サロンカーなにわ

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国鉄14系客車 > サロンカーなにわ
サロンカーなにわ
サロンカーなにわ
基本情報
運用者 日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
種車 14系客車
改造所 国鉄高砂工場
改造年 1983年昭和58年)
改造数 7両
主要諸元
編成 7両編成
軌間 1,067 mm
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サロンカーなにわは、日本国有鉄道(国鉄)が1983年昭和58年)に改造製作し、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化以降は西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する欧風客車で、ジョイフルトレインと呼ばれる車両の一種である。鉄道ファンからは、所属区所から「大サロ」、「ミハサロ」[1]とも呼ばれる。

登場までの経緯[編集]

国鉄大阪鉄道管理局(大鉄局)では、1979年(昭和54年)7月よりスロ62形・スロフ62形客車を改造したお座敷客車であるスロ81形・スロフ81形客車の6両編成(宮原客車区所属)を運用していたが需要は多く、年間運用件数の約2倍にあたる予約申し込みを断らざるを得ない状況が続いていた[2]。旅客ニーズの多様化や目的地に直行できるという利点を持ち、ロングラン化、デラックス化した観光バス[3]に代表される他交通機関のサービス水準の向上に対応するとともに、若年層を中心とした需要開拓を狙った新しいタイプの車両の構想が1981年度より大鉄局内で検討され[2]、和風客車の次ぐ「第2弾のイベントカー[4]」として欧風客車「サロンカーなにわ」が登場した。

概要[編集]

旧塗装のサロンカーなにわ

東京南鉄道管理局に配属された「サロンエクスプレス東京」とほぼ同時期の1983年9月に登場した。

1983年3月から9月にかけて、高砂工場において14系客車から改造が行われた[5][2]。予算通達は、両端車(1・7号車)が「欧風客車に改造(B)」、中間車(2 - 6号車)が「欧風客車に改造(A)」とされた[2]。改造後の形式は、両端車がスロフ14形700番台、中間車がオロ14形700番台で、東京南局の「サロンエクスプレス東京」の続番である。全車両がグリーン車。7両編成で内容は次のとおり。

それまでに改造されたお座敷列車とは異なり、サロンエクスプレス東京と並び、初めて欧風の内外装を施しており、車内は2人+1人掛け千鳥配置のリクライニングシートとなった。シートピッチが広げられたため種車の窓配置とシートピッチが合っていない。臨時夜行列車への使用など自由度を高めるため、サロンエクスプレス東京とは異なり、コンパートメント方式は採用されなかった。スロフ14 703はパノラマラウンジカーとなっている。スロフ14 704の車端は展望室となっている。

車号並びに定員は以下の通り[5][6]

  • 1号車:スロフ14 703(旧スハフ14 31) - 展望室・ラウンジ・スナック(定員外19人)
  • 2号車:オロ14 706(旧オハ14 177) - 定員39人
  • 3号車:オロ14 707(旧オハ14 178) - 定員39人
  • 4号車:オロ14 708(旧オハ14 179) - 定員39人
  • 5号車:オロ14 709(旧オハ14 170) - 定員39人
  • 6号車:オロ14 710(旧オハ14 180) - 定員39人
  • 7号車:スロフ14 704(旧スハフ14 52) - 展望室(定員外12人)・客室定員24人
1994年のリニューアルで塗装が変更された後の展望車(スロフ14 704、2007年11月撮影)

改造内容[編集]

オロ14形(欧風客車に改造(A))

後位出入口は撤去し、出入台床面を平らにして通路にする[7]。客室内の通路は560㎜幅[8]で2 - 4位側に寄せ、座席部分の床は60mmかさ上げされている[9]。通路部分にはビニールカーペット、座席部分には9mm厚のじゅうたんを敷いている[7][10][11]。座席は回転式リクライニングシートを1,160mmピッチで一人掛け用と二人掛け用を交互に13列配置した[12]。座席は45度ピッチで固定が可能な360度回転機構を備えており、様々な座席レイアウトが可能である[8][注 1]

前位仕切壁には50インチビデオスクリーンとカラオケ用ジュークボックスを[13]、後位仕切壁には700mm×1,000mmのステンドグラスと下駄箱を設置した[14][7]

客室の色調は、天井・壁がベージュ系のクロス(防炎1級)張りとし、じゅうたんはクローム系、シートモケットはダークローズである[11]

スロフ14形(欧風客車に改造(B))

乗務員室(前位寄り)が編成中間側に来るように組成され、後位寄りの骨組みを流用して前位寄りを切妻に改造し、車端ダンパーを装着している[15]。乗務員室室内の形状は改造前と大きく変わっておらず、妻面の窓は塞がれている[15]。後位出入口は撤去され、鋼板で塞いで客室化[12]。展望室の設置にあたっては、旧後位出入口から車端側に関しては台枠を残して撤去し、台枠の延長を行ったうえで新規に骨組みを構築した[15]。窓部分はビル建築用のアルミサッシを流用して上下2段分割構造とし、8.3mmの合わせガラス(外側3mm、内側5mm、フィルム0.3mm)を使用した5面体構造とした[15]。当初は厚さが8 - 10mm程度のポリカーボネートを使用する予定であったが、高コストや傷が付きやすいことから合わせガラスに変更された[15]

7号車(スロフ14 704)の座席部分は、中間車のそれと同様とし、回転式リクライニングシートを1,160mmピッチで一人掛け用と二人掛け用を交互に8列設置した[13]

塗装

ローングリーンをベースに金色のストライプを配した[16]。ブルートレインに銀色のストライプがモダンな感じを与えるのに対して、金色のストライプでクラシックな感じを与え、ローングリーンのヨーロッパ調の色彩とマッチさせている[16]

運用[編集]

1983年9月24日から営業運転を開始した[17]。運用開始以来、宮原客車区(後・宮原総合運転所、現・網干総合車両所宮原支所)に配置されており、団体臨時列車のほか、多客時の臨時列車としても運行されることがある。乗客数や運用線区に応じて1両あるいは2両を減車した編成で運行されることもある。

特徴的な運用としては、国鉄時代の1984年(昭和59年)12月に宇高連絡船で車両航送された上で、四国での営業を行なったことがある[1]。これは本車両に航送用フックが装備されていたことから実現した[1]が、ジョイフルトレインが鉄道連絡船で航送された例は初めてであり、また14系客車の四国乗り入れおよび四国地区での客車ジョイフルトレイン走行もこの時が初めてとなった。

1984年8月6日には、当時国鉄の現役車掌兼フォーク歌手として活動していた伊藤敏博が本車両に乗り込み、展望車でライブやサイン会を行うイベントを行った。なお、伊藤は国鉄職員の兼職は禁止の建前上、車掌として乗務する扱いであるため出演料ゼロ(ノーギャラ)であった。伊藤のヒット曲「景子」にちなみ『KEIKO号』として、大阪 - 金沢間で運転された[18]

2008年(平成20年)8月には山口線にて、C57 1C56 160の重連が本車両を牽引して、『SLやまぐちDX号』として運転された。本車両が蒸気機関車に牽引されたのはこのときが初めてである。2010年(平成22年)10月にも『SLやまぐちなにわ号』として運転されたが、復路は2008年運転時とは異なりプッシュプル牽引となった。

2016年(平成28年)11月25 - 28日には日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカーあかつき』として運行された[19]。11月25日から翌26日にかけて大阪 - 長崎間、27日から翌28日にかけて博多 - 大阪間で運転され、九州旅客鉄道(JR九州)の路線に1996年(平成8年)ごろの西鹿児島入線(ED76 61牽引)以来久しぶりに入線した(国鉄時代には「サロンカー明星」「サロンカー屋久島」など多客期の臨時夜行列車として九州で運行されたことがある)。

2017年(平成29年)3月18日 - 3月20日にはサロンカー大山、出雲として運行され、大阪 - 米子を往復した。

同年12月1 - 3日には日本旅行が企画した団体専用列車『サロンカーあさかぜ』として運行され、大阪 - 下関間を往復した[20]

2019年(平成31年)4月30日 - 2019年(令和元年)5月2日には日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカー令和』として運行され、大阪 - 出雲市間を往復した。[21]

同年(令和元年)8月23 - 26日には『熊本デスティネーションキャンペーン』にあわせて日本旅行が企画した団体専用夜行列車『サロンカー明星』として約3年ぶりに九州旅客鉄道(JR九州)管内に入線。8月23日から翌24日にかけて大阪 - 熊本(回送で八代まで)間、25日から翌26日にかけて博多 - 大阪間で運転された[22]

お召し列車としての運用[編集]

国鉄分割民営化以降はJR西日本管内で運行されるお召し列車にもしばしば使用されている。この場合は5両編成[注 2]に減車され、テールサインにはJRマークが掲げられ[23]、側面行先幕は白地となる。このためスロフ14 703の窓ガラスは防弾ガラスとなっており、展望車に一番近いオロ14 706のトイレのみ洋式化改造するなど、お召し列車としての運用を想定した様々な対策工事が施されている。

運転記録[24]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 新幹線グリーン車の廃車発生品を流用する予定であったが、改造項目が多岐にわたり、コストもかかることから新規で製作された。
  2. ^ 1996年にのと鉄道で運転されたときは、能登線内のホーム有効長の関係から4両編成となった。

出典[編集]

  1. ^ a b c レイルマガジン』1985年3月号、ネコ・パブリッシング、1985年、20頁。 
  2. ^ a b c d 『車輌工学』通巻586号、p.6
  3. ^ 『車輌工学』通巻593号、p.6
  4. ^ 『車輌工学』通巻593号、p.7
  5. ^ a b 『車輌工学』通巻593号、p.8
  6. ^ 『車輌工学』通巻593号、p.9
  7. ^ a b c 『車輌工学』通巻593号、p.10
  8. ^ a b 『車輌工学』通巻593号、p.17
  9. ^ 『車輌工学』通巻586号、p.7
  10. ^ 『車輌工学』通巻593号、p.11
  11. ^ a b 『車輌工学』通巻594号、p.22
  12. ^ a b 『車輌工学』通巻593号、p.15
  13. ^ a b 『車輌工学』通巻593号、p.12
  14. ^ 『車輌工学』通巻586号、p.9
  15. ^ a b c d e 『車輌工学』通巻593号、p.16
  16. ^ a b 『車輌工学』通巻594号、p.25
  17. ^ 『車両と電気』通巻401号、p.8
  18. ^ 「車掌さんシンガー、車上でコンサート──国鉄の伊藤さん、赤字解消お手伝い」『日本経済新聞』1984年5月22日付大阪夕刊、p.19。
  19. ^ 「サロンカーあかつき」運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2016年11月26日
  20. ^ 「サロンカーあさかぜ」運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2017年12月4日
  21. ^ 『サロンカー令和』運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2019年5月2日
  22. ^ 『サロンカー明星』運転- 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2019年8月27日
  23. ^ 1997年(平成9年)以降。1994年の運転時はテールマークの台座ごと外されていた。また1996年ののと鉄道での運転時はJR西日本とのと鉄道の社紋を併記している。
  24. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻571号、p.112

参考文献[編集]

  • 垂水啓二(旅客局営業課)「団体営業と団体用車両」『車両と電気』第401号、車両電気協会、1983年9月、6 - 11頁。 
  • 國定照明・柳井亮人(高砂工場車両課)「大阪局の欧風客車・サロンカーなにわ」『車輌工学』第586号、車輌工学社、1983年8月、25 - 33頁。 
  • 高砂工場「欧風客車の開発について--サロンカー"なにわ"の改造記録」『車輌工学』第593号、車輌工学社、1984年3月、6 - 18頁。 
  • 高砂工場「欧風客車の開発について(2)--サロンカー"なにわ"の改造記録」『車輌工学』第594号、車輌工学社、1984年4月、18 - 27頁。 
  • 木村忠吾「現存するお召列車牽引機関車」『鉄道ジャーナル』第571号、鉄道ジャーナル社、2014年11月、106 - 112頁。 
  • 鉄道ファン通巻271号(1983年11月号)

関連項目[編集]