山本幸彦

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山本 幸彦(やまもと ゆきひこ、天保15年11月27日1845年1月5日) - 大正2年(1913年5月23日)は、明治時代教育者政治家土佐藩出身。勲四等を授与された。

経歴[編集]

高知にて西山嘉造の4男に生まれて、後に山本幸の養子となって山本姓を名乗った。幼少より漢学英語を学び、廃藩置県後に高知県職員、後に学務課長心得となる。後に板垣退助に呼応して立志社に参加、官を辞めて自由民権運動の活動家となり後に自由党に参加した。明治10年(1877年)に戸長に公選され、3年後には高知中学校校長心得に就任、以後高知師範学校校長・高知県女子師範学校校長を歴任した。

後に保安条例適用を受けて、東京石川島に収監されるが、大日本帝国憲法公布による大赦で釈放される。以後も自由党幹部として活動するが、議員としては明治31年(1898年)に衆議院議員に初めて当選した(以後当選3回)。明治33年(1900年)の立憲政友会創設に際しては、設立準備委員会の委員長を務めている。大正2年(1913年)5月23日歿。行年70歳。墓所は青山霊園1-ロ21-1。

家族[編集]

  • 義父 山本幸…明治6年(1873年)3月4日歿。行年80歳。
  • 義母 山本亀…明治3年(1870年)7月5日歿。行年59歳。
  • 妻 山本三喜…昭和9年(1934年)12月22日歿。行年82歳。
  • 子 山本幸枝…昭和31年(1956年)5月1日歿。