ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン
| 『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』 | ||||
|---|---|---|---|---|
| U2 の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 2007年6月 - 2008年12月 | |||
| ジャンル | ロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | インタースコープ・レコード | |||
| プロデュース | ブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワ、スティーヴ・リリーホワイト | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
| ゴールドディスク | ||||
| U2 アルバム 年表 | ||||
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『ノー・ライン・オン・ザ・ホライズン』(No Line on the Horizon)は、アイルランドのロックバンド、U2が2009年に発表した第12作目のスタジオ・アルバムである。
駆け出し時代のU2を支え、2008年に亡くなったアイランド・レコードのロブ・パートリッジに捧げられている。
前2作(『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』)でのストレートなロック路線から一転し、再び実験的でアヴァンギャルドなサウンド・アプローチを取り入れた意欲作である。長年の盟友であるブライアン・イーノとダニエル・ラノワを単なるプロデューサーとしてだけでなく、ソングライティングのパートナーとしても迎え、モロッコのフェズでレコーディングが開始された。現地のイスラム音楽や北アフリカの独特なリズムを取り入れ、「未来の賛美歌(Future Hymns)」を作ることを初期のコンセプトとしていたが、制作後半にはスティーヴ・リリーホワイトも合流し、より伝統的なU2らしいロック・サウンドとの折衷が図られている。
アルバムのジャケット写真には、日本の現代美術家・杉本博司による海と空の境界線が溶け合うモノクローム写真『ボーデン湖、ウトヴィル(Boden Sea, Uttwil)』が起用されており、「地平線に線はない(無限の可能性)」というアルバムの精神的なテーマを象徴している。
世界30ヶ国以上で初登場1位を獲得し、批評家からも概ね高い評価を得たものの、難解な作風も影響してセールス面では前2作ほどの圧倒的な商業的成功には至らなかった。しかし、本作に伴って開催された「U2 360°ツアー」は、スタジアムの中央に「ザ・クロウ(爪)」と呼ばれる巨大な円形ステージを配置する革新的な演出で世界的な熱狂を巻き起こし、当時の音楽史上最高となる興行収入と動員数を記録する歴史的な大成功を収めた。
概要
[編集]リック・ルービンの起用
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本作の制作は、2006年にリック・ルービンをプロデューサーに迎えたセッションから始まった。U2は同年、ルービンのプロデュースによって「ウィンドウ・イン・ザ・スカイズ」を制作しており、その経験を踏まえて新作の制作にもルービンを起用した[3]。
ルービンとのセッションについて、U2は当初、シンプルで原点回帰的なアルバムを制作することに興味を持っていた。しかし、実際に作業を進める中で、ルービンが楽曲を初期段階で完成形に近づけ、余計なオーバーダブや音色の加工を加えずに仕上げることを重視していることが分かった。一方、U2は楽曲が完成した後も、雰囲気や音色、オーバーダブなどを加えながら、さらに可能性を追求していくことを望んでいた。そのため、両者の制作に対する考え方には大きな違いがあった[4]。
また、セッションを進めるうちに、ルービンとシンプルな方法で制作を続ければ、結局は「これまでのU2を少し良くしただけ」の作品になってしまうと感じるようになった。次のアルバムでは、過去のスタイルを再定義するのではなく、そこからさらに新しい方向へ進む必要があると考えたのである。そのため、ルービンとのセッションには一定の評価を持ちながらも、当時のU2が求めていた制作方法とは合わないと判断した[4]。
ルービンとのセッションでは複数の楽曲が録音されたものの、最終的にその多くはアルバムには採用されなかった。2008年11月、制作終盤の状況について語ったジ・エッジは、2006年にルービンと録音した楽曲を「棚上げした」と明らかにしており、本作の中心となった素材の多くは、その後ブライアン・イーノとダニエル・ラノワと行ったセッションから生まれたと説明している[3]。
リック・ルービンとのセッションを経たU2は、次のアルバムをこれまでとは異なる方向へ進めるため、イーノとラノワを、従来のプロデューサーではなく「ソングライター」として制作に参加させることを決めた。イーノとラノワが本作で正式に作曲者としてクレジットされた背景には、過去の作品における楽曲制作への貢献をめぐる問題があった。イーノは2007年のインタビューで、『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』の各曲が「Music by U2」とのみクレジットされ、自身の貢献が記載されなかったことに強い不満を抱いたと明かしている[5]。 一方、ラノワは本作について、自身とイーノが初めて作曲者としてクレジットされたことを歓迎し、従来もアレンジや作曲面で貢献していたと述べている[6]。
モロッコ・フェズでの制作
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録音の場所に選ばれたのは、北アフリカのモロッコだった。その背景には、ボノが以前からモロッコのフェズで開催される世界聖なる音楽祭に招待されていたことがあった。ボノは、この土地の宗教音楽や文化に触れることで、U2が普段とは異なる環境から新しい音楽を生み出せるのではないかと考え、エッジに「コンフォートゾーンから抜け出すために、みんなで旅に出てみないか」と提案した。アダムとラリーもこのアイデアに強い関心を示したという[7]。
アダム・クレイトンによれば、本作の制作は「音楽を別の場所から生み出す」ための試みであり、バンド自身が「もっと開かれた制作」に踏み出す大きな転換だった。前二作で大成功を収めていたU2だったが、安全策を取りすぎていたとも感じていた[8][9]。
こうして2007年初夏、U2はイーノ、ラノワとともにフェズへ向かった。古都のメディナ近くにある改装されたリアドの中庭をスタジオに改造し、約2週間にわたって作曲と録音を行った。そこでは完成した曲を持ち込んで録音するのではなく、6人が演奏しながらアイデアを出し、即興から曲そのものを作り上げていくという方法が採られた。ラリーは、イーノとラノワと「純粋にソングライティングという目的で仕事をするのは初めて」であり、「非常に実験的で、解放された」制作だったと語っている[7]。

フェズという環境そのものも、音楽に大きな影響を与えた。特にバンドに強い印象を残したのが、バトハ博物館の敷地内で行われたペルシャ人歌手パリサとダスタン・アンサンブルの公演だった。75分間のステージは、実に45分と30分というわずか2曲から構成され、一般的なポップ・ミュージックの「ヴァース―コーラス―ヴァース」という構造を完全に排していた。その自由な構成にボノは「信じられるか? これはすごくないか?」と声を上げ、感銘を受けていたという[10]。
バンドは時にウード奏者や地元の打楽器奏者と共演しながら、スーフィーの歌唱やジュジュカのドラム・パターンを楽曲に取り入れ始めた。ジュジュカのリズムについては、イーノがあらかじめラリーのために準備していたという。さらにヒンドゥー音楽やユダヤ音楽の要素も試みられた。ラノワは後にカナダのDJアラン・クロスに、その狙いは「未来の賛美歌――未来のためのスピリチュアル・ソング(Hymns for the Future)」を作ることだったと説明している[10]。
そして、このセッションから生まれた代表的な楽曲の一つが「モーメント・オブ・サレンダー」である。ブライアン・イーノによれば、この曲はフェズで行われた数時間のセッションの中からほぼ完成形に近い状態で生まれた。U2とイーノ、ラノワはその場で曲の構造を即興的に作り上げ、最初に演奏したテイクが、その後の編集と短いチェロの導入部分の追加を除いて、ほぼそのままアルバムに収録された。イーノはこれを自身にとって「最も素晴らしいスタジオ体験」の一つと評価している[11]。「モーメント・オブ・サレンダー」のほかにも、「マグニフィセント」「アンノウン・コーラー」「フィーゼ・ビーイング・ボーン」など、本作の重要な楽曲の原型がフェズでのセッションから生まれた。リアドの中庭で録音されたため、完成した音源には鳥の鳴き声が聞こえる箇所もあり、フェズという環境そのものが作品の音響の一部となっている[9]。
第三人称による歌詞
[編集]一方、本作では、ボノが複数の楽曲で自分自身ではなく、架空の人物の視点から歌詞を書くという手法を取り入れた。ボノは、それまで一人称で歌詞を書くことに飽きたことから、想像の中に現れた人物たちになりきって歌詞を書くようになったと説明している。そこには、戦場ジャーナリスト、モロッコ系フランス人の警官、アフガニスタンで戦う兵士など、異なる境遇に置かれた人物が登場する[11]。
ボノはこの手法について、想像の中に現れた人物の「服を着る」ような感覚で、それぞれの人物になりきって歌詞を書いたと説明している。例えば「シーダーズ・オブ・レバノン」では戦場ジャーナリスト、「フェズ-ビーイング・ボーン」では職務を放棄して逃走するモロッコ系フランス人の警官、「ホワイト・アズ・スノー」ではアフガニスタンで負傷した兵士の視点が採用された[8]。
制作方針の転換
[編集]フェズでのセッション後も制作は長期間にわたって続けられ、U2はダブリンの自前スタジオ、ニューヨークのプラチナム・サウンド・レコーディング・スタジオを経て、最終的にロンドンのオリンピック・スタジオで約6週間にわたって作業を行い、2008年12月にアルバムを完成させた[8]。 最終段階では、U2の初期作品を手掛けたスティーヴ・リリーホワイトも追加プロデューサーとして参加した[6]。
しかし、この長期にわたる制作過程で、アルバムの方向性はフェズで構想されていたものから変化していった。ラリー・マレン・ジュニアによれば、当初は「難解な(esoteric)」作品の中に数曲のヒット曲を収録する構想だったが、制作が進むにつれて「別のものへ変化した」という。一方でラリーは、実験性そのものが失われたわけではなく、『ZOOROPA』やパッセンジャーズのような従来のU2の実験作とは異なる種類の作品になったとも説明している[8]。
イギリスの音楽評論家、ジョン・ジョブリングによれば、この変化の背景には制作陣の音楽に対する考え方の相違があった。イーノとラノワが、自分たちのヴィジョンに忠実な作品を作り、それが最終的に聴衆を獲得するという考えを重視していたのに対し、U2はより幅広い聴衆へ届くシングル向きの楽曲を求めていたという。ジョブリングは、その結果としてフェズで生まれたモロッコ音楽の影響や実験的な要素の多くが制作過程で後退したと評している[12]。
またジョブリングは、ボノがヒット・シングルを生み出すことを強く意識して「アイル・ゴー・クレイジー・イフ・アイ・ドント・ゴー・クレイジー・トゥナイト」「ゲット・オン・ユア・ブーツ」「スタンド・アップ・コメディ」の3曲を書いたとしている。さらに、完成直前まで本作を革新的な作品と評価していたラノワは、バンドの方向転換に失望し、関係者の証言によれば、ミックス作業の終盤にはU2との関係が悪化していたという[13]。
リリーホワイトは、イーノとラノワによるモロッコでの制作開始後にプロジェクトへ参加し、ダブリンとロンドンでのセッションを担当した。後に彼は、U2には「最後の瞬間まで」作品に手を加え続ける習慣があり、本作でも同様だったと振り返っている[6]。 一方、完成直前にオリンピック・スタジオで制作途中の7曲を試聴した『Q』編集長ポール・リースは、本作について、原点回帰的だった前2作よりも『アクトン・ベイビー』の精神に近い「より大胆で、より挑戦的な作品」と評しており、完成作の実験性については異なる評価も存在した[14]。
発売時のプロモーション
[編集]アルバム発売に先立ち、U2は2009年初頭から大規模なプロモーション活動を展開した。2月8日に開催された第51回グラミー賞では、発売前の先行シングル「ゲット・オン・ユア・ブーツ」を初めて公の場で演奏し、授賞式のオープニングを飾った[15]。 さらに同月18日のブリット・アワードでも同曲をオープニングで演奏し、21日にはベルリンで開催されたエコー賞にも出演した[16]。
アメリカでは、アルバムの発売に合わせて3月2日から6日までCBSの『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に5夜連続で出演した。単一の音楽アーティストが同番組に1週間連続で出演するのは初めてで、毎晩異なる楽曲を演奏した。 この出演に合わせ、ニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグはマンハッタンの西53丁目の一部を一時的に「U2 Way」と命名した[17]。
イギリスではBBCがアルバム発売に合わせてU2をテレビ、ラジオ、オンラインで大規模に取り上げた。2009年2月27日にはロンドンのブロードキャスティング・ハウス屋上で約20分間のライヴが行われ、「ビューティフル・デイ」「ゲット・オン・ユア・ブーツ」「マグニフィセント」「ヴァーティゴ」の4曲を演奏し、周辺には約5,000人が集まった[18]。
一方、BBCによる集中的な露出は、公共放送が特定の商業作品を過度に宣伝しているとの批判も招いた。保守党議員ナイジェル・エヴァンスは、U2が「金では買えない」ほどの宣伝を受けているとして、受信料によってその費用が賄われることに疑問を呈した[19]。 商業ラジオ業界団体RadioCentreもBBCに正式な苦情を申し立てた[20]。
これを受けてBBCのEditorial Complaints Unitは2010年、アルバム発売時の一部の報道について、商業的な製品や組織に「過度な注目」を与えたとして編集ガイドラインへの抵触を認定した。特に画面上で使用された「U2=BBC」というロゴについて、BBCがU2を支持しているかのような「不適切な印象」を与えたと判断したほか、BBC Radio 1のインタビューでBBCがアルバムの発売に「参加している」と表現したことについても不適切だったとした[20][21]。
セールスの不振
[編集]本作は発売直後には大きな商業的成功を収めた。アルバムはアメリカ、イギリス、アイルランド、日本など30か国で初登場1位を記録し、アメリカでは発売初週に約48万4,000枚を売り上げ、U2にとって7作目のBillboard 200首位獲得作品となった。これは当時、前作の『原子爆弾解体新書』に次ぐ、U2史上2番目に大きな初週売上だった[22]。
しかし、前作がアメリカで初週約84万枚を売り上げていたのに対し、本作の初動は約35万6,000枚少なかった。『ロサンゼルス・タイムズ』は、音楽市場全体におけるCD販売の減少や、前作が年末商戦期に発売されたことなどを考慮する必要があるとしながらも、本作には前作の「ヴァーティゴ」に相当するラジオでの大ヒット曲がなかったことを指摘した[22]。実際、先行シングル「ゲット・オン・ユア・ブーツ」は全英シングルチャートで12位、アメリカのBillboard Hot 100では37位にとどまり、アルバムの売上は発売後に急速に失速した。2009年10月までにアメリカでの売上は約100万枚となり、U2のスタジオ・アルバムとしては10年以上で最も低い水準となった[23]。
ボノ自身も売上が期待を下回ったことを認め、アルバム全体を一つの作品として構成することを優先したため、「ポップ・ソングをうまく作れなかった」と振り返った。また、本作について、ポップ・ミュージックに慣れた聴衆には「少し挑戦的な作品」だったのではないかと分析した。アダム・クレイトンも商業面での問題に向き合う必要があることを認めている[23]。
「ボノはほとんど腹を立てているように聞こえる。ファンが単純に「ブーツ」を良い曲だと思っていないという事実を受け入れようとしていない」「『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』からのひどいシングル群の失敗が、次にはもっと良い曲を作るきっかけになってくれればいい」
とりわけ「ゲット・オン・ユア・ブーツ」の不振について、ボノは後に『ローリング・ストーン』のインタビューで、同曲をクラブ・ミュージックとインディー・ロックの要素を組み合わせたクロスオーバー作品と説明し、「時には僕らの観客は、僕らが望むほどグルーヴィーではない」と述べた。そのうえで、聴衆は実験的な方向よりも「ヴァーティゴ」のような楽曲を期待しており、『ポップ』収録の「ディスコテック」でも同様の反応が起きていたと語った[25]。
音楽評論家ポール・ガンバッチーニは、本作の商業的・創作的な結果について、U2がアルバム制作の間隔を4、5年にまで延ばしたことを問題視し、継続的に作品を制作していた初期と比較して創作力が低下したと批判した。また、「ゲット・オン・ユア・ブーツ」をボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を思わせる作品と評しながら、その出来に疑問を呈し、アルバム発売時に展開された大規模な宣伝活動についても、U2が自身の影響力を利用した過剰なプロモーションだったと批判した[26]。
本作の結果は、制作中から構想されていた次作にも影響を与えた。U2は本作のセッションで生まれた、より内省的・実験的な楽曲を中心とするアルバム『ソングス・オブ・アセント(Songs of Ascent)』を早期に発表する構想を明らかにしていたが、『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』の商業的な伸び悩みなどを経て計画は延期され、当初想定されていた形では発売されなかった[27]。
一ただ、本作を単純な商業的失敗とみなすことは難しい。U2公式サイトによれば、アルバムは2009年6月までに世界で500万枚を売り上げており、世界30か国で1位を記録した。 また、2009年の世界年間アルバム売上では第7位に入ったとされる。したがって、本作の「不振」は絶対的な販売規模というより、『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』や『原子爆弾解体新書』によって2000年代前半に回復していたU2の商業的水準と比較した場合の相対的なものだった[8]。
ツアーの商業的成功と新曲の不振
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本作のリリースに伴い、2009年から2011年にかけて行われたU2 360°ツアーは、アルバム自体のセールスが過去の作品に及ばなかったこととは対照的に、記録的な大成功を収めた。スタジアムの中央に「クロー(爪)」と呼ばれる巨大な4本脚の構造物を配置し、観客が360度どの位置からでもステージを囲むことができる画期的な円形ステージを採用した。この構成により通常のコンサートよりも多くの観客を収容できるようになり、最終的に110公演以上で700万人を超える観客を動員した。その興行収入は巨額に達し、2011年には「当時史上最高額の興行収入を記録したコンサート・ツアー」としてギネス世界記録に認定されている。これは、本作の時代においてもU2が世界最大級のスタジアム・バンドであり続けていることを力強く証明する結果となった[28][29]。
一方で、ツアーのセットリストにおいて本作の楽曲群は複雑な運命を辿ることになる。ツアーの序盤において、本作の楽曲はセットリストの中心に据えられていた。初期の公演では「ブリーズ」「ノー・ライン・オン・ザ・ホライズン」「ゲット・オン・ユア・ブーツ」「マグニフィセント」の4曲が冒頭に連続して演奏され、さらに「アンノウン・コーラー」や「アイル・ゴー・クレイジー・イフ・アイ・ドント・ゴー・クレイジー・トゥナイト」、「モーメント・オブ・サレンダー」なども組み込まれるなど、アルバムは手厚くプロモーションされていた[30]。
しかし、観客の反応やライブのダイナミクスを考慮した結果、ツアーが進むにつれて本作からの選曲は次第に減少していった。意欲作であった新曲群をセットリストから外さざるを得なかったこの状況について、ラリー・マレン・ジュニアは後に「少し敗北のようなものだった(a little bit of a defeat)」と振り返り、新曲をライブの主軸として定着させきれなかったことに対する悔しさをにじませている[30]。
ジャケット
[編集]ジャケットに使われているモノクロの水平線の写真は、杉本博司の作品で、ボーデン湖で撮影された『海景』シリーズの1枚「Boden Sea, Uttwil」である[31]。以前から、ボノが同シリーズを気に入っていたことから採用された[31]。杉本からは、作品提供の条件として、金銭の代わりに杉本が今後プロジェクトを行う際、本作に収録されている曲を使用出来ること、ジャケットの写真には何も入れないことの2点が提示され、ボノはすぐに快諾したという[31]。このため、ジャケットにはタイトルもバンド名も記されておらず、水平線上の「=(イコール)」もシールにしてケースに貼られている。
なお、上記を加味せずとも、公式日本語訳はタイトル曲の「ホライゾン」を「地平線」としているが元歌詞が明らかに「水平線」を意図した歌詞であり水と空との間という訳にしないと本来の意味を成さない。
収録曲
[編集]| # | タイトル | 作詞 | 作曲 | プロデューサー | 時間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 「ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン」 | ボノ | U2、イーノ、ラノワ | イーノ、ラノワ、リリーホワイト(add) | |
| 2. | 「マグニフィセント」 | ボノ、エッジ | U2、イーノ、ラノワ | イーノ、ラノワ、リリーホワイト(add) | |
| 3. | 「モーメント・オブ・サレンダー」 | ボノ | U2、イーノ、ラノワ | イーノ、ラノワ | |
| 4. | 「アンノウン・コーラー」 | U2、イーノ、ラノワ | U2、イーノ、ラノワ | イーノ、ラノワ、リリーホワイト(add) | |
| 5. | 「アイル・ゴー・クレイジー・イフ・アイ・ドント・ゴー・クレイジー・トゥナイト」 | ボノ | U2 | リリーホワイト、ウィル・アイ・アム(add) | |
| 6. | 「ゲット・オン・ユア・ブーツ」 | ボノ | U2 | イーノ、ラノワ、デクラン・ギャフニー | |
| 7. | 「スタンド・アップ・コメディ」 | ボノ | U2 | イーノ、ラノワ、リリーホワイト(add) | |
| 8. | 「フェズ-ビーング・ボーン」 | ボノ | U2、イーノ、ラノワ | イーノ、ラノワ | |
| 9. | 「ホワイト・アズ・スノウ」 | U2、イーノ、ラノワ | U2、イーノ、ラノワ(トラディショナルソングのアレンジ) | イーノ、ラノワ | |
| 10. | 「ブリーズ」 | U2 | U2 | リリーホワイト、ラノワ(add)、イーノ(add) | |
| 11. | 「シーダーズ・オブ・レバノン」 | ボノ | U2、イーノ、ラノワ | ラノワ | |
合計時間: | |||||
『リニア』
[編集]| リニア | |
|---|---|
| Linear | |
| 監督 | アントン・コービン |
| 脚本 |
アントン・コービン ボノ |
| 出演者 | サイード・タグマウイ |
| 音楽 | U2 |
| 上映時間 | 約60分 |
| 製作国 |
|
『リニア』(Linear)は、U2が2009年に発表したアルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』に付属する映像作品。長年にわたってU2の写真を撮影してきたアントン・コービンが監督を務め、ボノとコービンが共同で物語を構成した。U2は本作を通常のミュージック・ビデオやドキュメンタリーではなく、アルバムの音楽と映像を一体化させた「コンパニオン・ピース」と位置づけている[32]。
解説
[編集]物語の主人公は、パリで働く北アフリカ系の警察官。サイード・タグマウイが演じる主人公は、オートバイに乗ってフランスを出発し、スペインを横断してカディスへ向かい、さらに地中海を越えて北アフリカへ向かう旅を続ける。台詞をほとんど用いず、主人公の移動と風景を中心に物語が進行し、『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』の楽曲がその旅をサウンドトラックとして構成する[33]。
本作のアイデアは2007年6月、モロッコのフェズで行われた『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』の制作セッションにコービンが参加したことから発展した。コービンは当初、U2のメンバーを動かさず、周囲だけを動かすことで「フィルムで撮影した写真」のような映像を撮影していた。そこから、アルバムを聴く際にジャケットを見るだけでなく、音楽とともに動く映像を楽しめる作品を作るという構想が生まれ、2008年に本格的な制作が行われた[34]。
本作では、アルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』とは異なる曲順が採用されている。また、最終的なアルバムには収録されなかった「ウィンター」が使用されている一方、「アイル・ゴー・クレイジー・イフ・アイ・ドント・ゴー・クレイジー・トゥナイト」は使用されていない。「ブリーズ」はアルバム収録版とは異なる編集版が使用されている[33]。
本作は、2009年2月27日に『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』のデジパック版などに収録され、限定ボックス・セットにはDVDとして収録された。単独の映画作品としてではなく、アルバムと一体となった映像作品として発表された[33]。
収録曲
[編集]| 全作詞・作曲: U2。 | ||
| # | タイトル | 時間 |
|---|---|---|
| 1. | 「アンノウン・コーラー」(Unknown Caller (Studio Version)) | |
| 2. | 「ブリーズ」(Breathe (Studio Version Edit)) | |
| 3. | 「ウィンター」(Winter (Video Version)) | |
| 4. | 「ホワイト・アズ・スノー」(White as Snow (Studio Version)) | |
| 5. | 「ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン」(No Line on the Horizon (Studio Version)) | |
| 6. | 「フェズ/ビーイング・ボーン」(Fez – Being Born (Studio Version)) | |
| 7. | 「マグニフィセント」(Magnificent (Studio Version)) | |
| 8. | 「スタンド・アップ・コメディ」(Stand Up Comedy (Studio Version)) | |
| 9. | 「ゲット・オン・ユア・ブーツ」(Get On Your Boots (Studio Version)) | |
| 10. | 「モーメント・オブ・サレンダー」(Moment of Surrender (Studio Version)) | |
| 11. | 「シーダーズ・オブ・レバノン」(Cedars of Lebanon (Studio Version)) | |
U2 360°ツアー
[編集]本作に伴う「U2 360°ツアー」は、2009年6月から2011年7月まで、ヨーロッパ、北米、オセアニア、アフリカ、南米で全110公演が行われた。ステージ中央には「ザ・クロウ」と呼ばれる高さ約50メートルの4本脚の構造物が設置され、観客が全方向からステージを取り囲む形式が採用された。3基製作された構造物の建設費はそれぞれ約2500万ドル、ツアーの運営費は1日約75万ドルに達したとされる[26]。
2010年には、ボノが背中を負傷して緊急手術を受けたため、北米公演が延期され、同年のグラストンベリー・フェスティバル出演も中止された。ツアーは同年8月のトリノ公演から再開された[35]。最終的に約726万人を動員し、約7億3642万ドルの興行収入を記録して、終了時点で史上最高興行収入および最多観客動員を記録したコンサート・ツアーとなった。
批評
[編集]『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』は、2009年3月の発売時から概ね好意的に評価された。音楽レビューを集計するMetacriticでは30件の批評をもとに72点を獲得し、批評家の多くが肯定的な評価を与えた。特に、前2作で確立した比較的ストレートなロック・サウンドから再び実験性へと踏み込み、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワによる音響的なアイデアを取り入れながら、新たなサウンドを追求した点が評価された[36]。
一方で、本作の実験性や楽曲の即効性については評価が分かれた。『ガーディアン』のアレクシス・ペトリディスは、モロッコでのレコーディングやイーノ、ラノワとの共同制作によって、U2が『アクトン・ベイビー』や『ZOOROPA』以来の実験的な領域へ再び踏み込もうとした点を評価する一方、「ゲット・オン・ユア・ブーツ」などについては批判的な見方を示した[37]。
これに対し、『オブザーバー』のベン・トンプソンは、本作をU2が過去の作品を踏まえながら新たな音楽的領域を追求した作品として肯定的に評価した。特に「モーメント・オブ・サレンダー」「アンノウン・コーラー」「ブリーズ」などを高く評価し、作品の中にU2の代表作に通じる印象的な瞬間があると指摘した[38]。
『ピッチフォーク』も、U2がスタジアム・ロックの定型にとどまらず、自らの音楽性を更新しようとする姿勢を評価した。一方で、アルバム全体の楽曲や構成については必ずしも均一に高く評価しておらず、本作がU2の過去の実験作ほど明確な方向性を持っていないとする見方も示した[39]。
本作は批評面では一定の評価を得たものの、商業的には『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』や『原子爆弾解体新書』ほどの成功には至らなかった。ボノは後に、本作が従来のヒット・シングルを並べる作品ではなく、アルバム全体を一つの作品として聴かせることを意識して制作したと説明している[40]。
評価
[編集]イヤーオブ
[編集]- 2009年ホットプレス年間ベストアルバム第4位[41]
- 2009年ホットプレス年間ベストアイリッシュアルバム第1位
- 2009年アイリッシュ・インディペンデント年間ベストアイリッシュアルバム第1位
- 2009年ローリングストーン年間ベストアルバム第1位[42]
- 2009年スピン年間ベストアルバム第32位[43]
- 2009年Qマガジン年間ベストアルバム第9位
- 2009年OOR(オランダ)年間トップアルバム第35位[44]
- 2010年IFPI・2009年ベストセラーアルバム第6位
- 2010年IFPI・2009年ベストセラーインターネットアルバム第8位
- 2010年グラミー賞ベストロックアルバム部門ノミネート
オールタイム
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ↑ “U2 mit Kick-Start” (ドイツ語). media control. メディア・コントロール (2009年3月10日). 2009年4月29日閲覧。
- ↑ “TOP 100 ALBUMES” (PDF) (スペイン語). Promusicae. 2009年5月23日閲覧。
- 1 2 “Not Like Anything We've Done Before”. U2.com (2008年11月24日). 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 Hiatt, Brian (2009年3月13日). “U2 in Their Own Words” (英語). Rolling Stone. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ Jobling 2014, p. XXX.
- 1 2 3 Boyd, Brian (2009年2月27日). “The background: making No Line on the Horizon”. The Irish Times. 2026年9月6日閲覧.
- 1 2 “In Fez With U2” (英語). U2.com. 2026年8月21日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “No Line On The Horizon” (英語). U2.com. 2026年8月21日閲覧。
- 1 2 “U2: Hymns for the Future”. U2songs.com (2009年3月19日). 2026年8月18日閲覧。
- 1 2 Jobling 2014, pp. 332–333.
- 1 2 “'Joyous and Liberating'”. U2.com (2009年2月15日). 2026年8月18日閲覧。
- ↑ Jobling 2014, p. 335.
- ↑ Jobling 2014, p. 355.
- ↑ “On The Horizon”. U2.com (2008年12月29日). 2026年9月6日閲覧。
- ↑ “51st Annual Grammy Awards”. The Recording Academy. 2026年9月6日閲覧。
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参考文献
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- Stokes, Niall (2009). U2: The Stories Behind Every U2 Song. Carlton Books Ltd. ISBN 978-1847322876
- Jobling, John『U2 : The Definitive Biography』New York : Thomas Dunne Books : St. Martin's Press、2014年。
- Bono (2025). Bono: Stories of Surrender. Penguin (Cornerstone). ISBN 978-1529160598