パイノパイノパイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

パイノパイノパイ」とは、演歌師添田知道(添田さつき)によって作詞され、大正時代に流行した俗謡である。

パイのパイのパイ東京節(とうきょうぶし)ともいう。

概要[編集]

大正7年(1918年)発表[1]。元々のメロディーは、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた行進曲である。添田によって作詞される以前から、明治25年(1892年)に「ますらたけを」の題で国文学者・東宮鉄真呂の作詞による軍歌が販売されたり[2]救世軍が街宣活動で演奏するなど[1]広く親しまれていた。これに添田が改めて歌詞をつけたものが「パイノパイノパイ」である。資料によっては作曲者も添田知道(添田さつき)や神長瞭月とされていることがあるが正確ではない。日本では原曲よりも「パイノパイノパイ」での知名度が高いため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たというエピソードもある。

売文社に勤めていた添田がある日「のんき節」の掲載許可を貰いに父・添田唖蝉坊の元を訪ねると気まぐれに、演歌を一つ作ってみないかと言われた。当時流行りつつあった洋食屋のメニューを羅列したような仮歌であったが、唖蝉坊がメロディーを口ずさむと、幼少期に神奈川県大磯の実家に預けられていた時に遊び仲間から「ますらたけを」のメロディーで囃し立てられた記憶が急に蘇り、小説家志望で歌は嫌いでなかったこともあり、作詞経験はないがつい釣り込まれてしまった。その席上、唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。このとき添田知道はわずか19歳だった。

「パイノパイノパイ」の大流行につれて新たな歌詞が求められ、京阪神中京吉原の風俗、更に第一次世界大戦の戦後処理のためパリ講和会議に全権として参加した元老西園寺公望が愛妾や料亭灘萬の店主を伴ったことが大新聞に取り上げられたこと、会議の結果としてドイツが所有していた山東省の権益や南洋諸島委任統治権を得た戦勝気分を背景として添田が改詩したものが「平和節」の名で大正8年(1919年)に発表された[3]

後の時代にもなぎら健壱ザ・ドリフターズソウル・フラワー・モノノケ・サミットによってもリメイクされたりしており世相や政治を風刺する際に替え歌が歌われたりするなど、今でも健在である。

なお、3番に出てくる「市長のいうことよくきいて豆粕食うこと痩せること」とは、当時米価が高騰しを買えなくなっていた市民に対し、東京市長田尻稲次郎相場師を取り締まるどころか代用食をあてがう暗愚だとする政治批判である。後に「自宅の階段を二段踏み外しただけのことで亡くなり、豆粕で栄養不良だったんだろうなどと豆粕を食わされた市民から言われたのも、気のどくながら詮方なかった」と添田に評されている。[4]また、4番に出てくる「ボロ電車」とは当時唯一の交通機関であった東京市電を冷やかしたものである[3]

時節が第一次世界大戦後のインフレ期にあり、「平和節」にあるように物価が猛烈に高騰したことから「倍の倍の倍」というもじりもあった[5]

東京節に出てくるモノ[編集]

丸の内(馬場先門から皇居を望む。右は三菱一号館。)
両議院(第二回仮議事堂)

作品への起用[編集]

サビの部分の替え歌が、幾つかのCMソング、映画主題歌に使用されていた。

カヴァーした主な人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 添田唖蝉坊・知道 演歌二代風狂伝(木村聖哉・リブロポート社・1987) ISBN 4845702711
  2. ^ 日本軍歌 第三版(納所辨次郎・博文館・1892)情報) - 国文学研究資料館近代書誌・近代画像データベース
  3. ^ a b 演歌師の生活(添田知道・雄山閣出版・1967年) ISBN:9784639001027
  4. ^ 添田唖蝉坊・添田知道著作集 4 演歌の明治大正史(添田知道・刀水書房・1982年)ISBN 9784887080140
  5. ^ 米川明彦編『日本俗語大辞典(第3版)』東京堂出版 2006年 488頁
  6. ^ 現在の国会議事堂昭和11年(1936年)11月竣工のため、歌詞に出てくる建物とは異なる。
  7. ^ 丸ノ内 海上ビルヂング、東京都立図書館「都市・東京の記憶」。初代の東京海上火災保険(三菱海上火災保険)本社ビル。現在の東京海上ビルディングは、昭和49年(1974年)3月竣工の2代目である。