「樹原亜紀」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
意味不明。つまり勝手な推測にすぎない。 |
||
21行目: | 21行目: | ||
== 人物・来歴 == |
== 人物・来歴 == |
||
* [[神奈川県]]出身。[[おニャン子クラブ]]の会員番号6番として『[[夕やけニャンニャン]]』の初回([[1985年]][[4月1日]])から出演。 |
* [[神奈川県]]出身。[[おニャン子クラブ]]の会員番号6番として『[[夕やけニャンニャン]]』の初回([[1985年]][[4月1日]])から出演。 |
||
* 1985年4月18日より[[週刊文春喫煙事件]]で一時活動休止していたものの、同月 |
* 1985年4月18日より[[週刊文春喫煙事件]]で一時活動休止していたものの、同月30日放送にて復帰をする。番組内では、主にお笑いキャラとして人気を集め、[[高島忠夫]]の物真似が一番の持ちネタであった。 |
||
⚫ | |||
* 番組内では、主にお笑いキャラとして人気を集め、[[高島忠夫]]の物真似が一番の持ちネタである。 |
|||
⚫ | |||
* 後述の通り、文筆の力が長けている為、おニャン子クラブ在籍中からオフィシャル本には積極的に他メンバーやスタッフのコメントを多く寄せていた模様。尚、彼女の執筆であるとすれば、おニャン子メンバーが最も信頼していた(出来た)のは、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の番組ディレクター・坂間和夫であると述べている。 |
|||
* 1986年には、おニャン子クラブの[[名越美香]]、[[立見里歌]]、[[白石麻子]]と共に異色ユニット[[ニャンギラス]]を結成。2枚のシングル(「[[私は里歌ちゃん]]」「[[自分でゆーのもなんですけれど]]」)を出した後、[[1987年]][[3月30日]]の第五回卒業式でおニャン子クラブを卒業する。 |
* 1986年には、おニャン子クラブの[[名越美香]]、[[立見里歌]]、[[白石麻子]]と共に異色ユニット[[ニャンギラス]]を結成。2枚のシングル(「[[私は里歌ちゃん]]」「[[自分でゆーのもなんですけれど]]」)を出した後、[[1987年]][[3月30日]]の第五回卒業式でおニャン子クラブを卒業する。 |
||
* 卒業後は、フリーライターとして活動しオランダ人男性と結婚。現在は[[ロッテルダム]]に在住し、ロッテルダムの和食レストランでコックとして働いている。2児の母。海外在住ではあるが、おニャン子クラブの同窓会などのイベントにはほとんど参加している。 |
* 卒業後は、フリーライターとして活動しオランダ人男性と結婚。現在は[[ロッテルダム]]に在住し、ロッテルダムの和食レストランでコックとして働いている。2児の母。海外在住ではあるが、おニャン子クラブの同窓会などのイベントにはほとんど参加している。 |
2011年7月12日 (火) 04:33時点における版
きはら あき 樹原 亜紀 | |
---|---|
生誕 |
1969年3月30日(55歳) 日本 神奈川県 |
職業 | 元アイドル |
配偶者 | オランダ人芸術家 |
子供 | 2児あり |
樹原 亜紀(きはら あき、結婚前の本名同じ、1969年3月30日 - )は、日本の元アイドルである。現在の本名は、亜紀・ムール。
人物・来歴
- 神奈川県出身。おニャン子クラブの会員番号6番として『夕やけニャンニャン』の初回(1985年4月1日)から出演。
- 1985年4月18日より週刊文春喫煙事件で一時活動休止していたものの、同月30日放送にて復帰をする。番組内では、主にお笑いキャラとして人気を集め、高島忠夫の物真似が一番の持ちネタであった。
- メンバーの中では身長が169センチと高く、メンバーと並ぶとその背の高さが目立っていた。
- 1986年には、おニャン子クラブの名越美香、立見里歌、白石麻子と共に異色ユニットニャンギラスを結成。2枚のシングル(「私は里歌ちゃん」「自分でゆーのもなんですけれど」)を出した後、1987年3月30日の第五回卒業式でおニャン子クラブを卒業する。
- 卒業後は、フリーライターとして活動しオランダ人男性と結婚。現在はロッテルダムに在住し、ロッテルダムの和食レストランでコックとして働いている。2児の母。海外在住ではあるが、おニャン子クラブの同窓会などのイベントにはほとんど参加している。
外部リンク
- 素敵ライフ - 樹原の家族が紹介されている