:宮簀媛命
    • 本社末社:元宮(もとみや)
      • 祭神:宮簀媛命
    • 本社末社:神明社(しんめい)
      • 祭神:天照大神
    • 本社末社:玉根社(たまね)
      • 祭神:少彦名命
    • 境外末社:朝苧社(あさお)
      • 祭神:火上老婆靈(うばのみたま)
  • 青衾神社(あおぶすま)
    • 社格:式内社
    • 祭神:天白王月神 天道日女命
  • 松ゴ神社(まつご、「ゴ」=「女后」)
    • 祭神:宮簀媛命

末社

  • 鈴之御前社(れいのみまえ)
    • 祭神:天鈿女命
  • 南楠社(みなみくす)
    • 祭神:熱田大神
  • 浮島社(うきしま)
    • 祭神:天穂日命
  • 影向間社(ようごうのま)
    • 祭神:熱田大神
  • 朝苧社(あさお)
    • 祭神:火上老婆霊
  • 琴瀬山社(ことせやま)
    • 祭神:熱田大神、大山津見神、久久能智神

文化財

国宝・重要文化財

  • 国宝「短刀 銘来国俊 正和五年十一月日」
  • 重要文化財「紙本著色法華経涌出品」
  • 重要文化財「木造舞楽面」12面
  • 重要文化財「菊蒔絵手筥」
  • 重要文化財「鏡及鏡箱」
  • 重要文化財「古神宝類」一括
  • 重要文化財「金銅装唐鞍(附 黒漆鞍2背 飾鞍図1巻)」
  • 重要文化財「金銅兵庫鎖太刀」
  • 重要文化財「太刀 銘国友」
  • 重要文化財「太刀 銘則国」
  • 重要文化財「剣 銘吉光」
  • 重要文化財「太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)」
  • 重要文化財「脇指 銘長谷部国信」
  • 重要文化財「短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉」
  • 重要文化財「短刀 銘国光 徳治三年(以下切)」
  • 重要文化財「太刀 銘宗吉作」(1911年重文指定)
  • 重要文化財「太刀 銘宗吉作」(1912年重文指定)
  • 重要文化財「剣 銘為清 身ニ熱田太神宮宗久ト切付アリ」
  • 重要文化財「太刀 銘長光」
  • 重要文化財「太刀 銘備州長船兼光」
  • 重要文化財「太刀 銘備州長船重光」
  • 重要文化財「太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地ニ文祿四年守勝ノ寄進銘アリ」
  • 重要文化財「剱 銘□利」(包利)
  • 重要文化財「太刀 銘真行 身ノ表ニ元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏ニ熱田大名神奉寄進之在銘」
  • 重要文化財「太刀 無銘」(伝真長)
  • 重要文化財「銘指表ニ奉納尾州熱田大明神、指裏ニ両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継トアリ」
  • 重要文化財「日本書紀(紙背和歌懐紙)(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)」
  • 重要文化財「後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日」

他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次大戦時に焼失している。

その他の文化財

  • 算額 文化3年(1806年)5月 日下誠門人江原政教奉納(復元)
  • 算額 天保12年(1841年)11月 御粥安本門人三輪恒徳奉納(復元)
  • 算額 天保15年(1844年)2月 竹内修敬門人松岡愿奉納(復元)

交通

備考

熱田神宮宝物館
  • 平安時代後期に定められた一宮において、尾張国の一宮は真清田神社、熱田神宮は三宮とされた。これについては諸説があり、井上寛司は熱田神宮は当初別格として扱われていたこと[1]や真清田神社側の積極的な働きかけがあったことが原因になったとする説[2]を、上島享は当初は一宮の格式を持っていたものの、後に国衙と熱田神宮の対立が影響して一宮の交替が起きたとする説[3]を出している。いずれにしても、平安時代末期(12世紀後期)に一宮を中心とした国内の神社の秩序が確立される中で、熱田神宮は三宮として位置づけられることになり、熱田神宮は「鎮守三社」[4]などの表現を用いて自らを三宮と称するのを避けたという。
  • 永禄3年(1560年5月19日織田信長とその手勢が桶狭間の戦いに赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った。
    合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存する。
  • 11月に開催される全日本大学駅伝対校選手権大会では西門鳥居前(国道19号)がスタート地点として使われる。
  • 1936年ベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子がレース直前、熱田神宮のお守りを数点飲み込んで胃に収め、見事金メダルを獲得した。
  • 熱田神宮宝物館には、国宝重要文化財を始め、皇室徳川将軍家及び尾張徳川家などから寄進された品々が多数所蔵されている。
  • 日本武尊が草薙剣を宮簀媛命へ渡してから、熱田に剣を奉斎鎮守するまでの間、剣が火上山に置かれていたことから、氷上姉子神社は元熱田とも呼ばれる。
  • 上知我麻神社と下知我麻神社は、かつて南区の星宮社に祀られていた。

脚注

  1. ^ 永万元年六月日神祇官諸社注文(『平安遺文』3358号)には「尾張国 一宮 二宮 熱田社」と記され、熱田社は三宮とはみなされていなかった。
  2. ^ 井上寛司『日本中世国家と諸国一宮制』岩田書店、2009年、P95-98。
  3. ^ 上島享『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年、P269-272。
  4. ^ 嘉禄元年付尾張国司庁宣案(『鎌倉遺文』3401号)

関連項目

外部リンク

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