武相中学校・高等学校
武相中学校・高等学校 | |
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北緯35度29分49.3秒 東経139度37分31.2秒 / 北緯35.497028度 東経139.625333度座標: 北緯35度29分49.3秒 東経139度37分31.2秒 / 北緯35.497028度 東経139.625333度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人武相学園 |
設立年月日 | 1942年 |
創立記念日 | 6月24日 |
創立者 | 石野瑛 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合無) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
進学コース 総合コース 体育コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C114310000215 中学校) D114310000259 (高等学校) | (
高校コード | 14526C |
所在地 | 〒222-0023 |
神奈川県横浜市港北区仲手原二丁目34番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
武相中学校・高等学校(ぶそうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市港北区仲手原にある、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校[1]。法人の正式名称は学校法人武相学園。
概要
1942年(昭和17年)、考古学者で歴史家でもあった石野瑛が、青少年教育の重要性を感じ、神奈川県横浜市港北区篠原町富士塚に旧制武相中学校創立。その後、生徒と共に原野であった松風台(現・武相台)を開拓し移転。当時この場所は見晴らしが良く、旧国名の武蔵国と相模国が一望できたことからその頭文字を一字ずつ取って校名にした。
建学の精神は「道義昂揚」「個性伸張」「実行徹底」。スクールカラーは紫・青・丹。エンブレムは建学の精神をラテン語で表している。
高校野球では甲子園に4度出場している[2]。2014年度はボクシング部、柔道部、弓道部が全国大会に出場している。文化部では1979年に創設された鉄道研究同好会が人数こそ少ないもののOBを含めて活発に活動しており[3][4]、製版屋に就職したOBが起こした「BRCプロ」より写真集などの書籍を出版し有隣堂などの書店での販売を行っている[5][6]ほか、横浜市立図書館へも郷土資料として収められている。
沿革
- 1942年 - 旧制武相中学校創立。
- 1945年 - 第二次世界大戦による空襲により、富士塚(刀鍬)校舎焼失。
- 1947年 - 新制中学校認可。
- 1948年 - 武相高等学校設置。武相考古館・ホール竣工。
- 1958年 - 武相学園正門道路(桜坂)竣工。
- 1970年 - 高校野球の神奈川県大会で優勝、全国大会(甲子園)に4度出場。ボクシング部団体全国大会優勝。
- 1992年 - 創立50周年・50周年記念館・理科実験棟竣工。
- 2002年 - 講堂・体育館竣工。
- 2003年 - 生物実験室竣工。
- 2005年 - グランド改修工事・第1校舎一般教室ITマルチメディア化改修工事。
- 2009年 - 第1校舎・第2校舎・第4校舎耐震補強工事。
- 2010年 - 第3校舎耐震補強工事。
- 2012年 - 第2校舎一般教室高機能化改修工事。
- 2014年 - グラウンド野球天蓋防球ネット設置。
- 2020年 - 学年担任制開始。クラスの担任を固定せずに学年担任全体で指導。
- 2022年 - クラブ4日制開始。硬式野球部、バレーボール部以外の部活は週4回の活動となった。
- 2023年 - 学年担任制、クラブ4日制が廃止された。
施設
- 50周年記念館
- 理科実験棟
- 体育館・講堂(メインアリーナ・サブアリーナ・屋内トレーニングルーム・ランニングコース)
- 屋内プール
- テニスコート
- 嬬恋天日山荘
- 弓道場
アクセス
著名な出身者
野球
- 五十嵐英夫 - 元プロ野球選手
- 島野修 - 元プロ野球選手
- 菅野光夫 - 元プロ野球選手
- 根建忍 - 元プロ野球選手
- 金島正彦 - 元プロ野球選手
- 北村照文 - 元プロ野球選手
- 須田清見 - 元プロ野球選手
- 鈴木慶裕 - 元プロ野球選手
- パンチ佐藤 - 元プロ野球選手・タレント
- 堂上隼人 - 元プロ野球選手
- 井口和朋 - プロ野球選手
- 塩見泰隆 - プロ野球選手
- 西本欣司 - プロ野球審判員
- 東門明 - 元野球選手(早稲田大学野球部、日米大学野球で送球を頭部に受け死亡)
- 木本芳雄 - 元硬式野球部監督
- 豊田圭史 - 硬式野球部監督、元富士大学硬式野球部監督
- 桑元孝雄 - アトランタオリンピック 野球日本代表・元硬式野球部監督
- 今関勝 - 元プロ野球選手 ※中退
- カレオン・ジョニル・マラリ - 独立リーグプロ野球選手、野球フィリピン代表
サッカー
ボクシング
- 星野敬太郎 - 元プロボクサー(世界ボクシング協会ミニマム級元世界王者)
- カシアス内藤 - 元プロボクサー(日本ミドル級元王者)
- 石澤開 - プロボクサー(初代日本ミニマム級ユース王者)
- 松島勝之 - 元アマチュアボクシング選手、ソウルオリンピック日本代表
フィギュアスケート
- 松村充 - フィギュアスケート選手、インスブルックオリンピック日本代表
- 佐々木彰生 - フィギュアスケート選手
ミュージシャン
お笑い芸人
その他
- 福井英郎 - シドニーオリンピックトライアスロン代表
- 泉谷駿介 - 2020年東京オリンピック陸上競技(110mH)代表
- 高橋邦明 - 2014年全日本プロドリフト選手権シリーズチャンピオン
- 周富徳 - 料理人
- 杉野正 - 政治運動家、実業家
- 松橋利光 - カメラマン
訴訟
同校にて水泳部員が受けた停学処分などをめぐり、水泳部顧問を務めていた男性教諭が副校長から進退問題を校長に委ねる提案を促された後うつ病を発症し2012年に懲戒解雇、男性教諭は休職中に懲戒解雇されたのは不当だとして、同校に地位確認を求める訴訟。一審判決にて請求棄却。
2017年5月17日、東京高裁(野山宏裁判長)は「(男性教諭は)好成績を課されていると強く感じ、心理的負担があった」と述べ、訴えを退けた一審判決を取り消し、解雇を無効と判断する逆転勝訴を言い渡した。
不祥事
本校野球部は、2012年夏の高校野球神奈川大会で日大藤沢に2 - 3でサヨナラ負けし初戦敗退した。この試合は「インフィールドフライによるサヨナラゲーム」という非常に珍しいものであり、この試合の判定[7]を巡って一部の野球部員がインターネット掲示板に審判を批判する書き込みを行っていたことが明らかになった。また、一部の部員が判定に抗議する意味で試合終了後に整列しなかったり、帽子を脱がないなどの行為も問題となった。さらに部員による飲酒や喫煙が疑われる写真もアップロードされ、ツイッターを通じて他者への脅迫や殺害予告なども行われていた。本校はこれを受け、少なくとも神奈川大会が終了するまでは野球部の活動を自粛し、高野連の指示に従うことを決定した[8][9]。
お笑いコンビ・金の国の渡部おにぎり(渡部恭平)は、当時捕手・4番打者としてこの試合に出場した当事者だった[10]。
関連項目
脚注
- ^ 武相高校の学校情報(高校受験パスナビ)(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭に「●内部進学生とは3年間別クラス。」と掲載されている。
- ^ “武相高校>クラブ活動>硬式野球部”. 武相中学・高等学校公式ウェブサイト. 2017年12月16日閲覧。
- ^ 武相高校ウェブサイト上の部活紹介ページで「お遊びの部活ではありません」と宣言している。
- ^ 松本伸也 (2015年2月3日). “鉄道マンはここから誕生する! お遊びじゃない武相高校鉄道研究同好会を追え!”. はまれぽ.com: p. "1" 2017年11月16日閲覧。
- ^ 松本伸也 (2015年2月3日). “鉄道マンはここから誕生する! お遊びじゃない武相高校鉄道研究同好会を追え!”. はまれぽ.com: p. "2" 2017年11月16日閲覧。
- ^ “鉄道書籍コーナー「鉄之道」 ”. BRCプロウェブサイト. 2017年11月16日閲覧。
- ^ 判定の詳細は「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード#サヨナラホームスチール」を参照。
- ^ “サヨナラ負けで審判批判をネット書き込み 神奈川・武相高野球部”. 産経新聞. (2012年7月20日). オリジナルの2012年7月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “サヨナラ負けの武相高野球部、ネットで審判批判 活動自粛 神奈川”. 産経新聞. (2012年7月21日). オリジナルの2012年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “甲子園目指した最後の夏に「大炎上」、動画はネットで拡散…「4番捕手」渡部おにぎりが今語る真相”. 読売新聞. (2022年8月17日). オリジナルの2022年8月17日時点におけるアーカイブ。