郷原洋行
郷原洋行 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県鹿屋市 |
生年月日 | 1944年1月21日(80歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
大久保房松(1961年4月 - 1974年5月) 佐々木猛(1974年5月 - 6月) 大久保房松(1974年6月 - 1987年2月) フリー(1987年3月 - 引退) |
初免許年 | 1962年 |
騎手引退日 | 1993年 |
重賞勝利 | 83勝 |
G1級勝利 | 10勝 |
通算勝利 | 11906戦1515勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1993年 |
調教師引退日 | 2011年2月28日 |
重賞勝利 | 4勝 |
G1級勝利 | 2勝 |
経歴 | |
所属 | 美浦トレーニングセンター |
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - )は日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。
1962年に中央競馬で騎手デビュー。力強い騎乗振りから「剛腕」との異名を取り、1979年には全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)を獲得。1993年までに通算11906戦1515勝、うち八大競走・GI級競走10勝を含む重賞83勝を挙げた。騎手引退後は調教師に転身し、中山グランドジャンプ2勝のゴーカイを管理した。2011年に調教師を引退。
経歴
1944年、農家の次男として生まれる。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しんだ。中学時代から騎手を志し、卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程に入所。修了後の1961年より、騎手候補生として中山競馬場の大久保房松厩舎に入門、翌1962年3月に騎手デビューを果たした。同期には中島啓之、榎屋忍(当時)、中神輝一郎などがいる。
騎手時代
初年度は8勝だったが、2年目に31勝と躍進。3年目に38勝を挙げて初めて全国ランキング一桁台となる9位に付け、以後ランキングは上位で定着し、一流騎手の一名となっていった。1967年にリュウズキに騎乗して皐月賞を制し、八大競走を初制覇。この年79勝を挙げて初の関東リーディングジョッキーを獲得した。その後も順調に勝利数を伸ばしていたが、1971年、右足に痛風を患い、痛みに耐えかねて一時引退を考える。しかし懇意であった馬主の栗林友二に説得されて翻意し、体質改善により痛風を克服した[1]。
その後復調し、1974年、1975年、1978年と3度の関東リーディングジョッキーを獲得。この間イチフジイサミで1975年春の天皇賞、プレストウコウで1977年の菊花賞を制している。1979年には、1月15日に史上5人目となる通算1000勝を達成。春秋の天皇賞をそれぞれカシュウチカラ、スリージャイアンツで制し、さらにこの年64勝で初の全国リーディングジョッキーを獲得した。翌1980年にはオペックホースで東京優駿(日本ダービー)を制し、ダービージョッキーおよびクラシック三冠騎手となる。その後、1983年の全国8位を最後にランキング上位からは遠ざかるようになったが、1987年から1988年にかけてはニッポーテイオーとのコンビで天皇賞(秋)をはじめとする3つのGI競走を制覇、1989年にはウィナーズサークルで二度目の東京優駿制覇を果たしている。また、1988年より日本騎手クラブの会長に選出され、引退まで5年間を務めた。
1991年12月8日、史上4人目となる通算1500勝を達成。これを受けて翌1992年1月に日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した。そして1993年2月28日をもって騎手を引退。通算1515勝は史上第4位の記録(当時)であった。
調教師時代
騎手引退3日後に調教師免許を取得し、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。長らく重賞勝利などの目立った活躍がなかったが、1999年に管理馬ゴーカイが東京オータムジャンプを制して重賞初勝利を挙げると、翌2000年には同馬が中山グランドジャンプを制し、障害競走ながらGI初制覇を果たした。この翌年もゴーカイで中山グランドジャンプ連覇を果たしている。晩年にはゴーカイ産駒のオープンガーデンでも中山グランドジャンプ2着[2]などの成績を残した。
2011年2月10日、2月28日をもって定年を3年残して調教師を引退することが、日本中央競馬会より発表された[3]。引退に際してはゴーカイとその産駒に対して「助けられ、励まされ、楽しませてもらいました」とのコメントを残した[4]。
騎手としての特徴
騎手時代は、馬を力強く追う[注 1]ことから「剛腕・郷原」と呼ばれた。野平祐二は郷原を評して「馬を追えることにかけては日本競馬史上最も秀でた騎手」と賞賛を送っている[5]。また、郷原自身も騎乗技術の手本としたのは野平であり、異名から想起されるイメージとは異なり、リスクの少ない先行抜け出しを好み、フェアでスマートな騎乗が身上であった[注 2][6]。郷原は馬を追う時に大切なこととして「空気抵抗を避ける、ハミを固定する、馬の動きを妨げない」とし、「腕っ節の強さはあまり関係ない」と「剛腕」の異名を自ら否定する発言を行っている[5]。また、同じ関東所属で「闘将」と呼ばれた加賀武見とは自他共に認めるライバルであり、「加賀と郷原が同じレースで逃げ馬に乗っていたら、競り合って潰れるから馬券は買うな」という格言もあった[5]。なお1988年に加賀の引退により郷原が日本騎手クラブの会長を代行し、その後正式に後任の会長に就任した。
騎手生活を通じて牝馬限定競走のビッグタイトルに縁がなく、その点では牝馬クラシック2勝を挙げている加賀と対照的で、1988年の優駿牝馬(オークス)でサンキョウセッツに騎乗した際、民放のテレビ中継で実況を務めた堺正幸が勝ったコスモドリームをサンキョウセッツと誤認し「郷原やっと牝馬のタイトル、クラシックタイトルを制しました」と実況される椿事が発生している(詳しくは コスモドリーム#エピソードを参照のこと)。牝馬での活躍がなかったことについて、郷原自身は「そんな異名(剛腕)が付いちゃったから、牝馬の依頼がなかったんじゃないかな。郷原を乗せたら馬が壊れるんじゃないかって」と受け流している[7]。
通算成績
騎手成績
年 | 区分 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1962年 | 平地 | 7 | 7 | 4 | 59 | 77 | .091 | .182 | |
障害 | 1 | 0 | 2 | 1 | 4 | .250 | .250 | ||
1963年 | 平地 | 30 | 25 | 22 | 134 | 211 | .142 | .261 | |
障害 | 1 | 0 | 1 | 2 | 4 | .250 | .250 | ||
1964年 | 平地 | 38 | 28 | 34 | 173 | 275 | .138 | .240 | |
1965年 | 平地 | 45 | 52 | 44 | 223 | 364 | .124 | .266 | 通算100勝達成(8月14日) |
1966年 | 平地 | 64 | 66 | 54 | 218 | 402 | .159 | .323 | |
1967年 | 平地 | 79 | 76 | 53 | 295 | 503 | .157 | .308 | 関東リーディングジョッキー(全国2位) |
1968年 | 平地 | 85 | 81 | 67 | 452 | 585 | .145 | .284 | |
1969年 | 平地 | 71 | 56 | 62 | 370 | 559 | .127 | .227 | |
1970年 | 平地 | 62 | 66 | 61 | 286 | 475 | .131 | .269 | |
1971年 | 平地 | 59 | 50 | 41 | 234 | 384 | .154 | .284 | 通算500勝達成(4月11日) |
1972年 | 平地 | 46 | 41 | 35 | 185 | 307 | .150 | .283 | |
1973年 | 平地 | 59 | 55 | 51 | 247 | 412 | .143 | .277 | |
1974年 | 平地 | 71 | 61 | 56 | 284 | 472 | .150 | .280 | 関東リーディングジョッキー(全国2位) |
1975年 | 平地 | 80 | 82 | 64 | 298 | 524 | .153 | .309 | 関東リーディングジョッキー(全国2位) |
1976年 | 平地 | 59 | 55 | 38 | 278 | 430 | .137 | .265 | |
1977年 | 平地 | 61 | 60 | 39 | 268 | 428 | .143 | .283 | |
1978年 | 平地 | 75 | 68 | 49 | 196 | 388 | .193 | .368 | 関東リーディングジョッキー(全国2位) |
1979年 | 平地 | 64 | 66 | 52 | 281 | 463 | .138 | .281 | 全国リーディングジョッキー 通算1000勝達成(1月15日・史上4人目) |
1980年 | 平地 | 46 | 49 | 35 | 259 | 389 | .118 | .244 | |
1981年 | 平地 | 36 | 42 | 31 | 211 | 320 | .113 | .244 | |
1982年 | 平地 | 51 | 45 | 43 | 286 | 425 | .120 | .226 | |
1983年 | 平地 | 53 | 41 | 37 | 318 | 449 | .118 | .209 | |
1984年 | 平地 | 32 | 29 | 33 | 251 | 345 | .093 | .177 | |
1985年 | 平地 | 40 | 31 | 42 | 268 | 381 | .105 | .186 | |
1986年 | 平地 | 30 | 35 | 39 | 258 | 362 | .083 | .180 | |
1987年 | 平地 | 35 | 38 | 32 | 254 | 359 | .097 | .203 | 通算10000回騎乗達成(3月14日・史上2人目) |
1988年 | 平地 | 37 | 32 | 36 | 275 | 380 | .097 | .182 | |
1989年 | 平地 | 36 | 31 | 22 | 286 | 375 | .096 | .179 | |
1990年 | 平地 | 30 | 31 | 38 | 275 | 374 | .080 | .163 | |
1991年 | 平地 | 17 | 26 | 21 | 188 | 252 | .067 | .171 | 通算1500勝達成(12月8日・史上4人目) |
1992年 | 平地 | 13 | 15 | 19 | 148 | 195 | .067 | .144 | |
1993年 | 平地 | 2 | 3 | 2 | 26 | 33 | .062 | .152 | 引退(2月28日) |
計 | 平地 | 1,513 | 1,443 | 1,256 | 7,686 | 11,898 | .127 | .248 | |
障害 | 2 | 0 | 3 | 3 | 8 | .250 | .250 | ||
総計 | 1,515 | 1,423 | 1,259 | 7,689 | 11,906 | .127 | .248 |
日付 | 競馬場 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1962年3月17日 | 中山2R | - | シオカゼオー | 12頭 | - | 12着 |
初勝利 | 1962年4月22日 | 中山1R | - | アイデアル | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1963年9月24日 | 東京10R | クイーンS | ミチアサ | 8頭 | 8 | 7着 |
重賞初勝利 | 1966年2月27日 | 東京10R | 弥生賞 | タマシユウホウ | 14頭 | 8 | 1着 |
GI級初騎乗 | 1964年4月19日 | 東京10R | 皐月賞 | アカネオーザ | 24頭 | 16 | 6着 |
GI級初勝利 | 1967年4月30日 | 中山10R | 皐月賞 | リユウズキ | 14頭 | 3 | 1着 |
主な騎乗馬
※括弧内は郷原騎乗による優勝重賞競走。
- ヒロイサミ(1966年日本短波賞、セントライト記念)
- シェスキイ(1966年クモハタ記念 1967年クモハタ記念 1968年中山記念、安田記念、毎日王冠)
- リユウズキ(1967年皐月賞、函館記念)
- クリシバ(1970年京王杯オータムハンデキャップ、毎日王冠、セントライト記念、ダービー卿チャレンジトロフィー)
- メジロゲッコウ(1971年弥生賞、スプリングステークス)
- トモエオー(1971年函館3歳ステークス、北海道3歳ステークス)
- イチフジイサミ(1973年日本短波賞、1974年オールカマー、1975年天皇賞・春)
- グレートセイカン(1976年札幌記念、オールカマー 1977年ダービー卿チャレンジトロフィー)
- ニッポーキング(1976年セントライト記念、クモハタ記念 1977年京王杯スプリングハンデキャップ 1978年安田記念)
- プレストウコウ(1977年菊花賞、京都新聞杯、セントライト記念)
- カシュウチカラ(1979年天皇賞・春)
- スリージャイアンツ(1979年天皇賞・秋)
- オペックホース (1980年東京優駿)
- トドロキヒホウ(1981年東京4歳ステークス、弥生賞)
- ドウカンヤシマ(1982年京成杯3歳ステークス)
- ミナガワマンナ(1983年アルゼンチン共和国杯)
- ハヤテミグ(1984年日経賞、関屋記念)
- ユキノローズ(1985年サンスポ賞4歳牝馬特別 1986年中山牝馬ステークス)
- ニッポーテイオー(1986年スワンステークス、函館記念 1987年天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ、京王杯スプリングカップ 1988年安田記念)
- ウィナーズサークル(1989年東京優駿)
調教師成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 82 | 109 | 125 | 2450 | .033 | .078 |
障害 | 22 | 31 | 27 | 298 | .074 | .179 |
計 | 104 | 140 | 152 | 2748 | .038 | .089 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1994年3月5日 | 2回中山3日6R | 4歳新馬 | ウイナーズジョージ | 16頭 | 8 | 8着 |
初勝利 | 1994年5月22日 | 3回東京2日8R | 湘南特別 | ダンシングフレール | 15頭 | 7 | 1着 |
重賞初出走 | 1995年8月6日 | 3回福島8日11R | 関屋記念 | デュエルオンワード | 12頭 | 12 | 中止 |
重賞初勝利 | 1999年10月24日 | 4回東京6日10R | 東京オータムジャンプ | ゴーカイ | 8頭 | 5 | 1着 |
GI初出走 | 1997年5月11日 | 2回東京8日11R | NHKマイルカップ | ロイヤルブルー | 18頭 | 18 | 14着 |
GI初勝利 | 2000年5月11日 | 3回中山7日11R | 中山グランドジャンプ | ゴーカイ | 16頭 | 1 | 1着 |
主な管理馬
- ゴーカイ(1999年東京オータムジャンプ 2000年中山グランドジャンプ、京都ハイジャンプ 2001年中山グランドジャンプ)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 野崎孝仁(1998年-2000年 騎手)
脚注
出典
- ^ 『優駿』2007年8月号 p.138
- ^ 第12回 中山グランドジャンプ(日本中央競馬会)
- ^ ディープインパクトの池江泰郎調教師らが引退 産経新聞 2011年2月10日閲覧を参照
- ^ 開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等(日本中央競馬会、2011年2月26日)
- ^ a b c 『Sports Graphic Number PLUS』1999年10月号 p.78
- ^ 『優駿』2007年8月号 p.137
- ^ 『優駿』1993年4月号 p.8
参考文献
- 『優駿』1993年4月号(日本中央競馬会、1993年)「さらば"剛腕"郷原洋行 31年間のジョッキー人生」
- 『Sports Graphic Number PLUS - 競馬黄金の蹄跡』(文藝春秋、1999年)
- 『優駿』2007年8月号(日本中央競馬会、2007年)江面弘也「名ジョッキー列伝 - 第6回 郷原洋行」
- 『中央競馬騎手名鑑(昭和59年版)』(日本中央競馬会、1984年)
関連項目
- 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧
- 競馬の調教師一覧
- 騎手一覧
- 吉永正人 - 鹿屋出身の先輩騎手。公私ともに交流があった。
- 梅内忍 - 鹿屋出身の同級生。同じ列車に乗って上京し、騎手を目指した。
外部リンク
- 引退調教師情報 郷原 洋行 (ゴウハラ ヒロユキ) - JRAホームページ
- 伝説のジョッキー 第18回 剛腕 郷原洋行 - JRAホームページ