東京海上日動ビルディング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
東京海上ビルディング旧館
Kaijo building.jpg
情報
旧名称 東京海上ビルディング
用途 事務所
設計者 設計監督曽禰中條建築事務所、現場主任木下益治郎
構造設計者 内田祥三
建築主 東京海上火災保険
事業主体 東京海上火災保険
構造形式 本館鉄骨煉瓦構造、附属家鉄筋コンクリート構造、屋上建物鉄筋コンクリート構造
建築面積 本館745.26坪、附属家154.888坪、附属建物133.778坪 m²
延床面積 本館5,185.564坪、附属家551.667坪、屋上建物49.288坪 m²
階数 本館地下室なし、地上7階、附属家地下1階、地上3階、附属建物平屋建て
高さ 本館地上扶壁上端まで91尺
着工 1914年(大正3年)2月28日(本館基礎コンクリート杭打工事着手)
竣工 1918年(大正7年)9月20日
解体 1966年(昭和41年)12月
所在地 東京都千代田区丸の内一丁目2番1号
座標 北緯35度40分57.29秒 東経139度45分47.16秒 / 北緯35.6825806度 東経139.7631000度 / 35.6825806; 139.7631000
備考 建坪は『建築雑誌 第四四輯 第五三六號』により、延べ坪は『東京海上火災保険株式会社六十年史』による。
テンプレートを表示
東京海上ビルディング新館
Tokio kaijo building shinkan.jpeg
情報
用途 事務所
設計者 曽禰中條建築事務所
構造設計者 内藤多仲
建築主 東京海上火災保険
事業主体 東京海上火災保険
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造
敷地面積 1,486.35坪 m²
建築面積 1,111,371坪 m²
延床面積 9,761.296坪 m²
階数 地下1階、地上8階、塔屋付
高さ 屋上扶壁上ば100尺、東側後退部分扶壁上ば86.70尺、建物最高部(屋上階屋根頂部)110.00尺
エレベーター数 客用6台、荷物用1台
竣工 1930年(昭和5年)
改築 解体
所在地 東京都千代田区丸の内一丁目2番1号
座標 北緯35度40分59.02秒 東経139度45分47.77秒 / 北緯35.6830611度 東経139.7632694度 / 35.6830611; 139.7632694
備考 敷地面積、建坪、延べ坪は『建築雑誌 第四四輯 第五三六號』による。
テンプレートを表示
東京海上日動ビルディング本館
Tokio Marine & Nichido Fire Insurancea.jpg
東京海上日動ビルディングの位置(東京都区部内)
東京海上日動ビルディング
東京海上日動ビルディング
施設情報
所在地 東京都千代田区[丸の内]]一丁目2番1号
座標 北緯35度40分57.29秒
東経139度45分47.16秒
座標: 北緯35度40分57.29秒 東経139度45分47.16秒
状態 完成
着工 1970年(昭和45年)12月23日
開業 1974年(昭和49年)3月12日
用途 事務所
建設費 約131億円
地上高
最上階 25階
各種諸元
階数 地下4階(駐車場部分地下5階)、地上25階、塔屋2階付
延床面積 63,120.19平方メートル
エレベーター数 乗用13台(高層用10台、低層用3台)、非常用2台
関連企業
設計 前川國男
施工 竹中工務店・大林組・鹿島建設・清水建設共同企業体
東京海上日動ビルディング新館
Tokio Marine & Nichido Building New Building.jpg
東京海上日動ビルディングの位置(東京都区部内)
東京海上日動ビルディング
情報
旧名称 東京海上ビルディング新館
用途 事務所
竣工 1986年(昭和61年)12月
所在地 東京都千代田区[丸の内 (千代田区)
座標 北緯35度40分59秒 東経139度45分47.7秒 / 北緯35.68306度 東経139.763250度 / 35.68306; 139.763250
テンプレートを表示

東京海上日動ビルディング(とうきょうかいじょうにちどうビルディング)は、日本東京都千代田区丸の内に存在する建築物である。本館と新館がある。ここでは、同建物の敷地にかつて存在した東京海上ビルディングの旧館及び新館ついても記す。また東京都千代田区大手町にあった東京海上ビルディング別館についても記す。

概要[ソースを編集]

本館は1918年に完成した「東京海上ビルディング旧館」の建て替えとして1974年(昭和49年)3月に竣工し「東京海上ビルディング本館」と称された。新館は、1930年に完成した「東京海上ビルディング新館」の建て替えとして1986年(昭和61年)12月に竣工し「東京海上ビルディング新館」と称された。東京海上火災保険と日動火災海上保険は2004年(平成16年)10月1日に合併し東京海上日動火災保険となったのでそれぞれ、本館は「東京海上日動ビルディング本館」、新館は「東京海上日動ビルディング新館」と改称された。

本館[ソースを編集]

沿革[ソースを編集]

建設の際には、皇居のすぐ近くに超高層ビルを建てることから美観論争・高さ制限論争を起こした。それまで丸の内周辺では、戦前の美観地区規制および、建築基準法の昭和39年(1964年)以前の規制により100尺(約31m)の高さ制限ぎりぎりのビルが整然と立ち並ぶ景観が造られていたが、東京海上火災保険が1966年(昭和41年)10月5日に東京都へ提出した前川國男の当初案の建築確認申請書では30階建て・高さ127.768メートルとなる高層ビルのツインタワーが建つことになっていた[1][2]。東京都がこの建築申請を1967年(昭和42年)4月15日付で却下したことをきっかけに、皇居の周囲の美観地区指定を巡る論争や、皇居の周りに皇居を見下ろすようなビルを建てることの是非をめぐり対立が起こった[3]。推進側は、建築主の同社や建築関連諸団体、反対側は、周辺に低容積のビルを多く抱えることから計画を阻止したい三菱地所、などがあった。

同社は1967年(昭和42年)6月5日付で東京都建築審査会に不服を申し立て、同年9月26日、建築確認申請を却下した同年4月15日付処分を取り消しとする採決がされ、一旦は勝利したが、最終的にはツインタワーから1つだけのビルにした上、当初の30階建てを25階建て・高さ99.7メートルに変更する計画変更申請を1970年(昭和45年)9月11日付で東京都を通して建設大臣宛に提出し、同年9月24日建設大臣がこれを認定したことで東京都との争いを決着した[4]

かくして、1970年(昭和45年)12月23日起工され、1973年(昭和48年)10月19日定礎式を迎え、総工費約131億円を費やして1974年(昭和49年)3月12日竣工式が行われた[5]

建築概要[ソースを編集]

敷地面積10,139.37平方メートル、建築面積2,207.75平方メートル、基準階床面積1,687.82平方メートル、延床面積63,120.19平方メートル、軒高99.70メートル。構造形式は地上部鉄骨構造、地下1階および2階鉄骨鉄筋コンクリート構造、そのほか鉄筋コンクリート構造。設計は前川國男

新館[ソースを編集]

1986年(昭和61年)12月竣工した。

東京海上ビルディング旧館・東京海上ビルディング新館[ソースを編集]

沿革[ソースを編集]

東京海上火災保険は1895年(明治28年)、東京市麹町区八重洲町において三菱第2号館(現・明治生命館)が完成したことに伴い、同年7月をもって本店を同建物に移転したが、業務の拡大とともに狭隘を告げるにいたったので、新社屋の建設を図り、建設用地として東京市麹町区永楽町一丁目1(後の東京市麹町区丸ノ内一丁目6番地1、東京都千代田区丸の内一丁目2番1号)の敷地1,467.139坪を三菱合資会社より借用した[6]。かくして、前記の地において1914年(大正3年)2月28日に起工され、1918年(大正7年)9月20日に竣工し「東京海上ビルディング」と命名された[6][7]。日本で初めて建物の名称に「ビルディング」を称したのは同建物であったとされる[6]。なお同社は竣工に先立ち1917年(大正6年)10月18日をもって本店を同建物に移転した。

その後同建物に隣接する敷地には新館が建設されたが、その起工・竣工年月はそれぞれ、『東京海上火災保険株式会社六十年史』によれば1926年(大正15年)7月の起工で1930年(昭和5年)3月の竣工とされ、また『建築雑誌』の昭和5年(1930年)8月号によれば1927年(昭和2年)3月の起工で1930年(昭和5年)2月の竣工とされ、さらに『土木建築工事画報』の昭和5年(1930年)4月号によれば1926年(大正15年)2月1日の起工で1930年(昭和5年)2月1日の竣工とされる。新館は「東京海上ビルディング新館」と称され、新館の完成により既存のビルディングは「東京海上ビルディング旧館」と称された[6]

旧館・新館の敷地約10,200平方メートルは1929年(昭和4年)12月に東京海上が三菱合資会社より買収した[6]

第二次世界大戦中においては、1945年(昭和20年)5月25日の空襲により旧館東側6階と7階の一部が焼けるなどした[8][9]。日本が敗戦した後の1945年(昭和20年)9月10日にいたっては、旧館・新館ともに占領軍が接収し、この期間、旧館は海上ホテル(Old Kaijo Hotel)と称され婦人宿舎として、新館は"Far East Air Forces"本部としてそれぞれ供され、1956年(昭和31年)1月に旧館が接収解除された後、同年7月新館も接収解除された[10]

旧館は本館への建て替えのため1966年(昭和41年)12月12日より取り壊しに着工され、この際には振動実験・破壊実験ならびに火災実験が行われた。旧館建て替え後、新館も高層建物に建て替えられた。

建築概要[ソースを編集]

旧館は地下室のない地上7階建ての鉄骨煉瓦構造で延床面積は約17,100平方メートルの「本館」、地下1階、地上3階建ての鉄筋コンクリート構造で延床面積は約1,800平方メートルの「附属家」、平屋建ての「附属建物」の3建物からなっていた。設計は曽禰中條建築事務所、構造顧問は内田祥三にそれぞれ委嘱された。新館の設計も同事務所によるもので、構造設計は内藤多仲が担当した。

大森東海ビルディング・東京海上ビルディング別館[ソースを編集]

占領軍による接収通告後、東京海上火災保険は1945年(昭和20年)9月10日をもって本店を東京・丸の内の八重洲ビルヂング(後に丸ノ内八重洲ビルヂングと改称)に移転したが同建物も接収されるに至ったため、同社は同年10月東京都大田区入新井五丁目345番地にあった元大森白木屋百貨店の建物をせしめて「大森東海ビルディング」と改称して本店とするも、白木屋から立ち退き要求があった上に不便になったため、その次に同社は竹中工務店所有であった東京都千代田区大手町一丁目6番地の敷地を入手して同地において社屋を建設することにし、1949年(昭和24年)9月に起工された後、費用約1億8,000万円を費やして1950年(昭和25年)10月15日竣工し「東京海上ビルディング別館」と称された[11]。同建物の規模構造はそれぞれ、鉄骨鉄筋コンクリート構造の地下1階、地上6階建てで、延べ床面積は79,728平方メートルであった。

年表[ソースを編集]

  • 1914年(大正3年)2月 - 東京海上ビルディング起工。
  • 1917年(大正6年)10月18日 - 東京海上火災保険は本店を東京海上ビルディングに移転。
  • 1918年(大正7年)9月 - 東京海上ビルディング竣工。
  • 1930年(昭和5年) - (旧)東京海上ビルディング新館竣工、東京海上ビルディングは東京海上ビルディング旧館となる。
  • 1945年(昭和20年)
    • 9月10日 - 旧館・(旧)新館とも占領軍が接収。同社は本店を東京・丸の内の八重洲ビルヂングに移転。
    • 10月 - 八重洲ビルヂング接収のため同社は本店を大森東海ビルディングに移転。
  • 1950年(昭和25年)10月15日 - 東京海上ビルディング別館竣工。同社は本店を別館に移転。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月 - 旧館接収解除。
    • 7月 - (旧)新館接収解除。
    • 9月 - 同社は本店を旧館に移転。
  • 1966年(昭和41年)
    • 9月26日 - 同社は本店を東京・丸の内の国際ビルに移転。
    • 10月5日 - 同社は東京都に建築確認申請書を提出。
    • 12月12日 - 旧館解体工事着工。
  • 1967年(昭和42年)
    • 4月15日 - 東京都は東京海上ビルディング本館の建築確認申請を却下。
    • 9月26日 - 東京都建築審査会の採決により、建築確認申請を却下した1967年(昭和42年)4月15日付処分が取り消しとなる。
    • 12月26日 - 昭和天皇は超高層ビルについて「迷惑でない」と発言。
  • 1970年(昭和45年)
    • 9月11日 - 同社は当初案の30階建てを25階建てに変更する計画変更申請を東京都を通し建設大臣に提出。
    • 9月24日 - 建設大臣は計画変更申請を認定。
    • 12月23日 - 旧館跡地に東京海上ビルディング本館起工。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月12日 - 本館竣工。
    • 3月25日 - 同社は本店を本館に移転。
  • 1986年(昭和61年)12月 - (旧)新館跡地に東京海上ビルディング新館竣工。

出典[ソースを編集]

  1. ^ 「美観論争」東京海上ビルの超高層改築
  2. ^ 新春鼎談 「皇居と新美観論争」 高さ制限からデザインへ 出江寛、五十嵐敬喜、竹内壽一 (PDF)
  3. ^ 『建築雑誌 建築年報 1968年』
  4. ^ 朝日新聞 東京 昭和45年(1970年)9月25日朝刊
  5. ^ 『東京海上火災保険株式会社百年史』 下巻 536-542頁
  6. ^ a b c d e 『東京海上火災保険株式会社六十年史』 619-624頁
  7. ^ 『東京海上火災保険株式会社百年史』 上巻 458-465頁
  8. ^ 朝日新聞 東京 昭和41年(1966年)11月9日朝刊
  9. ^ 『東京海上火災保険株式会社百年史』 下巻 914頁
  10. ^ 『東京海上火災保険株式会社百年史』 下巻 22-23頁
  11. ^ 『東京海上火災保険株式会社百年史』 下巻 22-23、218-219頁

参考文献[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]