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ルクオイル

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ルクオイル
ПАО Лукойл
種類 公共株式会社
市場情報
本社所在地 ロシアの旗ロシア
モスクワ
業種 石油産業
代表者 ヴァギト・アレクペロフ
従業員数 110,000(2014年)
外部リンク www.lukoil.com
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ルクオイルのガソリンスタンド(ロシア連邦トゥーラ市
アメリカ合衆国で営業するルクオイルのガソリンスタンド

公共株式会社・石油会社「ルクオイル」ロシア語: ПАО «Нефтяная компания „ЛУКОЙЛ“», ПАО «ЛУКОЙЛ»英語: LUKoilLSELKOD,NASDAQ: LUKOY)は、ロシア連邦最大の石油会社で、同国の新興財閥オリガルヒ)の一つ。

概要

ソビエト連邦の崩壊直前の1991年ソビエト連邦閣僚会議決定により、ランゲパスネフテガス (Langepasneftegaz、en) 、ウライネフテガス (Uraineftegaz、en)、およびコガリムネフテガス(Kogalymneftegaz、en)という3つの石油採掘企業が統合され国家コンツェルン「ランゲパス・ウライ・コガリムネフト (LangepasUraiKogalymneft) 」として発足。1992年11月17日ロシア大統領令en1403号1993年4月の政府命令に基づいて、正式に公開株式会社・石油会社「ルクオイル」ロシア語: ОАО «Нефтяная компания „ЛУКОЙЛ“»)となった。1995年、ロシア連邦政府の決定に従って、ルクオイルは、西シベリアにあるハンティ・マンシ自治管区・ユグラの上記3拠点を始めとして、バシコルトスタン(後に離脱)、ボルゴグラードペルミなどの精油所、石油化学工場を保有し、更にアストラハン石油などをグループに加えた。アメリカ合衆国アトランチック・リッチフィールド会社(ARCO)は、ルクオイルの戦略パートナーであり、ルクオイルの株式のうち、1999年現在で7.7パーセントを保有している。

2000年にはアメリカのゲティ・オイルを買収し、アメリカ国内でも「LUKOIL」ブランドのガソリンスタンドを展開することとなった。

2004年9月、コノコ・フィリップスはルクオイルに対して7.6パーセント出資金を増額し、更に今後20パーセント以内の増資が可能な協定に署名した。また、両者は、ロシア北部ティマン・ペチョラ地区で油田およびガス田と、イラク西部のクルナ地区を共同開発することでも合意した。

2014年の法改正[1]を受けて公開株式会社(ОАО)から公共株式会社ПАО)に移行し、現在の名称になっている。

2022年ロシアのウクライナ侵攻開始直後の3月初旬、これは「悲劇」であるとして「武力衝突の即時終結」を訴える声明を発表し、9月1日には会長のラビル・マガノフが入院先で死亡したことが同社とロシア捜査総局から発表された[2][3]。10月に石油トレーディング部門の分離とイタリアシチリアにある製油所ISABの売却を検討している事が判明した[4]

出典・脚注

関連項目

外部リンク