山田勝己

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山田 勝己(やまだ かつみ、1965年10月22日[1] - )は、TBSSASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。兵庫県加古郡播磨町出身。

『クイックマッスル全国選手権』(3分間腕立て伏せ)準優勝。鉄工所社長。身長175cm体重75kg2012年12月時点)。

愛称は「浪速のターミネーター」「ミスターSASUKE」「浪速のブラックタイガー」など。

目次

概要[編集]

1996年、TBS『筋肉番付』の『クイックマッスル全国選手権』に出場し、準優勝となる。これがきっかけとなり、その後のSASUKEにも1997年の第1回から出場(当時31歳)。完全制覇まで残り約30cmまで迫るなどの優秀な成績を収め、ゼッケン100番を与えられるなど一躍SASUKEを代表する選手となる。

しかし、自宅にSASUKEを模したセットを製作して練習に熱中したことにより、2000年2月にボンベ配送業の仕事をリストラされる。その後は妻の実家の鉄工所でアルバイト、野球場でビール売りのアルバイトで生計を立てながらSASUKE出場を続けるが、2012年の第28回をもって引退。2017年現在は鉄工所の跡を継ぎ、社長となっている。

一般人でありながら、CM・ドラマ・バラエティ出演、ゲームキャラクターとしての起用、野球場のビール売りでのキャラクター化、多数のイベント出演など、活躍の場は幅広い。近年は『オールスター感謝祭'12秋 超豪華!クイズ決定版』(2012年9月29日放送)に回答者として出演したり、『水曜日のダウンタウン』に過去10回以上出演するなど、他番組にも積極的に出演している。

引退後の2013年から「山田軍団・黒虎」というチームを結成し、指導者としての道を歩んでいる。山田は「コーチという生温い形は嫌なんで、師匠と弟子のように厳しく精神面も技術面も鍛えていきたい」と語っている[2]

SASUKEでの戦歴[編集]

第1回大会〜第2回大会[編集]

1996年の『クイックマッスル全国選手権』準優勝という実績を評価され、担当者からの出演打診の連絡により第1回大会に出場が決定。山田曰く「軽い気持ちで参加した」と語っている[3]。 同大会は、1stをクリアするも、2nd五連ハンマーでバランスを崩して脱落。

第2回大会の開催を山田は想定していなかったが、およそ1年後に担当者からの出演打診により出場が決定[3]。同大会は、前回クリアした2ndスパイダークライムで脱落。山田の番で不運にも雨が降っており、水滴による影響を実況者が指摘していた。山田は今大会の結果について、「同じ相手(2nd)に2回負けた。それが許せなかった。終わってからも悔しさがこみ上げてくるんですよ」と語っている[3]

SASUKE史上初の自宅セット製作[編集]

第2回大会終了後、山田は自宅の庭に失敗したスパイダークライムおよびスパイダーウォークのセットを自費で製作。その時点では第3回大会の開催があるか否かも決定していなかった。

山田は「もちろん、『今回で終わりです』と言われていれば作ってはいなかったと思いますけど、やるかもしれないという感じだったので。次、やるんやったら絶対に勝ってやる、と。そうしたら大会が終わって2カ月経たないくらいのうちに、第3回の出場打診があったんです。待ってました、ですよ」と語っている[3]。これが自宅に作った最初のSASUKEセットであり、以降の挑戦者たちに大きな影響を与えることとなる(後述)。

第3回大会〜第4回大会[編集]

山田は、スパイダーウォークは体重が重い選手には不利だと判断し、約3カ月後の第3回大会に向け、15kgの減量を始めた(80kgから65kg)[4]。山田は当時の状況について、「ボクサーのように食べ物とか、水分摂取を制限した。お腹がすき過ぎて寝られなかったですし、あそこまで体重を落とすと精神的にも不安定になるんですよ。でも、できるかぎりのことをやって臨もうと思ったので、もっと練習しよう、もっと体重を落とそう。そんな感じでした」と振り返っている[3]

あまりにも急激な減量に、家族をはじめとする周囲の人達は山田を本気で心配し、病院に行くことを勧める者や、を疑う者までいたと語っている[3]

本大会では1stを9.4秒残して危なげなく突破。2ndウォールリフティングでは3枚目の壁を最上段まで持ち上げ、その後片手で支えた後にゴールまでゆっくりと歩み寄るという驚異的なパフォーマンスを披露した。

3rdは、初挑戦のパイプスライダーも難なく突破し、FINALステージに進出。5m地点まで一切足を使わずに登り、10m地点までは快調に登るも、残り約30cmでタイムアップ。挑戦後のインタビューでは「最初から足を使ってたほうが良かったかもしれないですね、ペースが掴めんままで…」と語り、実況の古舘に「なぜそこまで頑張るのか?何かを確かめたいのか」という問いに対して、「負けたくないっていう…ただそれだけです」と涙して語った。

山田は今大会について、「あのときは完全制覇まで行くつもりだったので、体重は軽いままにしようと朝から水分しか摂らなかったんです。それでもう深夜だったファイナルのころには空腹に加えて集中力も欠けてきていた。極端な減量がたたった部分もあるのでしょう。最後は力があまり入らなかった。でも、手応えはありましたし、あれで心に火が点いた感じです」と振り返っている[3]

第3回終了後、友人から借りたクレーン車を使い、命綱もつけずにファイナルステージを再現、さらに自宅のセットで5kgの錘をつけながら練習を続けた。また、自宅への取材の際には、スタッフからの「完全制覇して綱登った後に何があると思いますか。なぜそんなに頑張るのか」という問いに対して「逆に何があるのか確かめる為に登る」「努力した結果、何があるのかというを自分の体で確かめたい」と語った。

第4回大会はゼッケン100番となり、初めて両親を会場へ呼び寄せた。今回は8kg体重を増やしての挑戦となった。2ndウォールリフティングでは前回と同様のパフォーマンスを見せた。なお、2ndは全体を通して非常に速いペースで進み、3枚目の壁を上げた時点で10秒残っていた。

続く3rdプロペラうんていでタイミングが合わず、1本目から2本目への移動で2度失敗。さらに3本目への移動でも1度失敗し、大幅に体力を消費した。その後、新設された難関クリフハンガーの2個目の空白で力尽き、涙を流した。

同大会では『クイックマッスル全国選手権』からのライバルであった秋山和彦が完全制覇を達成。完全制覇した秋山を3rdの沼地に投げ入れ、山田自らも沼の中に飛び込み、秋山の完全制覇を祝福した。

第5回大会〜第6回大会[編集]

山田のトレーニング量は日に日に増していき、ボンベ配送業の仕事中にトレーニングをしたことにより会社から注意されることもあったという。一度は改めようと考えたが、2000年2月にリストラとなる。その後、時間が確保しやすいという理由で妻の実家の鉄工所でアルバイトをしながら大会に挑み続けた[3]

第5回、第6回のSASUKE出場時の肩書きは『無職』、第7回以降は『鉄工所アルバイト』となっている。

山田は当時の状況について、「仕事を辞めさせられましたし、無茶をしていたので体のこととか、家族から心配をされたりはしましたけど、強く反対されることはなかったです。言っても無駄だと妻もわかっているので」と振り返っている[3]

また、自宅への取材の際には、スタッフからの「お金(完全制覇の賞金200万円)は欲しいですか」との問いに対して、「いらないです。ハッキリ言って」「名誉ですね」と返答し、独自のモチベーションで挑んでいる事を明らかにした。

第5回は、秋山和彦の完全制覇によりリニューアルが施され、竹田敏浩山本進悟の2人のみが1stをクリアしているという状況での挑戦。今大会多発していたローリング丸太の後半で脱線事故に遭い、丸太ごとマットに叩き付けられたが、着水しているか微妙だったため、そのまま先へ進んだ。新設されたジャンプハング、そり立つ壁もクリアし、1stのゴールボタンを押した。その後、スローVTRで着水していないことが確認され、3人目の1stクリア者となる。

しかし、続く2ndスパイダーウォークで突如左足を滑らせてリタイア。自宅に初めて作ったSASUKEセットであるスパイダーウォークでのリタイアということもあり、落下後のインタビューでは「スパイダーウォークは得意中の得意と言ってもいいくらいなんですけどね」と神妙な面持ちで語っている。

第6回大会開催前に体調を大きく崩し、親からも「そんなに無理して体を壊すならもうやめておけ」と通告された[3]。第6回大会の1st時の古館の実況によれば、「あまりのオーバーワーク、あまりのトレーニングのしすぎで万全の体調ではなかった」という。

このような状況もあり、第6回大会はラストチャレンジとして出場。1st、2ndを危なげなく突破し。3rdでは初の最終競技者となる。第4回でリタイアしたクリフハンガーを難なく突破し、最終エリアのパイプスライダーまで進出。思い切り体を振って両足での着地に成功はしたものの、右にバランスを崩して一回転し、コース外へ転落してのリタイアとなる。

その後のインタビューで山田は、古舘伊知郎実況の「諦めるか、あるいはまだこのSASUKEチャレンジ、ファイナルステージ成功目指して続けるか。どっちですか? 今の心境は」との問いに、「やらせてください…」と答えた。この山田の脱落は筋肉番付のスタジオでも物議を醸し、レギュラーの中山エミリは「(着地地点に)柵をつけてあげてください」とスタッフに呼びかけている[5]

第7回大会〜第8回大会[編集]

第6回大会終了後、体調が回復するまでに半年かかったと語っている[3]。また、医者から運動をしてはいけないとストップがかかり、山田は当時の状況について、「第7回大会はほとんどトレーニングなしでチャレンジしました。もしも、そこで体調が悪化したらさすがにアウトかなと思ったので、このときは妻と子どもを連れて行きました。いくらなんでも死んでまではやるわけにはいかないので」と振り返っている[3]

同大会は、1stそり立つ壁に到達した時点でのタイムが前回と比較して10秒以上遅いペースとなった。さらに直近の2大会クリアしていたそり立つ壁で2度失敗してしまったことが原因となり、ロープクライムでのタイムアップで自身初の1stリタイア。妻もタイムアップと同時に泣き崩れる結果となった。息子の優雅には「ごめんな」と語り、息子は「一緒に帰ろうな」と暖かい言葉を父親に掛けた。また、出場者の中で唯一だった初出場からの6大会連続1stクリアの記録も途切れた。

第8回大会は、再び引退を決意しての挑戦となった。同大会は台風接近で大雨の中、幾度も中断を繰り返す劣悪なコンディションの中で行われた。山本進悟、秋山和彦のリタイア後、ゼッケン100番での挑戦となった。50人がリタイアを喫したスタートエリア・五段跳びは古館に「100人中1番と申し上げてもいいでしょう」と実況されるほどスムーズに突破。快調なペースでそり立つ壁まで到達するも、雨の影響で滑りやすくなった壁に助走の段階で滑ってしまい、計2回失敗。残り時間10秒で動きを止め、タイムアップとなる。

敗因理由は山田自身は基本的に左右対象のエリアは左側を選択するが、(丸太上り、そり立つ壁は左側鉄則)雨の影響で最も滑りやすかったのが得意の左側のコースだった。確認のため、真ん中のコースを選択すると一発で成功というあまりにも皮肉な結果となった。その後、パフォーマンスとしてゴール地点まで行き、拍手の止まない観客席に無念の表情で礼をした。

大会終了後はSASUKEと無縁の生活を送り、子供と過ごす時間を増やした。

第9回大会〜第11回大会[編集]

第8回大会終了後、SASUKEを諦め切れなかった山田は番組宛に手紙を出し、自身の引退を撤回。第9回大会のへの出場を表明した。

大会前に精神面を鍛えようと四国の山中(徳島県星谷寺、不動の滝)を訪れ、滝に打たれた。体重を7kg落とし、仕上がりも順調だった。そして大会前日、家族あてに手紙を書き、「このまま終わってしまってはいけない。親として、夫としては失格かもしれないけど、夢を諦めるわけにはいきません」と書き残し、家族を残し、ひとり緑山へと向かった。

同大会は、1stそり立つ壁を2度目にクリアし、余裕を持って1stをクリア。

続く2ndで、先に挑む挑戦者達がスパイダーウォークの下り部分で滑り苦戦。長野誠に滑ることを確認した山田は、地下足袋にあらかじめ滑り止めスプレーをつけた上でスパイダーウォークにたどり着くまでにゴミがつかないようにそれを粘着テープで覆うという二重の徹底対策で2ndに挑戦。

スパイダーウォーク挑戦前に地下足袋の裏の粘着テープをはがす予定であったが、テープが上手くはがれず、さらに手にも滑り止めスプレーをつけるかで悩んでしまったため、挑戦前に17秒(実況の古館より)のタイムロス。問題の下りの部分は危なげなくクリアできたが、このタイムロスがたたり、結果的に最終エリアのウォールリフティングの2枚目でタイムアップとなる。山田はその後のインタビューで「テープ貼ったのが間違いでした」と語り、考えが裏目に出る格好となった。

第9回大会終了後、3rdに新設されたランブリングダイスとランプグラスパーを自宅に製作。山田は独自の攻略法を考え、腕への疲労度を最小限に食い止めるトレーニング方法を編み出した [6]

第10回大会は、延べ人数1000人目の挑戦者としてゼッケン1000番をつけて出場。1stでオールスターズが4人連続で失敗し、979番から21人連続リタイア、1stクリア者も計4人という中での挑戦となった。そり立つ壁を一発で成功させ、1.7秒を残して1stを突破し、雄叫びをあげた。

3rd最終競技者となり、自宅に製作したランブリングダイスやランプグラスパーを突破し、最終エリアのパイプスライダーまで進出。勢いを殺してジャンプをし、右足をかけてゴールにしがみ付くも、後方にバランスを崩して転落となった。

直後のインタビューでは、古舘の「山田さん、まだ整理がついていないのは分かるんですけど、今後どうしますか」との問いに、山田は以下の通り答えている。

「これだけは言えることなんですけど、俺には…、SASUKEしかないんですよ。自分の気持ちが続く限りは挑戦を続けたいっていう気持ちは、今でも持っているし、きっとこれから先ずっと変わらないと思うんです」

このシーンは、後の大会やバラエティに出演した際の紹介VTRにおいても頻繁に使用されている。SASUKE新世代組の一人である川口朋広はこのシーンについて、「『俺にはSASUKEしかないんですよ』という名言を超える名言は未だにないと思うんですよ。SASUKE30回やってきて。それは多分50回60回続けても永遠に語り継がれる名言だと思う」と語っている[7]

また、このパイプスライダーで脱落したシーンは2008年に『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で視聴者から多くの票を集め、第6回のパイプスライダー脱落シーンと共に第3位に選出された。

第11回大会は、前回大会とは対照的に、1stでゼッケン95番から99番まで5人連続クリアしている中での挑戦となり、山田はスタッフに「他のオールスターは行けたとしても自分だけ取り残されるかもしれない」と語っていた。しかし、ゼッケン100番の山田も1stを危なげなく突破。2ndではオールスターズを含む6人連続クリアという状況での挑戦となるが、前回クリアしていたバランスタンクで後方に体が傾いた際に右足を踏み外し落下となり、オールスターズ唯一の2ndリタイアとなった。

第12回大会[編集]

第12回は、大会前に鹿児島県の最福寺に訪れ、「護摩行」と呼ばれる荒行を行った。この護摩行とは、3mもの火柱の前で、およそ2時間もの間、「不動真言」のお経を唱え続ける修行で、体感温度は300℃を超えると言われている。山田は「不動真言」を唱え続け、途中わずかに後退する場面があったが2時間、修行が終わるまで炎の前から離れることはなかった[8]

今大会は前回ファイナリストの長野誠がゼッケン100番を譲り、山田は98番での出場となる。1stは特にミスもなかったが慎重なペースがたたり、残り0.72秒というギリギリのクリア。ボタン押下後、長野の声援に対して山田は彼の名(誠)を叫んで応えた[9]

2ndではスタートエリアのチェーンリアクションにおいて、安全上の理由から手袋の着用が義務付けられており、挑戦前には「(手袋)脱げるかな」とスタッフに語りかけていた。チェーンリアクションをクリア後、スパイダーウォークではその着用が禁止されているのだが、山田は気付かず手袋着用のままスパイダーウォークに入り、スタッフからの「手袋を外すように」の指示を無視するかのように先を急いだ[9]

3.65秒を残してゴールボタンを押したものの、手袋を外さなかったために失格の裁定が下る[9]

2ndSTAGE再挑戦[編集]

本放送は上記のシーンまでしか放送されなかったものの、その後の模様が2003年10月5日の『ZONE』で放送された[9]

山田は納得がいかず抗議をし、後日に正式な裁定を下すということで、ゼッケン99番ヨルダン・ヨブチェフの前に異例の再挑戦が認められた。再挑戦では制限時間ギリギリになり、ゴールにあるボタンを完全に押していないために再び失格となる。これにも山田はメカニカルトラブルを主張し、審議の結果、『抗議を却下するだけの決定打がその場では見当たらない』ため、再々挑戦が認められた[9]

山田の再々挑戦は、全ての2nd出場者の挑戦が終了して実施されることになった。しかし、山田に2ndをクリアする力は残っておらず、ブリッククライムの上段で落下[10]。途中で足を痛め、スパイダーウォークでタイムアップとなる。スタッフから静止されながらもゴールまで辿り着いた[9]

後日、改めて審議が行われた結果、山田に正式な裁定が下され、最初のトライ(手袋を外さなかった事による失格)における失格となった[9]

山田は今大会1stクリア者11人中、唯一の2ndリタイア者となった。山田は涙を流し、「長野誠が俺の分までやってくれると思います。本当は一緒に行きたかったですけど申し訳ないです」と語り、長野も涙を流した。2017年現在、最後の2nd進出となっている。

この大会の2nd脱落シーンは2008年に『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で多くの票を集め、「山田勝己 手袋失格事件」として第10位に選出された。

第13回大会〜第17回大会[編集]

第12回大会終了後、オーディション予選の実技テスト兼出場者枠決定戦でもある『SASUKEトライアル』で10.58秒を残して総合ランキング12位になり、第13回大会への出場権を獲得。しかし、山田は「今は家族との時間を大切にしたい」と語り、自身初の欠場という道を選んだ。しかしながら、第13回大会の放送を見た後には「今までずっと闘い続けてきた場所に、自分は出てなかったんだな、自分はもう存在しなかったんだなぁ、と痛感して涙が出てきた」と語っている。

2大会ぶりの出場となった第14回大会は、過去8大会(SASUKEトライアルを含めると9度)で一度も失敗したことのなかった1stジャンプハングでリタイア。

第15回大会は、1stクロスブリッジ通過後にバランスを崩しコース外へのリタイア。

第16回大会前に山田は40代を迎えた。同大会は、そり立つ壁を1度目に成功させたものの、ゴール目前でタイムアップとなる。収録後のインタビューで「もう終わりなんですよ。今回で終わりというのは決めていたんで」と語り、引退したいという気持ちを口にした。その後の模様は『BODY』で放送され、CM出演によるイベントでのファンの声援などで気持ちが動き、引退を撤回した(本大会以外の出来事も参照)。

第17回大会は、3年ぶりのゼッケン100番での挑戦となる。今大会は極度の緊張が山田を襲い、自分の出番までまだ2時間もあるにも関わらず、両腕に滑り止めスプレーをつけるという常軌を逸した行動に出るなど、平常心を失っていた[11]。1stそり立つ壁まで到達するも、足が全く前に進まず、4度目の挑戦で壁を乗り越えるもタイムアップとなる。山田は「緊張で立ってるときから足が震えていた」と語った。序盤のペースは長野も舌を巻くほどで、「めちゃめちゃ良かった。もう(エリア間は)バッチリだった」と語っている。

また、今大会は山田に憧れてSASUKE出場を決意した長野誠が史上2人目の完全制覇を達成。ボウリングの帰りの車の運転中のコメントでオールスターズ全員でのファイナル進出を目標にしてきた長野誠に対し、「皆で(ファイナルに)行ったら面白ないやろと思ってましたが、やっぱり皆でっていのが今回長野に教えられたかな」と心境の変化を語っている[11]

第18回大会〜第24回大会[編集]

リニューアルされた第18回大会は、ゼッケン争奪マラソンで73番という早めのゼッケン(過去出場した16大会中で最も早い出場順)を選択した。ジャンピングスパイダーやグレートウォール(そり立つ壁の進化版)も問題なく突破したものの、再びゴール目前でタイムアップ。今大会の1st突破者は6人のみであり、数少ない最終エリア到達者のうちの1人であった。これで3大会連続のタイムアップとなる。

第19回大会は、1stポールメイズでポールを上手く動かすことができず、大幅にタイムロス。残り10秒の警告音の中、ジャンピングスパイダーで落下した。

第20回大会前の2月に、自宅の練習セットで顔面を負傷するアクシデントに見舞われた。同大会はゼッケン1999番で出場し、ジャンピングスパイダーで一度張り付いたものの、その直後に右足を滑らせ転落。

第21回大会は身体の調子が万全ではなく、スタート前から肩や足にテーピングを巻いての挑戦となった。ジャンピングスパイダーをクリアするが、着地の際に足をさらに負傷。負傷した足でハーフパイプアタックをクリアするも、そり立つ壁でタイムアップとなる。後のインタビューでは「もう一回ベストの状態でSASUKEに挑んでみたいですね」と語っている。

また、今大会は弟子の宮城拓也(当時22歳)を「SASUKEトライアル2008夏」に推薦。出場者80名中第1位で通過し、大会にもゼッケン48番での出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、1stジャンピングスパイダーでの脱落となった。

第22回大会は、大会前に白血病を患った子供から「僕は山田さんの戦う姿を見て手術をすることを決めて頑張りました。なので山田さんも頑張って今年は1stステージをクリアしてほしい」という手紙が届き、番組内でも取り上げられた。同大会は、1stジャンピングスパイダーでリタイアとなる。

また、今大会は弟子入りしてきた俳優の中尾明慶がゼッケン88番で出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、前述の宮城同様1stジャンピングスパイダーでの脱落となった。

第23回大会は、そり立つ壁を4度目の挑戦でクリアするも、残り10秒の警告音の中、スライダージャンプの綱を掴み損ねて頭から転落した。後のインタビューでは「もう一度半年頑張って、次が最後のつもりでやりたい」と語った。

第24回大会は、「1stをクリアできなければ最後のつもりで」という決意で臨むも、そり立つ壁にてタイムアップ。山田は引退こそ明言していなかったものの、番組中のテロップには「山田勝己 引退」と表記された。

第25回大会は欠場となる。

第26回大会〜第27回大会[編集]

第26回大会を前にして、山田は第9回大会同様スタッフに「もう1回挑戦したい」という内容の手紙を送り、出場することが決まった。

同大会は、第16回以降苦戦している1stそり立つ壁を攻略すべく、腰に20kgの錘をつけ徹底的に下半身をいじめ抜いた。1stは脱落者の多かった新エリアのローリンクエスカルゴを突破。その後のジャンピングスパイダーで一度は張り付くも、直後にバランスを崩して転落した。

第27回大会は、大会前に自宅のそり立つ壁の高さを20cm上げて練習を重ねた。同大会では1stそり立つ壁に左手をかける場面があったものの、タイムアップとなる。リタイア後のインタビューでは「(東日本大震災もあり)頑張ろう日本、頑張ろう東北と言いたかったんですけどねぇ…もっともっと練習してきます」と語った。

第28回大会[編集]

1年半ぶりの開催となった第28回大会は、番組内で「オールスターズ最後の戦い」と釘打たれ、秋山和彦、山本進悟(後に撤回)が引退した。山田は引退こそ明言しなかったものの、本番前には「どこかでケジメをつけようというのは自分の中である」と語った。

第20回大会以来となるゼッケン99番での登場となり、前日に怪我をした左足を引きずりながらの挑戦となるものの、脱落者の多かったローリングエスカルゴ、スピンブリッジの数少ない成功者となる。2連そり立つ壁に到達した時点で残り時間20秒を切ってしまい、クリアは絶望的となったものの、タイムアップ音と同時に1つ目の壁を乗り越えた。

挑戦後のインタビューでは、SASUKEオールスターズに関するメッセージとして、「いつもだらしない結果で、リーダーとしてもだらしなくずっとやってきましたが、皆に分かってほしいのは、オールスターズっていうのはSASUKEがすごく大好きで、ずっと十何年間も一緒に戦い続けて来て、いいメンバーに巡り会えて、俺はすごい幸せで」と語っている。

その後、漆原裕治を始めとする新世代組に向けて、以下のメッセージを残している。

「まだまだ若い子に伝えなアカンことがいっぱいあって、もっともっとSASUKE好きになって、もっと練習して、落ちたらもっと悔しがって泣いてくれたらいいと思います。それが俺の願いというか、思う気持ちはあります。もっと夢に向かって一歩大きく進んで欲しいけど、そんな勇気のいることじゃないんですよ。落ちたって次頑張ればいいし、それが経験につながるだけやから。自分はこれから先、選手としてか指導者なるのか分からないですけど、SASUKEが何十年続こうが、見届けていきたい気持ちがあります」[12]

本大会放送後、YouTubeで公式上で公開されたインタビュー動画では「サスケの為ならお前やれ(出場しろ)と言われたら体潰れるまでボロボロになったとしても出ますし、SASUKEが今後続いていく為であれば、俺はなんだってやるって決めました」「SASUKEを続けて応援してくれる人半分、否定する人半分だったけど、諦めずに頑張るって言うことを本当の意味で学んだ」「若い奴らに先越されている感はあるけど、完全制覇は諦めてないんで、いつか必ず制覇してみせます」と最後までミスターSASUKEとしての意気込みを露わにした。

第29回大会以降[編集]

第29回以降は、山田軍団・黒虎を率い、1st STAGEを徹底解説、さらには3rd STAGEのデモンストレーションを担当。約10年ぶりの3rd挑戦となった。アイアンパドラーで若干苦労したものの、結果的にはクレイジークリフハンガーの2本目の終盤でリタイアとなった。

第32回では、YouTubeで公開された1stからFINALまでの各エリアの解説を担当した。FINALではセット横の階段からゴール地点への登頂を行い、初めて頂上からの景色を眺めた。この際山田は「どこかチャンスがあるならば、必ず戻ってきます」と、復帰への意欲も見せていた。[13][14][15][16]

第33回では、特別招待選手として1回限りの復帰。スタッフに20周年を一言でと問われると、「ありがとうの一言ですね。こんなにダメやったやつをここまで育て上げてくれて」と語り、タイファイターでリタイアした。そして挑戦後のインタビューでは「俺の思いは、悔しさは持って帰るけど、完全制覇という昔からの思いは置いていくので若い奴らが必ず取り戻してくれると思います」と涙しながら語った。

SASUKEに出場した大会の結果[編集]

大会別成績[編集]

大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
第1回大会 92 2nd 5連ハンマー 3本目
第2回大会 91 2nd スパイダークライム 6枚目、1st全カット、2ndダイジェスト
第3回大会 89 FINAL 15m綱登り 残り約30cm、最優秀成績
第4回大会 100 3rd クリフハンガー 2個目の空白
第5回大会 100 2nd スパイダーウォーク 3枚目
第6回大会 99 3rd パイプスライダー 着地失敗(コース外転落)、最優秀成績
第7回大会 100 1st ロープクライム タイムアップ
第8回大会 100 1st そり立つ壁 タイムアップ
第9回大会 99 2nd ウォールリフティング 2枚目、タイムアップ
第10回大会 100 3rd パイプスライダー 着地失敗、最優秀成績
第11回大会 100 2nd バランスタンク 対岸付近、後方に転落
第12回大会 98 2nd スパイダーウォーク改 手袋取り忘れにより失格[9]
第14回大会 99 1st ジャンプハング 掴み失敗
第15回大会 99 1st クロスブリッジ 対岸付近、コース外転落
第16回大会 99 1st ロープクライム タイムアップ
第17回大会 100 1st そり立つ壁 壁に手をかけた直後タイムアップ
第18回大会 ※73 1st ロープラダー タイムアップ
第19回大会 91 1st ジャンピングスパイダー 張り付き失敗
第20回大会 1999 1st ジャンピングスパイダー 張り付いた後転落
第21回大会 96 1st そり立つ壁 タイムアップ
第22回大会 81 1st ジャンピングスパイダー 張り付き失敗
第23回大会 71 1st スライダージャンプ 掴み失敗
第24回大会 80 1st そり立つ壁 タイムアップ
第26回大会 90 1st ジャンピングスパイダー 張り付き失敗
第27回大会 91 1st そり立つ壁 タイムアップ
第28回大会 99 1st 2連そり立つ壁 1つ目の壁を登った直後タイムアップ
第33回大会 33 1st タイファイター SASUKE20周年特別招待選手として出場
  • ※第18回大会はゼッケン争奪マラソンによってゼッケンが決定

通算成績[編集]

出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出
27回 10回 4回 1回
  • 2017年 第33回大会終了時

SASUKEトライアル(2004年)[編集]

種目 STAGE 制限時間 残り時間 順位 クリア人数 備考
SASUKEトライアル 1st 80秒 10.58秒 12位 15人 第13回大会は欠場

SASUKEでの特徴[編集]

記録[編集]

いずれも2017年第34回大会終了時点の記録。

  • 初出場から6大会連続1stクリア(第1-6回大会)の歴代最多記録を保持している。第12回大会までは1stを10度突破しており、1stクリア率は約83%と抜群の安定感を誇っていた。1stをクリアした10度のうち4度(第5、6、9、10回)がクリア者一桁の大会であり、クリア者の少ない大会で活躍する傾向が強いことが特徴。
  • 3rd最終エリア到達数は3度であり、竹田や白鳥、漆原らと並び3位タイの記録。なお、3大会とも最優秀成績を記録。
  • 最優秀成績は過去3度(第3、6、10回大会)経験しており、長野誠(8度)、漆原裕治、森本裕介(ともに4度)に次ぐ歴代4位。完全制覇者を除くと歴代1位。
  • ゼッケン100番は7度経験しており、長野の14度に次ぎ歴代2位。秋山(3度)、漆原(2度)、森本(4度)と完全制覇者の多くを上回っている。

エリア・ステージ[編集]

1stの難関エリア・ジャンプハングを得意としており、2000年春から2003年春(第5回-第12回、SASUKEトライアル)まで9回連続でクリアしている。第14回に初の失敗を喫したものの、その後の大会は全てクリアしている(2015年現在)。

1stの難関エリア・そり立つ壁は40代を迎えた第16回大会以降鬼門エリアとなっている。そり立つ壁が初登場した第5回では、このエリアでの脱落者が続出したが、山田は本放送における成功者5人のうちの1人となっている[17]。初挑戦の第5回大会から第16回大会まで(SASUKEトライアルを含む)のそり立つ壁は、10回中8回を成功(2度目までに成功)させており、成功率80%と比較的得意としていた[18]。その後は40代を迎え、足腰に衰えが見え始めたこともあり、第18回(グレートウォール)、第23回以外の大会はリタイアを喫している。

第12回までは12回中6回2ndでリタイアしており、鬼門となっていた。特にスパイダーウォーク関連のリタイアが多く、2ndがリニューアルされた第7回以降は3度進出するものの、その内の2度はスパイダーウォークが原因でのリタイアである。大リニューアルが敢行された第18回大会以降も1stジャンピングスパイダーに4度屈するなど、未だ鬼門となっている。

3rdでは進出した過去4回中3回最終エリア・パイプスライダーまで到達している。第6回時のインタビューでは「1st、2ndに自信あっても3rdに自信がなかったら出ないほうがいい」と語っており、自信を持っていたことが伺える。

背筋力は240kgである(第3回の3rd実況より)。

パイプスライダーのグリップ[編集]

パイプスライダーでは片方が順手、もう片方が逆手という特徴的なグリップをしており、当初は山田のみが行う手法だった。初挑戦の第3回ではスタート直後からバーが傾いでしまったことにより、古舘伊知郎から「このグリップの仕方はどうだったのか?これは、考え外れた戦略でありましょうか」と実況される場面もあった。第6回のコース外転落について古舘伊知郎は「振り子のように横に振られるから、反動がついて落ちやすくはなる」と本放送で解説している。

しかし、第8回のヨルダン・ヨブチェフが山田のような順手・逆手の手法でパイプスライダーを成功。さらにその後オールスターズを中心に順手・逆手の手法が普及し、何人かの成功者が出たことにより、順手・逆手の手法は主流のものへと変化していった。

テーマ曲[編集]

専用のBGMがテーマソングとして存在する。

曲名 出典 初使用回  備考
終わりなき護法 鬼神童子ZENKI 第5回 紹介VTR
幻夜 六三四Musashiの楽曲 第5回 スタート前

人物[編集]

学生時代[編集]

中学時代は陸上部で、高校時代は野球部に所属していたほか、ソフトボールで全国大会出場という経歴を持つ[19]

陸上の長距離走が得意であり、小学4年生からマラソン大会は毎年優勝していた。躍進したきっかけは、自信を持って臨んだ小学3年生のマラソン大会で4位に終わった悔しさから練習を続けたことだという[3]

スポーツ引退後、25歳からトレーニングを再開し、31歳でSASUKEと出会う。後に山田は「学生時代は人より運動ができたため、できない人の気持ちを理解することができなかったが、SASUKEは挑戦する度に落ち続け、非難を受けたことが挑戦を続ける理由の一つになった」と述懐している[19]ほか、「『俺より出来るやつなんて世の中おらへん』と思っていたんですよ。でも、SASUKEはやっても出来ひん、やっても出来ひんという。そこで自分って何やろうと考えたとき、自分って何にも出来ひんのやって気付かされたし、自分の弱さも実感出来ました」と語っている[3]

高校野球[編集]

高校時代の野球部は未経験のまま入部し、エースで4番を目指していたが、すぐに肩を壊して投手から野手に転向した[3]

高校2年生の11月、その年の最後の練習試合に、9回二死2、3塁の一打逆転の場面で代打に指名されたが、すべて見逃しで三球三振に終わった。山田は「ひざがガクガク震えてバットを振ることができなかった。野球ではそのとき初めて悔しいと思った」と語り、「そこからなにかにのめり込む際の度合いが激しくなっていったんです。春までの約5カ月、学校や寝ている時間以外はほとんどバットを振っていました」と語るほど野球に没頭した[3]

その後、高校3年生の春の2試合目に8番で先発出場。2打席続けて初球のストライクをホームランにし、その後は4番で固定されたという。山田は「あの三球三振がなければ、今のようにはなっていないです」と振り返っている[3]

愛称[編集]

愛称は「浪速のターミネーター」、「浪速のブラックタイガー」、「漆黒の通天閣」、「人生SASUKE」、「職業SASUKE」、「無冠の帝王」、「ミスターSASUKE」など。かつては「完全制覇に最も近い男」とも呼ばれていた。

浪速のターミネーター」とは、山田がアーノルド・シュワルツェネッガーに似ていることから、当時の実況者であった古舘伊知郎が『クイックマッスル全国選手権』出場時につけた最初の愛称である。「浪速のブラックタイガー」という愛称も生まれ、後に結成した「山田軍団・黒虎」はこの愛称を参考に命名した。

古館が降板した第13回以降は「ミスターSASUKE」と呼ばれることが多くなり、SASUKEに出場した際の肩書きに表記されることもある。

影響と評価[編集]

自宅にSASUKEのセットを初めて作成した人物である。山田の影響により、現在は多くの出場者が自宅にSASUKEのセットを作成して練習している。また、多くの有力選手が山田の活躍に影響されてSASUKE挑戦を志している。その影響は選手のみならず、番組にも多大な影響を与えている。

選手への影響[編集]

  • 史上二人目の完全制覇者である長野誠は山田に憧れてSASUKE出場を決意した。漁船の自室に家族の写真と並べて山田の写真を貼り、山田同様失敗したエリア(そり立つ壁)のセットを自宅に作って練習したことから、当初は「第2の山田」という愛称で呼ばれた。
  • 史上三人目の完全制覇者である漆原裕治も山田を初めとするSASUKEオールスターズに憧れて出場を決意した[20]。第21回前には山田の地元で行われたイベントに参加し、オリジナルのSASUKEセットを完全制覇したことから初の本戦出場が決定した。このことから、漆原は「SASUKEの道を切り開いてくれたのは山田さんです」と語っている[7]
  • 史上四人目の完全制覇者である森本裕介も、第3回大会でFINALに挑む山田の姿に憧れてSASUKE出場を志した。森本はSASUKEで結果を残す前に、山田の自宅を訪ねて自作セットでトレーニングをしたことがある。
  • SASUKE新世代組の一人である菅野仁志は、山田の3rdSTAGEの挑戦に憧れてトレーニングを始めたと語っている[7]
  • 同じくSASUKE新世代組の一人である又地諒は、小学生の頃にTVで山田の挑戦を見たことがSASUKEを始めたきっかけだと語っており、「人生に一番良い影響を与えてくれた人」としている[7]

番組への影響[編集]

  • 総合演出を務める乾雅人は、出場者の人間ドラマを描く現在のSASUKEの土台を作ったのは山田の影響が大きかったと語っている。自宅にセットを作るほどSASUKEにのめり込む山田のストーリーを第3回大会の放送から組み込んだところ、番組が一気に人間臭いものに変わり、それがSASUKEの大きな柱になったと語っている[21]。また、乾はSASUKEが生んだモンスターとして、山田の名前をあげており、「彼がいたからその後に長野誠さんら、後に続く者が出てきた」と評価している[21]
  • 第4回から登場した3rdの定番エリア・クリフハンガーは、1999年に当時のプロデューサーが山田を取材した祭、壁懸垂のトレーニングをしている山田の姿を見たことによって思いついたものだという[22]。奇しくも第4回に新設された同エリアで山田は脱落となった。

評価[編集]

  • 番組プロデューサーは、「山田さんは失敗するにしても、こちらの想像しえない結果を見せてくれる。記録よりも記憶。プロ野球で言えば、王貞治ではなく長嶋茂雄なんです」と評価している[3]
  • SASUKE新世代組の一人である川口朋広は、「やっぱりいろんな人に話を聞いて一番最初に出てくるのは山田さんの名前なんですね。〝ミスターSASUKE〟の、仕事やめちゃった人でしょと。それくらい印象強くて、悪いことも良いこともすべてSASUKEのことを知っていて、『俺にはSASUKEしかないんですよ』という名言を超える名言は未だにないと思うんですよ。SASUKE30回やってきて。それは多分50回60回続けても永遠に語り継がれる名言だと思うので、これからもずっとSASUKEの象徴であると思います」と評価している[7]
  • SASUKEへの取り組み方、挑む姿勢は他の選手に高く評価されており、常連選手である高橋賢次は、「山田さんの行動一つ一つを目に焼き付けてきたんですけど、取り組み方、気持ちの入り方、SASUKEに対する熱い気持ちが本当に〝ミスターSASUKE〟なんですよ」と評しており、SASUKE新世代組の一人である日置将士は、「山田さんをテレビで見ていてSASUKEに対する取り組み方、構え方、挑み方、いろいろと指導していただいていて、今の僕たちがあると思っています」と評している[7]

筋肉番付シリーズでの活躍[編集]

クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)[編集]

20歳過ぎからジム通いをしていた頃、『筋肉番付』のクイックマッスル(3分間で腕立て伏せの回数を競う)の一般募集を見たところ、山田曰く「なにか自分が頑張れば結果が出せるものを探していた」こともあり挑戦を決意。そこからはジムでのトレーニングも腕立て伏せに特化したメニューに変えたと語っている[3]

クイックマッスル全国選手権[編集]

1996年、『クイックマッスル全国選手権』本選出場を目指し、大阪府の予選会に参加。激戦区と呼ばれた大阪大会を212回という記録を残して1位通過し、本選出場権を獲得した。『クイックマッスル チャンピオンシップ』の王座挑戦権も獲得し、当時無敗のチャンピオンであった朝野公平と対決。朝野275回、山田249回で王座奪取はならなかった。

1996年9月7日、『クイックマッスル全国選手権』本選に大阪府代表として出場。会場には身重であった妻と長男、当時の職場の同僚などが応援に来ていた。本選では1回戦を250回、2回戦も同じく250回の記録を残して準決勝進出。いずれも対戦相手の回数を見てペース配分を行い、余力を残しての勝利であった。

準決勝の相手は無敗であった朝野公平を破り、最高記録307回を記録した秋山和彦。当時はセンサーが用意されておらず、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告(1度につき10秒間のペナルティー)を受ける。終盤まで快調なペースで秋山を引き離すが、残り15秒から秋山が猛烈な追い上げを見せ、結果は両者298回。審議となり、秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。山田は後のインタビューで「(まさかここまで来るとは)思ってなかった。298回なんか練習でもしたことない」と語っている。

決勝は岩手代表の伊藤忠夫との勝負となるが、準決勝での激闘により充分な体力は残っておらず、結果は伊藤300回、山田243回で準優勝に終わる。山田はこの後悔し涙を流している。準決勝で記録した298回は秋山(307回)、伊藤(300回)に次いで大会第3位の記録である。

山田はこの大会での活躍をきっかけにSASUKE出場を果たしている。

2006年お台場マッスルパークにて秋山和彦と10年ぶりの腕立て勝負が行われた。10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。この勝負は『サスケマニア』にて放送された。

MUSCLE RECORD 9ミニッツ(9分間腕立て伏せ)[編集]

1997年12月27日、『筋肉番付スペシャル!!』として東京湾アクアラインで行われた『MUSCLE RECORD 9ミニッツ』に近畿代表として出場。ルールは3分間腕立てして1分間休憩、これを3ラウンド繰り返すというもの。大会では644回を記録し、682回を記録した伊藤忠夫に次いで準優勝となる。

三色筋肉(マッスルジム)[編集]

2000年10月、過去の成績優秀者のみを集めた『三色筋肉決戦大会』に出場。ルールは1分毎に腹筋、背筋、腕立て伏せをするというもの。9月に行われたSASUKE第6回大会のパイプスライダー落下時に腰を強打したため、出場が危ぶまれたものの、体調を回復させ、三色筋肉用のセットを自宅に作成して練習に励んだ。本番前には「クイックマッスルからずっと数えてみても準優勝ばっかりで、SASUKEに関してもあともう少しで落ちているんで、俺の中では一番じゃないと意味がない」と意気込みを語った。

本選では212回の自己記録を持つ高田聖一との勝負になり、山田214回、高田192回で勝負を制し、暫定1位となる。その後、賀出泰崇(172回)との勝負を制した伊藤忠夫(233回)に抜かれ、またしても準優勝となった。この模様は『ケイン・ザ・マッスル』内で放送された。

2001年、『筋肉番付』内の1コーナーである筋肉行脚にて秋山和彦と対決を行った。全体を通して秋山に遅れをとる形となったものの、腕立て残り10秒で猛烈な追い上げを見せ逆転。結果は山田202回、秋山200回で山田の勝利となった。後ろにNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのは『スポーツマンNo.1決定戦』時だと思われる。

2001年、『筋肉番付』で池谷直樹との三色筋肉対決も行われた。腹筋でのカウントミスが多発し、池谷に10回以上遅れをとるペースで最後の腕立て伏せに突入。猛追したものの腕立てでもカウントミスが多発し、結果は池谷212回、山田201回となった。

海筋肉王(バイキング)[編集]

フジテレビの『海筋肉王』にも2005年4月から2006年7月にかけて出場。個人戦、ペア戦含めて過去4回出場している。

個人戦第2弾に初出場。予選会では1分間腕立て伏せ152回の記録を作り、秋山和彦(164回)に次ぐ第2位の成績となった。1stキャノンボールでリタイアとなる。

ペア戦では第1弾に長男の優雅と参戦。1stバンブロード挑戦途中でタイムアップとなるも、上位15名が2nd進出となるルールであったため、2nd進出。最終エリア脱出ロード挑戦前でタイムアップとなるも、最後まで登りきった。終了後のインタビューの際に鼻血を出すハプニングもあった。また、この放送は本田技研工業ステップワゴンの1社提供であり、番組中のCMにも出演した(ワゴンの中でぬいぐるみを抱いて寝ている姿で出演)。

個人戦第3弾では前回リタイアしたキャノンボールをクリアするも、慎重なペースが仇となり、最終エリアであるキャプテンキャビンのゴール付近でタイムアップとなる。

最後の出場となったペア戦第3弾は1stパーレイでタイムアップ。


大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
個人戦第2弾 99 1st キャノンボール
ペア戦第1弾 2nd 脱出ロード 挑戦前にタイムアップ
個人戦第3弾 81 1st キャプテンキャビン タイムアップ
ペア戦第3弾 1st パーレイ タイムアップ

TV番組出演[編集]

水曜日のダウンタウン[編集]

TBSの『水曜日のダウンタウン』に過去10回以上出演しており、SASUKE企画だけではなく、演技やカラオケにも挑戦している。

SASUKE企画[編集]

  • 2015年1月14日、庄司智春がプレゼンした「金田一のトリック アクロバティックすぎてほぼSASUKE」説を検証するため、『金田一少年の事件簿』のトリックを忠実に再現した「KINDAICHI」に挑戦。全3ステージに挑戦し完全制覇を達成した。ドラマパートもあり、『山田一少年の事件簿』として演技にも挑戦した。また、同放送回でたむらけんじがプレゼンした「シンバルだけで食べている人などいない」説にも出演し、一般人代表としてシンバルを叩いている。
  • 2015年7月8日、ケンドーコバヤシがプレゼンした「SASUKE猿なら完全制覇できる」説で、ニホンザルのカンタのSASUKE挑戦を見守った。カンタは、通常とは大きくかけ離れた攻略の仕方[23]を見せ進んでいくが、最後はそり立つ壁でタイムアップとなり、完全制覇はならなかった。同企画は9月30日に再放送された。
  • 2016年6月15日、庄司智春がプレゼンした「ゲーム×現実 SASUKE マリオ」の企画に出演。小宮浩信山本博歌広場淳福徳秀介レイザーラモンHG佐藤かよ秋山和彦と共に、SASUKEとスーパーマリオメーカーを組み合わせた種目に挑戦した。成功者は0人で、山田は1つ目のクワッドステップスで失敗に終わった。
  • 2017年4月19日、庄司智春がプレゼンした「ホームセンター×SASUKE」の企画に出演した。あかつ・レイザーラモンHGと共に予算3万円でホームセンターの商品を購入し、購入した物を活用して完全制覇へ挑んだ。山田はそり立つ壁を脚立で上るダブルペンダラムを手作りの舟でスルーするというアイデアで7エリア中苦手な2エリアを無効化するという作戦だったが、挑戦ではその手前のタイファイターで落水してしまった[24]
  • 2018年3月21日、博多大吉がプレゼンした「SASUKEの池の水ぜんぶ抜く」に出演。本企画はテレビ東京の『緊急SOS危険生物から日本を守れ!池の水を全部抜いて全滅大作戦』のパロディーとして、20年間替えていなかったSASUKEの2ndSTAGEの池の水を抜くという企画。しかし、5時間かけて水を抜き、2時間も捜索を続けたものの、出てきたものは冬眠中と思われるムカデや、今年のセット組み立て図などの小物が大半。最終的に、庄司智春が金属探知機で骨折中の山田のギプスをチェックし、骨折部分を固定しているボルトを検出し、「山田の足は重傷」という検証結果がオチとなった[25]

カラオケ企画[編集]

その他の企画[編集]

  • 2015年9月9日、タカアンドトシがプレゼンした「バラエティで一番こすられてる昔の写真、オレの」説で、「さほどこすられていない写真」として山田の20歳頃の写真が使用された。
  • 2016年8月10日、たむらけんじがプレゼンした「どんな競技にも「ミスター」いる」説で、「ミスターSASUKE」として紹介されたが、この番組恒例のスタッフの悪意による編集での紹介であった。
  • 2016年10月25日、『水曜日のダウンタウン』のLINE (アプリケーション)公式スタンプが発売され、全40種のスタンプの中に山田勝己のスタンプも収録された。「ゲーム×現実 SASUKEマリオ」での「そんなやり方じゃダメですね」という台詞を発したシーンがスタンプとなっている[27]
  • 2018年1月17日、博多大吉がプレゼンした「芸能人でもないのに自分のサインある人キビしい」説で、「『芸能人でもないのにサインがありそうな人』調査」の対象となり出演。山田のサインの有無がクイズとして出題され、ふかわりょうの「ある」との回答通り、自身オリジナルのサインを持っていることが判明した。山田はSASUKEオールスターズ全員がサインを所有していることも明かしている。

オールスター感謝祭[編集]

  • 2012年9月29日、『オールスター感謝祭'12秋 超豪華!クイズ決定版』にSASUKE RISINGの番宣をかねて回答者として出演。番組内企画「ぬるぬるビーチフラッグ」に参加し、自宅に特設のぬるぬるビーチフラッグコースを自作して練習に励んだ。決勝戦で河本準一に敗北した。回答者としては10問正解し、総合順位は200人中191位だった。
  • 2014年3月29日、『オールスター感謝祭'14春 豪華プレゼント大放出!視聴者に大感謝SP』で行われた「赤坂5丁目ウォールクラッシュ」[28]のデモンストレーターとしてゲスト出演した。
  • 2015年10月3日、『オールスター感謝祭'15秋チーム対抗サバイバル!クイズ王座決定戦!!』にて、「山田勝己が水に落ちた回数は?」という問題が出題された。正解は10回で、正解者は1名。正解のVTRにこれまでの山田の全リタイアシーンがダイジェストで流れた。

その他のTV・メディア出演[編集]

  • 2007年8月26日、テレビ東京のドラマ『去年ルノアールで』の第7話に出演し、役者デビューを果たした。演出を務めた大根仁は自身のTwitterにて自ら山田にオファーをしたことを示唆している[29]
  • 2007年9月5日、テレビ朝日の『すくいず!』に出演。番組内のモンキーバーで佐藤弘道に勝利した。
  • 2007年10月11日、フジテレビの『CHIMPAN NEWS CHANNEL』2時間スペシャルの1コーナー、SASUKEに佐藤弘道、ワッキーとともに出演、チンパンジーのゴメス・チェンバリンと激闘を繰り広げた(この番組は元は同年2月20日に放送予定だったものが延期されたため、収録自体は2007年初め頃に行われていた)。
  • 2011年9月25日、『クイズ☆タレント名鑑 USC〜史上最大ガチ相撲トーナメント 2011秋〜』にSASUKE第27回大会の番宣をかねて出場。自宅に土俵を自作して練習に励んだ。トーナメントでは1回戦であかつと対戦し、敗北した。
  • 2015年1月9日、TBSの『チーム有吉〜◯◯したら即引退スペシャル~』に出演。「うそ発見器で笑ったら即引退」という企画に被験者として参加した。
  • 2015年1月14日、ロンドンブーツ1号2号田村淳が、トヨタ自動車トヨタ・ヴェルファイアとのコラボ企画として『新型ヴェルファイアVS足の速い人』をプロデュースし、SP動画を制作。ワッキー八木真澄、山田勝己らが参戦し、最新の自動車に挑戦した[30]
  • 2015年4月13日、株式会社リクルートホールディングスは、取扱い台数日本最大級の中古車情報サイト「カーセンサー」のスペシャルムービーを「YouTubeカーセンサー公式チャンネル」にて公開した。この動画に山田勝己と、グラビアアイドルの都丸紗也華が、自身の両手足にタイヤを装着した伝説の中古車として登場した[31]
  • 2015年10月6日、NOTTVの『AKB48のあんた、誰?』の「AKB48チーム8のあんた、ロケ」企画に出演。山田の自宅のSASUKEセットで「ミニSASUKE」企画が行われた。
  • 2015年11月21日、海外向けWi-Fiルーターレンタルサービス「グローバルWiFi®」新TV-CM「糸電話プロジェクト」篇に出演。糸電話で日本と海外をつなげるプロジェクトにすべてを捧げる主人公を熱演した。CMでは「俺には糸電話しかないんですよ」という第10回の名言(俺にはSASUKEしかないんですよ)を真似たものや、紙コップを見て「この反り加減では無理…」と、そり立つ壁を思わせるつぶやきをするなど、随所にSASUKEのネタが散りばめられている[32]
  • 2016年9月9日、フジテレビの『全力!脱力タイムズ』に出演。「ガクガク震えるカイダン話」として、東京都港区にある愛宕神社の男坂を紹介し、足がガクガク・ブルブルする階段(カイダン)を登り切った様子が流れた[33]

ゲーム関連[編集]

2001年発売のGB専用ソフト「筋肉番付GB3〜新世紀サバイバル列伝〜」に山田勝己をモデルにした「ミスター・ボンベ」というキャラが隠しキャラとして登場。当時、ボンベ配送業をしていたためにつけられた名前である。パワーとスタミナの値が高く、特にパワーは全登場キャラの中でトップクラスである。

2001年発売のGBA専用ソフト「筋肉番付〜決めろ!奇跡の完全制覇〜」に初めて実名で登場し、パッケージにも出ている。パワーとスタミナの値が高いキャラクターとなっている。

2001年発売のPS2専用ソフト「筋肉番付〜マッスルウォーズ21〜」の「マッスルシアター」で一定の条件を満たすことにより、第6回までの大会のダイジェスト映像を視聴できる。

2002年発売のニンテンドーゲームキューブ専用ソフト「マッスルちゃんぴよん〜筋肉島の決戦〜」に山田勝己をモデルした「やまださん」というキャラで登場。

2006年発売の体感ゲーム「SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦」[34]のイメージキャラクターとなり、「4倍楽しい!」のキャッチフレーズでCMに出演。番組側は第16回終了時に山田が引退を決意していたため、出演するか否かは本人の気持ちに委ねたが、山田を出演を快諾した。事実、CMスタッフは収録直前まで山田が引退を決意していたことを知らされていなかった。山田は参加したイベントで多くのSASUKEファンからの励ましに触れ、引退を撤回した。このイベントでは得意の腕立て伏せも披露している。

その他の出来事[編集]

  • 2005年の第16回前に、大学祭で山田勝己のためのイベントが開催された。SASUKEを模したセットや、生徒達を乗せたトラック引き、ファイナルステージを連想させる綱登りなどに挑戦。学生達から沢山の応援の声が届き、山田の心を熱くさせた。この模様は『サスケマニア』にて放送された。
  • 2006年12月13日、お台場マッスルパーク報道イベントに、秋山和彦長野誠と共に参加。山田はこの他にもマッスルパークのイベントに何度もゲストとして呼ばれている。マッスルパークのSASUKEでは初挑戦で完全制覇し、健在ぶりをアピールした。
  • 2007年3月21日放送のSASUKE第18回大会にデンジャラスノッチが山田勝己のモノマネをして出場している[35]。ゼッケン74番での出場で、奇しくもゼッケン73番で出場した山田との連番であった。結果は第1エリア・ロープグライダーでの脱落(ダイジェスト扱い)。
  • 2007年10月16日(「SASUKE」に挑戦しよう 春日モリモリまつり)に参加。長野誠・竹田敏浩も参加している。
  • 2008年4月26日、27日にマグロフェスタに参加。竹田敏浩・長野誠・秋山和彦・山本進悟も参加している。
  • 2010年7月25日、姫路市で行われた「2010 第39回 アメリカンヘルスボディビルコンテスト」に特別審査員として出演[36]
  • 2010年8月10日、地元・兵庫の『株式会社 基陽』のイメージキャラクターとなり、コラボポスターも製作された[37]
  • 2013年開催の第29回以降は、山田の発言テロップに対し毛筆書きのような専用の書体が使用されている。これは「水曜日のダウンタウン」に出演した際も使用されている。

出演[編集]

テレビ(筋肉番付関連)[編集]

テレビ(その他)[編集]

ドラマ[編集]

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

DVD[編集]

  • 『SASUKE』30回記念DVD 〜SASUKEヒストリー&2014スペシャルエディション〜

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ SASUKE RISING 公式サイト
  2. ^ SASUKE RISING 2013 Mr. SASUKE Yamada Interview(山田勝己氏インタビュー)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 52歳「ミスターSASUKE」山田勝己の甚大な鍛練
  4. ^ 山本進悟は山田の減量に影響され、翌第4回大会出場時に、軽量級の選手でありながらも7kgもウエイトを落としている。
  5. ^ 翌第7回大会からはパイプスライダーの着地地点の横にも水が用意されるようになった。
  6. ^ 人間解析ドキュメント「ZONE」第127回 「SASUKE 名も無きアスリート達」
  7. ^ a b c d e f 短期集中連載『SASUKEへの道』
  8. ^ 人間解析ドキュメント「ZONE」第172回 「第172回 「SASUKEに魅せられた男達」」
  9. ^ a b c d e f g h 人間解析ドキュメント「ZONE」第173回 「〜運命〜 山田勝己を襲った悲劇の真実」
  10. ^ 第12回の番宣およびオープニングでは、本放送でカットされていたにも関わらず、ブリッククライムで落下したシーンが使用された。
  11. ^ a b ドキュメンタリー番組「SASUKEに生きる男たち」より
  12. ^ SASUKE公式YouTube 山田勝己 1st後ノーカットコメント
  13. ^ 【360度動画】SASUKE2016×山田勝己!! 大幅リニューアルの1stステージ徹底解説!! 『SASUKE2016』【TBS】#1 - YouTube
  14. ^ 【360度動画】SASUKE2016×山田勝己!! 2nd3rdステージも新エリア含め徹底解説!! 『SASUKE2016』【TBS】#2 - YouTube
  15. ^ 【360度動画】SASUKE2016×山田勝己!! 山田勝己がついにファイナルの頂に立った!! 『SASUKE2016』【TBS】#3 - YouTube
  16. ^ SASUKE2016×山田勝己!! 山田勝己流1stステージ攻略法大公開!! 『SASUKE2016』【TBS】#5 - YouTube
  17. ^ そり立つ壁の初挑戦時にクリアできなかった実力者は多く、長野誠、白鳥文平、秋山和彦、池谷直樹、朝一眞、橋本亘司などが該当する。
  18. ^ 2002年秋から2006年冬(第10-12回、SASUKEトライアル、第16回)までに5回挑んだそり立つ壁は5連続・ノーミスでの成功を果たしている。
  19. ^ a b SASUKE公式YouTube 山田勝己ロングインタビュー
  20. ^ 第24回の完全制覇時のインタビューにて。
  21. ^ a b 「SASUKEが生んだモンスターはふたりだけ。山田勝己と…」ーー総合演出が語った番組誕生&制作秘話
  22. ^ 乾雅人のTwitterでの発言より。
  23. ^ ロググリップで、丸太が先に対岸へ進んでしまったが、レール部分の鉄骨の間を縫って対岸まで渡ったり、パワー系エリアのタックルで、壁の隙間を潜り抜けて進むなど。
  24. ^ 山田が購入したものは「アルミ二連はしご7m(\22,800)」「ほうき(\248×2)」「発泡スチロール(\1,980×2)」の計\29,436(税込み)。なお、ほうきは舟のオールとして使用した。
  25. ^ 松本人志もワクワク「SASUKEの池の水ぜんぶ抜く」の顛末は…
  26. ^ ミスターSASUKEこと山田勝己さんの意外な特技にスタジオ驚き
  27. ^ LINE STORE 水曜日のダウンタウン
  28. ^ 同局で以前放送されていたゲームバラエティ番組「関口宏の東京フレンドパークII」で実施された同名アトラクションの復活版
  29. ^ hitoshioneのツイート(21622625126055936)
  30. ^ 「車VS人間」ワッキー、ミスターSASUKE・山田勝己らが人間の限界に挑む
  31. ^ “ミスターSASUKE”・山田勝己さんと グラビアアイドル・都丸紗也華さんの両手足がタイヤに! “伝説の中古車”が98円で発売!? スペシャルムービー「伝説の中古車」 【4月13日(月)より公開】
  32. ^ “ミスターSASUKE”山田勝己さんを起用しTV-CM順次オンエア開始
  33. ^ 9/9放送 脱力TOPICS
  34. ^ SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦 公式サイト
  35. ^ ノッチはその後、第22回・第24回にもオバマ大統領のモノマネで出場。
  36. ^ 2010 第39回 アメリカンヘルス ボディビルコンテスト
  37. ^ KH × MR.SASUKEのコラボが始まりました。
  38. ^ 第28回からSASUKEの総合演出を担当する乾雅人も本人だと認めている