南馬込

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本 > 東京都 > 関東地方 > 大田区 > 南馬込
南馬込
馬込車両検修場
南馬込の位置(東京23区内)
南馬込
南馬込
南馬込の位置
北緯35度35分9.91秒 東経139度42分29.43秒 / 北緯35.5860861度 東経139.7081750度 / 35.5860861; 139.7081750
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Ota, Tokyo.svg 大田区
地域 大森地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 25,067人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
143-0025[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

南馬込(みなみまごめ)は、東京都大田区。現行行政地名は南馬込一丁目から南馬込六丁目。郵便番号は143-0025[2]

地理[編集]

東京都大田区の北部に位置する。北部は環七通りに接し、これを境に東馬込に接する。東部も環七通りに接し、これを境に山王に接する。南部は中央池上にそれぞれ接する。西部は第二京浜に接し、これを境に中馬込西馬込にそれぞれ接する(地名はいずれも大田区)。町域内は駅周辺に商店などが見られるほかは、主に住宅地になっている。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、南馬込4-13-18の地点で40万9000円/m2となっている[4]

交通[編集]

町域西端の第二京浜下に都営浅草線西馬込駅がある(西馬込に所在)。また、町域北部は同線馬込駅が近い(北馬込に所在)。ほかに、付近を通るバス路線の利用もある。他に町域内を東海道新幹線横須賀線品鶴線)の線路が通っているが、地域内に横須賀線の駅はない。

  • 東急バス
    • 森01系統 大森駅(大森操車所) - 蒲田駅 万福寺、西馬込駅経由
    • 森02系統 荏原町駅入口 - 大森駅(大森操車所)馬込橋、大田文化の森経由
    • 森06系統 上池上循環(外回り)大森駅、池上駅方面
    • 森07系統 上池上循環(内回り)馬込駅前、夫婦坂、上池上方面
    • 森08系統 馬込銀座循環 大森駅、南馬込二丁目、南馬込三丁目経由
    • 森91系統 新代田駅前 - 大森駅(大森操車所) 長原、上馬、馬込駅前経由
    • 反01系統 五反田駅 - 川崎駅ラゾーナ広場 馬込駅前、西馬込駅前、多摩川大橋経由

歴史[編集]

小田原衆所領役帳」によれば、後北条氏家臣・梶原助五郎は馬込村に所領を与えられ、馬込城を居城としていた。梶原氏は治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍した武将・梶原景時子孫を称している。城址付近には萬福禅寺があって、寺の開基である梶原景時のがある。この古刹には他に、戦国時代北条氏直の家臣であった梶原三河守が使用したという馬具も保存されている。城は大きな規模(南馬込五丁目全体)であったというが、今では住宅地と化して遺構が確認出来ないばかりでなく、正確な城の範囲を確定することも困難となっている。しかし、第二京浜(国道1号)の馬込付近は坂道が続き、両側が崖状になっている難所である。城を築くに適した地形で、築城以前よりあったという長遠寺(ちょうおんじ)の隣に八幡神社があって、ここは崖の上の要害に位置し、江戸時代でも馬込村の中心地であったという。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
南馬込一丁目 2,507世帯 4,866人
南馬込二丁目 1,652世帯 3,365人
南馬込三丁目 1,971世帯 3,940人
南馬込四丁目 2,161世帯 4,541人
南馬込五丁目 2,176世帯 3,855人
南馬込六丁目 2,316世帯 4,500人
12,783世帯 25,067人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
南馬込一丁目 1〜10番 大田区立馬込小学校 大田区立馬込中学校
その他 大田区立馬込東中学校
南馬込二丁目 1番
16〜18番
その他 大田区立馬込第二小学校
南馬込三丁目 1〜35番
36番の一部
37番の一部
39番の一部
その他 大田区立入新井第二小学校 大田区立大森第三中学校
南馬込四丁目 49番
14〜17番
25〜35番
40〜46番
大田区立馬込第二小学校 大田区立馬込東中学校
1番
2番
大田区立馬込小学校 大田区立馬込中学校
その他 大田区立梅田小学校
南馬込五丁目 14〜18番
21〜44番
その他 大田区立馬込小学校
南馬込六丁目 1〜6番
7番の一部
8番の一部
9〜14番
17〜23番
30番の一部
35番の一部
36〜38番
大田区立梅田小学校
その他 大田区立大森第四中学校

施設[編集]

その他[編集]

南馬込四丁目32番8号に、三島由紀夫が1959年(昭和34年)5月から居住していた家がある[注釈 1]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ この三島の家の住所表記は、1965年(昭和40年)11月の住居表示制度の実施で「南馬込四丁目32番8号」に変更されるまでの間、三島由紀夫が知人らに宛てた書簡や、贈呈本に添付した自身の名刺で「馬込東一丁目1333番地」と記載され(エアメールでは、Magome-higashi)[6][7][8]、三島研究者編纂の全集の年譜や複数の評伝でも町名を「馬込東」と記載しているが[9][10][11]、大田区の住居表示を記録した『住居表示旧新・新旧対照表. 6の2(昭和40年11月15日施行)』の300頁によると、南馬込四丁目32番8号は馬込町東一丁目1333番地に当たり、当地の居住者には平岡公威の名(三島由紀夫の本名)が記載されている[12]。なお、川端康成が書いた三島宛の書簡では1962年(昭和37年)以降に「馬込東」と「馬込町東」の両方の表記が見られる[13]

出典[編集]

  1. ^ a b 世帯と人口”. 大田区 (2017年12月4日). 2017年12月15日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月15日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 通学区域”. 大田区 (2016年5月30日). 2017年12月15日閲覧。
  6. ^ 阿川弘之からGeorge H. Lynchまでの書簡・葉書(38巻 2004, pp. 33-948)
  7. ^ 浅野晃から平岡紀子までの書簡・葉書(補巻 2005, pp. 198-235)
  8. ^ 犬塚潔「三島由紀夫の名刺」(研究6 2008, pp. 166-171)
  9. ^ 「第五章 『鏡子の家』の時代」内(年表 1990, p. 131)
  10. ^ 「第三章 薔薇の痙攣」内(生涯 1998, p. 198)
  11. ^ 「年譜」(昭和34年5月10日)(42巻 2005, p. 231)
  12. ^ 住居表示旧新・新旧対照表 6の2(昭和40年11月15日施行)(国立国会図書館 Online)p.300
  13. ^ 川端書簡 2000, pp. 152-171

参考文献[編集]

  • 『決定版 三島由紀夫全集38巻 書簡』 新潮社、2004年3月。ISBN 978-4106425783 
  • 『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』 新潮社、2005年8月。ISBN 978-4106425820 
  • 『決定版 三島由紀夫全集補巻 補遺・索引』 新潮社、2005年12月。ISBN 978-4106425837 
  • 『川端康成・三島由紀夫往復書簡』 新潮文庫、2000年11月。ISBN 978-4101001265 
  • 安藤武 『三島由紀夫の生涯』 夏目書房、1998年9月。ISBN 978-4931391390 
  • 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹編 『三島由紀夫・金閣寺』 鼎書房〈三島由紀夫研究6〉、2008年7月。ISBN 978-4907846589 
  • 松本徹 『三島由紀夫――年表作家読本』 河出書房新社、1990年4月。ISBN 978-4309700526 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]