コンテンツにスキップ

北津軽郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東北地方 > 青森県 > 北津軽郡
青森県北津軽郡の範囲(1.板柳町 2.鶴田町 3.中泊町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

北津軽郡(きたつがるぐん)は、青森県

人口31,329人、面積304.65km²、人口密度103人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の3町を含む。

郡域

[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。

  • 五所川原市の大部分(小曲・十三を除く)
  • 青森市の一部(浪岡大字下石川)
  • 板柳町の大部分(林崎・深味・長野・太田・辻・横沢を除く)
  • 鶴田町の一部(岩木川以東)
  • 中泊町の全域

歴史

[編集]

郡発足までの沿革

[編集]
館野越村、下萢村、滝井村、大俵村、高増村、常海橋村、夕顔関村、三宅村、五林平村、中泉村、瀬良沢村、牡丹森村、柏木村、横萢村、松倉村、梅田村、沢田村、板屋野木村、福野田村、立木村、灰沼村、三千石村、宮内村、種田村、赤田村、石野村、野中村、野添村、五幾形村、狐森村、沖村、境村、前萢村、五町目村[1]、胡桃館村、中野村、山道村、欠落林村、小幡村、竹田村、大性村、菖蒲川村、笹森村、鶴泊村、鶴田村、亀田村、強巻村、大巻村、隠里村、大開村、玉川村、七ツ館村、広田村、岡田村、真黒屋敷村、姥萢村、湊村、半田村、五所川原村、喰川村、平井村、柏原村、長橋村、二本柳村、唐笠柳村、石岡村、吹畑村、漆川村、沖飯詰村、桜田村、新宮村、種井村、川山村、田川村、川元村、赤堀村、高瀬村、鶴ヶ岡村、藻川村、成戸村、下石川村、高野村、持子沢村、原子村、前田野目村、鞠野沢村、羽野木沢村、俵元村、豊成村、福山村、野里村、神山村、浅井村、飯詰村、朝日沢村、壱野坪村、独鼻村、石畑村、富川村、太刀打村、桃崎村、米田村、末広村、富升村、水野尾村、松野木村、福岡村、下新里村、若山村、金山村、天神村、川代田村、平町村、戸沢村、石田坂村、下岩崎村、毘沙門村、下毘沙門村、長富村、中柏木村、嘉瀬村、小栗崎村、小田川村、喜良市村、野崎村、金木村、川倉村、蒔田村、神原村、豊島村、富野村、芦野村、田茂木村、福井村、長泥村、豊岡村、川内村、福浦村、今岡村、芦部村、藤枝村、大沢内村、宮川村、久米田村、中里村、八幡村、深郷田村、高根村、薄市村、尾別村、相内村、太田村、今泉村、船岡村、磯松村、唐皮村、脇元村、板割沢村、小泊村、宮野沢村
  • 明治4年
  • 明治初年(154村)
    • 下萢村・沢田村が廃村。
    • 下毘沙門村が毘沙門村に合併。
    • 船岡村が廃村となり、八幡村に吸収。
    • 唐皮村が廃村となり、磯松村に吸収。
  • 明治9年(1876年)(一部は推定)(109村)
    • 松倉村が横萢村に、立木村が福野田村に、宮内村・種田村が三千石村に、野添村が野中村に、前萢村・五町目村が境村に、竹田村が小幡村に、笹森村が菖蒲川村に、亀田村が鶴田村に、大開村・玉川村が妙堂崎村に、半田村が湊村に、喰川村・平井村・柏原村が五所川原村に、二本柳村が石岡村に、川元村・赤堀村が田川村に、成戸村が藻川村に、鞠野沢村が前田野目村に、朝日沢村が飯詰村に、独鼻村・石畑村が壱野坪村に、富川村・桃崎村が太刀打村に、末広村・富升村が米田村に、福岡村・下新里村・若山村が松野木村に、天神村・川代田村が金山村に、平町村・石田坂村が戸沢村に、小栗崎村が嘉瀬村に、小田川村・野崎村が喜良市村に、福井村が鶴ヶ岡村に、川内村が豊岡村に、今岡村が福浦村に、芦部村が藤枝村に、久米田村が大沢内村に、板割沢村が相内村にそれぞれ合併。
    • 真黒屋敷村が岡田村を合併のうえ改称して稲実村となる。

郡発足以降の沿革

[編集]
  • 明治11年(1878年
    • 10月30日 - 郡区町村編制法の青森県での施行により、津軽郡のうち五所川原村ほか109村の区域に行政区画としての北津軽郡が発足。郡役所が五所川原村に設置。
    • 三宅村が五林平村に合併。(108村)
1.五所川原村 2.梅沢村 3.板屋野木村 4.鶴田村 5.中川村 6.七和村 7.松島村 8.嘉瀬村 9.金木村 10.中里村 11.相内村 12.小泊村 13.小阿弥村 14.沿川村 15.六郷村 16.栄村 17.三好村 18.長橋村 19.飯詰村 20.喜良市村 21.武田村 22.内潟村 23.脇元村(紫:五所川原市 桃:中泊町 赤:鶴田町 橙:板柳町 水色:青森市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(23村)
    • 五所川原村(単独村制。現・五所川原市)
    • 梅沢村 ← 横萢村、瀬良沢村、沖村(現・鶴田町)、梅田村、中泉村(現・五所川原市)
    • 板屋野木村 ← 板屋野木村、灰沼村、福野田村、三千石村、赤田村、欠落林村、小幡村(現・板柳町)
    • 鶴田村 ← 鶴田村、強巻村、大巻村、大性村、菖蒲川村、鶴泊村(現・鶴田町)
    • 中川村 ← 川山村、田川村、新宮村、長橋村、種井村、沖飯詰村、桜田村(現・五所川原市)
    • 七和村 ← 原子村、高野村、持子沢村、前田野目村、羽野木沢村、俵元村(現・五所川原市)、下石川村(現・青森市)
    • 松島村 ← 金山村、太刀打村、米田村、壱野坪村、石岡村、吹畑村、漆川村、唐笠柳村、水野尾村(現・五所川原市)
    • 嘉瀬村 ← 嘉瀬村、毘沙門村、長富村、中柏木村(現・五所川原市)
    • 金木村 ← 金木村、蒔田村、神原村、川倉村、藤枝村(現・五所川原市)
    • 中里村 ← 中里村、深郷田村、八幡村、大沢内村、宮野沢村、宮川村(現・中泊町)
    • 相内村 ← 相内村、太田村(現・五所川原市)
    • 小泊村(単独村制。現・中泊町)
    • 小阿弥村 ← 柏木村、高増村、大俵村、牡丹森村、狐森村、五幾形村(現・板柳町)
    • 沿川村 ← 常海橋村、五林平村、夕顔関村、館野越村、滝井村(現・板柳町)
    • 六郷村 ← 胡桃館村、境村、中野村、山道村(現・鶴田町)、石野村、野中村(現・板柳町)
    • 栄村 ← 広田村、稲実村、七ツ館村、姥萢村、湊村(現・五所川原市)
    • 三好村 ← 鶴ヶ岡村、藻川村、高瀬村(現・五所川原市)
    • 長橋村 ← 野里村、神山村、松野木村、戸沢村、豊成村、福山村、浅井村(現・五所川原市)
    • 飯詰村 ← 飯詰村、下岩崎村(現・五所川原市)
    • 喜良市村(単独村制。現・五所川原市)
    • 武田村 ← 富野村、豊島村、豊岡村、福浦村、芦野村、田茂木村、長泥村(現・中泊町)
    • 内潟村 ← 薄市村、尾別村、高根村、今泉村(現・中泊町)
    • 脇元村 ← 脇元村、磯松村(現・五所川原市)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治28年(1895年3月27日 - 板屋野木村が改称して板柳村となる。
  • 明治31年(1898年7月1日 - 五所川原村が町制施行して五所川原町となる。(1町22村)
  • 大正9年(1920年
    • 2月11日 - 金木村が町制施行して金木町となる。(2町21村)
    • 4月1日 - 板柳村が町制施行して板柳町となる。(3町20村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和16年(1941年
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「北津軽地方事務所」が五所川原町に設置され、本郡を管轄。
  • 昭和29年(1954年)10月1日 - 五所川原町・長橋村・飯詰村・栄村・松島村・中川村・三好村が合併して五所川原市が発足し、郡より離脱。(4町12村)
  • 昭和30年(1955年
    • 3月1日 (4町6村)
      • 嘉瀬村の一部(毘沙門)が五所川原市に編入。
      • 金木町、喜良市村および嘉瀬村の一部(嘉瀬・中柏木・長富)が合併して金木町が発足。
      • 中里町・武田村・内潟村が合併し、改めて中里町が発足。
      • 鶴田町・六郷村・梅沢村が西津軽郡水元村と合併し、改めて鶴田町が発足。
    • 3月10日 - 板柳町・沿川村・小阿弥村が南津軽郡畑岡村と合併し、改めて板柳町が発足。(4町4村)
    • 3月31日 - 脇元村・相内村が西津軽郡十三村と合併して市浦村が発足。(4町3村)
  • 昭和31年(1956年
    • 8月10日
      • 金木町の一部(長富)が五所川原市に編入。
      • 板柳町の一部(林崎のうち字沼田・字平岡の各一部を除く)が南津軽郡藤崎町に編入。
    • 9月30日(4町2村)
      • 七和村の一部(下石川)が南津軽郡浪岡町に編入。
      • 七和村の残部が五所川原市に編入。
    • 11月1日 - 鶴田町の一部(梅田・中泉)が五所川原市に編入。
  • 昭和33年(1958年)4月1日 - 鶴田町の一部(石野・野中)が板柳町に編入。
  • 平成17年(2005年3月28日(3町)
    • 金木町・市浦村が五所川原市と合併し、改めて五所川原市が発足、郡より離脱。
    • 中里町・小泊村が合併して中泊町が発足。

変遷表

[編集]
自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 明治45年 大正元年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
板屋野木村 明治28年3月27日
改称
板柳村
大正9年4月1日
町制
昭和30年3月10日
板柳町
板柳町 板柳町
沿川村 沿川村 沿川村
小阿弥村 小阿弥村 小阿弥村
南津軽郡
畑岡村
南津軽郡
畑岡村
南津軽郡
畑岡村
鶴田村 鶴田村 昭和16年10月1日
町制
昭和30年3月1日
鶴田町
昭和31年11月1日
(梅田、中泉)を
五所川原市に編入
鶴田町 鶴田町
六郷村 六郷村 六郷村
梅沢村 梅沢村 梅沢村
西津軽郡
水元村
西津軽郡
水元村
西津軽郡
水元村
七和村 七和村 七和村 昭和31年9月30日
南津軽郡
浪岡町に編入
(下石川)
平成17年4月1日
青森市の一部
青森市
昭和31年9月30日
五所川原市に編入
(下石川以外)
平成17年3月28日
五所川原市
五所川原市
五所川原村 明治31年7月1日
町制
五所川原町 昭和29年10月1日
五所川原市
長橋村 長橋村 長橋村
飯詰村 飯詰村 飯詰村
栄村 栄村 栄村
松島村 松島村 松島村
中川村 中川村 中川村
三好村 三好村 三好村
嘉瀬村 嘉瀬村 嘉瀬村 昭和30年3月1日
五所川原市に編入
(毘沙門)
昭和30年3月1日
金木町
(嘉瀬、中柏木、長富)
昭和31年8月10日
長富を五所川原市に編入
金木村 金木村 大正9年2月11日
町制
昭和30年3月1日
金木町
喜良市村 喜良市村 喜良市村
脇元村 脇元村 脇元村 昭和30年3月31日
市浦村
相内村 相内村 相内村
西津軽郡
十三村
西津軽郡
十三村
西津軽郡
十三村
中里村 中里村 昭和16年9月10日
町制
昭和30年3月1日
中里町
平成17年3月28日
中泊町
中泊町
武田村 武田村 武田村
内潟村 内潟村 内潟村
小泊村 小泊村 小泊村 小泊村

行政

[編集]
歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 工藤行幹 明治11年(1878年)10月30日 明治18年(1885年)4月 [2]
2 対馬定紀 明治18年(1885年)4月 明治19年(1886年)3月 [2]
3 菊池九郎 明治19年(1886年)3月 明治19年(1886年)9月 [2]
4 工藤行幹 明治19年(1886年)9月 明治21年(1888年)3月 再任・西津軽郡長兼任[2]
心得 対馬貞太郎 明治21年(1888年)3月 明治21年(1888年)12月 郡書記[2]
5 杉山龍江 明治21年(1888年)12月 明治23年(1890年)11月 [2]
心得 荒井粛 明治23年(1890年)11月 明治24年(1891年)2月 郡書記[2]
6 対馬貞太郎 明治24年(1891年)2月 明治30年(1897年)11月 [2]
7 黒田剛 明治30年(1897年)11月 明治31年(1898年)7月 [2]
8 関準造 明治31年(1898年)9月 明治32年(1899年)4月 [2]
9 丸瀬正課 明治32年(1899年)4月 明治41年(1908年)12月 [2]
10 大沢文男 明治41年(1908年)12月 明治42年(1909年)9月1日 [2]在任中に死去[3]
11 樋口兵次郎 明治42年(1909年)9月 [2]
長尾義連
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

[編集]
  1. ^ 記載は五条野目村。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 青森県北津軽郡治一覧』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 大植 1935, 1126頁.

参考文献

[編集]
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 2 青森県、角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 

関連項目

[編集]
先代
津軽郡
行政区の変遷
1878年 -
次代
(現存)