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| ユースクラブ1 = [[富山第一高等学校]]| ユース年1 = 2004-2007
| ユースクラブ1 = [[富山第一高等学校]]| ユース年1 = 2004-2007
| 年1 = 2007-2008 | クラブ1 = [[モンテディオ山形]]|出場1=0|得点1=0
| 年1 = 2007-2008 | クラブ1 = [[モンテディオ山形]]|出場1=0|得点1=0
| 年2 = 2009-2010 | クラブ2 = [[栃木シティフットボールクラブ|日立栃木ウーヴァSC]]|出場2=14|得点2=7
| 年2 = 2009-2010 | クラブ2 = [[栃木シティFC|日立栃木ウーヴァSC]]|出場2=14|得点2=7
| 年3 = 2010-2011 | クラブ3 = [[栃木シティフットボールクラブ|栃木ウーヴァFC]]|出場3=33|得点3=13
| 年3 = 2010-2011 | クラブ3 = [[栃木シティFC|栃木ウーヴァFC]]|出場3=33|得点3=13
| 年4 = 2011-2013 | クラブ4 = [[FC琉球]]|出場4=95|得点4=47
| 年4 = 2011-2013 | クラブ4 = [[FC琉球]]|出場4=95|得点4=47
| 年5 = 2014-2015 | クラブ5 = [[AC長野パルセイロ]]|出場5=45|得点5=6
| 年5 = 2014-2015 | クラブ5 = [[AC長野パルセイロ]]|出場5=45|得点5=6
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2007年、J2[[モンテディオ山形]]に入団。ディフェンスの裏へ飛び出すプレーが得意でFW不足に悩む山形にとっては期待の新人だったが、[[豊田陽平]]や[[長谷川悠]]とのFW争いに割って入ることができず出場機会のないまま2008年限りで戦力外となった。ベンチ入りも2年間でわずか1試合だけだった。
2007年、J2[[モンテディオ山形]]に入団。ディフェンスの裏へ飛び出すプレーが得意でFW不足に悩む山形にとっては期待の新人だったが、[[豊田陽平]]や[[長谷川悠]]とのFW争いに割って入ることができず出場機会のないまま2008年限りで戦力外となった。ベンチ入りも2年間でわずか1試合だけだった。


2009年に、当時[[関東サッカーリーグ|関東リーグ]]に所属していた[[栃木シティフットボールクラブ|日立栃木ウーヴァSC]]へ移籍。主力選手として活躍し、[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格に貢献した。そしてJFL1年目となった2010年シーズンはチーム最多の13得点(リーグ得点ランキングは5位タイ)を記録。特に後期第11節から16節まで6試合連続ゴールを決め、栃木ウーヴァのJFL残留に貢献した。中でも後期16節の[[ソニー仙台FC]]戦ではトップチームでは初の[[ハットトリック]]を達成した。
2009年に、当時[[関東サッカーリーグ|関東リーグ]]に所属していた[[栃木シティFC|日立栃木ウーヴァSC]]へ移籍。主力選手として活躍し、[[日本フットボールリーグ|JFL]]昇格に貢献した。そしてJFL1年目となった2010年シーズンはチーム最多の13得点(リーグ得点ランキングは5位タイ)を記録。特に後期第11節から16節まで6試合連続ゴールを決め、栃木ウーヴァのJFL残留に貢献した。中でも後期16節の[[ソニー仙台FC]]戦ではトップチームでは初の[[ハットトリック]]を達成した。


2011年シーズンは[[FC琉球]]へ完全移籍した。2012年に20得点を記録し、[[横浜スポーツ&カルチャークラブ|Y.S.C.C.]]の[[辻正男]]と共にJFL得点王を獲得した。2013年はJFL新記録となる開幕から8試合連続ゴールを挙げた。
2011年シーズンは[[FC琉球]]へ完全移籍した。2012年に20得点を記録し、[[横浜スポーツ&カルチャークラブ|Y.S.C.C.]]の[[辻正男]]と共にJFL得点王を獲得した。2013年はJFL新記録となる開幕から8試合連続ゴールを挙げた。
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*2004年 - 2006年 [[富山第一高等学校]]
*2004年 - 2006年 [[富山第一高等学校]]
*2007年 - 2008年 [[モンテディオ山形]]
*2007年 - 2008年 [[モンテディオ山形]]
*2009年 - 2010年 [[栃木シティフットボールクラブ|日立栃木ウーヴァSC/栃木ウーヴァFC]]
*2009年 - 2010年 [[栃木シティFC|日立栃木ウーヴァSC/栃木ウーヴァFC]]
*2011年 - 2013年 [[FC琉球]]
*2011年 - 2013年 [[FC琉球]]
*2014年 - 2015年 [[AC長野パルセイロ]]
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2023年12月22日 (金) 23:20時点における版

高橋 駿太
名前
カタカナ タカハシ シュンタ
ラテン文字 TAKAHASHI Shunta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-02-09) 1989年2月9日(35歳)
出身地 富山県射水市
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 カターレ富山
ポジション FW
背番号 39
利き足 右足
ユース
2004-2007 富山第一高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2008 モンテディオ山形 0 (0)
2009-2010 日立栃木ウーヴァSC 14 (7)
2010-2011 栃木ウーヴァFC 33 (13)
2011-2013 FC琉球 95 (47)
2014-2015 AC長野パルセイロ 45 (6)
2016-2018 ザスパクサツ群馬 108 (19)
2019- カターレ富山 82 (11)
代表歴
2007  日本 U-17
1. 国内リーグ戦に限る。2023年1月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高橋 駿太(たかはし しゅんた、1989年2月9日 - )は、富山県射水市出身のサッカー選手。ポジションはFW

来歴

元日本代表FW柳沢敦を輩出した名門富山第一高等学校時代に3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会に出場。U-17日本代表にも選出[1]

2007年、J2モンテディオ山形に入団。ディフェンスの裏へ飛び出すプレーが得意でFW不足に悩む山形にとっては期待の新人だったが、豊田陽平長谷川悠とのFW争いに割って入ることができず出場機会のないまま2008年限りで戦力外となった。ベンチ入りも2年間でわずか1試合だけだった。

2009年に、当時関東リーグに所属していた日立栃木ウーヴァSCへ移籍。主力選手として活躍し、JFL昇格に貢献した。そしてJFL1年目となった2010年シーズンはチーム最多の13得点(リーグ得点ランキングは5位タイ)を記録。特に後期第11節から16節まで6試合連続ゴールを決め、栃木ウーヴァのJFL残留に貢献した。中でも後期16節のソニー仙台FC戦ではトップチームでは初のハットトリックを達成した。

2011年シーズンはFC琉球へ完全移籍した。2012年に20得点を記録し、Y.S.C.C.辻正男と共にJFL得点王を獲得した。2013年はJFL新記録となる開幕から8試合連続ゴールを挙げた。

2013年11月29日、J3AC長野パルセイロへの完全移籍が発表された[2]。2014年3月9日、J3第1節の福島ユナイテッドFC戦でJリーグ初出場・初得点を記録したが、2014年・15年は共に3得点に終わった。

2015年シーズン後にどこからも声が掛からず引退を覚悟し家業のペンキ屋を継ぐため実家へ戻る数日前にJ2ザスパクサツ群馬からオファーが届き[3][4]、2016年1月6日、群馬へ完全移籍[5]。1年目から全試合に出場しJリーグでは自身初の2桁得点となる11ゴールを挙げたが、2017年はチームが低迷し自身も1得点に終わりJ3へ降格した。

2018年12月、地元・富山のカターレ富山への完全移籍が発表された[6]。2019年は大谷駿斗平松宗佐々木陽次に次ぐチーム4位の5得点を挙げた。

2020年2月4日、トレーニング中に左膝前十字靭帯損傷および内側半月板損傷の重傷を負い、全治8ヶ月と診断された[7]。12月のシーズン最終戦の出場を目標にリハビリを続けていたがメンバー入りできず、2020年は出場なしに終わった[8]

2021年は開幕戦からベンチ入りし、3月28日の第3節で後半から途中出場し公式戦復帰。第4節で復帰後初ゴールを決めた。

2023年10月3日に2023年をもって現役引退を発表[9]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 山形 25 J2 0 0 - 0 0 0 0
2008 0 0 - 0 0 0 0
2009 日立栃木/栃木U 11 関東1部 14 7 - - 14 7
2010 JFL 33 13 - 1 0 34 13
2011 琉球 33 14 - 1 0 34 14
2012 28 20 - 1 0 29 20
2013 10 34 13 - 2 0 36 13
2014 長野 9 J3 22 3 - 2 0 24 3
2015 23 3 - 2 0 25 3
2016 群馬 13 J2 42 11 - 1 0 43 12
2017 7 36 1 - 1 0 37 1
2018 J3 30 7 - 2 0 32 7
2019 富山 8 24 5 - 0 0 24 5
2020 0 0 - - 0 0
2021 25 4 - 2 1 27 5
2022 33 2 - 2 1 35 3
2023 39 -
通算 日本 J2 78 12 - 2 0 80 12
日本 J3 157 24 - 10 2 167 26
日本 JFL 128 60 - 5 0 133 60
日本 関東1部 14 7 - - 14 7
総通算 377 103 - 17 2 394 105

その他の公式戦

タイトル・代表歴

脚注

関連項目

外部リンク