嵐望将輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
嵐望 将輔 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 若井上 → 福の隆 → 福生乃花 → 嵐望
本名 井上 高雄
愛称 ランボー
生年月日 (1972-07-02) 1972年7月2日(45歳)
出身 東京都福生市
身長 183cm
体重 177kg
所属部屋 二子山 → 貴乃花
得意技 左四つ
成績
現在の番付 引退
最高位 幕下13枚目
生涯戦歴 502勝487敗54休(150場所)
優勝 序二段優勝1回、三段目優勝1回
データ
初土俵 1986年3月場所
引退 2013年5月場所
引退後 世話人
趣味 山登り、釣り、温泉
備考
2013年5月1日現在

嵐望 将輔(らんぼー[1] しょうすけ、1972年7月2日 - )は、東京都福生市出身で貴乃花部屋(入門時は二子山部屋)所属の元大相撲力士、現世話人。本名は井上 高雄(いのうえ たかお)。愛称はランボー。好物はマグロ[2]。身長183cm、体重177kg。血液型はA型。最高位は東幕下13枚目(1999年5月場所)。

来歴[編集]

東京都福生市の中学校を卒業して二子山部屋に入門し、1988年3月場所で初土俵を踏む。この場所に入門した力士は花の六三組と呼ばれ、横綱貴乃花3代目若乃花大関魁皇らそうそうたる面々が並んでいる。初土俵時の四股名は「若井上」。

1988年9月場所から序二段で伸び悩み、1990年5月場所から「福の隆」の四股名を名乗る。改名から間もない1990年11月場所で三段目に初昇進。序二段に落ちていた1992年1月場所から5場所連続で勝ち越して同年11月場所では幕下に昇進、同場所も勝ち越した。師匠二子山親方(第45代横綱初代若乃花)が停年退職する直前の1993年1月場所は自己最高位で迎えたが、その場所は負け越した。場所後、同期入門の若花田(のち3代目若乃花)、貴花田(のち2代目貴乃花)らが所属する藤島部屋と所属する二子山部屋が合併し、師匠も元大関・初代貴ノ花に代替わりした。

これにより稽古相手にも恵まれ、体も次第に大きくなっていくが、1993年9月場所は初の全休を経験する。その後は番付を戻して行き、一時は幕下16枚目まで番付が上がっていたが、1996年11月場所からは3場所連続全休と、怪我に苦しんだ。幕下から一気に序二段まで落ちてしまったが、復帰場所は格の違いを見せて7戦全勝で自身初の各段優勝を決める。幕下まで番付を戻したこともあったが、1998年7月場所では全休。三段目の土俵が続くが1999年1月場所で三段目優勝をすると、幕下に復帰した翌3月場所も6勝1敗の好成績で、5月場所ではついに内規上翌場所の十両昇進が見込める地位(東幕下13枚目)に昇格した。しかし同場所を負け越して以降、幕下上位に在位することはなかった。2000年5月場所から出身地の名前を四股名に取り入れた「福生乃花」に改名した。

しかし改名場所こそ6勝1敗であったものの、その後は成績が思うように上がらず、2001年9月場所で7戦全敗を記録したのを最後に引退まで幕下から遠ざかっていった。その後は三段目を維持することが続いていたが、2003年11月場所で序二段に幕下経験後では初めて陥落する。この時には、既に同期入門だった貴乃花は現役を引退して一代年寄を襲名しており、2004年1月場所後に二子山部屋を継承、貴乃花部屋と所属する部屋の名前が変わった。

2006年11月場所で再び序二段に陥落すると、以降は年齢から来る衰えもあり、三段目と序二段の往復が始まるようになり、2008年5月場所からは序二段に停滞するようになった。しかし、2011年5月技量審査場所で「嵐望」に改名すると、翌7月場所で6勝1敗と復調の兆しを見せ、9月場所では3年ぶりの三段目に復帰、それから4場所連続で三段目に在位した。

魁皇の引退後は、1988年3月場所初土俵としては最後の力士となり、部屋最古参としてちゃんこ長を務めていた。2013年5月場所を前に栃の山と共に日本相撲協会に世話人として採用された[3]ことを機に現役を引退。引退時の年齢は40歳で、10代二子山(第45代横綱初代若乃花)が師匠を務めていた時期の二子山部屋に所属した力士の中で最も遅くまで現役を続行し、10代二子山・11代二子山・一代年寄貴乃花の3人の師匠に仕えた唯一の力士であった[4]

2013年10月28日には結婚した元OLの一般女性と都内のホテルで結婚披露宴を行い、師匠の貴乃花親方・当時の北の湖理事長・浅香山親方などの角界関係者や貴乃花部屋後援者ら約130人が式典に出席する中で祝福を受けた。[5]

人物・エピソード[編集]

  • 現役末期以降の師匠である貴乃花親方(第65代横綱・貴乃花)とは先述したように同期生であるが、貴乃花は1972年8月12日生まれであり、嵐望より1ヶ月ほど年下である。
  • 過去3回だけ弓取りを務めている。いずれも花相撲であり、1回目が同じ貴乃花部屋の貴ノ浪の引退相撲、2回目と3回目がそれぞれ同期の和歌乃山、魁皇(現・年寄浅香山)の引退相撲である。[6]
  • 福の隆を名乗っていた一時期には、同部屋の貴乃洸とコンビを組んで初切を演じたこともある。

主な成績[編集]

  • 通算成績:502勝487敗54休
  • 幕下成績:123勝138敗12休(39場所)
  • 通算在位:150場所(史上10位)
  • 序二段優勝:1回(1997年5月場所)
  • 三段目優勝:1回(1999年1月場所)
嵐望 将輔
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1988年
(昭和63年)
x (前相撲) 東 序ノ口 #25
2–5 
東 序ノ口 #25
4–3 
西 序二段 #144
5–2 
東 序二段 #95
4–3 
1989年
(平成元年)
西 序二段 #67
3–4 
東 序二段 #89
3–4 
東 序二段 #107
5–2 
東 序二段 #62
5–2 
西 序二段 #25
2–5 
西 序二段 #57
3–4 
1990年
(平成2年)
西 序二段 #78
5–2 
東 序二段 #35
3–4 
西 序二段 #56
5–2 
西 序二段 #14
3–4 
西 序二段 #35
5–2 
東 三段目 #96
3–4 
1991年
(平成3年)
西 序二段 #17
3–4 
東 序二段 #33
5–2 
西 三段目 #97
3–4 
西 序二段 #16
3–4 
西 序二段 #39
5–2 
西 三段目 #100
3–4 
1992年
(平成4年)
西 序二段 #19
4–3 
東 三段目 #97
4–3 
東 三段目 #75
4–3 
西 三段目 #54
6–1 
東 三段目 #7
4–3 
東 幕下 #54
4–3 
1993年
(平成5年)
西 幕下 #41
3–4 
東 幕下 #50
4–3 
東 幕下 #37
2–5 
西 幕下 #55
1–1–5 
西 三段目 #26
休場
0–0–7
西 三段目 #26
3–4 
1994年
(平成6年)
西 三段目 #42
5–2 
西 三段目 #14
6–1 
東 幕下 #41
4–3 
西 幕下 #32
4–3 
西 幕下 #24
3–4 
西 幕下 #32
2–5 
1995年
(平成7年)
東 幕下 #52
4–3 
西 幕下 #41
4–3 
東 幕下 #30
4–3 
西 幕下 #22
3–4 
東 幕下 #31
5–2 
西 幕下 #16
2–5 
1996年
(平成8年)
西 幕下 #34
4–3 
東 幕下 #27
1–6 
東 幕下 #52
5–2 
東 幕下 #37
3–4 
東 幕下 #46
4–3 
西 幕下 #35
休場
0–0–7
1997年
(平成9年)
西 三段目 #15
休場
0–0–7
西 三段目 #75
休場
0–0–7
東 序二段 #35
優勝
7–0
西 三段目 #37
6–1 
西 幕下 #57
4–3 
西 幕下 #47
3–4 
1998年
(平成10年)
西 三段目 #1
4–3 
東 幕下 #52
4–3 
東 幕下 #43
2–5 
東 三段目 #7
休場
0–0–7
東 三段目 #67
5–2 
西 三段目 #34
3–4 
1999年
(平成11年)
東 三段目 #49
優勝
7–0
東 幕下 #31
6–1 
東 幕下 #13
3–4 
東 幕下 #18
2–5 
西 幕下 #29
3–4 
東 幕下 #35
2–5 
2000年
(平成12年)
西 幕下 #45
4–3 
西 幕下 #36
3–4 
東 幕下 #44
6–1 
西 幕下 #19
2–5 
西 幕下 #33
3–4 
東 幕下 #42
4–3 
2001年
(平成13年)
東 幕下 #36
3–4 
西 幕下 #47
3–4 
西 三段目 #1
2–5 
西 三段目 #21
5–2 
西 幕下 #56
0–7 
西 三段目 #31
休場
0–1–6[7]
2002年
(平成14年)
西 三段目 #91
6–1 
東 三段目 #32
4–3 
東 三段目 #19
4–3 
東 三段目 #8
3–4 
東 三段目 #25
休場
0–0–7
西 三段目 #86
6–1 
2003年
(平成15年)
東 三段目 #29
1–6 
東 三段目 #68
4–3 
東 三段目 #53
3–4 
東 三段目 #67
3–4 
東 三段目 #85
3–4 
西 序二段 #4
5–2 
2004年
(平成16年)
西 三段目 #63
4–3 
東 三段目 #47
4–3 
東 三段目 #29
3–4 
西 三段目 #46
2–5 
東 三段目 #75
3–4 
西 三段目 #88
5–2 
2005年
(平成17年)
東 三段目 #51
4–3 
西 三段目 #34
2–5 
西 三段目 #57
3–4 
東 三段目 #72
3–4 
西 三段目 #89
5–2 
東 三段目 #57
2–5 
2006年
(平成18年)
東 三段目 #82
4–3 
東 三段目 #65
4–3 
東 三段目 #48
2–5 
東 三段目 #70
3–4 
東 三段目 #88
3–4 
東 序二段 #8
4–2–1 
2007年
(平成19年)
西 三段目 #89
4–3 
西 三段目 #70
1–6 
西 序二段 #10
3–4 
東 序二段 #25
2–5 
西 序二段 #56
6–1 
東 三段目 #89
2–5 
2008年
(平成20年)
東 序二段 #17
4–3 
西 三段目 #96
2–5 
西 序二段 #24
4–3 
西 序二段 #3
1–6 
東 序二段 #45
3–4 
東 序二段 #63
4–3 
2009年
(平成21年)
西 序二段 #40
4–3 
東 序二段 #17
3–4 
東 序二段 #38
4–3 
西 序二段 #15
2–5 
西 序二段 #51
3–4 
西 序二段 #70
5–2 
2010年
(平成22年)
東 序二段 #24
2–5 
西 序二段 #53
5–2 
西 序二段 #15
3–4 
西 序二段 #36
2–5 
西 序二段 #73
3–4 
西 序二段 #95
5–2 
2011年
(平成23年)
西 序二段 #47
4–3 
八百長問題
により中止
東 序二段 #23
3–4 
西 序二段 #28
6–1 
西 三段目 #62
1–6 
東 三段目 #98
4–3 
2012年
(平成24年)
西 三段目 #79
3–4 
西 三段目 #97
1–6 
東 序二段 #37
4–3 
東 序二段 #13
2–5 
東 序二段 #51
5–2 
西 序二段 #15
3–4 
2013年
(平成25年)
東 序二段 #37
2–5 
東 序二段 #61
5–2 
東 序二段 #22
引退
0–0–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 若井上 高雄(わかいのうえ たかお) 1988年3月場所 - 1990年3月場所
  • 福の隆 高雄(ふくのりゅう たかお) 1990年5月場所 - 2000年3月場所
  • 福生乃花 高雄(ふさのはな たかお) 2000年5月場所 - 2005年1月場所
  • 福生乃花 奨輔(ふさのはな しょうすけ) 2005年3月場所 - 2007年1月場所
  • 福生乃花 高雄(ふさのはな たかお) 2007年3月場所 - 2010年5月場所
  • 福生乃花 将輔(ふさのはな しょうすけ) 2010年7月場所 - 2011年1月場所
  • 嵐望 将輔(らんぼー しょうすけ) 2011年5月技量審査場所 - 2013年5月場所

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 通常の日本語表記では「らんぼう」となるところであるが、日本相撲協会公式HP、貴乃花部屋公式HPでも「らんぼー」としている。外部リンク参照。
  2. ^ 貴乃花部屋紹介 貴乃花部屋
  3. ^ 若貴同期の嵐望引退で“黄金世代”消滅 日刊スポーツ 2013年5月1日閲覧
  4. ^ 1992年3月場所で二子山部屋から初土俵を踏んだ貴ノ湖も、同様の経歴を有するものの、貴乃花が二子山部屋を継承して貴乃花部屋となった直後に引退したため、貴乃花部屋所属力士としての実質的な活動はしなかった。
  5. ^ 『相撲』2013年12月号86頁
  6. ^ 魁皇同期で唯一現役 嵐望弓取り式「僕の支え」 スポニチアネックス 2012-06-27閲覧
  7. ^ この1敗は不戦敗であるため、実質全休扱い

外部リンク[編集]