人種主義

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人種主義(じんしゅしゅぎ、英語: racism、レイシズム)とは、人種間に根本的な優劣の差異があるという、人種差別を正当化する思想[1][2][3]。ただし現在では人種のみを対象とした考えであるとは見なされない見解も多い。

定義[編集]

人種主義と訳されるレイシズムは語源的には「人種」(英語: race)を語意とするものであるが、現在では単に人種のみを対象とした言葉であるとは見なさない見解も多い。ギセラ・ボック英語版は一定の人間集団を、より価値があると見なされた集団の基準によって劣等と分類し、それに基づく扱いを行うことであると見なしている[4]。『人種主義の歴史』を著したカリン・プリースタードイツ語版は、近代以降の時代において、前近代的構造やヒエラルキーを維持するため、社会的関係を生物学化することで正当化しようとしたものであるとし、欧米における人種主義の開始を1492年のスペインからのユダヤ人追放であるとしている[5]。これらは人種概念がしばしば「国民」や「民族」と混同されていることにも現れている[6]

人種主義の歴史[編集]

人間の集団間に差異にがあるという思想は、古代ギリシャの人々が、自らをヘレネス、他民族をバルバロイと呼んで蔑視していた事例など古くから、洋の東西を問わずに存在している。しかし人種という概念自体が歴史的に普遍的なものであるか、近代の西洋において発生したものであるかということについては議論があり、現在では後者が優勢となっている[5]

貴族主義と博物学[編集]

西洋においてこのような思想が理論付けられ始めたのは17世紀ごろのフランスにおいてであり、貴族という特権階級を正当化する目的が最初期の人種主義であった。当時の哲学者、アンリ・ド・ブーランヴィリエ英語版はその遺稿『フランス貴族について』において、当時のフランス貴族フランク人の子孫であり、従って大多数のフランス人とは生物学的特徴(人種)が異なるとして、その優位性を説いた[5]。ブーランヴィリエの議論には「血の純粋性」が強調されるなど、後年の人種主義理論の萌芽と見られる部分が存在する[5]。またフランス人という民族的な帰属意識を、生物学的な特徴で分断するという点に置いて民族主義人種主義は対立する概念となっている。

デイヴィッド・ヒューム白人以外の黒人黄色人種など他の人種には芸術もなく劣っていると説いた[7]

また18世紀になって博物学が流行し、あらゆる生物の分類が進められるようになると、人間の中にも種があると考えられるようになった。カール・フォン・リンネは人類を4つの種に分類し、その後の学者達もそれぞれに分類を行った[8]。その中の一人ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ英語版は、白人(コーカソイド)、モンゴル人種(モンゴロイド)などの種区分を主張し、広く用いられるようになった[8]。リンネやブルーメンバッハは白人種を「最も容貌が整った」「創意性や発明の才に富む」などと評価していたが、明確な差自体は理論付けされていなかった[9]。一方で、ウィリアム・ジョーンズによるインド=ヨーロッパ語族の発見は、インドとヨーロッパの人種が同祖であるという「アーリアン学説」を生み出した[10]

人種主義の理論化[編集]

アルテュール・ド・ゴビノーはアーリア民族説に基づき、『人種の不平等について』を著した。ゴビノーは人種が不平等なのは自明であり、社会構造の問題は人種によって決定づけられるとした。またヨーロッパにおいて貴族が衰退したのは人種の混淆によるものであるとした[9]。ただしゴビノーの主張自体は当時ほとんど注目されず、埋もれた思想であった[9]

イギリスからドイツに移り住んだヒューストン・ステュアート・チェンバレンはゴビノーの見解を天才的と評価したものの、人種は「育種」によって優秀な人種に成長しうるとした点で異なっている。これには当時の優生学の見解も影響している[6]。チェンバレンの著書『19世紀の基礎』はドイツでベストセラーとなり、ヴィルヘルム2世アルフレート・ローゼンベルクアドルフ・ヒトラーらに影響を与えた[11]

こうした白人種の優秀性を唱える思想はヨーロッパに広がり、20世紀初頭にはほとんど自明のこととされていた[6]。これには古代から西洋人に受け継がれてきた価値観や、当時台頭してきた進化論の影響が見られる[6]ソビエト連邦ヨシフ・スターリンがポーランド人やアジア人に対して行った政策、ハリー・S・トルーマンが下した広島市長崎市への原爆投下の決断にもこうした人種主義が影響しているという指摘もしばしば行われる[12]。一方で、日本が戦前に中国や朝鮮半島の人々に対して行った政策、青年トルコ党によるアルメニア人虐殺にも自民族を優位と見なす人種主義があったという指摘がなされている[13]

類例[編集]

アメリカ[編集]

アメリカにおいては先住民(インディアンなど)との差異を強調して収奪を正当化する目的もあり、人種主義的見解が佐官に行われた[14]。分類ではなく人種主義の前提としての「人種」がアメリカで創出されたという見解も存在している[14]南北戦争後には黒人に対する人種主義的攻撃が盛んになり、20世紀初頭の移民が制限される頃になると同じヨーロッパ系人種間の人種主義攻撃も盛んとなった[14]。また優生学の発展がいち早く進んでいたのもアメリカであり、第一次世界大戦期にはいくつかの州で断種法が制定されたが、違憲判決が出されて失効している[15]

アメリカ政府の根幹を成す移民政策においても人種主義が反映された時期があった。アメリカの人種主義者で、『欧州の人種史、或いは偉大な人種の消滅』を出版して北方人種の優越(ノルディック・イデオロギー)の普及に努めていた人類学者マディソン・グラントが政府移民政策の顧問として招致された。グラントは北方人種の区域とされた北欧からの移民は無制限とし、それ以外の欧州からは移民を選別し、そしてヨーロッパ以外のアジアやアフリカからの移民は身分や能力に関係なく禁止とする規定を提案した。この提案は1924年移民法としてカルビン・クーリッジ政権で施行された。日本からの移民も禁止された事から排日移民法と呼ばれる事もあるが、前述の通り日本以外にも全ての黄色人種黒色人種は移民が禁じられている。1924年移民法が完全に撤廃されるのは冷戦時代の1965年となる。

ドイツ[編集]

ドイツ帝国時代からドイツにおいては、「民族至上主義的運動英語版」(ドイツ語: Völkisch movement)と呼ばれるドイツ民族至上主義的思想が台頭していた[16]。これらの中ではユダヤ人が人種であり、ドイツ民族に害毒を与えるという「反セム主義」思想も勃興していった。

第一次世界大戦の敗北後、非武装地帯とされたラインラントには連合国軍の兵士が駐留することになった(ラインラント占領)。最大規模の軍であったフランス軍には、セネガルアルジェリア出身の黒人兵士が多数存在しており、彼らによる強姦事件が報じられるなど、ドイツ民族が「黒い汚辱」を受けているというキャンペーンが頻繁に行われていた。ヴァイマル共和政政府も黒人兵士の撤退を要求するなどこの風潮は一般的であり、独立社会民主党を除くすべての党派が同調していた[17]

1922年、ハンス・ギュンターによる『ドイツ民族の人種学』が出版され、大きな注目を集めた[18]。ギュンターはこれによって人種論のスターに躍り出、後のナチズムの人種論においては最も頻繁に引用される権威となった[18]。ギュンターの理論ではヨーロッパの白人種を4つの種に分け、そのうちの北方人種こそが最も美しい容姿を持ち、創造的才能を持つ者が多いとした[19]

このような状況下で台頭していったのが国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)である。アドルフ・ヒトラーが「ナチズムはもっぱら人種に関する諸認識から生まれた一つの民族的政治理論である」としたように、ナチズムの最も特徴的な点が人種主義であった[20]ナチス・ドイツにおいてはニュルンベルク法ホロコーストを含むユダヤ人迫害などの人種主義に基づく政策が実行された。

現在[編集]

現在、生物学的な見地からこうした人種理論は疑似科学として扱われている。


脚注[編集]

  1. ^ 人種主義とは- コトバンク
  2. ^ 大辞林 第三版
  3. ^ デジタル大辞泉
  4. ^ 原田一美 2006, pp. 55-56.
  5. ^ a b c d 原田一美 2006, pp. 58.
  6. ^ a b c d 原田一美 2006, pp. 62.
  7. ^ 高田紘二「ヒュームと人種主義思想」奈良県立大学研究季報 12(3・4), 89-94,2002年
  8. ^ a b 原田一美 2006, pp. 59.
  9. ^ a b c 原田一美 2006, pp. 60.
  10. ^ 原田一美 2006, pp. 59-60.
  11. ^ 原田一美 2006, pp. 61.
  12. ^ マイケル・シーゲル 2007, pp. 64.
  13. ^ マイケル・シーゲル 2007, pp. 65.
  14. ^ a b c 原田一美 2006, pp. 68.
  15. ^ 原田一美 2006, pp. 73-74.
  16. ^ 原田一美 2006, pp. 63.
  17. ^ 原田一美 2007, pp. 6-9.
  18. ^ a b 原田一美 2010, pp. 158.
  19. ^ 原田一美 2010, pp. 164.
  20. ^ 南利明 民族共同体と法(11), pp. 104.

参考文献[編集]

  • マイケル・シーゲル「人種主義と二十世紀の世界--オーストラリアの「盗まれた世代」の例」、『社会と倫理』第21巻、南山大学社会倫理研究所、2007年、 63-76頁、 NAID 40015537274

関連項目[編集]