田辺広雄

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田辺 広雄
たなべ ひろお
生年月日 1925年1月15日
出生地 愛知県名古屋市
没年月日 (1999-04-03) 1999年4月3日(74歳没)
死没地 名古屋市
出身校 関西学院大学専門学校政経科卒業
所属政党 自由民主党
称号 勲三等瑞宝章
親族 長男・田辺克宏(愛知県議会議員)

選挙区 旧・愛知1区
当選回数 1回
在任期間 1990年2月19日 - 1993年7月18日
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田辺 広雄(たなべ ひろお、1925年1月15日 - 1999年4月3日)は、日本政治家衆議院議員(1期)、名古屋市会議員(5期)、守山市議会議員などを務めた。

来歴・人物[編集]

愛知県名古屋市生まれ。父親は守山町長を務めた。関西学院大学専門学校政経科卒業後、家業の毛織物会社を継いだ[1]1955年守山市議会議員に出馬し当選。1963年に守山市が名古屋市と合併した後は名古屋市会議員を5期務め、議長も務めた[2]

1983年の衆議院選挙1986年の衆議院選挙旧・愛知1区から出馬するが落選。自民党内では安倍派に所属し、竹下派の今枝敬雄と公認を争った[3][4]

1990年2月18日に行われた衆議院選挙に自民党の公認を得て立候補し初当選。ところが衆院選にからみ、2月21日に自身の秘書と運動員が買収容疑で逮捕された[5]。秘書らは6月に有罪判決を受けている[6][注 1]

1993年第40回衆議院議員総選挙では新党ブームの中で今枝と共倒れする形になり[12]落選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年第41回衆議院議員総選挙では、選挙区が分かれた事を受けて今枝と協力する方針を打ち出し、後援会幹部の名簿交換などを行なっている[13]。同選挙では愛知2区から出馬したが落選。政界を引退した。

1999年4月3日、肺炎のため死去[14]。74歳没。長男の田辺克宏は同年4月11日に行われた愛知県議選の守山区選挙区に立候補し初当選[15]。県議を計4期務めた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1990年2月の総選挙では、愛知県下の5つの選挙区で以下の6人の自民党候補が選挙違反事件を起こした。しかしいずれも無事当選を果たし、自身が罪に問われることもなかった。

出典[編集]

  1. ^ 『中日新聞』1990年2月8日付朝刊、市民総合版、17面、「衆院選 私が候補者 初当選に執念燃やす 一区 田辺広雄(65)無所属・新」。
  2. ^ 朝日新聞、1996年10月19日付朝刊、愛知地方面
  3. ^ 『中日新聞』1989年4月2日付朝刊、3面、「愛知一区に波乱必至 春日氏引退 社党候補など焦点に」。
  4. ^ 朝日新聞、1986年6月25日付朝刊、P.2
  5. ^ a b c 『中日新聞』1990年2月22日付朝刊、31面、「田辺氏(愛知一区)浅野氏(愛知五区)の秘書も」。
  6. ^ 朝日新聞、1990年6月25日付夕刊、P.7
  7. ^ 『中日新聞』1990年2月22日付朝刊、31面、「愛知二区選挙違反 丹羽氏の妻と長男逮捕 春日井市議らに現金 全員が返却」。
  8. ^ 『中日新聞』1990年2月20日付朝刊、31面、「愛知2区でも逮捕者 久野派の前町議」。
  9. ^ 『中日新聞』1990年2月21日付朝刊、31面、「後援会役員 買収で逮捕 愛知二区久野派」。
  10. ^ 『中日新聞』1990年2月20日付朝刊、31面、「江崎氏の秘書逮捕 愛知3区の選挙違反 買収、2人に40万円余」。
  11. ^ 『中日新聞』1990年2月27日付朝刊、11版、31面、「杉浦氏派違反の後援会事務局長 強引に金権指揮 怖さ知らず〝実弾攻勢〟 63年の市長選で選対幹部が分裂 初めて表舞台に」。
  12. ^ 朝日新聞、1993年7月19日付朝刊、P.18
  13. ^ 朝日新聞、1995年11月7日付夕刊、P.6
  14. ^ 朝日新聞、1999年4月4日付朝刊、P.39
  15. ^ 愛知県議会議員選挙 - 名古屋市守山区選挙区候補者一覧 - 1999年04月11日投票 | 愛知県 | 選挙ドットコム

参考文献[編集]