左伴繁雄

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左伴 繁雄(ひだりとも しげお、1955年10月26日 - )は日本の経営者。これまで複数のサッカークラブの経営を手がけており、2015年からは清水エスパルスの運営会社である株式会社エスパルスの代表取締役社長を務める[1]

略歴[編集]

神奈川県立希望が丘高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、日産自動車に入社。日産では英国日産自動車製造の設立に携わるなど、主に生産畑を歩んだ[2]宇都宮徹壱の取材に依れば、この時点でサッカーのことはほとんど知らなかったという[3]

2001年、45歳にして横浜F・マリノスの運営会社で日産が出資する横浜マリノスの社長に就任。同年降格の危機に瀕したクラブの建て直しに尽力すると、2003年には元日本代表監督の岡田武史を招聘してリーグ連覇を達成させた。

2007年、横浜FMの社長を退いて日産の孫会社に当たる日産プリンス神奈川販売の執行役員を務めた[2]が、2008年秋に湘南ベルマーレからのオファーを受け、日産を去り湘南の常務取締役に就任。このときの心境について、雑誌へのインタビューにて「マリノス時代、日産からお金を出してもらってクラブ運営することに、経営者として後ろめたさを感じていた。ベルマーレは、自分たちの足で立って、歩いてきたクラブだけに(彼らを)直視できなかった」と語っている[3][4]。湘南では「マリノス時代に果たせなかった夢」と語る「自立したクラブづくり」に奔走。2012年には専務取締役となり[5]、J1昇格を2度果たすなどクラブの土台作りに尽力した。

2015年1月を持って湘南を退職。クラブ経営のコンサルタントを始めるつもりでいたが、すぐに清水からのオファーがあり熟考。サンダーランドAFCの本拠地で英国日産のあったサンダーランドの光景を思い出し、サッカーどころの清水であれば「地域と共生しながら発展するビジネスモデル」が実現できる可能性を感じてオファーを受諾[3]、清水の社長に就任した[2]。清水では初年度にクラブ初のJ2降格を喫するも、翌シーズンにはクラブや静岡に全く縁のなかった小林伸二を招聘し(「昇格請負人」としての手腕ではなく、2005年のJ1セレッソ大阪を優勝まであと一歩のところに導いた実績を評価してだという[6])、1年でのJ1復帰を支えた。

経歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ クラブ概要”. 清水エスパルス. 2018年1月6日閲覧。
  2. ^ a b c “株式会社エスパルス 役員異動のお知らせ” (プレスリリース), 清水エスパルス, (2015年2月1日), https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/28169 2018年1月6日閲覧。 
  3. ^ a b c 宇都宮徹壱 (2016年3月15日). “「清水で仕事をするのは相当な覚悟がいるんですよ」 清水エスパルス社長、左伴繁雄の視線の先にあるもの”. 宇都宮徹壱ウェブマガジン. 2018年1月6日閲覧。
  4. ^ 、2009、「10年後も残るクラブ、消えるクラブ」、『サッカー批評』(43)、双葉社
  5. ^ “役員就任のお知らせ” (プレスリリース), 湘南ベルマーレ, (2012年4月23日), http://www.bellmare.co.jp/52934 2018年1月5日閲覧。 
  6. ^ 宇都宮徹壱 (2016年3月22日). “外様の社長と監督が抱く「王国復活」の夢 J2・J3漫遊記 清水エスパルス 後編”. スポーツナビ. Yahoo! JAPAN. 2018年1月5日閲覧。