芝浦
芝浦(しばうら)は、東京都港区の地名。現在は一丁目から四丁目まである。当地域の人口は、18,199人(2011年8月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
概要
現在の芝浦は、明治 - 昭和初期に「隅田川口改良計画」によって、東京市芝区の臨海部を埋立てて成立した。東京湾埋立2 - 6号地にあたり、芝、三田とJR山手線、京浜東北線の線路で、港区海岸、港南とは運河で接している。
ほぼ全域が山手線田町駅東側に位置する、運河の多い埋立地であり、工場やオフィス、倉庫などの商工業施設が大半を占め、田町駅芝浦口周辺を中心に商店街・飲食店街がある。最近では工場の跡地などで大規模な再開発が行われており、マンションが増えている。特に芝浦アイランドがある芝浦四丁目では、近年人口の増加が著しい。
「芝浦」とは芝の浦の意味であり、もともとは芝一帯の東京湾を指す言葉であった。この地域一帯の地名に見られる「芝」とは、文字通り芝のことで芝が生い茂った地であり、その沖の海岸部分であるため「芝浦」と呼ばれるようになったといわれている。また、「芝」とは芝沖の海苔の養殖に使う木の枝「ひび」(竹篠)のことであり、「ひび」の並んだ海であることから「芝浦」となった、とする説もある。芝浦は現在では行政区画上の芝浦一 - 四丁目の地域のことであるが、広義では港区海岸・港南の全域を含む山手線よりも東京湾寄りの地域全体を指し、山手線より内陸の部分が芝と呼ばれる。
芝浦桟橋、芝浦ふ頭駅、芝浦パーキングエリア、芝浦ジャンクション、芝浦出入口は港区海岸に、芝浦下水処理場は港南にある。芝浦の町域内には鉄道駅はないが、田町駅、三田駅、日の出駅、芝浦ふ頭駅などが近い。
歴史
現在の芝浦一帯は、以前は江戸湾(東京湾)の浅瀬だった。中世から東京湾の重要な海運拠点で、戦国時代には後北条氏の水軍の一拠点であったとされ、北条氏の縁戚である吉良頼康と玉縄城主北条綱成の管理下に置かれた。
江戸時代には芝浦は雑魚場と呼ばれて漁村として栄え、また芝浦でとれた魚は芝肴(しばざかな)と称され江戸に広く出回り、将軍にも献上された。いわゆる江戸前である。特に芝海老は特産となった。芝浦の沖合いでは海苔の養殖も行われた。
- 1912年(明治45年) 隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始される。
- 1919年(大正8年)2月 芝浦海面埋立地が完成し、翌3月に芝浦町一 - 三丁目が成立、東京市芝区に所属する。
- 1932年(昭和7年) 芝浦町一丁目に外国・国内の貨物船専用桟橋である芝浦桟橋(芝浦埠頭)が完成する。
- 1936年(昭和11年)1月1日 芝浦町とその周辺の町域整理を実施。芝浦町二丁目に周辺地域をあわせて新たに芝浦一 - 三丁目が成立する。また、芝浦町三丁目に周辺地域をあわせて西芝浦一 - 四丁目が起立され、芝浦町一丁目は海岸通三丁目に変更となった。
- 1947年(昭和22年) 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い、芝浦地区は東京都港区芝浦・西芝浦となる。
- 1964年(昭和39年)7月1日 芝浦地区に住居表示が実施され、芝浦に西芝浦を統合し、現行の芝浦一 - 四丁目が成立する。
住居表示実施前後の町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
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芝浦一丁目 | 1964年7月1日 | 芝浦一丁目 |
芝浦二丁目 | 芝浦二丁目 | |
芝浦三丁目 | 西芝浦一丁目、西芝浦三丁目 | |
芝浦四丁目 | 芝浦三丁目、西芝浦二丁目、西芝浦四丁目 |
再開発
芝浦では、1990年代以降、付近の汐留や品川などの埋め立て地と同様再開発が盛んになった。その代表的なものが、2007年(平成19年)に竣工した大規模な高層住宅群「芝浦アイランド」である。都営バス操車場、新三井製糖工場などの跡地に「ケープタワー」や「エアタワー」、「グローヴタワー」など、高さ160m程度の高層マンションが4棟建設された。また同じく芝浦4丁目では、沖電気工業の本社及び工場跡地にも高層住宅「CAPITAL MARK TOWER」が同年年10月に竣工した。
さらに、芝浦1丁目に本社のある自動車販売会社・ヤナセは2011年(平成23年)、老朽化した建物群を伊藤忠商事、日本土地建物などとの共同で再開発、新本社ビルや28階建て、総戸数1,000戸規模の高層マンションを建設することを発表した[1]。
施設
- 芝浦一丁目
- 芝浦二丁目
- 田町ハイレーン
- 芝浦工業大学
- 芝浦三丁目
- 港区立芝浦小学校
- 芝浦公園
- キャンパス・イノベーションセンター東京
- 東京工業大学附属科学技術高等学校
- 田町駅
- 芝浦四丁目
- ジャパンタイムス
- 住友不動産三田ツインビル東館(ホテルヴィラフォンテーヌ東京三田)
- かつて存在した施設
芝浦が舞台になった作品
芝浦の名が付く企業・団体等
- 東芝 - 芝浦製作所が重電系部門の源流。その後、1939年(昭和14年)の東京電気との合併で東京芝浦電気という名称になり、1984年(昭和59年)にその略称であった現社名になった。
- 芝浦メカトロニクス(旧芝浦製作所(2代目)) - 東芝系の産業用電気機器メーカー。
- 芝浦自販機 - 上記会社から自販機の事業を分社化して新規設立した会社。
- 芝浦電産 - 日本のモーター製造会社。その後に日本電産が買収して日本電産シバウラとなる。
- 石川島芝浦機械 - 日本の農業機械メーカー。その後に親会社 (IHI) の社名変更によりIHIシバウラとなる。
- 芝浦工業大学 - 東京都江東区豊洲にある工科系の私立大学。豊洲キャンパスができる前に、芝浦キャンパスが芝浦にあったことに由来している。
- 芝浦と場 - 正式名称は、東京都中央卸売市場食肉市場。食肉関係者や畜産関係者は、芝浦と言えばと場の事を意味する[要出典]。
その他
- 日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」の発祥の地である(創立は1920年)。芝浦を本拠地としていたことから、「芝浦協会」とも呼ばれていた。
- 日本初の放送が行われたのもこの芝浦の地である。詳細は日本放送協会を参照のこと。
- 町域内で郵便事業の支店が異なるため、郵便番号は一丁目が105-0023(芝支店)、二丁目から四丁目が108-0023(高輪支店)と異なる。
脚注
- ^ 東京・芝浦の本社:ヤナセ、300億円で再開発 『日本経済新聞』 平成23年5月3日朝刊