アイランドホッピング

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アイランドホッピング(Island Hopping)は、と島とをつなぐ短い旅を繰り返しながら大洋を渡ることである。大洋を直接横断する旅とは異なる。アイランドホッピングには、以下のような様々な意味がある。

学問上[編集]

ポリネシア人を含むオーストロネシア人の移動経路
  • 生物学においては、アイランドホッピングとは島伝いに動物や植物の種が伝播してゆく方法のことである。
  • 人類学では、ポリネシア人太平洋の島々に進出して行ったことをアイランドホッピングという。

歴史上[編集]

飛び石作戦により日本が太平洋上の拠点を失っていく様子(1943年から1945年)
  • 第二次世界大戦太平洋戦線において、連合国軍がとった戦略がアイランドホッピング、またはリープフロッギング(蛙飛び)と呼ばれ、日本では飛び石作戦と呼ばれることが多い。これはラバウルなどの要塞化され侵攻が困難な日本軍の拠点を避けながら、比較的日本軍の戦力が薄く、かつ日本本土に迫るには重要な位置にある島(サイパン島など)に連合国軍の戦力を集中させて攻め落としてゆくというものである。これを可能にしたものはアメリカ海軍潜水艦部隊であり、アメリカ軍イギリス軍オーストラリア軍からなる圧倒的な航空戦力であった。また日本軍が艦隊決戦主義を取り、この戦略に不可欠な補給物資や部隊移動を搭載した輸送船への攻撃に積極的ではなかったことも連合国軍の戦略遂行を助ける形となった。これに対して連合国軍の潜水艦部隊や航空戦力は、比較的航空機の援護が薄かった日本軍の輸送船を撃沈して補給物資や部隊移動の遮断を行い、日本軍が多数駐留し拠点にしている島を孤立させ、無視できる存在にした。こうして連合国軍は日本本土を爆撃、または空母艦載機によって攻撃できる航続距離にある島々まで到達したが、孤立し無視されたものの戦力を維持し続けていたラバウル島やウェーク島などの複数の島は主戦場とならなかったものの、駐留する日本軍が連合国軍を攻撃し続けた。さらに日本軍部隊の中には終戦後もジャングルに篭り抵抗する者もいた。この一連の戦いからの教訓を受けて、その後のアメリカ海兵隊が作り上げられていった。

旅行[編集]

フィリピンインドネシアニューギニアなどの群島国家や太平洋の島々、日本の南西諸島奄美群島[1]琉球諸島大東諸島[2])などを、航空機や船などでつなぎながら旅することを「アイランドホッピング」と呼ぶ。

航空[編集]

航空の世界では、航続距離や利便性を理由に、複数の島を経由する航空路線のことを指す。

過去[編集]

かつて大洋をわたる航続距離のない飛行機がアイランドホッピングを使って洋上飛行を行った。第一次世界大戦後には、「五大国」の国策下の航空会社であるインペリアル航空(のち英国海外航空)がショート・エンパイアなど、大日本航空川西式四発飛行艇パンアメリカン航空マーチン M130チャイナクリッパーなどといった飛行艇を用いて、植民地や信託領などの島嶼を結んでいた。

大西洋では、ヨーロッパ北アメリカ間の旅客機は、カナリア諸島 - カリブ海を経由していた。中には西アフリカ - アセンション島 - ブラジルというルートや、アイスランド - グリーンランド - ニューファンドランド島というルートで横断することもあった。飛行艇から陸上機に移行し航続距離性能が不十分だったレシプロ四発機の初期時代には何度もテクニカルランディングを繰り返す航空便が存在し、一例で1946年から1949年短期間存在したBSAA英国南米航空・英語版、のち英国海外航空に吸収合併)はアブロ ランカストリアンアブロ チューダーを用いロンドンメキシコ便では途中リスボンアゾレス諸島バミューダ諸島バハマを経由する定期便を開設していた。

太平洋では、第二次世界大戦前の1941年(昭和16年)4月に、日本の国策会社である大日本航空横浜 - サイパン - コロールパラオ) - トラック - ポナペ(ポンペイ) - ヤルートの路線を飛行艇を利用して開設していた。戦後は日本航空が、ダグラス DC-6DC-8による東京国際空港 - ウェーク島 - ホノルル - サンフランシスコ路線を就航していた。また1974年11月から日本に乗り入れしていたフランスUTAは、パリ発着でアメリカ経由、ニューカレドニアヌメア発東京便、パリ発着アフリカ大陸便の延伸でインド洋のフランス植民地・保護領を経てニュージーランドオーストラリアオセアニアを結ぶ定期航路を1990年エールフランス傘下に置かれるまで運行していた。

北太平洋[編集]

現在も太平洋では多くのアイランドホッピングによる航空路がある。アメリカでは「アイランドホッパー」と呼ばれ、アメリカ合衆国アラスカ州では、アラスカ本土と島嶼間、アリューシャン列島の各島を結ぶ生活路線を、アラスカ航空やグラント・アビエーション、ペン・エアーなどが陸上機(旅客機と貨客混載機、貨物機)と水上機で結んでいる。

中部太平洋[編集]

中部太平洋ではユナイテッド航空(かつてのコンチネンタル・ミクロネシア)が、グアムホノルルを、途中複数の島を経由して結ぶ航空路線を運航している。アメリカの自治領であるグアムから同じアメリカのホノルルを結ぶ路線でありながら、間にミクロネシア連邦マーシャル諸島という2つの国を経由する国際路線という珍しい航空路線である。なお同社はホノルルとグアムを結ぶ直行便も運航している。

路線[編集]

グアムの旗グアム - ミクロネシア連邦の旗チューク(トラック) - ミクロネシア連邦の旗ポンペイ(ポナペ) - ミクロネシア連邦の旗コスラエ(クサイ) - マーシャル諸島の旗クワジャリン - マーシャル諸島の旗マジュロ - アメリカ合衆国の旗ホノルル

特徴[編集]

  • 飛行距離としては格別に長い路線ではないが、途中、給油荷物の積み下ろしを何度も繰り返し、日付変更線を越えて飛行するため、朝出発して夜到着するロングフライトとなる。通しで乗ると、3度の機内食が出る。
  • 途中経由地のうち、ポンペイ島はミクロネシア連邦の、マジュロ島はマーシャル諸島の首都である。
  • 幅25キロメートル、長さ110キロメートルにも及ぶ世界最大の環礁としても知られるクェゼリン環礁の南端に位置するクェゼリン島は、アメリカ海軍飛行場になっており、大陸間弾道ミサイルの迎撃実験を行っており、この近くには、第五福竜丸事件で有名なビキニ環礁がある。クェゼリン島自体は軍事施設しかない島で、クェゼリン環礁内の他の島へ向かう利用者以外は、降機が許されない。
  • 2004年まではマジュロとホノルルの間にあるジョンストン島も経由していた。ジョンストン島は軍事施設しかない島で、クェゼリンと同様に一般利用客の降機は許されなかったが、同島のアメリカ軍基地が閉鎖され無人島となったために寄港が中止された。
  • ミクロネシア連邦マーシャル諸島へ向かう日本人の利用も多い。目的は、高齢者大東亜戦争(太平洋戦争)の戦跡巡り、若者はリゾートでのダイビングなどである。この路線は、第一次世界大戦後に日本の委任統治領であった「南洋群島」を巡る路線でもある。

南太平洋[編集]

ナウルフィジーニューギニアソロモン諸島などの南太平洋及びその近郊の島国、ニューカレドニアやタヒチなどのフランスの海外領土や海外共同体では、エア・ナウルエア・タヒチ・ヌイエア・カレドニア・インターナショナルフィジー・エアウェイズソロモン航空ニューギニア航空などが、ハブ空港と複数の離島の間や、複数の周辺国を経由する路線を運航している。

南西諸島[編集]

日本エアコミューター2018年7月1日に、奄美大島から奄美群島の各島を経て沖縄本島を結ぶ奄美群島アイランドホッピングルートを開設した[3][4]

路線[編集]

奄美空港奄美大島) - 徳之島空港徳之島) - 沖永良部空港沖永良部島) - 那覇空港沖縄本島

脚注[編集]

関連項目[編集]