ケーシー・フォッサム
阪神時代(2010年7月15日、阪神鳴尾浜球場) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニュージャージー州 |
生年月日 | 1978年1月6日(46歳) |
身長 体重 |
185 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 MLBサプリメンタルドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 2001年7月28日 NPB / 2010年4月15日 |
最終出場 |
MLB / 2009年4月26日 NPB / 2010年7月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ケーシー・ポール・フォッサム(Casey Paul Fossum, 1978年1月6日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]1996年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスからMLBドラフト7巡目で指名されたが契約せず、テキサスA&M大学に進学。
1999年にボストン・レッドソックスからサプリメンタルドラフト1巡目(全体の48番目)で指名され、プロ入り。
2003年は振るわず、同年のシーズンオフにカート・シリングとの1対4のトレードでブランドン・ライオンらと共にダイヤモンドバックスに移籍。
2004年にナショナルリーグ2位の15敗を喫するなど、ダイヤモンドバックスでも今一つのピッチングが続き、1年でホセ・クルーズ・ジュニアとのトレードでタンパベイ・デビルレイズへ放出される。2005年と2006年は主に先発投手として投げ、2005年には規定投球回もクリアしたが、2006年9月には肩の手術を受けた。
2008年にはデトロイト・タイガースで中継ぎで31試合に登板。
2009年にはニューヨーク・メッツとマイナー契約。4月にメジャー昇格を果たしたが3試合に登板しただけで、4月26日に高橋建と入れ替わる形で戦力外通告を受けた。5月2日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を交わしたがメジャー昇格のないまま解雇され、7月3日にシカゴ・カブスとマイナー契約。
2010年は阪神タイガースと契約[1]、先発投手としての起用方針を示された[2]が、オープン戦で結果を出せず、開幕ローテーションから漏れた。二軍での調整を経て4月15日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦に登板、6回を投げて3安打無失点と好投したが、降板後にチームが逆転され勝敗は付かなかった。2回目の登板となる4月23日の対中日ドラゴンズ戦にでは5回1失点で初勝利。4度目の先発となった5月7日の対広島東洋カープ戦では4回まで5-0と封じていながら、5回に3連打を含む5本の長短打を浴び、4回2/3を4失点で降板した。5月15日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦は6回を投げ、岩隈久志に投げ勝って白星を挙げたものの、続く5月21日の対オリックス・バファローズ戦では、2回裏に1イニング5四死球を出し1回2/3を5失点で降板した。能見篤史・岩田稔の両左腕が故障で離脱している事情もあって起用され続け、ある程度試合を作るものの、打線の援護に恵まれなかった。交流戦が明けると調子を大きく崩し、7月4日の対巨人戦では2回1/3で3本塁打を含む9安打を浴び7失点[3]。3本塁打を許して3回2/3で降板した6月20日の対横浜ベイスターズ戦から[4]、3戦連続の先発失敗となり一軍登録を抹消された[5]。その後はジェイソン・スタンリッジとランディ・メッセンジャーの活躍で再び一軍に昇格しないままシーズンを終え、10月4日に帰国し、26日に球団から翌年の契約を結ばないことが発表された[6]。
2011年2月9日、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[7]。
2012年2月1日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結ぶも、4月19日に放出された。
2015年5月19日に米独立リーグ・アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約。
プレースタイル
[編集]145 km/h前後の速球とスライダー・カットボール・チェンジアップ、2種類のカーブなど多彩な球種を投げ分ける技巧派の投手。投球フォームはサンディー・コーファックスがモデル[8][9]。自ら「フォッサム・フリップ」(Fossum Flip) と名付けた[10]、最遅43 mph(約68.8 km/h)[11]の縦に大きく割れるカーブが最大の武器で[12]、ヤンキース傘下のスクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキース時代にチームメイトだった井川慶からも評価されている[13]。一方、制球力の甘さが課題[14]。
人物
[編集]息子に買ってあげた『プロ野球スピリッツ2010』において、自分の能力が低く設定されていることに不満を持ち、次回作で能力を高くしてもらえるように活躍を誓った[15]。
入団会見の際には、長時間移動のためラフな服装で登場する選手も多い中、きちんとスーツを着て会見に臨んだ[17]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2001 | BOS | 13 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 197 | 44.1 | 44 | 4 | 20 | 1 | 6 | 26 | 1 | 1 | 26 | 24 | 4.87 | 1.44 |
2002 | 43 | 12 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 1 | 3 | .556 | 461 | 106.2 | 113 | 12 | 30 | 0 | 4 | 101 | 3 | 0 | 56 | 41 | 3.46 | 1.34 | |
2003 | 19 | 14 | 0 | 0 | 0 | 6 | 5 | 1 | 0 | .545 | 346 | 79.0 | 82 | 9 | 34 | 0 | 4 | 63 | 4 | 0 | 55 | 48 | 5.47 | 1.47 | |
2004 | ARI | 27 | 27 | 0 | 0 | 0 | 4 | 15 | 0 | 0 | .211 | 652 | 142.0 | 171 | 31 | 63 | 5 | 10 | 117 | 4 | 2 | 111 | 105 | 6.65 | 1.65 |
2005 | TB | 36 | 25 | 0 | 0 | 0 | 8 | 12 | 0 | 0 | .400 | 725 | 162.2 | 170 | 21 | 60 | 3 | 18 | 128 | 8 | 1 | 100 | 89 | 4.92 | 1.41 |
2006 | 25 | 25 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 594 | 130.0 | 136 | 18 | 63 | 3 | 12 | 88 | 4 | 1 | 89 | 77 | 5.33 | 1.53 | |
2007 | 40 | 10 | 0 | 0 | 0 | 5 | 8 | 0 | 2 | .385 | 364 | 76.0 | 109 | 15 | 27 | 1 | 6 | 53 | 3 | 0 | 71 | 65 | 7.70 | 1.79 | |
2008 | DET | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 6 | .750 | 179 | 41.1 | 44 | 4 | 18 | 1 | 3 | 28 | 1 | 0 | 26 | 26 | 5.66 | 1.50 |
2009 | NYM | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 19 | 4.0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.25 | 2.00 |
2010 | 阪神 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 258 | 56.2 | 65 | 9 | 24 | 1 | 5 | 48 | 1 | 0 | 37 | 36 | 5.72 | 1.57 |
MLB:9年 | 237 | 120 | 0 | 0 | 0 | 40 | 53 | 2 | 11 | .430 | 3537 | 786.0 | 873 | 114 | 319 | 14 | 63 | 607 | 28 | 5 | 535 | 476 | 5.45 | 1.52 | |
NPB:1年 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 258 | 56.2 | 65 | 9 | 24 | 1 | 5 | 48 | 1 | 0 | 37 | 36 | 5.72 | 1.57 |
- 2010年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:2010年4月15日、対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)、6回3安打無失点
- 初奪三振:同上、2回裏に亀井義行から
- 初勝利:2010年4月23日、対中日ドラゴンズ4回戦(阪神甲子園球場)、5回3安打1失点
背番号
[編集]- 59 (2001年)
- 15 (2002年、2005年 - 2007年)
- 23 (2003年)
- 16 (2004年)
- 49 (2008年)
- 47 (2009年)
- 58 (2010年)
登場曲
[編集]- 「Notorious Thugs」The Notorious B.I.G feat. Bone Thugs-N-Harmony(2010年)
脚注
[編集]- ^ “阪神 新外国人2投手が来日 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年5月20日閲覧。
- ^ フォッサムは「開幕ローテ」か「2軍」 デイリースポーツ、2010年3月16日。
- ^ “巨人打線に粉砕された 阪神助っ人2軍降格決定 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “阪神 18被安打14失点…打つ手なしの大敗 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年5月20日閲覧。
- ^ フォッサム懲罰2軍、虎G戦連勝STOP デイリースポーツ、2010年7月5日。
- ^ 阪神タイガース球団ニュース、2010年10月26日。
- ^ Mets To Sign Casey Fossum MLB TRADE RUMORS、2011年2月9日
- ^ “阪神左腕フォッサムは先発で期待 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “フォッサムが“伝説の名投手”に変身? - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “新助っ投フォッサム「魔球」超遅球投げた - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年5月20日閲覧。
- ^ フォッサム「驚かす」超遅球 デイリースポーツ、2010年1月27日。
- ^ “フォッサム日本流ストライクゾーン確認 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年5月20日閲覧。
- ^ 阪神助っ投フォッサム魔球に井川が太鼓判 日刊スポーツ、2009年12月14日
- ^ フォッサム懲罰2軍、虎G戦連勝STOP デイリースポーツ、2010年7月4日。
- ^ フォッサムきょう先発!ゲーム内の低評価見返す スポーツニッポン、2010年5月7日。
- ^ “阪神メッセ、初代通訳が明かす成功秘話 驚異の探究心「本当に日本が好きだった」 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “フォッサム選手入団会見|球団ニュース|ニュース|阪神タイガース公式サイト”. hanshintigers.jp. 2022年5月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 ケーシー・フォッサム - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube