ヨシュア・トゥリー
| 『ヨシュア・トゥリー』 | ||||
|---|---|---|---|---|
| U2 の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | ウィンドミルレーンスタジオ, ダブリン 1986年 | |||
| ジャンル | ロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | アイランド・レコード | |||
| プロデュース |
ブライアン・イーノ ダニエル・ラノワ | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
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| U2 アルバム 年表 | ||||
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『ヨシュア・トゥリー』(The Joshua Tree)は、アイルランドのロックバンド、U2が1987年3月9日に発表した5枚目のスタジオ・アルバム。前作『焔』に引き続き、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎えて制作された。
アンビエント的なサウンドアプローチを試みた前作から一転し、ブルースやカントリーといったアメリカやアイルランドのルーツ・ミュージックに強く影響を受けた、より力強く地に足の着いたストレートなロック・サウンドを展開している。歌詞の面では、ボノが中南米(エルサルバドルやニカラグア)への訪問で目の当たりにした政治的抑圧への怒りや、アメリカという国が持つ「神話的な理想」と「厳しい現実」の二面性に対するバンドの複雑な感情が色濃く反映されている。また、ツアー中に急死した親友のローディー、グレッグ・キャロルへの哀悼など、深い精神性と社会的なメッセージが共存する傑作となった[1]。
リリースされるや否や、世界中で爆発的な大ヒットを記録し、アメリカとイギリスの両国でチャート1位を獲得した。「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイムといった音楽史に残る名曲を生み出し、全世界での累計売上は2500万枚を超える。
1988年の第30回グラミー賞では「最優秀アルバム賞」を受賞し、U2を世界最大のロックバンドへと押し上げた記念碑的作品である。『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500』において、27位にランクイン[2]。
2014年には、「文化的、歴史的、または美学的に重要である」として、アメリカ議会図書館の全米録音資料登録簿に永久保存された。
概要
[編集]制作背景
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本作は、U2がそれまでの音楽性をさらに発展させ、アメリカの音楽や文学、社会問題を積極的に取り込んで制作したアルバムである。1984年の『焰』以降、バンドはアメリカでの活動を重ねる一方、アフリカの飢餓や貧困、アパルトヘイト、中央アメリカの紛争など、さまざまな社会問題にも関心を深めていった。1984年にはボノとアダム・クレイトンが「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に参加し、1985年にはライヴ・エイドや反アパルトヘイト・プロジェクト「サン・シティ」に関わった。さらに1986年には、アムネスティ・インターナショナルの慈善ツアー「コンスピラシー・オブ・ホープ」に参加している[3]。
ルーツ・ミュージックとアメリカ文化
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この時期、U2はアメリカへの関心を強めていった。ボノの頭の中には「現実のアメリカ」と「想像上のアメリカ」という二つのアメリカを対比させるという漠然としたコンセプトがあった[4]。また、ボノはヴィム・ヴェンダースの『エモーション・ピクチャーズ』を読み、アメリカがポピュラー・カルチャーを通じて世界の人々の無意識を「植民地化」してきたというヴェンダースの考察にも影響を受けていた[5]。
ボノはアメリカ文学に傾倒し、フラナリー・オコナー、ノーマン・メイラー、レイモンド・カーヴァーらの作品を読み、アメリカの表面的なイメージだけではなく、そこに生きる普通の人々や社会の周縁に追いやられた人々を理解しようとした[3]。ボノは1987年に『NME』に、「彼らは聖書的なイメージもたくさん使う。僕は聖書を読んできた人間なので、そうした原初的なイメージに大きな力があることが分かる。誰もが、ああいうシンプルで力強いイメージに共感できるんだ。特にアメリカの政治状況について、前年がいかに荒廃した一年だったのかを伝えたいとき、そうした表現は役に立つ」と語っている。また、ボノは『夕陽のガンマン』をはじめとするクリント・イーストウッド主演映画も片っ端から観たという[6]。
音楽面では、ボブ・ディランやキース・リチャーズとの交流が大きな刺激となった。特にキース・リチャーズからジョン・リー・フッカーやロバート・ジョンソンらのブルースを聴かされたことは、ボノに強い衝撃を与えた。U2はそれまでパンクやポストパンクの影響を強く受けていたが、こうした経験を通じてブルース、ゴスペル、フォーク、カントリーなど、アメリカ音楽のルーツへと遡っていった[3]。ボノは、かつてU2がパンク・ムーブメント以前の音楽を長年にわたって拒絶してきた姿勢を、単なる音楽的無知に基づくものであり、もはや誇るべきものではないと考えるようになった[7]。
また、アイルランドの音楽シーンとの交流も重要だった。ホットハウス・フラワーズやザ・ウォーターボーイズらがアイルランドの伝統音楽と現代的なロックを結びつけようとしていたことも、U2が自らの音楽的ルーツを考え直すきっかけとなった[3]。
新作の制作にあたり、ボノはこの方向性で行こうと他のメンバーを説得した。ラリーはアメリカ公演を繰り返す中で、ブルースやカントリー・ミュージックにすっかり魅せられ、ハンク・ウィリアムズ、パッツィ・クライン、ドリー・パートンなどを聴くようになっていたので、この方向性にすぐに賛同した。一方、エッジはカンやイーノの作品を愛聴しており、直前にマイケル・ブルックと共同で、『焰』の環境音楽要素をさらに発展させたような『キャプティブ』のサウンドトラックを制作しており、『焰』の方向性をさらに発展させたいと考えていた。しかし、ロバート・ジョンソンの初期のブルーズを聴いたことにより翻意し、ルーツ・ロックの方向性に賛同した[6]。
また、ボノには、新作ではソングライティングに焦点を絞り、より規律のある作品にしたいという構想もあった。伝統的な曲構成に沿い、世界中のメインストリーム・ラジオで流すことのできる曲を書くのである。きっかけは、1985年に音楽プロモーターのバリー・フェイから「君たちは世界最大のロック・バンドかもしれない。でも、まだ自分たちの『ヘイ・ジュード』を持っていないじゃないか」と言われたことだった。この構想にはバンドのメンバーおよびイーノも賛同した[8]。
レコーディング
[編集]レコーディングは1986年初頭から始まり、ダブリン郊外ラスファーナムのデーンズモート・ハウスを中心に、ウィンドミル・レーン・スタジオやジ・エッジの自宅「メルビーチ」などを使って行われた。デーンズモート・ハウスはジョージ王朝様式の大邸宅で、通常のスタジオとは異なる広い空間を利用することで、『焰』のスレーン城での制作と同様、開放的な音響を得ることが意図されていた[3]。制作陣には前作に引き続いて、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワ、そしてギャヴィン・フライデーの紹介で、フラッドも加わった[9]。
アダム・クレイトンによれば、バンドはバッキング・トラックをできるだけ全員でライブ演奏する形で録音することを望んでいた。特にデーンズモート・ハウスの大きな部屋は豊かな残響を持ち、アルバムを特徴づける巨大なドラム・サウンドの形成に大きく貢献した。ダニエル・ラノワも、デーンズモートでのセッションがアルバム全体の音色の「背骨」になったと説明している[3]。
1986年6月、U2はコンスピラシー・オブ・ホープ・ツアーへの参加のためレコーディングを一時中断した。ツアー後の8月からはウィンドミル・レーン・スタジオ、デーンズモート・ハウス、メルビーチを行き来しながら制作を再開し、「マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード」や「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」などがメルビーチで形になった。この時期にはロビー・ロバートソンもダブリンを訪れており、ダニエル・ラノワのプロデュースによるソロ・アルバムの制作を行っていた。ロバートソンとU2はこのセッションで「Sweet Fire of Love」と「Testimony」を録音し、両曲は後にロバートソンのソロ・アルバム『ロビー・ロバートソン』に収録された[10]。
バンドの創作意欲は旺盛で、1986年秋にはダブル・アルバムを制作できるほど多くの楽曲を生み出していた。ボノは2枚組の制作を提案したが、最終的には11曲に絞り込まれた。エッジによれば、ボノが構想していたブルース色の強い作品と、より「ヨーロッパ的」な方向を目指した作品という、二つの異なるアルバムが同時に存在していたという。しかし、最終的にはアルバム全体の音響的な統一感よりも、「自分たちが最も優れている」と感じた楽曲を優先して収録することを選んだ。選曲の基準となったのは、聴き手を実際の場所へ連れていくような「シネマティック・ミュージック」という感覚だったという[11]。
最終的な録音とミックスにはスティーヴ・リリーホワイトらも加わり、アルバムは1987年1月、アイランド・レコードが設定した締め切りのわずか数時間前に完成した。最終日の夜、U2はメルビーチにあるエッジの寝室で、アルバムの曲順を誰が最も上手く決められるかを競うコンテストを開き、当時リリーホワイトの妻だったカースティ・マッコールが曲順を決めた[12]。
アルバムタイトルの由来
[編集]アルバム制作当初の仮タイトルは「The Two Americas(2つのアメリカ)」だった。スリーブ・デザイナーのスティーヴ・アヴェリルによれば、このタイトルには、砂漠の風景と文明化された社会という、アメリカの二つの側面を対比する意図が込められていた。ボノとジ・エッジも後に、アルバムが「神話的なアメリカ」と「現実のアメリカ」の対比を捉えようとした作品だったと説明している。なお、制作段階では「The Desert Songs」という仮タイトルも使われていたとされる[13][14]。
その後、ジャケット撮影のためにカリフォルニア州の砂漠地帯を訪れた際、メンバーは移動中に独特な形をした植物を何度も目にした。運転手に「あれは何か」と尋ねたところ、それが「ヨシュア・トゥリー(Joshua tree)」と呼ばれる植物であることを知った。その名前に興味を持ったボノは、この木をジャケット写真に使うことを思いつき、メンバーは砂漠の中でヨシュア・トゥリーを探して撮影を行った[15]。
ヨシュア・トゥリーは、19世紀のモルモン教徒の開拓者たちによって、独特の枝の形が旧約聖書の登場人物ヨシュアが祈りのために手を広げている姿を思わせることから名付けられたとされる。この聖書に由来する名称は、信仰や精神性を作品の重要なテーマとしていたU2にとっても印象的なものだった[15]。
こうして、当初の「The Two Americas」という仮タイトルに代わって「The Joshua Tree」がアルバムの正式なタイトルとなった。砂漠の過酷な環境の中で生きるヨシュア・トゥリーは、アルバムに描かれたアメリカの広大な風景や孤独、信仰への渇望といったテーマとも重なり、作品全体を象徴する存在となった。ラリー・マレン・ジュニアは後に、この出来事を振り返り、「俺たちがヨシュア・トゥリーを探しに行ったのではなく、ヨシュア・トゥリーの方から俺たちを見つけに来たようなものだった」と語っている[15]。
社会・政治的テーマ
[編集]本作では、アメリカへの憧れと、その裏側にある社会的・政治的現実が並行して描かれている[3]。
「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」は、中央アメリカでの内戦とアメリカの軍事介入を背景としており、「レッド・ヒル・マイニング・タウン」はイギリスの炭鉱町を舞台に、産業の衰退と労働者の苦境を描いている。「マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード」は、アルゼンチンやチリの軍事政権下で行方不明となった人々と、その帰還を求める母親たちを題材としている[3]。
一方で、「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」や「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」のような個人的・宗教的なテーマを持つ楽曲も収録されており、アルバム全体が政治的メッセージだけで構成されているわけではない。むしろ、アメリカという土地への憧れ、宗教的な探求、愛、喪失、社会的不正義といった異なるテーマを、同じ音楽的世界の中に共存させたことが特徴となっている[3]。
この性格は、アルバム終盤の曲順にも表れている。「エグジット」では精神的な崩壊や狂気の暗部が描かれ、その後に「マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード」が置かれることで、アルバムは個人の内面から社会的な悲劇へと視点を広げながら静かに幕を閉じる[3]。
商業的成功
[編集]本作は1987年3月9日に発売され、世界各国でチャート1位を獲得した。U2の公式サイトによれば、アルバムには「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」など、後にバンドを代表する楽曲となる作品が収録され、全世界で2000万枚以上を売り上げた[3]。
発売当時、アメリカの『TIME』誌はU2を表紙に取り上げ、「Rock's Hottest Ticket」という見出しを掲げた。U2はこのアルバムによって、それまでのポストパンク・バンドという位置づけを越え、世界最大級のスタジアム・バンドへと飛躍した[3]。
本作は第30回グラミー賞で最優秀アルバム賞と最優秀ロック・パフォーマンス賞(グループ)を受賞し、U2の商業的成功と音楽的評価の双方を決定づける作品となった。その後のU2にとっても、アメリカのルーツ・ミュージックとアイルランドの音楽的背景、個人的・宗教的な探求、そして1980年代の政治的・社会的現実を融合させた本作は、最も重要な転機の一つとなった[3]。
商業的成功の背景
[編集]『ヨシュア・トゥリー』の発売当時、アイランド・レコードは経営危機に直面していた。創業者のクリス・ブラックウェルは、レコード事業で得た利益を映画の製作・配給に投じていたが、批評面で評価された作品がある一方、完成に至らない企画もあり、資金繰りを悪化させていた。1984年から1985年にかけて同社社長を務めたデイヴ・ロビンソンは、音楽事業の拡充に充てるべき利益が映画事業に流用されたとしてブラックウェルと対立し、会社を去った[16]。
こうした状況のなか、ポール・マクギネスは、米国市場に精通した人物に本作の発売を統括させようとした。前作からのシングル「プライド」が米国で期待ほどの成果を上げなかったことを踏まえ、元エレクトラ・レコード上級副社長のルー・マグリアをブラックウェルに紹介した。マグリアは、レコード事業に関する最終決定権を持つことを条件に経営への参加を引き受けた[16]。
就任に際してマグリアが確認したアイランドの財務状況は厳しく、コピー機が差し押さえられ、宣伝担当者への経費精算も滞っていた。一方、米国ではカセットや、普及し始めていたCDで未発売の旧作が残されていた。マグリアは、英国中心だった同社の事業運営を見直し、米国市場の需要に合わせた発売と販売促進を進めた[17]。
本作は、その販売戦略の中心となった。1986年末にラフ・ミックスを聴いたマグリアは、音楽業界の関係者に試聴させるとともに、10万ドルのマーケティング予算を組み、流通を担うWEAに発売当初からCDを大量に供給するよう働きかけた。本人の回想によれば、発売日に100万枚のCDを用意するよう求め、1週間以内のゴールドディスク獲得を約束したという。結果として、本作のCD出荷枚数はそれまでのWEAの記録を上回った[18]。
1987年3月、本作は米国のアルバム・チャートで7位に初登場し、その後9週連続で首位を記録した。作品への評価に加え、米国市場を重視した販売体制の整備と、発売時からの大規模なCD供給が、その商業的成功を支えたとされる[18]。
ジャケット
[編集]アルバム・ジャケットの写真はアントン・コービン、デザインとレイアウトはスティーヴ・アヴェリルが担当した。1986年12月、U2とコービンは3日間にわたってモハーヴェ砂漠を巡り、デスバレー周辺で撮影を行った。ジャケットに使われた写真では、広大な砂漠の風景を背景にメンバー4人が画面の左側に寄せて配置され、その右側に荒涼とした大地が大きく広がっている。この構図には、ジョン・フォードやセルジオ・レオーネの西部劇映画のようなシネマティックな雰囲気を取り入れたという[19]。
また、撮影中に偶然見つけた1本のヨシュア・ツリーをメンバーの象徴的な存在として写真に収め、アルバム・タイトルもこの木に由来している。白黒で撮影された荒涼とした風景と、真剣な表情で立つメンバーの姿は、それまでのU2とは異なる重厚で禁欲的なイメージを作り上げ、本作を象徴するビジュアルとなった。ただ、ラリーによれば、U2のメンバーが不機嫌そうに写っているのは、撮影当時の気温が氷点下20度だったことが影響しているのだという[20]。
なお、1987年のオリジナル盤では、LP、CD、カセットで異なる写真がジャケットに使用されていた[19]。
収録曲
[編集]オリジナル盤
[編集]全曲 作詞:ボノ、作曲:U2
| # | タイトル | 時間 |
|---|---|---|
| 1. | 「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム(約束の地)」(Where the Streets Have No Name) | |
| 2. | 「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー(終りなき旅)」(I Still Haven't Found What I'm Looking For) | |
| 3. | 「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」(With or Without You) | |
| 4. | 「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」(Bullet the Blue Sky) | |
| 5. | 「ランニング・トゥ・スタンド・スティル」(Running to Stand Still) | |
合計時間: | ||
25周年記念盤
[編集]| # | タイトル | 時間 |
|---|---|---|
| 1. | 「レッド・ヒル・マイニング・タウン」(Red Hill Mining Town) | |
| 2. | 「イン・ゴッズ・カントリー(神の国)」(In God's Country) | |
| 3. | 「トリップ・スルー・ユア・ワイアーズ」(Trip Through Your Wires) | |
| 4. | 「ワン・トゥリー・ヒル」(One Tree Hill) | |
| 5. | 「エグジット」(Exit) | |
| 6. | 「マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード」(Mothers of the Disappeared) | |
合計時間: | ||
30周年記念盤
[編集]『クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー』
[編集]| クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー | |
|---|---|
| Classic Albums: The Joshua Tree | |
| 監督 |
フィリップ・キング ヌアラ・オコナー |
| 出演者 | U2 |
| 上映時間 | 51分 |
| 製作国 |
|
『クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー』(Classic Albums: The Joshua Tree)は、イギリスの音楽ドキュメンタリー・シリーズ『Classic Albums』の一作。U2の5作目のスタジオ・アルバム『ヨシュア・トゥリー』の制作過程を、メンバーへのインタビュー、当時のアーカイブ映像、レコーディング映像などを通して振り返るドキュメンタリーである。監督はフィリップ・キングとヌアラ・オコナー[21][22]。
本作では、ボノ、ジ・エッジ、アダム・クレイトン、ラリー・マレン・ジュニアらが『ヨシュア・トゥリー』の制作を振り返るほか、プロデューサーのブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワ、エンジニアのフラッドらも制作過程について証言している。『ヨシュア・トゥリー』は、前作『焔』でも制作を担当したイーノとラノワを再びプロデューサーに迎えて制作された。エンジニアとしてフラッドが参加し、追加エンジニアリングをデイヴ・ミーガンとパット・マッカーシーが担当した[23]。
ツアー
[編集]ヨシュア・トゥリー・ツアー
[編集]
『ヨシュア・トゥリー』の発表に伴い、U2は1987年4月から12月にかけて北米とヨーロッパを巡るヨシュア・トゥリー・ツアーを行った。全109公演からなるツアーでは、アリーナに加えてスタジアムでの公演が本格化し、U2が世界最大級のライヴ・バンドへ成長する転換点となった。[24]
ステージでは「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」など本作の楽曲が中心となった。ツアー中には、北アイルランドのエニスキレン爆破事件を受けてボノが「ブラディ・サンデー」の演奏中にIRA暫定派とその武装闘争を支持する一部のアイルランド系アメリカ人を批判するなど、政治的な発言も注目を集めた[25]。
また、第3レグではフィル・ジョアノー監督によるツアーの撮影が行われ、U2はグレイスランドやサン・スタジオを訪問し、ゴスペル・クワイアやB.B.キングらと共演した。こうしたアメリカ音楽の探訪とツアーのライヴ映像は、次作『魂の叫び』および同名映画へと発展した[26]。
こうしてヨシュア・トゥリー・ツアーは、U2を世界最大級のロック・バンドへ押し上げる大成功を収めて終了した。しかし、その成功は同時にU2を、それまでとはまったく異なる存在へと変えていた。メンバーは巨大な名声と富を手にし、数十人規模のスタッフと複雑なビジネス機構に囲まれ、メディアやファンから常に監視されるようになった。そして、ステージ上では社会的・政治的メッセージを発信しながら、裏側ではイメージや利益を綿密に管理する巨大なエンターテインメント企業へと変貌していた[27]。
ヨシュア・トゥリー・ツアー2017
[編集]
本作の発売30周年を記念して2017年に北米、ヨーロッパ、メキシコ、南米を巡るコンサートツアーが行われた。ツアーでは、本作に収録された全11曲をアルバムの曲順通りに演奏された。
ヨシュア・トゥリー・ツアー2019
[編集]ヨシュア・トゥリー・ツアー2017の続編で、ニュージーランド、オーストラリア、日本、シンガポール、韓国、フィリピン、インドを巡った。シンガポール、韓国、フィリピン、インドでは初公演だった。
批評
[編集]本作は1987年3月の発売直後から、U2のキャリアを代表する作品として極めて高い評価を受けた。『ローリング・ストーン』は同作を「U2の最も多様で、繊細で、親しみやすいアルバム」と評価し、従来のU2の力強さを維持しながら、より幅広い音楽的・感情的な表現を獲得した作品と論じた[28]。
『ロスアンゼルス・タイムズ』のロバート・ヒルバーンはさらに強い評価を示し、U2を「ローリング・ストーンズが何年も前に失ったものを持つ、世界最高のロックンロール・バンド」と評した。また、本作について、アメリカの音楽的伝統を取り込みながらも、単なるアメリカ文化の模倣ではなく、U2独自の音楽として消化している点を高く評価した[29]。
『シカゴ・トリビューン』のダニエル・ブローガンも、U2が1980年代後半から1990年代初頭にかけて最も影響力のあるバンドの一つになるだろうと予測し、本作をその転換点となる作品として評価した[30]。
ポップ・ミュージック研究家のポール・ガンバッチーニは、以下のように語っている。
『ヨシュア・トゥリー』はU2のキャリアの頂点であり、幸いなことに商業的な成功という意味でも彼らの頂点になった。芸術と商業が出会った、数少ない例の一つだと思う。また、史上最高のアルバムを選ぶさまざまな投票でも、常に非常に高い順位に入る作品で、実際、VH1のある投票では1位になった。何よりソングライティングの質が非常に高かったし、当時のボノはまさにロック・ミュージックそのものを体現するような声をしていた。もちろん、イーノの貢献も素晴らしかった。プロデューサーをあまり過大評価したくはないんだが、一方で、アレンジによってはプロデューサーについて語らずにそのアルバムを語ることはできない。ジョージ・マーティンとビートルズ、あるいはガス・ダッジョンと1970年から76年頃の初期エルトン・ジョンの時代を思い浮かべれば分かるだろう。ポール・サイモンが言ったようなイーノの「サウンドスケープ」と、U2の楽曲との組み合わせは完璧だった。
「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」や「アイ・スティル・ヘヴンツ・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」で音が徐々に浮かび上がってくるアイデアも素晴らしい。そして「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」の最初に鳴る、あの切ない一音だけでも、ものすごくソウルがある。イーノはU2のスタイルに対して、本当に完璧な補完役、あるいはカウンターウェイトだったと思う。
『ヨシュア・トゥリー』がこれほど素晴らしい作品になるとは、当時、多くの人が予想していなかったと思う。U2は、それまで時折素晴らしい作品を作ることはあっても、常にそうだったわけではなかったからね。私の記憶では、このアルバムは業界の中で徐々に評判を高めていった。そして成功すると、みんなが「素晴らしい!」と驚いたんだ。
ただ、アメリカのチャートで1位になったのは発売4週目だった。つまり、じわじわと伸びていったアルバムだったんだ。初期のU2のアルバムの多くは、アメリカのチャートに非常に長く残っていた。「ウォー」は179週、「アンダー・ア・ブラッド・レッド・スカイ」は180週、「ジ・アンフォゲッタブル・ファイア」は132週、そして『ヨシュア・トゥリー』でさえ103週もチャートに入っていた。最初から一気に売れたわけではなく、口コミによって成功していったんだ。『ヨシュア・トゥリー』によって初めて、U2はナンバーワンのロック・グループになったんだよ。 — ポール・ガンバッチーニ
発売から20年後の2007年には、リマスター盤の発売に際して改めて高い評価を受けた。『ピッチフォーク』は、本作によってU2が完全にスーパースターへと飛躍したとしながらも、単なる大規模なスタジアム・ロック作品ではなく、『焰』で培った実験性を整理し、アメリカの広大な風景や音楽文化を取り込んだ作品として評価した[31]。
現在では本作は、1980年代を代表するロック・アルバムの一つであると同時に、U2のキャリアにおける最高傑作の一つとして広く認識されている。2007年の再発時にも『Mojo』が5つ星を与え、『Q』は「スタジアム・ロックが適切な手にかかれば個人の心にも届くことを証明した」と評価しており、発売から数十年を経てもその評価は大きく揺らいでいない[32]。
評価
[編集]イヤーオブ
[編集]- 1987年ホットプレス年間ベストアルバム第3位[33]
- 1987年ホットプレス読者が選ぶ年間ベストアイリッシュアルバム第1位[34]
- 1987年ローリングストーン読者が選ぶ年間ベストアルバム第1位[35]
- 1987年ヴィレッジ・ボイスPazz & Jopアルバムリスト第4位[36]
- 1987年サウンズ年間ベストアルバム[37]
- 1987年NME年間ベストアルバム60第6位[38]
- 1987年Qマガジン年間ベストアルバム[39]
- 1987年Mojo年間ベストアルバム[40]
- 1987年Kerrang!年間ベストアルバム第9位[41]
- 1987年ライフ年間ベストアルバム[42]
- 1988年グラミー賞最優秀アルバム賞
- 1988年グラミー賞最優秀ロック・パフォーマンス デュオ/グループ
- 1988年第2回日本ゴールドディスク大賞・最優秀アルバム賞(洋楽・ロック・フォーク(グループ)部門)
オールタイム
[編集]- 1988年NME読者が選ぶオールタイムトップ100第20位[43]
- 1988年Ciao200101(イタリア)が選ぶベストアルバム100第7位[44]
- 1989年ロックスター(イタリア)が選ぶベストアルバム100第6位[45]
- 1989年Buscadero(イタリア)が選ぶ80年代ベストアルバム[46]
- 1989年レコード・ミラーが選ぶ80年代ベストアルバム第43位[47]
- 1989年ホットプレスが選ぶオールタイムベストアルバム100第1位[48]
- 1990年Buscadero(イタリア)が選ぶオールタイムベストルバム[49]
- 1990年Mucchio Selvaggio (イタリア)が選ぶ80年代ベストアルバム[50]
- 1990年ローリングストーンが選ぶ80年代ベストアルバム100第3位[51]
- ヴィレッジ・ボイスが選ぶ80年代ベストアルバム100第37位[52]
- ヴェルヴェット(イタリア)が選ぶ80年代ベストアルバム[53]
- 1991年スピンが選ぶオールタイムベストアルバム10第4位[54]
- 1993年タイムが選ぶオールタイムベストアルバム100第23位[55]
- 1994年「The Book of Rock Lists」が選ぶポストパンクアルバム150第101位[56]
- 1994年「The Book of Rock Lists」が選ぶベストナンバー1アルバム50第38位[57]
- 1994年ギネスが選ぶオールタイムトップアルバム1000第33位[58]
- 1994年ギネスが選ぶオールタイムトップアルバム総合チャート第48位[59]
- 1995年Qマガジンが選ぶ人生のアルバム100[60]
- 1996年Mojo読者が選ぶオールタイムベストアルバム100第45位[61]
- 1996年ゲイリー・グラフのエッセンシャルアルバムガイド収録アルバム[62]
- 1997年ガーディアンが選ぶオールタイムベストアルバム100第57位[63]
- 1997年チャンネル4が選ぶオールタイムベストアルバム100第19位[64]
- 1997年ローリングストーンが選ぶ重要なロックコレクション[65]
- 1997年ヴァージンメガストアが選ぶオールタイムベスト100第15位[66]
- 1998年ヴァージンが選ぶオールタイムベストアルバム1000第18位[67]
- 1998年Qマガジン読者が選ぶベストアルバム100第23位[68]
- 1998年スタジオ・ブリュッセル(ベルギー)の視聴者が選んだオールタイムベストアルバム第20位[69]
- 1999年VH1が選ぶオールタイムベストアルバム100第15位[70]
- 2000年デイブ・トンンプソンが10点満点を付けたアルバム53[71]
- 2000年ヴァージンが選ぶオールタイムベストアルバム1000第25位[72]
- 2001年Qマガジンが選ぶ人生のアルバム50第12位[73]
- 2002年ローリングストーン読者が選ぶトップ100アルバム第4位[74]
- 2002年スピンが選ぶオールタイムベストアルバム50第13位[75]
- 2002年BBCレディオ6が選ぶオールタイムベストアルバム第8位[76]
- 2003年Qマガジン読者が選ぶベストアルバム100第16位[77]
- 2003年ローリングストーンが選ぶアルバム500第26位[78]
- 2004年レコードコレクターが選ぶ最も価値のあるアルバム100:1500ポンド[79]
- 2004年Claus(アイルランド)が選ぶオールタイムベストアイリッシュアルバム第5位[80]
- 2005年チャンネル4が選ぶオールタイムベストアルバム100(2005)第2位[81]
- 2005年ホットプレスが選ぶオールタイムベストアイリッシュアルバム第1位
- 2005年「死ぬ前に聴いておくべきアルバム1001」[82]
- 2006年NMEが選ぶオールタイムベストアルバム100第11位[83]
- 2006年Qマガジンが選ぶ80年代ベストアルバム40第1位[84]
- 2006年Qマガジンが選ぶ人生のアルバム20第4位[85]
- 2006年Qマガジン読者が選ぶベストアルバム100第11位[86]
- 2006年BBCレディオ2が選ぶオールタイムベストアルバム第3位[87]
- 2006年クラシックロックマガジンが選ぶブリティッシュロックアルバム100第100位[88]
- 2007年Qマガジンが選ぶ音楽を変えた21のアルバム第15位(キートラックは I Still Haven’t Found What I’m Looking For )[89]
- 2008年レコードコレクター年間リスト(2008):20周年記念デラックス・エディション[90]
- 2008年トム・ムーンが選ぶ死ぬ前に聴いておくべきアルバム1000[91]
- 2011年Qマガジンが選ぶ人生のアルバム250第6位[92]
- 2012年ローリングストーンが選ぶアルバム500第27位[93]
- 2013年ジョン・ミーガー(アイリッシュ・インディペンデント)が選ぶオールタイムベストアイリッシュアルバム第15位
- 2013年NMEが選ぶオールタイムベストアルバム500第424位[94]
- アイリッシュ・タイムズが選ぶオールタイムアイリッシュベストアルバム第14位
- 2013年アメリカ議会図書館が毎年公表している全米録音資料登録簿(将来に渡って保存すべき録音資料)に、2013年分の登録作品のひとつとして選出[95]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ↑ “Brian Eno is MORE DARK THAN SHARK”. www.moredarkthanshark.org. 2026年8月11日閲覧。
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参考文献
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- Jobling, John『U2 : The Definitive Biography』New York : Thomas Dunne Books : St. Martin's Press、2014年。
- Bono (2025). Bono: Stories of Surrender. Penguin (Cornerstone). ISBN 978-1529160598