フランチェスコ・アントニオーリ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | バットマン (Batman) | |||||
ラテン文字 | Francesco Antonioli | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1969年9月14日(55歳) | |||||
出身地 | モンツァ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
ミラン | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1988 | モンツァ | 23 | (0) | |||
1988-1994 | ミラン | 13 | (0) | |||
1990 | チェゼーナ (loan) | 0 | (0) | |||
1990-1991 | → モデナ (loan) | 30 | (0) | |||
1993-1994 | → ピサ (loan) | 26 | (0) | |||
1994-1995 | レッジャーナ | 30 | (0) | |||
1995-1999 | ボローニャ | 103 | (0) | |||
1999-2003 | ローマ | 102 | (0) | |||
2003-2006 | サンプドリア | 104 | (0) | |||
2006-2009 | ボローニャ | 119 | (0) | |||
2009-2012 | チェゼーナ | 105 | (0) | |||
1986-2012 | 通算 | 656 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1989-1992 | イタリア U-21 | 23 | (0) | |||
1992 | イタリア オリンピック | 6 | (0) | |||
2000 | イタリア | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2013- | チェゼーナ(GKコーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月4日現在。 2. 2018年5月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランチェスコ・アントニオーリ(Francesco Antonioli, 1969年9月14日 - )は、イタリア・モンツァ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。
経歴
[編集]1986年8月27日、コッパ・イタリアのユヴェントス戦でモンツァの選手としてプロデビュー[1]。モンツァではカシラギ、コスタクルタらとプレーした[1]。
1988-89シーズン、もうすぐ19歳という頃、モンツァのもう一人のGKである、ダヴィデ・ピナートと共に、ACミラン移籍、ピナートは第2GK、アントニオーリは第3GKという位置付けであった[1]。1989-90シーズンの公式戦出場は0に終わり、1990年にセバスティアーノ・ロッシのミラン移籍に絡んで、チェゼーナ へとレンタルに出されたが、マルチェロ・リッピ監督の構想から外れ、出場機会が無いまま モデナ へとレンタルに出された[1]。モデナで良いシーズンを過ごし、1991-92シーズンにロッシの控えGKとしてミランへ複帰[1]。4月18日、第29節のインテル戦でセリエAの舞台での初出場を果たすと、以降の3試合でも起用された[1]。
1992年夏にイタリアU-21代表として、UEFA U-21欧州選手権で先発の座を掴んで優勝すると、1992-93シーズン、ファビオ・カペッロはスタメン起用を決めた[1]。しかし、10月4日フィオレンティーナ戦ではミスを犯し、前半のみで交代を命じられ、SSラツィオ戦ではロッシが先発起用された[1]。11月22日のミラノダービーでも、ルイジ・デ・アゴスティーニの簡単なシュートをファンブルし同点ゴールを許すと、ファンたちは、アントニオーリの起用を疑問視、ロッシの起用を求めたが、翌週のユヴェントス戦でも先発起用された[1]、しかし、前半に負傷でロッシと交代[1]。この試合でロッシがジャンルカ・ヴィアリのPKをストップして勝利に貢献すると[2]、以降ロッシが完全に定位置を掴み、翌1993-94シーズン、ピサへとレンタルという形で放出され、ロッシと対照的なキャリアを歩んだ[1]。
その後、ACレッジャーナ1919、ボローニャFCなどを渡り歩き、1999年に移籍したASローマでは再びカペッロ監督と再会、レギュラーとしてリーグ優勝に貢献した[1]。しかし、2003年にローマから放出され、サンプドリアへ加入した[1]。その後は、ボローニャ、チェゼーナでプレーした。
イタリア代表としては、EURO2000に第3GKとして招集されたが、出場機会は無かった[1]。
2012年に現役を引退し、2013-14シーズンよりチェゼーナのGKコーチを務めている[3]。
タイトル
[編集]- ミラン
- セリエA : 1991-92, 1992-93
- UEFAチャンピオンズカップ : 1988-89, 1989-90
- インターコンチネンタルカップ : 1989, 1990
- UEFAスーパーカップ : 1989, 1990
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 1988, 1992, 1993
- ボローニャ
- セリエB : 1995-96
- UEFAインタートトカップ : 1998
- ローマ
- セリエA : 2000-01
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2001
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Francesco Antonioli, una carriera sull'ottovolante: tra alti, bassi, ritorni e trofei”. GOAL (2022年9月14日). 2023年9月4日閲覧。
- ^ “11. giornata 29/11/92 Juventus vs Milan”. Transfermarkt. 2023年9月4日閲覧。
- ^ “UFFICIALE: Cesena, contratto biennale per Bisoli e il suo staff”. TUTTOmercatoWEB.com (2013年6月19日). 2018年5月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Francesco Antonioli - manager profile Transfermarkt