佐藤惇
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佐藤 惇(さとう じゅん、1991年9月26日 - )は日本のトレーサー、日本初のパルクール指導員。東京都出身。パルクール専門会社SENDAI X TRAINの共同代表であり[1]、PKTKcommunityの代表でもある。 TBS『SASUKE』の有力選手であり、高校2年生の頃から出場を続けている。身長175cm、体重69kg。愛称はサリー。
人物[編集]
幼少期より体を動かすことを得意としており、小学校時代に近所の公園で友人と遊んだりしている中で自然と身体能力が培われていった。中学受験をして以降は体を動かす機会が減り、学業に追われる日々を送ることになる。 しかし、やりたいことも出来ないような学校生活では思うような充実感を得ることができず、「自分が自分で無くなっていく」ような感覚に襲われた佐藤は鬱病となり不登校になっていった。この時期に佐藤は、自分が覚えている限りで2度、飛び降り自殺の手前まで行ったという。そんな最中、小学生の頃にテレビ『世界まる見え!テレビ特捜部』で放映されたパルクールのドキュメンタリー『ジャンプ・ロンドン』を思い出し、その中に登場する人物の身のこなしに感銘を受けてパルクールを始める。学校の窮屈さと周囲からの重圧に潰れかけていた佐藤にとって、自由に体を動かすことの出来るパルクールは「自分が自分でいられる」唯一の存在であった。 当時はパルクール自体の知名度も低かったため、佐藤はインターネットなどを用いて独学で技能を習得していった。そのうち、ネット上で知り合った仲間と見様見真似で練習を重ねた。映像撮影の現場で共演した創始メンバーからパルクールの心構えと目的を教わり、本格的にパルクールを志すようになる。
2007年、イギリスのパルクールチーム『Parkour Generations』との出会いをきっかけに本場フランスへと赴き、パルクールを創り出した集団『ヤマカシ』のメンバーらと共に練習を行う。
2008年秋の第21回大会から『SASUKE』に出場。同大会は1st STAGEでリタイアを喫したが、以降出場した10大会全てにおいて1stをクリアしており、これは歴代最多記録である。 また、第32回 - 第38回間では歴代最多タイである7大会連続の3rd STAGE進出記録を樹立した。更には、近年ではほぼ全ての大会で最速タイムを叩き出す等、抜群の安定感やスピードクリアを誇る。ステージ競技中やクリア後に見せるパフォーマンスにも定評があり、番組内での存在感や記録面においては事欠かない人物である。
高校卒業後は進路に迷い、趣味の一つであったカメラの専門学校に入学したが、イギリスでパルクールの先達の話を聞き、専門学校をやめてパルクールの指導者となることを決意。そのままイギリスで日本人としては初となるパルクールの国際指導員の資格を取得。アジアに3人しか存在しないパルクール国際指導員のうちの1人となる。「パルクール自体にはルールは存在しないが、周囲への配慮などのルールや個々人のモラルは重要視されるべきだ」と考えている。また、『SASUKE』の放送内で「自分の周囲の状況を把握して、無理のない範囲で動くこと」を信条としていると語っている。座右の銘は「あるものは使え、無いものは作れ」。
2017年、24時間テレビの企画において、チームの1分間のトランポリンダンク回数で44回を記録しギネス世界記録に認定される。同企画ではチームメイトとして、共にSASUKEに出場するトランポリンパフォーマー長崎峻侑や俳優の森渉らが参加した。
同年、テレビ番組『嵐にしやがれ』内のコーナー「THIS IS MJ」にパルクールのスペシャリストとして出演した。
漆原裕治のYouTubeチャンネル内の質問コーナーの動画にて、学生の頃は水泳部であったことが明かされている。
SASUKEでの戦歴[編集]
第21回~第25回[編集]
第21回、当時高校2年生で予選会を5位通過し初出場。1stロッググリップで最上段の浅い窪みで両手をグリップしてしまい、2段目で落下。同大会予選会組としては最も早いリタイアとなった(ダイジェスト、ゼッケン44)。
第22回は欠場。
第23回は予選会を1位で突破。本戦でも全体3位の好タイムで初めて1stをクリアしたが、2ndでサーモンラダー1段目でバーが脱線しリタイア(ダイジェスト、ゼッケン50)。
第24回は1stロッググリップで肩を脱臼するも、直後に肩を戻しその後のエリアをハイペースで突破し1stをクリア。しかし、肩の怪我が影響し、2ndではまたしてもサーモンラダーでリタイア(ゼッケン78)。
第25回では競技順を抽選で決定するシステムの中、早い競技順となるもリニューアル後初の1stクリア者となった。2ndではサーモンラダーがダブルサーモンラダーへと進化するも、徹底したサーモンラダー対策を講じてきたことにより突破したが、続くアンステーブルブリッジでリタイア(ゼッケン18)。
第26回~第31回[編集]
第26回から第31回は出場していない(このうち第29回は予選落ち)。
第32回〜第34回[編集]
6年ぶりの出場となった第32回は大リニューアルが施され、クリアも少ない状況にあった1stをブランクを感じさせずに余裕の攻略。その勢いのまま自身初となる2ndクリアを達成。同大会では日本人選手最優秀成績となる3rdウルトラクレイジークリフハンガーでリタイア(ダイジェスト、ゼッケン76)。
第33回は自身初となる81番以降のゼッケンとなり、1stを32.06秒残しの最速タイムで通過。1stタイファイターの着地では前転を決め、クリア後にもパフォーマンスを見せて会場は大いに沸いた。続く2ndも余裕で突破するも、前回クリアした3rdフライングバーでリタイア(ゼッケン97)。
第34回は1stのフィッシュボーンで迷いを見せ、20秒程のタイムロスを喫してしまうが、後半の追い上げにより、26.58秒の好タイムを残して1stを通過。[2]また、そり立つ壁を突破した直後の段差でパフォーマンスを見せ、会場を盛り上げる場面もあった。2ndではどの種目も悠々とこなし、20.52残しの最速タイムで通過。夜遅くまで収録が及んだため観客は少なかったが会場は大いに沸いた。3rdでは前回落下したフライングバーも余裕でこなしウルトラクレイジークリフハンガーまで行くも、1→2本目で落下してしまい自己最高記録を更新することはできなかった。放送時は全てダイジェストで放送された(ゼッケン96)。
第35回[編集]
第35回では、多くの実力者が苦戦する新エリアの1stドラゴングライダーで、1本目のバーを両手順手で掴むミスを犯すも難なく攻略し、圧巻のパフォーマンスを見せつけ20.39秒残しの最速タイムで突破。オールスターズの山本進悟は「こんな簡単なんですね」、新世代の長崎峻侑は「あんな余るの?」、そして実況の駒田健吾までもが「まさに異次元だ!」と驚いていた。2ndも無難に突破し、4大会連続の3rd進出を決める。3rdに新設されたプラネットブリッジ初の攻略者となるも、前回同様ウルトラクレイジークリフハンガーの1本目→2本目の飛び移りで落下(ゼッケン97)。
第36回[編集]
第36回は、佐藤の挑戦順までに10人のクリア者が出ている中で、それまでの最速タイム(ゼッケン93 山本桂太朗の12.01秒残し)を大幅に更新する23.39秒残しでの1stクリアを達成し、実況の杉山真也も「半端ないって!」と感嘆を述べるパフォーマンスを見せた。2ndも圧巻のスピードで、19.55秒を残し最速タイムを記録(ダイジェスト)。5大会連続の挑戦となった3rdでは、フライングバーでスタート地点に敷かれていたタオルが皿にかかってしまうアクシデントが起きるも、その場の判断でタオルを蹴り飛ばし難なく突破。前回苦戦したプラネットブリッジも素早い攻略を見せ、ウルトラクレイジークリフハンガーまで到達。過去3度のリタイア経験のある、1回目の飛び移りを初攻略するも、2回目の飛び移りでタイミングがずれ、そのまま掴み切れずに落下。挑戦後のインタビューでは「今までSASUKEをやってきた中で、(クリフハンガーの)1本目を掴んだ時のその達成感は、他の何にも代えられないような、今そんな経験でした」と、自らにとっての高い壁を越えた喜びを語った(ゼッケン96)。
第37回[編集]
第37回は佐藤の挑戦前に7人がクリアを果たしている状況で、それまでの最速記録(ゼッケン47 山本良幸の9.44秒残し)を10秒以上更新する20.21秒残しの圧倒的な最速タイムで1stを攻略。2ndも全体2位の好タイムで突破(ダイジェスト)し、竹田敏浩、奥山義行、ドリュー・ドレッシェル以来4人目となる6大会連続の3rdステージ進出を成し遂げる。前回同様前半の3エリアを手早くクリアし、クリフハンガーディメンションに到達。2本目への飛び移りは突破したが、前回リタイアした3本目への飛び移りに僅かに耐え切れず再び落下。クリフハンガー系列エリアでの5回目のリタイアとなった(ゼッケン94)。また、今回の1stステージ突破により、歴代最多記録となる出場した大会での9回連続1st STAGEクリアを達成した。
第38回[編集]
第38回は佐藤の1st挑戦直前時点での暫定最速記録が、19.32秒残し(ゼッケン50 伊佐嘉矩が記録)の中で、VTRで語っていた「正確にやる事で動きの無駄が省けスピードが上がる」の言葉通り、30.66秒残しの圧倒的な最速タイムを叩き出し1stを突破。自身の持つ歴代最多記録を更新する形となる、10回連続1st STAGEクリアを果たした。また、2大会連続でクリアタイム2位の選手と10秒以上の差をつけての最速タイム記録の達成も史上初。2ndでは、ステージの難化により、佐藤より前の選手が6人連続でリタイアしている流れが悪い状況で、各所を慎重に攻め制限時間を多く使う形で手堅くクリア。これにより、竹田敏浩と並ぶ、歴代最多記録タイとなる7大会連続3rd STAGE進出となった。3rdでは、前回新設されたクリフハンガーディメンションが初稼働を果たした中での挑戦となった。上下動している2本目への跳び移りは難なく突破するも、前後動している3本目への移行タイミングが合わず、ぶら下がったまま立ち往生。タイミングを合わせ跳び移った際に指は掛かるも、立ち往生の際に力を使い果たした影響で、前回同様身体を残し切る事が出来ず落下(ゼッケン94)。これにより、7大会連続の3rd STAGEリタイア。また、クリフハンガー系列エリアに6回目となるリタイアを喫す形となった。
第39回[編集]
第39回は、同年4月初旬に受傷した右足アキレス腱の断裂によるリハビリ中の為欠場。収録会場には応援として参加していた。
SASUKEでの成績[編集]
大会 | ゼッケン | STAGE | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第21回大会 | 44 | 1st | ロッググリップ | 2段目 |
第23回大会 | 50 | 2nd | サーモンラダー | 1→2段目、バー脱線 |
第24回大会 | 78 | 2nd | サーモンラダー | 3→4段目 |
第25回大会 | 18 | 2nd | アンステーブルブリッジ | 1→2枚目、移り失敗 |
第32回大会 | 76 | 3rd | ウルトラクレイジークリフハンガー | 1→2本目 |
第33回大会 | 97 | 3rd | フライングバー | 1回目 |
第34回大会 | 96 | 3rd | ウルトラクレイジークリフハンガー | 1→2本目 |
第35回大会 | 97 | 3rd | ウルトラクレイジークリフハンガー | 1→2本目 |
第36回大会 | 96 | 3rd | ウルトラクレイジークリフハンガー | 2→3本目 |
第37回大会 | 94 | 3rd | クリフハンガーディメンション | 2→3本目 |
第38回大会 | 94 | 3rd | クリフハンガーディメンション | 2→3本目 |
通算成績[編集]
出場数 | 2nd進出 | 3rd進出 | FINAL進出 | 最優秀成績 |
---|---|---|---|---|
11回 | 10回 | 7回 | 0回 | 0回 |
- 2021年 第39回大会終了時
最速タイム[編集]
大会 | STAGE | 制限時間 | 残りタイム | クリア人数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
第33回大会 | 1st | 128秒 | 32.06秒 | 13人 | 平均クリアタイム 14.57秒 |
第34回大会 | 2nd | 110秒 | 20.52秒 | 9人 | 平均クリアタイム 11.83秒(男性8人で算出) |
第35回大会 | 1st | 85秒 | 20.39秒 | 8人 | 平均クリアタイム 8.10秒 |
第36回大会 | 2nd | 110秒 | 19.55秒 | 10人 | 平均クリアタイム 9.91秒 |
第37回大会 | 1st | 88秒 | 20.21秒 | 10人 | 平均クリアタイム 7.02秒(男性9人で算出) |
第38回大会 | 1st | 90秒 | 30.66秒 | 14人 | 平均クリアタイム 10.74秒 |
脚注[編集]
- ^ 佐藤惇 (2018年11月13日). 日本初のパルクール指導員が問う社会問題「危ない動きをするのがパルクールではないんです」【SASUKE放浪記 第3回 佐藤 惇】. (インタビュー). 週プレNEWS. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 第32回~34回大会の1stステージ完全版は公式YouTubeで配信された。https://www.youtube.com/watch?v=gGio4ODLBo0