チャールズ・ロートン

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チャールズ・ロートン
Charles Laughton
Charles Laughton
生年月日 (1899-07-01) 1899年7月1日
没年月日 (1962-12-15) 1962年12月15日(63歳没)
出生地 イングランドの旗 イングランド ヨークシャー州スカーボロ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハリウッド
国籍 イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 エルザ・ランチェスター
主な作品
巌窟の野獣』(1939年)
 
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1933年ヘンリー八世の私生活
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1935年人生は四十二から』『戦艦バウンティ号の叛乱
その他の賞
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チャールズ・ロートンCharles Laughton, 1899年7月1日 - 1962年12月15日)は、英国出身の舞台俳優映画俳優映画監督。1932年度のアカデミー主演男優賞を獲得した。

経歴[編集]

1899年にイギリスヨークシャー州スカーボロで生まれた。父はロバート・ロートン、母はエリザベス・コンロン。王立演劇学校で学び、金メダルを得ている。1926年、初舞台を踏む。1928年の劇『アリバイ』において、史上初めてアガサ・クリスティの探偵エルキュール・ポワロを演じる。

1929年に『ピカデリィ』で映画デビューをする。1932年にハリウッドに招かれて以来、米国では専ら映画俳優として、英国では舞台俳優として活躍した。自身の映画会社であるメイフラワー・ピクチャー・コーポレーションを立ち上げ、1937年にはエーリッヒ・ポマーを招いた。

1933年の『ヘンリー八世の私生活』(日本劇場未公開、DVD発売)ではアカデミー主演男優賞を受賞した。また史実に名高いバウンティ号の叛乱事件を扱った1935年の大作映画『南海征服(戦艦バウンティ号の叛乱)』では、艦長ウィリアム・ブライ役でサディスティックな人間像を見せた。

1950年に米国市民になった。1955年に『狩人の夜』で映画監督デビューを果たすが、公開当時は不評であった。結局ロートンの監督作品はこの1本だけに留まった。その後は再び俳優としての活動に専念した。

戦前戦後を通してイギリスの舞台俳優らしい演技を全うし、1962年に死去。

エピソード[編集]

  • 長年にわたり、舞台で朗読会を続けて成功を収めた人物である。朗読する範囲も聖書からジャック・ケルアックの新作まで幅があった。
  • 舞台指導でも卓越した手腕を持ち、弟子筋にはアルバート・フィニーなどがいる。ロートンは声の抑揚の変化を説明するため、ビリー・ホリディのレコードを聴かせたそうである[要出典]
  • H・G・ウエルズ原作の『獣人島』(1932年)を制作中、彼はおどけて動物園には行けないと言っていた。代わりに彼が演じたドクター・モローは、彼のかかりつけの歯医者をモデルとした。彼は映画の中で創造した「獣人」たちを鞭を使っておとなしくさせねばならなかったが、彼は演劇に入った頃にはすでにロンドンの街芸人たちが鞭を巧みに操っているのを見ていたので、使い方はお手のものだった[要出典]
  • 『狩人の夜』(1955年)に主演したロバート・ミッチャムは、ロートンは最も素晴らしい映画監督だと褒め称えた。また、ロートンは素晴らしい舞台監督でもあった。例えばジョージ・バーナード・ショーのオリジナル劇『地獄のドン・ファン』のブロードウエイ初演(彼も演じていた)なども高く評価された。英国の新作舞台劇をブロードウエイに紹介した役割は非常に大きい。
  • ロートンは子供がとても嫌いであった。『狩人の夜』(1955年)では、子供の扱いを軽視した。子供の登場シーンはほとんどロバート・ミッチャムが演出していた。ミッチャムは3人の子持ちであったからである[要出典]
  • 女優のモーリン・オハラは18歳の時にロートンに見出された[1]
  • ロートンの死後、彼の回顧録を執筆したロートンの未亡人エルザ・ランチェスターによると、彼はホモセクシャルのため子供を持たなかったという[2]。しかしながら、女優のモーリン・オハラによると、ロートンはゲイではなく、子供を持たなかったことを後悔していたという[3]。オハラはまた、子供ができなかったのは、エルザがバーレスクを演じていた頃、堕胎を経験したからだとロートンが語ったと言っている。エルザ自身が堕胎(当時は非合法であった)の経験があると語っているが[4]、それが原因で子供が持てなかったのかどうかについては語っていない。
  • エド・サリヴァン・ショー』へ出演した(1956年9月9日)が、共演したのがエルヴィス・プレスリーの最初の出演だった。

主な作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1929 ピカデリィ
Piccadilly
ナイトクラブの客
1932 悪魔と深海
Devil and the Deep
チャールズ・ストロム
魔の家
The Old Dark House
サー・ウィリアム・ポーターハウス
百萬圓貰ったら
If I Had a Million
Phineas V. Lambert
暴君ネロ
The Sign of the Cross
ネロ
1933 獣人島
Island of Lost Souls
モロー博士
ヘンリー八世の私生活
The Private Life of Henry VIII.
ヘンリー8世 アカデミー主演男優賞 受賞
白い肉体
White Woman
ホラース
1934 白い蘭
The Barretts of Wimpole Street
エドワード
1935 人生は四十二から
Ruggles of Red Gap
ラグルス
噫無情
Les Misérables
ジャベール
戦艦バウンティ号の叛乱
Mutiny on the Bounty
ブライ
1936 描かれた人生
Rembrandt
レンブラント・ファン・レイン
1938 I, Claudius クラウディウス
1938 セント・マーティンの小径
St. Martin's Lane
チャールズ・スタガーズ 兼脚本
1939 巌窟の野獣
Jamaica Inn
ハンフリー・ペンガラン卿 兼製作
ノートルダムの傴僂男
The Hunchback of Notre Dame
カジモド
1942 タヒチの食いつぶし一家
The Tuttles of Tahiti
ジョナス
運命の饗宴
Tales of Manhattan
チャールズ・スミス
1943 提督の館
Forever and a Day
ベラミー(執事)
自由への闘い
This Land Is Mine
アルバート
1944 幽霊は臆病者
The Canterville Ghost
Sir Simon de Canterville / 幽霊
容疑者
The Suspect
フィリップ
1945 海賊キッド
Captain Kidd
ウィリアム・キッド
1947 パラダイン夫人の恋
The Paradine Case
トマス・ホーフィールド卿
1948 凱旋門
Arch of Triumph
ハーケ
大時計
The Big Clock
アール・ジョナス
若い愛情
The Girl from Manhattan
司祭
1949 賄賂
The Bribe
J.J. ビーラー
1951 青いヴェール
The Blue Veil
フレッド・K・ベグリー
1952 人生模様
O. Henry's Full House
ソーピー
凸凹海賊船
Abbott and Costello Meet Captain Kidd
ウィリアム・キッド
1953 情炎の女サロメ
Salome
ヘロデ王
悲恋の王女エリザベス
Young Bess
ヘンリー8世
1954 ホブスンの婿選び
Hobson's Choice
ヘンリー・ホレイショ・ホブスン
1957 情婦
Witness for the Prosecution
ウィルフレッド・ロバーツ
1960 全艦船を撃沈せよ
Sotto dieci bandiere
ラッセル提督
スパルタカス
Spartacus
グラッカス
1962 野望の系列
Advise & Consent
シーブライト・クーリー

受賞とノミネート[編集]

部門 作品 結果
アカデミー賞 1933年 主演男優賞 ヘンリー八世の私生活 受賞
1935年 戦艦バウンティ号の叛乱 ノミネート
1957年 情婦 ノミネート
英国アカデミー賞 1958年 外国男優賞 『情婦』 ノミネート
1962年 野望の系列 ノミネート
ゴールデングローブ賞 1957年 主演男優賞 (ドラマ部門) 『情婦』 ノミネート
ニューヨーク映画批評家協会賞 1935年 主演男優賞 『戦艦バウンティ号の叛乱』、『人生は四十二から 受賞

参考文献[編集]

  1. ^ https://www.imdb.com/name/nm0000058/bio/
  2. ^ Houseman, John. The Bride of Frankenstein. The New York Times. 17 April 1983. Access date: 12 August 2007.
  3. ^ Miss O'Hara refers so in her autobiography "'Tis herself" Published by Simon & Shuster, New York, 2004
  4. ^ Lanchester, Elsa "Elsa Lanchester Herself" 1983

外部リンク[編集]