元町 (神戸市)
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鯉川筋(元町通1交差点) |
この項では元町駅周辺の商業・業務・観光集積地域について述べる。
目次
概要[編集]
東京・銀座、大阪・心斎橋などと共に、老舗が並ぶ名門高級商店街である元町商店街で知られる。東に連続する三宮、南西に連続する神戸駅周辺とともに、神戸市及び神戸都市圏の都心地域(中心業務地区)を構成する繁華街、官公庁街であり、神戸都市部における観光の拠点の一つでもある。
元町商店街と東西方向に並行して走るJRと神戸高速鉄道の高架が地区を大まかに二分しており、北部は主に官公庁・住宅地、南部は商業・観光地となっている。
おおむね以下の地域によって構成される。(北から順に)
交通[編集]
鉄道駅[編集]
航路[編集]
中突堤旅客ターミナル、中突堤中央ターミナルを参照のこと。
道路[編集]
この節の加筆が望まれています。 (2019年6月) |
元町商店街[編集]
東は鯉川筋(メリケンロード)から西は宇治川筋(メルカロード)まで、東西約1.2kmにわたって店が建ち並ぶアーケード商店街。東から元町通1丁目と2丁目が1番街で、3 - 6丁目は丁目ごとに分かれている。
江戸時代以来の摂津国八部郡神戸村、さらには1868年(明治元年)の神戸村・二茶屋村・走水村の3村合併による神戸町にあたる地域で、加えて東西幹線となる西国街道沿いの中心部であったことが元町と呼ばれる所以である。宇治川を挟んで西に位置する兵庫津の海運業や酒造業が集まる西国街道沿いの商業地として栄え、1874年(明治7年)に「元町通」と改称されたことで元町商店街として整備されるようになった。
幕末から明治維新を経て宇治川以東に神戸港が誕生し、関西随一の西洋文化の入口となった。元町通の南東、鯉川から生田川にかけての海側には外国人居留地(旧居留地)が整備され、元町商店街はハイカラな物が並ぶ商店街として知られるようになり、やがて1927年(昭和2年)開店の大丸神戸店と1928年(昭和3年)開店の三越神戸店を東西の入口に構え、昭和初期までモボ、モガが闊歩するハイカラな商店街として知られ、元町をそぞろ歩くことは銀座の銀ブラ、心斎橋の心ブラに対して元ブラと言われた。
1933年(昭和8年)にはそごう神戸店が三宮に開店し、戦後復興で三宮が神戸の中心地として整備されるまで、神戸駅から三宮まで続く商業の中心地として元町は隆盛を極めた。
現在でも、服飾店や喫茶に混じって靴とバッグの店が目立つ。美術工芸や古美術の店も少なくない。港町らしく「舶来雑貨」の店もちらほらあり、戦後復興で整備された三宮と比べて昔日の神戸の雰囲気を残している。近年では、旧居留地の商業地化や南京町が観光地として整備されたことなどもあり賑わいを取り戻しつつある。それに伴って元町の大丸神戸店は、三宮のそごう神戸店(現在の神戸阪急)から神戸市域における地域一番の座を取り戻してその差は毎年広がっている。
元町通1 - 2丁目にかけて中華街である南京町と隣接している。元町通のアーケード街は6丁目まで続く。3丁目のウインズ神戸B館を過ぎたあたりから人通りがまばらとなり、5丁目より先になるとシャッターを下ろしたままの店も目立つようになる。かつては、6丁目の最西端に三越神戸店が立地していたが、1984年(昭和59年)に撤退し、跡地はホテルシェレナとなった。代替に、3丁目の商業ビル「パルパローレ」を借り上げる形で小型店舗で支店名を変えて営業していたが、それも、2004年(平成16年)1月31日をもって閉店した。
高架下[編集]
JR神戸線の元町駅から神戸駅にかけての高架下は、闇市時代の雰囲気を濃厚に漂わせる元町高架通商店街となっている。バッタ屋(中古家電店)、古道具屋、古書店などのほかに若者向けの衣料品店も多く、独特の雰囲気で人気を集めている。
元町商店街の東端、鯉川筋を挟んで東側に大丸神戸店はある。 |
名所・文化施設[編集]
- 兵庫縣里程元標
- 元町商店街の西端にある。元は、現在地の南300メートルの地点にあったが日本国有鉄道(国鉄・現JR西日本)高架化により、湊川神社参道入り口右側に移転する。その後、2004年(平成16年)に再び元の地点に近い現在地に移転される。
- 元町商店街の中にある。読みは「はしうど」と難読。
- 元町商店街にある唯一の映画館。
出身・ゆかりのある人物[編集]
- 生島五三郎(金融業)[1]
脚注[編集]
- ^ a b 『人事興信録 第7版』い135頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月27日閲覧。
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ようこそ神戸元町商店街ホームページへ! (日本語)
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