下北郡

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青森県下北郡の範囲(1.大間町 2.東通村 3.風間浦村 4.佐井村)

下北郡(しもきたぐん)は、青森県で、本州最北の郡。

人口15,188人、面積551.96km²、人口密度27.5人/km²。(2017年10月1日、推計人口

以下の1町3村を含む。

郡域[編集]

1878年明治11年)に発足した当時の郡域は、上記1町3村にむつ市を加えた区域にあたる。

歴史[編集]

藩政時代は盛岡藩南部氏の支配に属し、概ね田名部代官所の支配地であった。

郡発足までの沿革[編集]

田名部村、安渡村[2]、大平村[2]、田屋村、砂子又村、奥内村、中野沢村、大利村、目名村、蒲野沢村、野牛村、岩屋村、尻屋村、猿ヶ森村、尻労村、小田野沢村、白糠村、関根村、正津川村、大畑村、下風呂村、易国間村、蛇浦村、大間村、奥戸村、佐井村、長後村、城ヶ沢村、川内村、檜川村、宿野部村、蠣崎村、小沢村、脇野沢村

郡発足以降の沿革[編集]

  • 明治11年(1878年
    • 10月30日 - 郡区町村編制法の青森県での施行により、北郡のうち田名部村ほか33村(旧・第6大区)の区域に行政区画としての下北郡が発足。郡役所が田名部村に設置。
    • 大湊村が分割して安渡村・大平村となる。(34村)
  • 明治12年(1879年) - 安渡村が改称して大湊村となる。
1.田名部村 2.東通村 3.風間浦村 4.大湊村 5.大畑村 6.大奥村 7.佐井村 8.脇野沢村 9.川内村(紫:むつ市 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は現・むつ市。(9村)
    • 田名部村 ← 田名部村、関根村、奥内村、中野沢村
    • 東通村 ← 大利村、目名村、蒲野沢村、野牛村、岩屋村、尻屋村、尻労村、猿ヶ森村、小田野沢村、白糠村、砂子又村、田屋村(現存
    • 風間浦村 ← 易国間村、下風呂村、蛇浦村(現存
    • 大湊村 ← 大湊村、大平村、城ヶ沢村
    • 大畑村 ← 大畑村、正津川村
    • 大奥村 ← 奥戸村、大間村(現・大間町)
    • 佐井村 ← 佐井村、長後村(現存
    • 脇野沢村 ← 脇野沢村、小沢村
    • 川内村 ← 川内村、檜川村、宿野部村、蠣崎村
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治32年(1899年1月1日 - 田名部村が町制施行して田名部町となる。(1町8村)
  • 大正6年(1917年10月31日 - 川内村が町制施行して川内町となる。(2町7村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年11月10日 - 大湊村が町制施行して大湊町となる。(3町6村)
  • 昭和9年(1934年5月1日 - 大畑村が町制施行して大畑町となる。(4町5村)
  • 昭和17年(1942年
    • 7月1日 - 「下北地方事務所」が田名部町に設置され、本郡を管轄。
    • 11月3日 - 大奥村が町制施行・改称して大間町となる。(5町4村)
  • 昭和34年(1959年9月1日 - 田名部町・大湊町が合併して大湊田名部市(現・むつ市)が発足し、郡より離脱。(3町4村)
  • 平成17年(2005年3月14日 - 川内町・大畑町・脇野沢村がむつ市に編入。(1町3村)

変遷表[編集]

行政[編集]

  • 歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)10月30日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注[編集]

  1. ^ 記載はすでに斗南藩。
  2. ^ a b 記載はすでに大湊村となっている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

先代:
北郡
行政区の変遷
1878年 -
次代:
(現存)