マヌエル様式

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マヌエル様式ポルトガル語: estilo manuelino)とは、15世紀後半から16世紀ポルトガルで流行した建築様式である。代表的な建築物にヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建立されたジェロニモス修道院トマールキリスト教修道院が挙げられる。

歴史[編集]

ポルトガル王マヌエル1世(在位:1495年 - 1521年)の治世に流行し、ポルトガルのほぼ全域に広まった[1][2]。16世紀前半のポルトガルでは大航海時代に海外交易で得た利益を背景に、王室の富を誇示するかのように過剰ともいえる装飾を施した建物が多く建てられた[2]。王室の勅令によってポルトガル全土の建物に適用されたマヌエル様式は、自国の航海の達成を祝福するポルトガル人全体の感情に支えられ、大衆建築にも浸透する[2]

マヌエル1世の死後もポルトガルの建築物にマヌエル様式の装飾は取り入れられ、後の時代にネオ・マヌエル様式と呼ばれる建築様式が生まれる。

特徴[編集]

マヌエル様式は建物の空間を規定する建築様式ではなく、後期ゴシック建築に付随する装飾手法の一種と見なされる場合もある[2]

後期ゴシック建築、ルネサンス建築イスラム建築の要素と大航海時代の自然観を備えている点にマヌエル様式の特徴がある[3]。建物には船や海に関する装飾が施され、地球儀、鎖、ロープの結び目、舷窓の蓋、波、サンゴ、海草、インド南アメリカの植物、人間、宗教などがモチーフとされている。その一例として、ベレンの塔に施されているロープ、海草、網、貝の彫刻が挙げられる。過剰な装飾がマヌエル様式の特徴であるが[1]、他方バロック建築を思わせる新しい試みも取り入れられていた[4]トレーサリーにはイスラム建築の影響が見られ、ベレンの塔に付設されている小尖塔はインドの影響を受けていると考えられている[5]。また、マヌエル1世は、トマールの修道院といった既存の建築物の増築を行っており、マヌエル1世の治世以降の新たな建築物のほかに、それらの建物の増築された部分にもマヌエル様式が取り入れられている[6]

マヌエル様式を構成する要素として、螺旋状の柱、多中心のアーチ、八角形の塔、円錐状の尖塔などが挙げられる[4]。同一の高さの内陣を数個備える教会堂が特徴的なドイツハレンキルヘ様式が教会の間取りに採用されていたが、内陣の比率と採光には独自性が見られる[4]

マヌエル様式を代表する建築家にはフランス出身と考えられている建築家ボワタック、ポルトガル出身のジョアン・デ・アルタが挙げられている[4]。ボワタックはマヌエル様式を確立した人物とされ、ジェロニモス修道院とバターリャ修道院の増築を手がけている[2]。スペイン出身の建築家ジョアン・デ・カスティーリョはトマールの修道院の増築の設計を担当し、彼が手がけた部分には母国スペインのプラテレスコ様式の影響が見られる[7]

マヌエル様式が用いられている建築物の一例[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 神吉「マヌエル様式」『スペイン・ポルトガルを知る事典』新訂増補版、334頁
  2. ^ a b c d e 西山「ポルトガルは建築が面白い」『ポルトガルへ行きたい』、103-106頁
  3. ^ 倉澤「建築」『ポルトガルを知るための55章』第2版、176頁
  4. ^ a b c d マルケス『ポルトガル』1、168-169頁
  5. ^ 『ユネスコ世界遺産 10(南ヨーロッパ)』、27頁
  6. ^ 『ユネスコ世界遺産 10(南ヨーロッパ)』、18,23頁
  7. ^ 『ユネスコ世界遺産 10(南ヨーロッパ)』、20頁

参考文献[編集]

  • 神吉敬三「マヌエル様式」『スペイン・ポルトガルを知る事典』新訂増補版収録(平凡社, 2001年10月)
  • 倉澤智「建築」『ポルトガルを知るための55章』第2版収録(村上義和、池俊介編著, エリア・スタディーズ, 明石書店, 2011年10月)
  • 西山宗雄マルセーロ「ポルトガルは建築が面白い」『ポルトガルへ行きたい』収録(とんぼの本, 新潮社, 1995年11月)
  • A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス『ポルトガル』1(金七紀男訳、世界の教科書=歴史、ほるぷ出版、1981年11月)
  • 『ユネスコ世界遺産 10(南ヨーロッパ)』(ユネスコ世界遺産センター監修, 講談社, 1996年7月)