ドン・キホーテ放火事件

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ドン・キホーテ放火事件(ドン・キホーテほうかじけん)は、2004年平成16年)12月13日12月15日ディスカウントストアドン・キホーテ埼玉県さいたま市内の店舗で相次いで発生した、一連の放火事件(2店舗で3回)。

特に浦和花月店では、店員3人が焼死、8名が負傷する惨事(放火殺人)となり、マスコミ報道では、特に同店の放火火災について取り上げられた。

なお、容疑者逮捕後に、「同市内のサティイトーヨーカドーへの放火(合計4件)も同一犯である」と判明した。

概要[編集]

本項で扱う一連の事件は、以下の通り。ドン・キホーテの店舗については、それぞれの節を参照。日付を省略しているものは、直上の日付と同一。なお、事件の関連性については、逮捕後に判明。

  1. 2004年平成16年)12月13日18時50分頃、浦和区GMS北浦和サティ(現:イオン北浦和店)での放火トイレトイレットペーパーに放火し、小火が発生。
  2. 19時20分頃、上記店舗のトイレで2回目の放火(小火)。
  3. 20時50分頃、ドン・キホーテ浦和花月店の寝具売場で放火。店舗は全焼し、アルバイト店員3名が焼死、8名が負傷。#浦和花月店(12月13日)を参照。
  4. 23時頃、見沼区のドン・キホーテ大宮大和田店で衣料品に放火(小火)。#大宮大和田店(12月13日)を参照。
  5. 12月15日15時頃、ドン・キホーテ大宮大和田店で、同一犯が再び放火。店員の制止を振り切り逃走、重要参考人被疑者として浮上し、22時過ぎに逮捕された。#大宮大和田店(12月15日)#被疑者の逮捕を参照。
  6. 15時45分頃、大宮区イトーヨーカドー大宮店(現:コクーン3)のトイレでの放火(小火)。
  7. 18時50分頃に、北浦和サティにて、13日と同様の放火。

浦和花月店(12月13日)[編集]

ドン・キホーテ浦和花月店放火の様子

2004年平成16年)12月13日20時50分頃、埼玉県さいたま市緑区の「ドン・キホーテ浦和花月店」の寝具売場で放火が発生。犯人は着火を確認後、ただちに逃走したとされる。着火地点が入口から遠ざかった場所であり、避難経路の策定など防火体制の不備や、ドン・キホーテの特徴である「圧縮陳列」での商品への燃え移り(延焼)が災いし、店舗は全焼。一度は店内から脱出したものの、「来店客が逃げ遅れていないか」の確認のため、再突入を行った3人のアルバイト店員が、店内から再脱出できず焼死。3人とも同じ場所で炭化した状態で発見された。ドン・キホーテの社長は被害者の立場ではあったものの、「なぜ店員に再突入を行わせて、被害を拡大させたのか」、「圧縮陳列に問題は無かったのか」等の経営責任や、同店の営業再開に含みを持たせた曖昧な対応について、マスコミ各社から追及を受けることとなった(詳細はドン・キホーテ (企業)を参照)。 なお、同店は、国道463号(本線)と埼玉県道1号さいたま川口線(支線)が交差する花月交差点の傍にあった(2件目の大宮大和田店との経路に関係している)。

大宮大和田店(12月13日)[編集]

同日23時頃、見沼区の「ドン・キホーテ大宮大和田店」で衣料品に放火が発生。店員の発見が早期であったため小火に留まったが、犯人は逃走。

なお、浦和花月店からは、縦貫する埼玉県道1号支線を経て、埼玉県道1号本線である第二産業道路区間を北上し、大和田交差点で左折した埼玉県道2号さいたま春日部線旧国道16号)沿い、距離にして約10キロメートル以内に位置する。

大宮大和田店(12月15日)[編集]

12月15日15時頃、ドン・キホーテ大宮大和田店(前回の事件を受け、警備体制を強化していた)で、同一犯が再び放火。40歳代の女が、避難騒動に乗じて買い物かご単体(800円相当)を店外に持ち出し、店員の制止を振り切りマイカーで逃走、自宅に持ち帰った。この女が放火の重要参考人・被疑者として浮上し、同日22時過ぎに逮捕された。

被疑者の逮捕[編集]

12月15日15時頃に再び放火した際、「ドン・キホーテ大宮大和田店から、買い物かご単体(800円相当)を自宅に持ち帰った」として、埼玉県警察窃盗容疑で、40歳代の元看護師で無職の女を放火事件の重要参考人とした。捜査員中央区の自宅駐車場で発見するが、車内に立て籠もる。同日午後10時過ぎに、この窃盗容疑で逮捕した。なお、窃盗・放火いずれの容疑も否認している(別件逮捕)。

捜査の過程で、ドン・キホーテの放火では、ガソリンスタンドで購入した灯油を、店内の売り物である織物(寝具・衣料品)に染みこませて着火していたことが明らかになった。

この女は、放火前の11月にも同店で金槌を用いてショーケースを破壊してボストンバッグなどを盗んだ容疑で逮捕歴があった。しかし、精神疾患での通院歴があり、簡易精神鑑定で心神衰弱による責任能力無しと判断され起訴猶予処分となり12月8日に釈放されていた。

警察の取り調べでは、放火容疑について否認を続けたが、2005年4月21日に7件の放火容疑を認め、建造物等放火、放火未遂などの容疑で再逮捕された。しかし、同月25日に一転して容疑を否認し、「裁判においても否認する」と、接見した弁護士に話したとされる。

裁判[編集]

放火事件
被告人の女は一審で容疑を否認し続けたものの、2007年平成19年)3月23日さいたま地方裁判所は女の責任能力を認め、無期懲役の判決を下した。
女は東京高等裁判所控訴したが、2008年平成20年)5月15日、控訴が棄却されて最高裁上告。しかし同年11月17日、最高裁も上告を棄却し、さいたま地裁での無期懲役判決が確定[1]
遺族と消防局
従業員の遺族は、「さいたま市消防局の怠慢により死亡した」として、2007年平成19年)12月にさいたま市に対し損害賠償訴訟を起こすも、2010年平成22年)5月28日にさいたま地裁において請求は棄却される。
原告は控訴したが、2011年平成23年)3月1日、東京高裁で和解が成立した。和解の内容は、
  1. さいたま市は、この件の賠償義務を負わない。
  2. さいたま市消防職員が、119番を聞き取るメモ用紙に『通報者の身の危険を感じた場合には早期に避難を促す』との趣旨の文言を印刷する
など、火災の教訓を生かして適切に対応することを、遺族との間で確認した。

模倣犯[編集]

被疑者逮捕後の2004年12月中に、模倣犯と思われる以下の放火事件が発生。これらの被疑者逮捕についての報道は2011年6月時点でも無く、未解決のままと思われる。現住建造物等放火罪容疑で捜査が行われている場合の公訴時効は、25年である。

  • 12月16日に、旧:大宮ロフト(旧:西武百貨店大宮店、2013年4月24日閉店)で、女子トイレのゴミ箱の中身が燃える小火が発生。
  • 12月下旬に、ドン・キホーテ環八世田谷店で放火事件が発生。防犯カメラの記録により、男の犯行と断定される。

詐欺事件[編集]

2009年1月から翌2010年10月にかけて、この事件の被害者遺族に対する対応費用と偽り部下に架空のコンサルタント料名目の仮払い申請書を作成させるなどの行為を経て会社から3100万円を詐取し詐欺罪に問われた当時50歳の元ドン・キホーテ常務の男が逮捕されており、2011年10月31日に東京地裁により懲役3年6か月の実刑判決を言い渡された[2]

店舗のその後[編集]

浦和花月店
放火後、焼け焦げて一部半壊した建物に、ブルーシートを被せた状態が続いていたが、捜査の進捗で警察官警備員警備が解けると、侵入防止用の警報装置が装備され無人となった。
事件直後は「営業休止扱い」とし、営業再開に含みを持たせていたが、2005年10月に解体されて更地となった。
その後、跡地には当地からほど近い場所で営業していたサンドラッグ浦和花月店が新築移転し、2006年2月から営業している。
  • なお、元々はスーパーマーケットのマルエツ中尾店で、1990年代に火災によって建物が損傷し営業を断念している(つまり本事件によって同一の建物で2回も火災に遭ったこととなる)。修繕後にサミットとして営業したのち、1999年4月1日にドン・キホーテ浦和花月店として開業した。テレビ朝日などでは開店当時の取材映像を保有しており、事件時に報道ステーションなど報道番組でその素材を交えながら放送していた。
2010年5月1日に、ドン・キホーテグループの長崎屋浦和店を転換(改装のみ)する形で、MEGAドン・キホーテ浦和原山店として新規開店した(店舗の移転による事実上の再建)。
  • 長崎屋浦和店は、同じ国道463号沿いで、400メートル程西(浦和駅方向)に離れた所で、1984年から営業していた。
2010年5月19日に、浦和原山店の駐車場入り口に、事件の慰霊碑が建てられた(殉職した3人の店員の遺族の希望)。
大宮大和田店
営業を継続したが、2010年にドン・キホーテグループのドイトによるDIY用品・ホームセンターのタウンドイトへ転換され、タウンドイト大宮大和田店として営業したが、2012年8月12日で閉店。現在は倉庫となっている。

脚注[編集]

関連項目[編集]