北東部地域 (ブラジル)

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北東部地域
Região Nordeste
—  地域  —
北東部地域の位置
ブラジル
面積
 - 地域 1,558,196km2 (601,622.8mi2)
域内順位 3位
人口 (2016年7月1日現在)
 - 地域 56,915,926人
 - 順位 2位
 - 人口密度順位 3位
 都市部 71.5%人
GDP
 - 年 2014年推計
 - 合計 8050億9900万レアル(3位)
 - 1人当たりGDP 1万4329レアル(5位)
HDI
 - 年 2005〜2006年
 - 値 0.720 – 中位 (5位)
 - 平均寿命 69歳(5th)
 - 乳児死亡率 1000人当たり36.9人(1位)
 - 識字率 79.3% (5)
等時帯 ブラジル時間 (UTC-3)
 - 夏時間 ブラジル夏時間 (UTC-2)

北東部地域 (ポルトガル語: Região Nordeste do Brasil)は、ブラジル北東部の地域。2016年の人口は5691万5926人[1]で、全国の27.6%を占め、5地域中2位。面積は155万8196km2で、全国の18.3%を占め、5地域中3位。アラゴアス州セアラー州セルジッペ州バイーア州パライバ州ピアウイ州ペルナンブーコ州マラニョン州リオグランデ・ド・ノルテ州の9州から成る。最大都市はサルヴァドール。ブラジルで最初にポルトガル人や他のヨーロッパ人に征服された地域である。独特の方言や伝承を含む文化、料理、音楽、文学等を持つ。住民の58%が一日2$以下で生活している[2]

隣接地域[編集]

地理・気候[編集]

北東部地域の気候区分
1中北部
2セルトン英語版
3アグレステ英語版
4ゾーナ・ダ・マッタ英語版

南部から東部に向かってサン・フランシスコ川が流れる。全域が熱帯に含まれ、カーティンガ英語版大西洋岸森林カンポ・セハードが広がる。気候は暑いステップ気候で、カーティンガでは乾燥、セハードでは中程度で、大西洋岸では湿っている。

Meio-Norte(中北部)[編集]

中北部は北東部地域の北西部を占める。アマゾン熱帯雨林と、ステップ気候で暑く乾燥したセルトン英語版を繋ぐ。

が該当する。

セルトン(後背地)[編集]

ポルトガル語のsertão(ポルトガル語発音: [sehˈtɐ̃w̃])(セルトン)の第一の意味は、アジア南米バックカントリーアウトバックを指す。ブラジルでは、16世紀初頭にポルトガル人が初めて南米に到達した海岸の後背地を指す。

地理的には、ブラジル高地英語版の一部を成す低い高地を指す。セルトンの殆どが海抜200〜500mで、東の最も標高の高いボルボレマ高原英語版で、半乾燥のアグレステ英語版に繋がる。西にはイビアパパ山英語版が聳える。

が該当する。

セルトンは赤道に近い為に気温の変動が少なく、典型的な熱帯である。特に西部は極端に暑い。ブラジルの他地域に比べて降水量がとても少ない。南大西洋熱帯収束帯がほぼ通年に渡って覆う北部は、ほぼ常に乾燥している。

セルトンの殆どで年間降水量は500〜800mmだが、北の沿岸部のフォルタレザでは1300mmに達する。雨季は西部で1〜4月、東部で3〜6月だが、変動が激しい為に壊滅的な旱魃が多く発生する。

アグレステ[編集]

西のセルトンと東の森林地域に挟まれる。貿易風が絶壁で止まる為、内陸に行く程降水量は減少する。熱帯雨林を保つ程の雨量は無く、降水量も不安定である。今日では灌漑が使用した牧畜が盛んである。北から順に

が該当する。

森林区域(ゾーナ・ダ・マッタ)[編集]

東部の大西洋沿岸地域に広がり、西はアグレステである。高湿で、大都市が多い。森林破壊によって森が縮小している。19世紀後半までの長期間、この地域のサトウキビ栽培がブラジルの経済を支えていた。その後はコーヒー栽培が盛んになった。サトウキビは大規模農園で栽培され、農園主は大きな政治的影響力を持つ。

主要都市[編集]

サルヴァドールの歴史地区。1985年世界遺産になった。
手前がオリンダで、奥がレシフェ。オリンダは1982年世界遺産になった。
バイーア州カマサリは、南半球最大の統合型工業地区が有り、ブラスケム等が入居している[3]
リオグランデ・ド・ノルテ州モソローは、ブラジル最大級の石油精製施設が有る。

人口は2016年7月1日の値[1]

地域が抱える問題[編集]

保護区[編集]

歴史[編集]

17世紀ペルナンブーコ州の砂糖工場(Frans Post作)
バイーア州はランピアォンを5000万レアルの賞金首にした。(1930年)

植民地になる以前は、トゥピ・グアラニー語族の言語を話す先住民が暮らしていた。

1500年4月22日ペドロ・アルヴァレス・カブラル率いる約1500人のポルトガル人が、現在のバイーア州ポルト・セグーロにヨーロッパ人として初めて上陸した。北東部地域の沿岸部はブラジルで最初に貿易が始まった。ヨーロッパ人はブラジルボクを伐採し、ヴァイオリンの弓に加工した。最初の内、先住民は香辛料と引き換えに伐採を手伝った。しかし、植民地化と商業が発達すると、侵略者は先住民から土地を奪い、奴隷として農場で働かせるようになった。先住民は抵抗したが、戦闘によって劇的に人口を減少させていった。労働力減少を受けて、ポルトガル人はアフリカの黒人を奴隷として導入した。トルデシリャス条約に反対するフランス王国等は、ブラジルボクを盗む為に沿岸部を何度も攻撃した。

1534年サルヴァドールにブラジルの首都が置かれた。

1552年、ブラジルで初めてカトリックの司教区がサルヴァドールに置かれた。

1555年1567年、フランスはフランス領南極英語版(現在のリオ・デ・ジャネイロ)を支配した。

17世紀には奴隷の抵抗運動が激化し、キロンボ英語版(逃亡奴隷や自由奴隷による集落)を形成した。

1604年ネーデルラント連邦共和国バイーア州を襲撃し、一時的にサルヴァドールを占領した。

1605年アラゴアス州に最大且つ最も有名なキロンボ・ドス・パルマーレス英語版が建設された。パルマーレスは最盛期には独立した共和国で、3万人以上のアフリカ人が所属していた。

1612年1614年、フランスはフランス領赤道英語版(現在のサン・ルイス)を支配した。

1630年1654年、ネーデルラントは沿岸部を占領した。

1695年、パルマーレスの戦いでキロンボ・ドス・パルマーレスは滅びた。 指導者のズンビ・ドス・パルマーレスは殺害され、遺体はレシフェで晒された。

1763年、首都がサルヴァドールからリオ・デ・ジャネイロに移った。

ポルトガルからの独立運動は北東部地域で始まった。

1877年に大旱魃が発生し、セルトン住民から多くの盗賊が生まれた。

1922年1930年ギャングが最盛期を迎えた。彼らは農家や政治家、小作人や僧侶等から援助を受けた。

1938年、ギャングへの掃討作戦が始まり、1940年にはかなり弱体化が進んだ。

経済[編集]

農業[編集]

観光[編集]

セアラー州ブラジルで4番目に繊維産業が盛ん[4]

その他[編集]

教育[編集]

交通[編集]

フォルタレザのムクリペ港

国際空港[編集]

海港[編集]

宗教[編集]

他地域に比べてカトリックの勢力が強い。

文化[編集]

コルデル文学英語版は北東部地域でとても人気が有る[5]

祭り[編集]

踊り[編集]

音楽[編集]

料理[編集]

セアラー州のレンデイラの女性
オリンダ市による健康訓練

著名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b City Population”. 2017年5月15日閲覧。
  2. ^ Garmany, Jeff (2011年). “Situating Fortaleza: Urban space and uneven development in northeastern Brazil”. Cities (Elsevier) 28 (1): 45–52. doi:10.1016/j.cities.2010.08.004. 
  3. ^ Polo Industrial de Camaçari”. 2016年3月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年3月18日閲覧。
  4. ^ Ceará retoma o posto de 4º maior produtor têxtil nacional”. 2011年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月18日閲覧。
  5. ^ UNIVERSIDADE FEDERAL DE MINAS GERAIS FACULDADE DE FILOSOFIA E CIÊNCIAS HUMANAS PROGRAMA DE PÓS-GRADUAÇÃO EM HISTÓRIA (PDF)”. 2017年5月20日閲覧。

関連項目[編集]