右翼テロ

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右翼テロ(: Right-wing terrorism)とは、極端な右翼イデオロギー動機として引き起こされるテロリズムのこと。反共主義ネオ・ファシズムネオナチ人種主義外国人嫌悪によるテロリズムを包括することもある。

右翼テロは、ほとんどの場合は散発的であり、国際的な協力はまったく無いか、あってもごく僅かである。

日本[編集]

1920年代の日本では長引く不況、政治への不信感、貧富の差と社会不安の拡大といった要素が重なったことで、財閥関係者や経済閣僚に対して行われた右翼テロを愛国の精神から来たものと賞賛する声もあった[1]

1960年は憲法論議が高まったことから、政治ストが行われたり国会議事堂をデモ隊が取り囲むといったことが行われ、「右翼テロの時代」「過激な時代」と言われた[2]1960年10月12日、東京の日比谷公会堂において、17歳の右翼少年・山口二矢が演説中の浅沼稲次郎日本社会党委員長を刺殺した。いわゆる浅沼稲次郎暗殺事件であり、第二次世界大戦終結後の日本における右翼テロとしては、最も残忍な事件の一つとして挙げられる。

1990年1月18日、本島等長崎市長が長崎市役所の玄関前で右翼団体正氣塾幹部の若島和美に背後1メートルの至近距離から銃撃された(長崎市長銃撃事件)。さかのぼる1988年12月7日、本島市長が昭和天皇に戦争責任があることを認める旨を市議会で発言していたが、銃撃事件の犯行の動機はその昭和天皇の戦争責任発言に対する報復である。銃撃された本島市長は当時67歳だったが、銃弾が急所を外れたために一命を取り留めて、1995年まで市長を務め上げた。犯人の若島は殺人未遂罪等で起訴され、福岡高等裁判所の判決により懲役12年が確定した。

警視総監池田克彦は自身の講演において、日本においては一般企業へのテロは右翼の可能性が一番高く、企業からどうやって金を取るか考えていると述べている[3]

ノルウェー[編集]

2011年7月22日ノルウェーで、首都オスロ政府庁舎の爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生(いわゆるノルウェー連続テロ事件)、両事件で合わせて77人が死亡した。犯人のアンネシュ・ベーリン・ブレイヴィークは、このテロ事件を「イスラムによる乗っ取りから西欧を守るため」決行した右翼テロであると主張している。

出典[編集]

  1. ^ 林信吾 2007, 「信頼を失った政治」.
  2. ^ 土方草介 2009, p. 70.
  3. ^ 日本型のテロ対策を 元警視総監・池田克彦氏講演 /千葉”. 毎日新聞企業人大学 (2016年5月26日). 2016年8月16日閲覧。

参考書籍[編集]

関連項目[編集]