ウンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・アレンカール、第二姓(父方の姓)はカステロ・ブランコです。 |
ウンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ Humberto de Alencar Castelo Branco | |
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任期 | 1964年4月15日 – 1967年3月15日 |
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副大統領 | ジョゼ・マリア・アルキン |
出生 | 1897年9月20日![]() |
死去 | 1967年7月18日(69歳没)![]() |
政党 | 国家革新同盟 |
署名 | ![]() |
ウンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ(ポルトガル語: Humberto de Alencar Castelo Branco、1897年9月20日 - 1967年7月18日)は、ブラジルの軍人、政治家。
生涯[編集]
1897年、ブラジルのフォルタレザにてポルトガル系移民の家庭に生まれた[1]。1918年にブラジル軍に入隊し、第二次世界大戦中はヨーロッパでのブラジル派遣軍の大佐として勤務していた。
1961年に副大統領ジョアン・ゴラール(通称・ジャンゴ)が大統領(任期:1961年-1964年)に昇格したが、農地改革や国有化などの左翼的・急進的民族主義路線を強めようとしたことに対し、1964年にクーデターを決行、政権を握った。
軍事クーデターでの政権奪取後は共産党などの左派勢力によるデモを抑圧しつつ、市場経済への復帰を目指した。外交的には親米政策をとり、外国資本を積極的に導入した。1967年に大統領を辞任、同年に飛行機事故で没した。
軍事独裁政権下の1984年より発行されていた旧5000クルゼイロ紙幣に、肖像が使用されていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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