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'''フェイ・レイ'''(''Fay Wray''、[[1907年]][[9月15日]] - [[2004年]][[8月8日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[俳優|女優]]。[[カナダ]]出身で、『[[キング・コング (1933年の映画)|キング・コング]]』のアン・ダロウ役として知られている。また、[[ホラー映画]]の常連女優([[絶叫クイーン]])としても世界的に知られている。1926年に[[ワンパス・ベビー・スターズ]]に選ばれたことで注目を集め、[[パラマウント・ピクチャーズ]]と契約を結び12本以上の映画に出演した。パラマウントを離れた後はホラー映画や『{{仮リンク|バワリイ|en|The Bowery (film)}}』『[[奇傑パンチョ]]』などの[[西部劇]]映画への出演が増え、『キング・コング』への出演で映画史に名前を残した。
'''フェイ・レイ'''(''Fay Wray''、[[1907年]][[9月15日]] - [[2004年]][[8月8日]])は、[[カナダ]]・[[アルバータ州]]出身の女優。本名Vina Fay Wray。[[サイレント映画]]時代には[[西部劇]]のヒロインを多く演じた。


== 来歴 ==
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
子供の頃に[[ロサンゼルス]]に移り、10代の初めからエキストラとして映画に出始める。
[[カナダ]]・[[アルバータ州]]{{仮リンク|カードストン|en|Cardston}}近郊の牧場で生まれる。母エルヴィナ・マルグリット・ジョーンズは[[ソルトレイクシティ]]出身、父ジョゼフ・ハーバー・レイは[[キングストン・アポン・ハル]]出身で、2人とも[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]の信者だった<ref>{{cite web|url=http://www.wargs.com/other/wrayf.html|title=Ancestry of Fay Wray|publisher=Wargs.com|accessdate=March 9, 2011}}</ref>。フェイ・レイは6人兄弟姉妹の1人であり<ref>{{cite web|url=http://www.northernstars.ca/actorsvz/wray_fay_bio.html|title=Fay Wray – Northern Stars|publisher=Northernstars.ca|accessdate=March 9, 2011|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110611015949/http://www.northernstars.ca/actorsvz/wray_fay_bio.html|archivedate=June 11, 2011}}</ref>、{{仮リンク|ダニエル・ウェブスター・ジョーンズ|en|Daniel Webster Jones (Mormon)}}の孫娘である。両親は末日聖徒イエス・キリスト教会の信者だったが、フェイ・レイは洗礼を受けていない。一家は1912年にソルトレイクシティに移住し<ref>"Utah-Hollywood connection runs deep", p. B2, ''The Salt Lake Tribune'', January 26, 2009.</ref>、1914年には{{仮リンク|ラーク (ユタ州)|en|Lark, Utah|label=ラーク}}に移住した。1919年にソルトレイクシティに戻り、その後は[[ロサンゼルス]]に移住し、フェイ・レイは{{仮リンク|ハリウッド高校|en|Hollywood High School}}に入学した。
1926年、Western Association of Motion Picture Advertisersが選んだ13人のスター候補の一人に選ばれ([[メアリー・アスター]]や[[ジャネット・ゲイナー]]、[[ジョーン・クロフォード]]も同年選ばれている)注目されるようになる。1928年、[[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]]の『結婚行進曲』で初主演。そして1933年の『[[キング・コング (1933年の映画)|キングコング]]』でヒロインのアン・ダロウを演じ、映画史に名を残すことになる。


=== 女優 ===
生涯で100本以上の映画に出演し、[[2004年]]に96歳で死去した。オリジナルにヒロインとして出演した縁から[[2005年]]の[[リメイク]]版『[[キング・コング (2005年の映画)|キング・コング]]』への[[カメオ出演]]のオファーが来ており、ラストシーンの締めの台詞「'''コングを殺したのは飛行機じゃない、美女が殺した'''」を任される予定だったという。
{{Multiple image
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|image1 = Gary Cooper and Fay Wray in The Texan 1930.jpg
|caption1 = 『テキサス無宿』のフェイ・レイと[[ゲイリー・クーパー]]
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|caption2 = 『猟奇島』のフェイ・レイとジョエル・マクリー
|image3 = King Kong Fay Wray 1933.jpg
|caption3 = 『キング・コング』のフェイ・レイとキングコング
}}
1923年、16歳のフェイ・レイは地元の新聞社がスポンサーになった短編歴史映画で初めて映画に出演した<ref>SL Tribune, January 26, 2009</ref>。1920年代は『[[:en:The Coast Patrol|The Coast Patrol]]』で主要キャストに起用された他、{{仮リンク|ハル・ローチ・スタジオ|en|Hal Roach Studios}}と週給60ドルで半年間の契約を結び、同スタジオの作品に出演していた<ref name="today96"/>。1926年には[[ワンパス・ベビー・スターズ]]の一人に選ばれている。当時のフェイ・レイは[[ユニバーサル・スタジオ]]と契約しており、主に[[西部劇]]映画で{{仮リンク|バック・ジョーンズ|en|Buck Jones}}と共演していた。

1927年に[[パラマウント・ピクチャーズ]]と契約を結び、[[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]]の『{{仮リンク|結婚行進曲 (1928年の映画)|en|The Wedding March (1928 film)|label=結婚行進曲}}』のヒロイン役に起用された。同作は高額な製作費を投じた映画として注目を集めたが、興行的には失敗に終わった。また、フェイ・レイにとっての初主演作品となった。彼女はパラマウントで十数本の映画に出演し、その中で時代はサイレント映画からトーキー映画に移行していった<ref>{{cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/participant.jsp?spid=209593 |title=Fay Wray |publisher=TCM.com |accessdate=March 9, 2011}}</ref>。

パラマウントを離れたフェイ・レイは、他の映画製作会社の下で『{{仮リンク|ドクターX (映画)|en|Doctor X (film)|label=ドクターX}}』『[[肉の蝋人形 (1933年の映画)|肉の蝋人形]]』などの[[ホラー映画]]に出演した。その後は[[RKO]]と契約を結び、『[[猟奇島]]』で[[ジョエル・マクリー]]、[[ロバート・アームストロング (俳優)|ロバート・アームストロング]]と共演した。『猟奇島』と同時並行で製作されたのがフェイ・レイの代表作となる『[[キング・コング (1933年の映画)|キング・コング]]』である。フェイ・レイによると、『キング・コング』のアン・ダロウ役には[[ジーン・ハーロウ]]が起用される予定だったが、彼女が[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]と専属契約を結んだため起用できなくなったという<ref name=Parish203>{{cite book |last1=Parish |first1=James Robert |last2=Mank |first2=Gregory W. |last3=Stanke |first3=Don E. |title=The Hollywood Beauties |year=1978 |publisher=Arlington House Publishers |location=New Rochelle, New York |isbn=0-87000-412-3 |page=[https://archive.org/details/hollywoodbeautie00pari/page/203 203] |url-access=registration |url=https://archive.org/details/hollywoodbeautie00pari/page/203 }}</ref>。ハーロウの起用が不可能になったため、監督の[[メリアン・C・クーパー]]は1万ドル(2020年の貨幣価値で20万ドル)の出演料でフェイ・レイをアン・ダロウ役に起用した<ref name="wrayreference">{{cite web|url=http://emol.org/film/archives/wray/ |title=Fay Wray |publisher=Emol.org |accessdate=March 9, 2011}}</ref>。『キング・コング』と『猟奇島』のジャングルのシーンは同じセットで撮影され、日中は『キング・コング』、夜間は『猟奇島』の撮影が行われた。『キング・コング』は興行的に大きな成功を収め、フェイ・レイは同作がRKOを倒産の危機から救ったことを誇りに思っていたという<ref>{{cite web|url=http://www.things-and-other-stuff.com/movies/profiles/fay-wray-2.html |title=Fay Wray by Kendahl Cruver |publisher=Things-and-other-stuff.com |date=September 15, 1907 |accessdate=March 9, 2011}}</ref>。一方で『キング・コング』での役柄から「[[絶叫クイーン]]」として認知され、『キング・コング』以降の映画オーディションに参加するたびに「叫び声を出して欲しい」と要求されるようになったことには辟易しており、「絶叫クイーンと呼ばれるのは好きではありません」と語っている<ref>{{cite web|url=https://slate.com/culture/2015/09/scream-queen-definition-how-one-of-horror-s-oldest-tropes-paved-the-way-for-fox-s-new-show.html|title=What Is a “Scream Queen”? How One of Horror’s Oldest Tropes Paved the Way for Fox’s New Show.|publisher=Slate.com|date=2015-09-25|accessdate=2021-08-08}}</ref>。

『キング・コング』以降も『{{仮リンク|世界一の金持ち娘|en|The Richest Girl in the World (1934 film)}}』などに出演していたが、1940年代に入ると出演機会が減少した。1942年に2度目の結婚を機に女優業を引退するが、経済的な事情からすぐに復帰した。その後30年間、フェイ・レイはいくつかの映画やテレビシリーズに出演した。1953年から1954年にかけて放送された『The Pride of the Family』ではキャサリン・モリソン役を演じている。1955年には『[[:en:Queen Bee (film)|Queen Bee]]』に出演した。1950年代は『[[:en:Perry Mason (1957 TV series)|Perry Mason]]』『[[:en:Playhouse 90|Playhouse 90]]』『[[ヒッチコック劇場]]』、1960年代には『[[サンセット77]]』『[[:en:The Islanders (TV series)|The Islanders]]』『[[:en:The Real McCoys|The Real McCoys]]』『[[:en:The Eleventh Hour (1962 TV series)|The Eleventh Hour]]』などのテレビシリーズに出演し、1980年に『[[:en:Gideon's Trumpet (1980 film)|Gideon's Trumpet]]』に出演したのを最後に女優業を引退した。

=== 晩年 ===
[[File:Fay Wray 1.jpg|thumb|200px|晩年のフェイ・レイ]]
1991年に{{仮リンク|ボザール舞踏会|en|Beaux-Arts Ball}}のクイーンに選ばれ<ref>{{cite web|title=Beaux Arts Society: Royal Family|url=http://www.beauxartssociety.org/19356.html|accessdate=February 24, 2014|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140102192849/http://beauxartssociety.org/19356.html|archivedate=January 2, 2014}}</ref>、1998年には自伝『''On the Other Hand''』を出版した<ref>{{cite book|title=On the Other Hand: A Life Story|edition=1st|last=Wray|first=Fay|isbn=978-0-312-02265-5|oclc=17917980|publisher=St. Martin's Press|year=1989}}</ref>。この間、フェイ・レイは[[ジェームズ・キャメロン]]から『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』のローズ・ドーソン・カルバート役の打診を受けたが<ref>{{cite web|url=https://www.moviefone.com/2017/12/15/titanic-kate-winslet-james-cameron-movie-trivia/|title=26 Things You Never Knew About 'Titanic'|publisher=moviefone|accessdate=2021-08-08}}</ref>、出演を辞退している。また、[[第70回アカデミー賞]]ではプレゼンターの一人として出席している。2003年には『[[:en:Broadway: The Golden Age, by the Legends Who Were There|Broadway: The Golden Age, by the Legends Who Were There]]』公開を記念して開催された{{仮リンク|パームビーチ国際映画祭|en|Palm Beach International Film Festival}}に出席し、レジェンド・イン・フィルム・アワードを受賞した。晩年のフェイ・レイは『キング・コング』の舞台となった[[エンパイア・ステート・ビルディング]]を頻繁に訪れ、1991年の竣工60周年記念式典には主賓として招待された<ref name="today96">{{cite web|url=https://www.today.com/popculture/king-kong-damsel-fay-wray-dies-96-wbna5651771|title='King Kong' damsel Fay Wray dies at 96|publisher=TODAY|accessdate=2021-08-08}}</ref>。

2004年に[[ピーター・ジャクソン]]からリメイク版『[[キング・コング (2005年の映画)|キング・コング]]』への[[カメオ出演]]を打診されている。当初、フェイ・レイは出演を断っていたが、ジャクソンと交流を重ねるうちに出演について前向きな姿勢を見せるようになった<ref name=fi>{{cite news|author=Ian Spelling |url=http://www.scifi.com/sfw/issue452/interview.html |title=Peter Jackson proves with King Kong that the director, not the beast, is the true eighth wonder of the world |work=[[Science Fiction Weekly]] |date=December 2005 |accessdate=2009-06-01 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060619091002/http://www.scifi.com/sfw/issue452/interview.html |archivedate=June 19, 2006}}</ref><ref name=Ray>{{cite book | author = Paul A. Woods | title = Peter Jackson: From Gore to Mordor | publisher = Plexus Books | year = 2005 | isbn = 0-85965-356-0 | pages = 176–187 | chapter = Kong Cometh! | location = London}}</ref>。しかし、2004年8月8日にフェイ・レイは[[マンハッタン]]の自宅アパートで死去したため、出演は実現しなかった。フェイ・レイの友人で『Broadway: The Golden Age, by the Legends Who Were There』の監督{{仮リンク|リック・マッケイ|en|Rick McKay}}は、彼女の最期について「静かに眠るように息を引き取った」と語っている<ref name="today96"/>。遺体は{{仮リンク|ハリウッド記念墓地|en|Hollywood Forever Cemetery}}に埋葬された。2日後の8月10日、エンパイア・ステート・ビルディングはフェイ・レイの死に際して15分間ビルを消灯して弔意を表した<ref>{{cite web|url=https://www.upi.com/News_Photos/view/upi/370c1d0627f7ff3a0528765af1236690/EMPIRE-STATE-BUILDING-TO-DIM-LIGHTS-IN-REMEMBRANCE-OF-ACTRESS-FAY-WRAY/|title=EMPIRE STATE BUILDING TO DIM LIGHTS IN REMEMBRANCE OF ACTRESS FAY WRAY|publisher=UPI|accessdate=2021-08-08}}</ref>。


== 主な出演作品 ==
== 主な出演作品 ==
* 結婚行進曲 (1928)
* {{仮リンク|結婚行進曲 (1928年の映画)|en|The Wedding March (1928 film)|label=結婚行進曲}} (1928)
* テキサス無宿 (1930)
* {{仮リンク|テキサス無宿|en|The Texan (1930 film)}} (1930)
* [[猟奇島]](1932)
* [[猟奇島]](1932)
* [[肉の蝋人形 (1933年の映画)|肉の蝋人形]] (1933)
* [[肉の蝋人形 (1933年の映画)|肉の蝋人形]] (1933)
* [[キング・コング (1933年の映画)|キング・コング]] (1933)
* [[キング・コング (1933年の映画)|キング・コング]] (1933)
* バワリイ (1933)
* {{仮リンク|バワリイ|en|The Bowery (film)}} (1933)
* [[奇傑パンチョ]] (1934)
* [[奇傑パンチョ]] (1934)


== ギャラリー ==
== 家族 ==
フェイ・レイは生涯に3回結婚を経験した。最初の結婚相手{{仮リンク|ジョン・モンク・サンダース|en|John Monk Saunders}}はアルコール中毒・麻薬中毒者だったため、結婚生活は間もなく破綻した<ref name="today96"/>。2回目の結婚相手[[ロバート・リスキン]]との間に娘{{仮リンク|ヴィクトリア・リスキン|en|Victoria Riskin}}と息子ロバート・リスキン・ジュニアをもうけるが、リスキンは1950年に脳卒中になり、1955年に死別した<ref name="today96"/>。3回目の結婚相手サンフォード・ローゼンバーグはリスキンの主治医で、リスキンの死後16年後に結婚したが、1991年に死別している<ref name="today96"/>。フェイ・レイにはヴィクトリアとロバート・ジュニアを含めて3人の子供がいる<ref>{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=eyOCpuGkuykC&pg=PA14 |title=The Films of Fay Wray |author1=Roy Kinnard |author2=Tony Crnkovich |page=14 |date=October 25, 2005 |isbn=9781476604152 |accessdate=July 17, 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.today.com/id/5651771/ns/today-today_entertainment/t/king-kong-damsel-fay-wray-dies/#.VuVgKOIrIrg |title='King Kong' damsel Fay Wray dies at 96 |website=TODAY.com |accessdate=July 17, 2016}}</ref>。
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File:Wray, Fay 01.jpg|宣伝用写真
== 出典 ==
File:King Kong Fay Wray 1933.jpg|『[[キングコング#『キング・コング』(1933)|キング・コング (1933)]]』より。右側の木の枝の間にいるのがフェイ・レイ
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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[[Category:カナダの女優]]
[[Category:カナダの女優]]
[[Category:アメリカ合衆国の女優]]
[[Category:アメリカ合衆国の女優]]
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[[Category:サイレント映画の俳優]]
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[[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]
[[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]

2021年8月15日 (日) 14:26時点における版

フェイ・レイ
Fay Wray
Fay Wray
フェイ・レイ(1930年撮影の宣材写真)
本名 Vina Fay Wray[1]
生年月日 (1907-09-15) 1907年9月15日
没年月日 (2004-08-08) 2004年8月8日(96歳没)
出生地 カナダの旗 カナダ アルバータ州カードストン
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨークマンハッタン
国籍 カナダの旗 カナダ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優
活動期間 1923年-1980年
配偶者 ジョン・モンク・サンダース英語版(1928年-1939年)
ロバート・リスキン(1942年-1955年)
サンフォード・ローゼンバーグ(1971年-1991年)
著名な家族 ヴィクトリア・リスキン英語版(娘)
主な作品
キング・コング
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フェイ・レイFay Wray1907年9月15日 - 2004年8月8日)は、アメリカ合衆国女優カナダ出身で、『キング・コング』のアン・ダロウ役として知られている。また、ホラー映画の常連女優(絶叫クイーン)としても世界的に知られている。1926年にワンパス・ベビー・スターズに選ばれたことで注目を集め、パラマウント・ピクチャーズと契約を結び12本以上の映画に出演した。パラマウントを離れた後はホラー映画や『バワリイ英語版』『奇傑パンチョ』などの西部劇映画への出演が増え、『キング・コング』への出演で映画史に名前を残した。

生涯

生い立ち

カナダアルバータ州カードストン英語版近郊の牧場で生まれる。母エルヴィナ・マルグリット・ジョーンズはソルトレイクシティ出身、父ジョゼフ・ハーバー・レイはキングストン・アポン・ハル出身で、2人とも末日聖徒イエス・キリスト教会の信者だった[2]。フェイ・レイは6人兄弟姉妹の1人であり[3]ダニエル・ウェブスター・ジョーンズ英語版の孫娘である。両親は末日聖徒イエス・キリスト教会の信者だったが、フェイ・レイは洗礼を受けていない。一家は1912年にソルトレイクシティに移住し[4]、1914年にはラーク英語版に移住した。1919年にソルトレイクシティに戻り、その後はロサンゼルスに移住し、フェイ・レイはハリウッド高校英語版に入学した。

女優

『テキサス無宿』のフェイ・レイとゲイリー・クーパー
『猟奇島』のフェイ・レイとジョエル・マクリー
『キング・コング』のフェイ・レイとキングコング

1923年、16歳のフェイ・レイは地元の新聞社がスポンサーになった短編歴史映画で初めて映画に出演した[5]。1920年代は『The Coast Patrol』で主要キャストに起用された他、ハル・ローチ・スタジオ英語版と週給60ドルで半年間の契約を結び、同スタジオの作品に出演していた[1]。1926年にはワンパス・ベビー・スターズの一人に選ばれている。当時のフェイ・レイはユニバーサル・スタジオと契約しており、主に西部劇映画でバック・ジョーンズ英語版と共演していた。

1927年にパラマウント・ピクチャーズと契約を結び、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの『結婚行進曲英語版』のヒロイン役に起用された。同作は高額な製作費を投じた映画として注目を集めたが、興行的には失敗に終わった。また、フェイ・レイにとっての初主演作品となった。彼女はパラマウントで十数本の映画に出演し、その中で時代はサイレント映画からトーキー映画に移行していった[6]

パラマウントを離れたフェイ・レイは、他の映画製作会社の下で『ドクターX英語版』『肉の蝋人形』などのホラー映画に出演した。その後はRKOと契約を結び、『猟奇島』でジョエル・マクリーロバート・アームストロングと共演した。『猟奇島』と同時並行で製作されたのがフェイ・レイの代表作となる『キング・コング』である。フェイ・レイによると、『キング・コング』のアン・ダロウ役にはジーン・ハーロウが起用される予定だったが、彼女がメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと専属契約を結んだため起用できなくなったという[7]。ハーロウの起用が不可能になったため、監督のメリアン・C・クーパーは1万ドル(2020年の貨幣価値で20万ドル)の出演料でフェイ・レイをアン・ダロウ役に起用した[8]。『キング・コング』と『猟奇島』のジャングルのシーンは同じセットで撮影され、日中は『キング・コング』、夜間は『猟奇島』の撮影が行われた。『キング・コング』は興行的に大きな成功を収め、フェイ・レイは同作がRKOを倒産の危機から救ったことを誇りに思っていたという[9]。一方で『キング・コング』での役柄から「絶叫クイーン」として認知され、『キング・コング』以降の映画オーディションに参加するたびに「叫び声を出して欲しい」と要求されるようになったことには辟易しており、「絶叫クイーンと呼ばれるのは好きではありません」と語っている[10]

『キング・コング』以降も『世界一の金持ち娘英語版』などに出演していたが、1940年代に入ると出演機会が減少した。1942年に2度目の結婚を機に女優業を引退するが、経済的な事情からすぐに復帰した。その後30年間、フェイ・レイはいくつかの映画やテレビシリーズに出演した。1953年から1954年にかけて放送された『The Pride of the Family』ではキャサリン・モリソン役を演じている。1955年には『Queen Bee』に出演した。1950年代は『Perry Mason』『Playhouse 90』『ヒッチコック劇場』、1960年代には『サンセット77』『The Islanders』『The Real McCoys』『The Eleventh Hour』などのテレビシリーズに出演し、1980年に『Gideon's Trumpet』に出演したのを最後に女優業を引退した。

晩年

晩年のフェイ・レイ

1991年にボザール舞踏会英語版のクイーンに選ばれ[11]、1998年には自伝『On the Other Hand』を出版した[12]。この間、フェイ・レイはジェームズ・キャメロンから『タイタニック』のローズ・ドーソン・カルバート役の打診を受けたが[13]、出演を辞退している。また、第70回アカデミー賞ではプレゼンターの一人として出席している。2003年には『Broadway: The Golden Age, by the Legends Who Were There』公開を記念して開催されたパームビーチ国際映画祭英語版に出席し、レジェンド・イン・フィルム・アワードを受賞した。晩年のフェイ・レイは『キング・コング』の舞台となったエンパイア・ステート・ビルディングを頻繁に訪れ、1991年の竣工60周年記念式典には主賓として招待された[1]

2004年にピーター・ジャクソンからリメイク版『キング・コング』へのカメオ出演を打診されている。当初、フェイ・レイは出演を断っていたが、ジャクソンと交流を重ねるうちに出演について前向きな姿勢を見せるようになった[14][15]。しかし、2004年8月8日にフェイ・レイはマンハッタンの自宅アパートで死去したため、出演は実現しなかった。フェイ・レイの友人で『Broadway: The Golden Age, by the Legends Who Were There』の監督リック・マッケイ英語版は、彼女の最期について「静かに眠るように息を引き取った」と語っている[1]。遺体はハリウッド記念墓地英語版に埋葬された。2日後の8月10日、エンパイア・ステート・ビルディングはフェイ・レイの死に際して15分間ビルを消灯して弔意を表した[16]

主な出演作品

家族

フェイ・レイは生涯に3回結婚を経験した。最初の結婚相手ジョン・モンク・サンダース英語版はアルコール中毒・麻薬中毒者だったため、結婚生活は間もなく破綻した[1]。2回目の結婚相手ロバート・リスキンとの間に娘ヴィクトリア・リスキン英語版と息子ロバート・リスキン・ジュニアをもうけるが、リスキンは1950年に脳卒中になり、1955年に死別した[1]。3回目の結婚相手サンフォード・ローゼンバーグはリスキンの主治医で、リスキンの死後16年後に結婚したが、1991年に死別している[1]。フェイ・レイにはヴィクトリアとロバート・ジュニアを含めて3人の子供がいる[17][18]

出典

  1. ^ a b c d e f g 'King Kong' damsel Fay Wray dies at 96”. TODAY. 2021年8月8日閲覧。
  2. ^ Ancestry of Fay Wray”. Wargs.com. 2011年3月9日閲覧。
  3. ^ Fay Wray – Northern Stars”. Northernstars.ca. 2011年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月9日閲覧。
  4. ^ "Utah-Hollywood connection runs deep", p. B2, The Salt Lake Tribune, January 26, 2009.
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外部リンク